いち
ある日、手紙が届きました。
その家の夫婦は大喜びをして、大勢の人を集めました。
――聞かせて!
誰かが言います。
――その手紙の内容、私たちも知りたいわ!
また誰かが声を上げました。
両親は心の底から嬉しそうにします。
その息子はただ、何も言わずに宴の中央に座っていました。
背を押されます。
手紙の写しを手渡されました。
人々の注目を一身に受け、足が竦みます。
しかし、彼は期待されていました。
できないなんて言えません。
震える手で手紙を掲げ、息を吸います。
「にゅうがくきょかしょう」
そう言うと、誰かが息を飲みました。
『入学許可証
氏名 ××××
上記の者、本学に入学することを許可します。』
皆が手を叩いて祝福します。
大変な名誉だと、見知らぬ親戚が言いました。
一族から天才が出たと、名前も知らない彼らは、何も関わりがないくせに胸を張りました。
天才と呼ばれた彼は、俯きます。
――どうして、僕が。
唇を噛みしめると、「愛想良くしなさい」と母親が小声で叱りました。
誰も分かってくれないのです。
こんなにたくさんの人がここにはいるのに、誰も彼の気持ちに気付かないのです。
将来の英雄だと讃えられ、そんなものになりたくないと地団駄を踏めば白い目を向けられました。
――望んだってなれないのに。
――どれほどの人間が、お前の持っているその許可証を欲したことか。
そう言いたげな視線がまとわりついて、彼から声を奪いました。
選択肢はありません。
「行きなさい。絶対に後悔しないから」
でも。
彼は口を開きませんでした。
「そうだ。お前はヒーローになるんだ」
たくさんの『でも』を飲み込んで、彼は言います。
「いってきます」
帰ってくることはないでょう。
彼はもう、彼らの子どもではないのです。
人間にすら、戻れないのです。
泣くことすら許されません。
――英雄よ、強くたれ。
――自制でもって、秩序を制せ。
手紙が来てからひたすら両親に聞かされ続けた言葉がぐるぐると頭の中を回ります。
これから行く所の校訓だと、浮かれた彼らは口ずさみます。
背負ったリュックが肩に食いこみます。
しとしと降る雨の中、村中の人間が見送りに来ました。
「僕がいなくなるのが、そんなに嬉しいか」
ひねくれていく心はキリキリ痛んで、歯を食いしばれば「きゅう」と喉の奥が鳴りました。
「強くたれ」
傘を捨てて走り出すと、その背中を歓声が後押ししました。
「英雄よ、強くたれ」
前が見えません。視界が曇ります。
涙も鼻水も止まりませんでした。
変なところから汗が噴き出して、全部全部流してくれと空に願います。
故郷への思いも、両親への信愛も。
もう僕には必要ないものなのに――大事に大事にしていたいのに。
それが残っていたら、前に進めなくなってしまうのです。
走り続けます。
たとえ望まぬ道だとしても。
彼にはもう、それしか残されていませんでした。