Chapter 1: The Rain of Beginnings
天気予報は見なかった。
見たって、なにも変わらない。
キャスターの口から出るのは、どうせ「今日も一日雨模様」の一言だけ。
そんなセリフは、もう聞き飽きた。
玄関を出て、空を見上げる。
太陽の姿は、やっぱりどこにもない。
見えるのは、どんよりとした重たい雨雲だけだ。
こんな空じゃ、外に出ただけで気分が沈む。
梅雨のシーズンに入って、最近は毎日こんな天気ばかり。
学校に行くのも、だんだん憂鬱になってきた。
登下校の電車は湿気でむんむんしていて、乗客の傘から滴る水が制服やカバンを濡らしてくる。
気に入ってるスニーカーなんて、絶対に履けやしない。
ああ、まったく。
濡れる心配のない車通勤の教師たちが、うらやましくて仕方ない。
あのじめじめした電車の空気を味わわずに済むなんて理不尽だ。
それなのに、一歩教室に入った途端「はい、勉強」だとか言うのだから。
……思い出すだけで忌々しい。
とはいえ、不満を言ったところで仕方ないことも、ちゃんとわかっている。
学校で勉強に励むのが、学生の義務ってやつだ。
それに、「雨で気分が乗らないから休みます」なんて言おうものなら、ただでさえ口うるさいあの担任が本当に憤死しかねない。
……それはそれで面倒くさい。
だから俺は、今日もこうして真面目に登校するのであった。
電車を降り、駅を出る。
安物のビニール傘を差して、ゆっくりと歩き出す。
少しすると、通い慣れた学校が目の前に見えてきた。
いつものように校門をくぐり、昇降口へ向かう。
並んだ花壇の横を通りかかったとき、ふいに後ろから水音が聞こえた。
ぱしゃ、ぱしゃ、と靴が水を跳ねる軽い音。
振り返ると、一人の女子生徒が傘も差さずに駆けてくるのが見えた。
これだけの雨脚だ。
にもかかわらず傘を差していないというのは、なかなかの勇気だと思う。
なぜ持っていないんだろうか。
面倒だからと、多少濡れることを気にしない性格なのか。
あるいは、どんな天気でも傘を差さないと決めている、妙なこだわりの持ち主か。
……まあ、前者だろうな。
駐車場に目をやると、車が一台停まっているのがわかる。
送迎でもしてもらったんだろう。
昇降口までのほんのわずかな距離だからと、傘を差さずに駆けているのだ、きっと。
走ってくる女子が、だんだんと近づいてくる。
制服の胸もとにつけられたブローチの色から、後輩であることがわかった。
駐車場から昇降口まで、土砂降りの中を走るにはそこそこの距離がある。
知った顔なら、傘にでも入れてやるところだが……。
残念ながら、名前はおろか見覚えもまったくない。
さすがに、いきなり見知らぬ相手に声をかけるのはためらわれた。
「よかったら俺の傘に入るか?」なんて、そんな言葉を口にしようものなら、警戒されても仕方がない。
下手をすれば、不審者扱いされかねない。
できれば高校生活を穏やかに過ごしたいと思っている俺は、道を譲るつもりで、そっと足を端に寄せた。
――その瞬間。
「――うわっ」
びしゃっ、と跳ねる水の音。
視線を下げれば、左足は見事に水たまりの中へと沈んでいた。
慌てて足を上げるも、冷たい水が靴の中に染み込んでくる。
靴下はしっとりと濡れ、ズボンの裾には泥が跳ね、ひと目でわかるほど汚れてしまっていた。
横を通り過ぎていく生徒たちの視線が、妙に気にかかる。
ひそひそと笑う声も聞こえてくる。
こう見えて、俺は案外傷つきやすいんだ。
……あまり見ないでほしかった。
ふと正面に目をやると、先ほどの女子が昇降口に辿り着いていた。
すでに上履きに履き替え、制服にかかった雨をタオルで丁寧に拭っている。
傘を持たずに走ってきたのに、その程度の被害で済んでいるのが妙に理不尽だった。
一方の俺はといえば、ちゃんと傘を差していたにもかかわらず、足もとは雨水に濡れて泥だらけ。
……腑に落ちない。
世の中、どうにも不条理だ。
髪をくしゃりと掻き上げながら、大きなため息をつく。
それから俺は、誰に向けるでもない、ただの八つ当たりをこぼした。
「だから、雨なんて嫌いなんだ」
「――そうかな。雨にだって、いいところはあると思うよ」
思わず顔を上げる。
まさかのひとりごとに、返事が返ってきた。
振り返ると、そこには傘を差して立っている一人の女子がいた。
俺は静かに首をかしげる。
どこか見覚えのある顔だ。
ええと、こいつは……誰だっけ。