じゅうし
タロウくんには欠落しているところがある、とモコは思います。
どうしてそんなことを思ったのか分かりません。だって、タロウくんはどこからどう見ても完璧で、非の打ち所のない少年なのです。先生も、周りのクラスメイトもみんな、タロウくんはスーパーヒーローになる素養の持ち主だと口を揃えて言います。
なにより、タロウくんはモコにとってもヒーローなのです。入学してからずっと、タロウくんはモコの唯一の味方なのです。
それなのに「欠陥がある」だなんて、どうしてそんなことを思ってしまうのでしょう。
罪悪感で胸が押し潰されそうです。劣等生であるだけでは飽き足らず、思考さえもまるで悪役に寄ってしまっている。それは、ヒーローになれと送り出してくれた親を、故郷のみんなをも裏切ることなのです。
モコはヒーローになりたいのです。それだけは紛うことない本心なのです。
「先生、僕はヒーローになれますか?」
優しく微笑むバッチイマン先生は、テーブルに肘をついて、両手を組みました。長く白く、神経質そうな先生の指をひたすらモコは見つめました。
決死の覚悟で振り絞った声は情けなく震えました。テーブルの下で、ぎゅっと手を握り込みます。
「モコくん、どうしてヒーローになれるか、なんて思ったんですか?」
先生の顔を見ることができません。なんだかとっても、言ってはいけないことを言ってしまったような気持ちになりました。
放課後に先生に「お話があります」と声をかけてからずっと、モコには言い知れぬ罪悪感と緊張感がありました。
『生徒指導室』と書かれたプレートが、ドアの小さなガラス越しに見えました。大きな横に長い机と、パイプ椅子が机を挟んで2つだけ。狭くて埃臭い室内で、モコは縮こまるように座っていました。
「僕、成績も悪いし、要領も悪いし、実技だってうまくできないし……それに、」
「それに?」
先生は優しく促します。
「タロウくんのこと、こわいって思うんです。タロウくんは僕の大事な友だちなのに、時々すごくこわくて、それこそ人間以外みたいに見えるときがあって、こんなこと思っちゃいけないって分かってるのに、でも、僕、自分がダメなヤツだから……そのせいでタロウくんに嫉妬して、こんなこと思ってしまうんだって胸が苦しいんです。ただでさえダメなのに、僕、自分が情けなくて、ヒーローになる資格がないって思うんです」
「でもモコくんは、ヒーローになりたいんでしょう? だから、この学園に来た。そうでしょう?」
「――僕は、ヒーローになりたいです。来たばかりの頃はヒーローになんかなりたくなかったけど、タロウくんを見て思ったんです。彼が僕のヒーローなら、彼のヒーローは誰なんだろうって。誰がタロウくんが困ってるときに助けてくれるんだろうって。他の誰でもない、1番助けてもらった僕が、彼のヒーローになりたいから、僕はまだここにいたいんです」
「その決心が最近、揺らいでるんだね? どうしてかな。タロウくんがこわいから?」
「こわい……です。すごく。タロウくん、たまに何を考えているか分からないし、笑顔なのに冷めた目をしているときがあるから」
「モコくんは正直だね。正直だから、隠し事ができるタロウくんのことが時々分からなくなっちゃうんじゃないかな。きみたちは全く同じ人間ではないから、自分との違いを見つけると理解と想像が追いつかなくて、それが恐ろしく感じるのではないかな」
丁寧に、落ち着いた声でバッチイマン先生は諭します。「いい子だね、モコくん。お友だちのことを一生懸命理解しようと考えられる子は良い子だ。決して、悪い子ではないよ」
ぐっ、と涙を堪えます。不安で仕方がなかったのです。モコは、悪役になんかなりたくありません。ヒーローにだってなりたくなかったけれど、それはもう過去の話。誰かのために、ヒーローになるって素晴らしいことだとモコは思うのです。
誰かを救うことができる、ヒーローに、できることならより多くの人々を守るスーパーヒーローに、モコだってなりたいのです。
「強くたれ」と、先生は言います。「いくら肉体が強くても、頭が良くても、精神が強くなければいけないよ、モコくん。モコくんは真っ直ぐで、慈愛の心を持っている。それはヒーローの絶対条件です。それが欠けているヒーローは、本当のヒーローにはなれない。本当のヒーローはつまり、スーパーヒーローのこと。モコくんは、自分のことを過小評価しているようだけれど、もっと胸を張っていいと先生は思います。きみは充分、ヒーローになる素質がある。ただのヒーローではなく、スーパーヒーローに」
「……せんせい。僕はモコくんのこと、嫌いにもなりたくないし……こわいなんて思いたくないし、彼のヒーローになってやりたいんです。だってタロウくん、このままだと――悪役になっちゃう気がして、こわいんです。僕ずっとタロウくんの友だちでいたい。将来、友だちと戦うなんて、嫌です」
先生はそれを聞くと、しばらく黙ってしまいました。
モコは滲む視界で、先生の表情を見つめました。無感情にも見える、その顔は、モコにはどうしてか辛そうに見えました。
「先生……?」
「きみは将来、大きな壁にぶつかると思います。しかし、その時、今の自分の気持ちを決して忘れてはいけません。どうしてヒーローになりたいと思ったのかを見失ってはいけません。分からなくなってしまったら、立ち止まってみなさい。自ずと答えは出るはずです」
それに、と先生は言いました。
「それに、にっちもさっちもいかなくなってしまう前に、先生に相談しなさい。生徒のために先生達はいるんですよ」
「はい――」パッと上げた視界で、モコはひどく落胆しました。
「1人で悩まず、先生に必ず、今日みたいにお話してください」
「――はい、先生」
微笑みながら冷えた目をする先生を前に、モコはただただ悲しい気持ちになりました。
先生はやはり――先生のくせに――、ヒーローではないのだと思い知らされました。