表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

Chapter 2: I Got Caught in the Rain

「……安西?」


 口をついて出た名前に、わずかに遅れて記憶が追いつく。


 同じクラスの――そう、安西だ。

 下の名前は……思い出せない。

 けれど、苗字だけははっきり覚えている。


 安西といえば、いつも一人でいる印象だった。

 べつに暗いわけじゃないが、誰かとわいわい話している姿を見たことがない。

 たぶん、友達付き合いが得意なタイプじゃないのだろう。


 考えてみれば、俺もこれまでまともに話したことがなかった。

 あっても、せいぜい軽いあいさつ程度だ。


 なのに――なぜ、今、安西は俺に話しかけてきたのだろう。


 不思議に思いながらまばたきをすると、安西は、にこりと微笑んだ。

 肩先が少し雨に濡れていたけれど、その表情はどこまでも穏やかだった。


「おはよう、佐々野くん」


 まっすぐな声だった。

 思わず返事が遅れる。

 

「あ、ああ……おはよう」


 不意を突かれて、妙に間の抜けた返事になってしまった。

 いきなり名前を呼ばれるとは思っていなかったし、なにより……こんなふうに笑顔であいさつをされるとは思っていなかった。


 ふと、安西の視線が俺の足もとに落ちる。

 そのとき、濡れた左足がじんわりと冷たいことを思い出した。

 

 ふいに、安西が自分のポケットから一枚のハンカチを取り出し、言う。

 

「ねえ、見て」


 ふっと顔の横でそれを掲げると、彼女はくちびるの端を上げた。


「このハンカチにはね、ワンポイントで魚の刺繍が入ってるんだよ。ほら」


 言われるままに目をやると、確かに魚が一匹、そこに縫い込まれていた。

 ……が、それはよくあるかわいい図案とは明らかに違う。

 妙にリアルで、なんというか……お世辞にも、かわいいとは言えなかった。


 ……それは、ブリか? マグロか?

 それとも――。


「カツオだよ」


 迷いを見透かしたように、安西が言う。


「そうか」


 どうだっていいが、そのハンカチはどう考えても女子高生が持つには、らしくない。

 人の好みはわからないな、などと思いつつ、目をそらす。

  

「ところで佐々野くん、今朝は星占いを見たかな?」


 ……また唐突に話題が飛ぶ。


 振り回されている感じがして、なんだか疲れる。

 だけど、安西の瞳は子どものようにまっすぐだった。

 あまりに楽しげに問いかけてくるものだから、ついぞ無下にはできない。


 俺はため息をひとつだけついて、答える。


「見てない」

「そう。わたし、ふたご座なんだ。今日は一位だったよ」

「……それはおめでとう」

「ありがとう」


 にこりと笑って、お礼を言う安西。

 それから小さくハンカチを揺らし、言った。

  

「ちなみに、佐々野くんの星座は、このハンカチの刺繍と同じ、うお座だったりはしない?」

「……そうだが」


 どう考えても、星座のうお座とそのカツオには、共通点はない。

 本来なら、うお座の魚は、神話の中で神が姿を変えた神聖なものだったはずだ。

 カツオに罪はないが、そんじょそこらのカツオと並べないでほしい。

 

「やっぱりうお座なんだね?」

「そうだと言ってるだろう。それがどうした」


 脈絡のない話に、やや語気を強めて返す。

 だけど安西は気にする様子もなく、楽しげに笑った。

 

「あはっ。思ったとおりだ」

 

 いや、笑うところじゃないだろう。

 うお座でなにがおかしい。

 むっとして相手を見やる。

 

 眉をしかめた俺を見て、安西はハンカチを持った手を顔の前で二、三度横に振った。

 

「いや、ごめんごめん。べつに悪気があって笑ったわけじゃないんだよ。ただ、今日のうお座は運勢が最悪で、ランキングが最下位だったから、もしかしてと思ってね。今の佐々野くんにぴったりだったから。あの星占い、よく当たるんだ」

 

 くすくすと笑い続ける安西に、なんとも言えない気分になる。

 笑いごとではない。

 ……悪気がないと言うわりには、割とひどいことを言っている。

 

「見てたのか」

 

 簡潔に聞くと、安西はこくりとうなずく。

 

「うん、見てたよ。佐々野くんがあの後輩の子に道を譲るとこから、足を滑らせて水たまりに突っ込んで、通りすがりの人たちに変な目で見られるとこまで」

「全部じゃないか」


 ため息がひとつ、自然と漏れた。


 いちいち反応するのも億劫なはずなのに、気づけば口をつぐまずに話し続けている。

 これが初めてまともに言葉を交わす相手だなんて、少し不思議な感覚だった。


 安西の物言いは、妙に遠慮がなくて、はっきりしている。

 普段の俺なら引っかかりそうな言い方なのに、なぜかそうは思わなかった。

 理由はよくわからない。

 ただ……嫌な感じは、まったくしなかった。


 俺は、ズボンのポケットからハンカチを取り出す。

 もう濡れてしまった足をどうにかできるわけじゃないけれど、せめてついた泥くらいは拭っておきたかった。

 

 傘を持ったまま腰を落としかける。

 そのときだった。


「――佐々野くんは、雨が嫌い?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ