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Chapter 6: Sunlight After Rain

 安西と初めてまともに会話を交わしたあの日を境に、俺の学校生活は少しだけ――だけど確実に、変わった気がする。


 たとえば、それは、こんな具合だ。


『佐々野くん、なにしてるの?』

『佐々野くん、どこ行くの?』

『佐々野くん、次はどうするの?』

『あのね、佐々野くん。それでね、佐々野くん。ちょっと聞いてよ、佐々野くん』


 佐々野くん、佐々野くん、佐々野くん――。


 ああもう、しつこい! と怒鳴りつけたくなるほどに、安西はやたらと俺に絡んでくるようになった。


 ついこの前まで、あいさつどころか目すら合わせたことのなかった俺たち。

 そんな二人が、急に距離を縮めれば――当然、まわりは騒がしくなる。


 安西は中身こそちょっと変わっているが、容姿はまあ悪くない。

 だからだろう、男連中からは毎日のように「どういうことだ」と詰め寄られるようになった。

 

 ……そして、今日も然り。

 

「おい佐々野。おまえ、最近安西とずいぶん仲がいいじゃねえか。オレたちの知らないところで一体なにがあったんだ? ん?」


 ……また始まった。


 ホームルームが終わった途端、教室の空気が一気に騒がしくなる。

 俺は、ひとつ大きくため息をついた。


 肩に置かれた手を振り払おうとするが、今度は逆に、がっちりと肩を組まれる。

 逃げ場なし。

 

「からかうなよ。俺だって、こんなになつかれるとは思ってなかった。想定外だ」

「想定外って、どんなことをして手なずけたんだよ。まさか、うまいことごまかして、オレたちには黙っておこうって魂胆か? ふん、そうはいかないぞ。口を割るまで一生問い詰めてやるからな」

 

 それは至極迷惑な話だ。

 本当に勘弁してもらいたい。

 

「嫌なら話せ。今すぐにだ。なんせオレたちには聞く権利がある。同じクラスの人間としてな。で、おまえには話す義務があるってわけだ」

「意味のわからんことを言うな。俺はなにもしてないし、なにも知らない。あいつが急に話しかけてくるようになっただけだ。……そうだな、たぶん気分屋なんだろ。俺はその気まぐれに巻き込まれてるだけだ。明日はおまえらに声をかけてくるかもしれないぞ」

 

 そう言ってみたものの、野郎どもの怪訝な表情はそのままだ。

 こいつらもバカじゃない。

 さすがにこれではごまかせない。

 

「本当だな? 本当になんにもないんだな?」


 再び向けられる真剣な問い。

 ぐっと距離を詰められて、息がかかるほどに顔が近づく。

 ……そんなに覗き込むな、気持ち悪い。


 まあ、正直に言えば。

 まったくなにもなかったわけではない。

 きっかけと呼べる出来事は、確かにあった。

 だから、なにもないと答えるのは――少しだけ、嘘になる。


 俺は軽くため息をついた。

 口に出すのは気が進まなかったが、これ以上詮索されるのも面倒だ。

 

 ……仕方ない。

 少しだけ話してやるか。

 

「まあ、そうだな。しいて言えば……」

「しいて言えば?」

「泥に足を突っ込んだ」

 

「泥ぉ?」と野郎どもが騒ぎ出す。

 なんの暗喩だとかごまかしてないでちゃんと話せだとかモテる男はつらいだとかその運気にあやかりたいだとか、ああもう、ごちゃごちゃと本当にうるさいやつらだ。


 俺は鞄を肩にかけ、無言のまま立ち上がる。


「帰る」


 短くそう告げると、すぐに野次が飛んできた。

「話は終わってねえぞ」だの「逃げるなよ」だの。

 ……騒がしい。

 だけど、構う気はなかった。

 こいつらの相手をするために放課後があるわけじゃない。

 俺には、俺の時間がある。


 足早に教室を出て、昇降口へ向かう。

 ロッカーで靴を履き替え、扉を押して外へ出た。


 途端に、目の奥がちり、と疼いた。


 久しぶりの陽射しだった。

 校庭にまっすぐ降り注ぐ光が、景色をくっきりと浮かび上がらせている。

 あまりの明るさに、自然と目を細めた。


 ……やっぱり、晴れると違う。

 空気が軽くなったような気がして、呼吸も深くなる。


 大きく背伸びをして、空を仰いだあと、ふと視線を花壇へと向けた。


 そこには、やはりというべきか。

 ……今日も、安西がいた。


 校舎の隅、咲き誇る花のそばに、ちょこんと腰を下ろしている。

 膝を抱え、静かにうつむくその姿は、どこか絵のように自然で、溶け込んで見えた。

 

「まだ帰らないのか」

「あ、佐々野くん」


 声をかけると、安西はゆっくりと顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「佐々野くんは、帰るところ?」

「ああ、そうだ。……安西は、また花と話してたのか」

「そうだよ。よくわかったね」

 

 あっさりとうなずくその様子に、肩の力が抜ける。

 

「おまえもよくやるな」


 思わずこぼれた本音に、安西は気に留めた様子はない。

 ただ柔らかく目を細め、手前の花をそっと見つめていた。

 無邪気というより、どこか無垢で、意図のない優しさが滲んでいる。

 ……らしいといえば、らしい。


 ふと、どこからか小さな声が聞こえたような気がして、視線を巡らせた。


 校舎の陰で、数人の女子たちがこちらを見ていた。

 声をひそめながら、顔を寄せ合ってなにかを話している。

 目が合うと、ばつが悪そうに視線をそらし、すぐにその場を離れていった。


 ――なんだったんだ。

 

 少しだけ胸にひっかかりを覚えながらも、再び視線を戻す。

 安西は、まだじっと花を見つめていた。

 揺れる花と、その横顔。

 どちらも静かに、そこにあった。

 

 俺はひとつ、静かに息を吐いた。

 

「……飽きないのか?」

 

 なんとなくそう問いかけると、安西はきょとんとした顔でこちらを見上げた。

 

「なにが?」

「ずっと花を見ててさ」

「ああ。うん、飽きないよ。見てるだけじゃなくて、ちゃんと会話もしてるから」

「……そうか」

 

 そうだよな。

 おまえはそういうやつだ。

 

 まわりの女子たちは、恋愛の噂や流行りの話題に夢中だというのに、安西はいつもこの場所にいる。

 変わらず花を見て、そっと手を伸ばし、言葉をかけている。


 俺は、安西が誰かと楽しげに話している姿を見たことがない。

 だからこそ思う。

 どんなに笑っていたとしても、一人で過ごす時間がこれだけ長ければ、もしかすると――どこかで寂しさを感じているんじゃないかと。


 だって、そうだろう。

 相手が花だけでは……埋まらないものだって、あるだろうに。

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