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Crescente

屍の僕と呪詛の主

作者: 高里奏
掲載日:2011/09/05


 雨。

 目の前には降り注ぐ雨が跳ね返る街並み。

 ああ、もう終わる。

 全てが終わる。

 もう、こんなにも惨めな生き方をしないで済む。

 そう、酷く安心した。

 せめて腹いっぱい何かを食えたらとも思ったが、もう終わる。

 全てが終わる。

 無意味なことだ。

 ただ、雨が当たる。

 段々と視界がぼやけるような錯覚。

 その中で、自分の目の前の水溜りに赤が広がるのを感じる。


 ああ、俺も赤い血が流れていたんだ。


 少しだけ安心する。

 もう、無意味だというのに。

 雨の音に足音が混ざる。

 誰かがここに来る。

 それだけは理解できる。

 けれどもそれが近づいてくるのが不思議だ。

 そうして、何かが俺に触れた。


「死ぬの?」


 女の声。

 いや、女と言うには幼い。

 子供と言うには色が無い。

 重い頭を動かして、声の主を見上げれば、漆黒の衣を身にまとった女が居た。

 女と言うには幼く、子供と言うには育ちすぎている。

 少女と言う表現がぴったりな微妙な年齢。


「死ぬの?」


 彼女はもう一度俺に訊ねた。


「ああ、もう死ぬ……」

 

 何故かその時、答えなくてはいけない気がした。

 声を出すのも億劫だったが少女が纏う何かはその場の空気を包み込み、答えなければならないという脅迫の様でもあった。


「死にたいの?」


 今度は少し違う問い。

 その言葉に、もし死神が居るとするなら彼女が死神だろうと思った。


「……生きたい……」


 もしも神なら。

 縋るような思い。

 まだ、人生を楽しんでいない。

 空腹を満たしていない。

 あいつを殺していない。

 最後はそれだ。

 呪うような執念。

 まだ俺を惨めにしたあの男を殺していない。

 でっぷりと太ったトドのようなあの男を。


「じゃあ、生きる?」

 

 少女は俺に手を伸ばした。

「は?」

「復讐、したいんでしょ?」

 少女は一本のナイフを俺に差し出した。

 いや、もう殆ど感覚の無くなった俺の手に無理やり握らせた。

「そのナイフで自分を刺しても、殺したい相手を刺しても構わない。でも、期限は二つ目の太陽が昇るまで」

 彼女は静かに言う。

「……期待はしないわ」

 少女は踵を返す。

 そして、闇に消えそうだ。

「待て!」

 思わず叫んだ。

「何?」

「……名前、教えて、くれ、ないか?」

 声を出すのが辛い。

 血を流しすぎたのもあるのだろう。

 意識も定かではない。

 ただ、視線で少女を追う。

「……玻璃」

 彼女は静かに答えた。






 その晩、俺が死んだことを確認しようと寄ってきた醜く太ったトド男の心臓を刺した。

 するとどうしたことだろう。

 死に掛けていた意識が急速に戻り、彼女が現れた。

 何を考えているのか分からない血のように赤い大きな瞳で俺を見て、「来る?」とだけ訊ね、歩き出した。

 俺は必死にその後を追った。

 八年前のことである。









「玻璃様、起きて下さい。今日は音楽の教師がいらっしゃいますよ」

「……あと五年寝かせて……」

「寝すぎです。それは俺が困ります」

「……せめて三年……」

 俺の主、玻璃様は朝が弱い。

 それこそ放っておけば三日四日は眠り続ける。とにかく眠ることが好きなお方だ。

 今なら分かる。

 この人は死神ではない。

 導くものではなく、奪うもの。暗殺者だ。

 奪うはずのこの方が、何故俺を導いたのかは分からない。

「起きないと食事はお預けです。本日は玻璃様の大好物の木苺のジャムを用意したのに……いらないのですね?」


 ただ、俺にとっては確かに、破滅へと導く死神。


「いる!」

 慌てて飛び起きる漆黒の少女。

 玻璃様はあの時から何も変わらない。


「早く支度をしてください。マスターに叱られますよ」

「嫌。朔夜にもお説教される……」

「分かっているのでしたらちゃんと夜には起きてください。俺ももう直ぐ店に行かなくてはいけない時間ですから」

「……一日くらい閉めてもいいのに」

「よくありません」

「ジャスパーって変なの。あんな人の多いところが好きだなんて」


 玻璃様は俺に仕事と名前を下さった。


「ええ、好きです。玻璃様が下さった大切な仕事場ですから」


 美しき死神は、女神よりも尊く。

 ただそのために生きようと思わせる。


「お腹空いた」

「直ぐに用意いたします」


 生涯使えるべき俺の主だ。

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