馬車での移動は経費に含まれていますか?〜経理部の守護神、異世界で無双する〜
「おおっ! 召喚に成功したぞ!!」
突然のざわめき。
唐突に世界が真っ白に染まったというのに特に驚くことはなく、ビシッとスーツを着込んだ黒髪の女性、中原綾香は眼鏡を外して目をこすった。
「ようこそいらっしゃいました、聖女様!」
真っ白になっていた綾香の視界が、ようやく晴れてきた。
カラフルな髪色、見たことのない造りの教会。
ザ・ファンタジー!
……としか言いようのない世界に飛ばされたというのに、綾香は特に反応しなかった。
「聖女? 随分と変わった役職名ですね」
「は?」
「要するに部署異動ですね、分かりました。職務内容について教えてください」
「……は?」
——綾香を召喚した召喚士たちは、困惑した。
この国は100年に1度、異世界から聖女を呼んで瘴気を祓ってもらっている。
深刻な瘴気問題を抱えているというのに、どういうわけか国内どころか、この世界に瘴気を祓う力を持つ者は聖女の子孫を含めて一切生まれないからだ。
ゆえに、どの国も似たような作業を行っている。
とんでもなく不便な状況だが、だからこそ『マニュアル』が存在する。
招いた聖女に何を説明すればいいか、よくある質問は何か……などなど。
召喚士たちは、きちんとマニュアルを読んでいた。
その結果、困惑した。
「ええと……」
だが、黙っているわけにはいかない。
召喚士のひとりが、勇気を出して口を開いた。
「聖女様のお仕事は、我が国を危機的状況に陥らせている瘴気を祓っていただくことです」
綾香はふむ、と真顔で頷く。
「初めて聞く業務内容ですね。研修期間はありますか?」
「け、研修……あ、あります! 1か月間、聖女の力を使いこなすための訓練をして頂きます。その後、各地を巡っていただくことになります」
「そうなのですね。では、後ほど計画表を見せていただけたら」
「計画表!?」
「職務を全うするためには当然のことです。異動を命じられたからには、完璧にこなしてみせます」
「あ、ありがたい……お言葉、感謝いたします……」
異世界から聖女を召喚した場合、まず確定で質問攻めが発生するとマニュアルに書いてあった。
その内容は主に「召喚とは何なのか」、「何故自分が選ばれたのか」、「異世界とは何なのか」、「この国は一体どうなっているのか」、「瘴気を祓うにはどうしたら良いのか」など。
とりあえず、普通は。
普通はそういった話からスタートするものだ。
それ自体は大いに納得できた。だからこそ、答えもきちんと用意していた。
……しかし、綾香が口にしたのは『職務内容』と『研修期間』と『計画の確認』だった。
召喚士目線だと、ただでさえ衝撃的な状況が発生している。
しかし綾香は一切気にしておらず、何食わぬ顔で手のひらに光を生み出していた。
「なるほど。こういうことですか」
なんでだよ。
使い方を説明するどころか、存在すら教えていないのに、なんで自発的に力を発動させてるんだよ。
その精神的余裕は一体どこから来てるんだよ。ちょっとは動じろよ。
召喚士たちは困惑を通り越して恐怖を抱きながらも、綾香の言葉に頷いた。
「は、はい……それが、聖女の力です……」
「そうですか」
当たり前のように生み出した光を消し、綾香は再び眼鏡の縁を上げる。
「なるべく早く、完璧に使いこなしてみせます。瘴気とやらの被害にあっているのであれば、私に割く研修費はなるべく少ない方が良いはずです」
話が早く進むのはありがたいが、早く進み過ぎて本当に怖い。
「失礼、名乗るのを忘れておりました。私は中原綾香と申します。以前は経理部に所属しておりました。以後、お見知りおきを」
「……」
どうしよう、これは間違いなく変な聖女を招いてしまった。
役には立ちそうだが、役に立つ気しかしないが、変なのを呼び出したのは間違いない。
上がどんな反応をするかが全く読めない。どうしよう。
召喚士たちは内心大パニックになりながらも名を名乗り、聖女対応を大臣たちに託した。
……というより、ぶん投げた。
〇
大臣たちは冷や汗を流し、顔面蒼白になってプルプルと震えていた。
聖女の旅の責任者は声までも震わせている。
「い……以上が、聖女様に行っていただく旅のスケジュールとなっております」
「指摘箇所が多すぎて疲れました。計画書をください。流石に計画書くらいは作っていますよね?」
「ひぇ……」
国の重鎮たる大臣たちが、どうしてこうなっているのか。
それは、初手で綾香にこんこんと叱られたからだ。
勝手に召喚されたことに対して叱られた、というか怒られたのではない。
それは残念ながらよくあることだとマニュアルに書いてあった——「耐えろ」とも書いてあった。
理不尽だとは思ったが、覚悟は決めていた。
怒られに怒られる覚悟は決めていた。手が出ても仕方がないと思っていた。
何故なら急に家族や友人、学校や仕事、趣味の類を強制的に奪われれば当然怒るだろうというのが大臣たちの共通認識だったからだ。
しかも、実質強制的に命の危機に瀕するような作業をさせることになるのだ。
最終的に元の世界、転移前の時空に戻せると伝えたとて、怒る人間は怒る。
それは仕方ないと思っていた。何なら「この世界の方が悪い」とも考えていた。
だが、綾香の場合は違った。
「け、計画書はこちら、です……」
「……。これが計画書ですか。何故か文字は読めますが、むしろ読めない方が良かったかもしれませんね。酷いものを見てしまいました。こんなものでは到底、『計画』などとは呼べませんね」
——想像の斜め上、まさかの「計画が杜撰すぎる」と叱られたのだ。
「失礼ながら、大学を卒業したばかりの新入社員でも、もう少しマシな計画書を作ってきます。……まあ、この世界には生成AIどころかパソコンの類もないようなので、仕方のない部分はあるかもしれませんが」
「は、はぁ……」
「通常は分単位とまではいかずとも時間単位、せめて日数単位で計画を立てるものです。まさか計画書の類が紙切れ1枚だなんて。私は呆れて何も言えません」
「申し訳ありません……」
「経費はどうなっているのですか?」
「け、経費?」
綾香は盛大にため息を吐いた。
「旅にかかる費用は算出していますか?」
「そ、それは! 当然!」
「見せてください」
——嫌だああああぁあ!!!
大臣たちは、そう叫びたかった。
しかし、眼鏡の下で鋭く光る綾香の目に怯えて、圧に負けて、素直に10枚程度の書類を差し出した。
「ふむ……」
枚数があれば良いというわけではない。
そもそも、既に綾香に叱られることは覚悟していた。
案の定、綾香は眉間にしわを寄せている。
「この国の金銭的な単位や相場は分かりませんが、それでも最悪な状態だということだけは分かります」
「申し訳……ありません……」
「まあ、そもそも日数単位での計画が組まれていない時点でどうしようもありませんね」
「……」
綾香は盛大にため息を吐き、再び眼鏡の下で目を光らせた。
「これ、馬車での移動は経費に含まれていますか?」
「えっ」
「ざっくりとしか計算していないことは分かりましたが、恐らく馬車での移動がメインなのでしょう? 仮に100日かけて浄化の旅を行うとしましょう。一体、それにいくら掛けるおつもりですか? いくらなんでも、それくらいは算出されていますよね? 馬車での移動は経費に含まれていますか?」
「え、ええと……」
もう逃げたい。
常日頃からそろばんを弾いている財務大臣すら、綾香に怯えていた。
綾香がため息を吐くのが、もう怖くて怖くて仕方がなかった。
「最低でも移動費はきちんと割り出さなくてはいけません。そうでなければ、緊急時の対応ができません」
「はい……」
「お話を聞いている限りだと、計画通りに進むとは限らない旅なのでしょう? だから日数単位の計画すら組まれていなかったのでしょうが。しかし、経費に関しては細かく割り出すべきです。計画が破綻した際に『お金が足りなかった』で諦めるおつもりで?」
「そんなことは! 浄化の旅は最優先事項! 国家資金を切り崩してでも……!」
綾香はぎろりと大臣たちを睨む。
「国が傾きそうな状態で? 人命が掛かっている危機的な状況で? そんな雑な対応をしている余裕はあるのですか?」
「申し訳ありません……」
何が困るかというと、綾香の言うことは1mmも間違っていないことだ。
特に財務大臣は、本来なら部下と共に教えを乞いたいくらいだという感情も抱いていた。
しかし、書類のすべてを真っ赤に添削されるような真似をされるのは本当に辛い。
回ってきた書類に印鑑を押した身としては、恥ずかしくて恥ずかしくて吐きそうだった。
そして聖女は、神官長に目を向ける。
「失礼ながら、こちらの『聖女衣装一式』とはなんですか? 異様な金額が動いていることは分かるのですが」
綾香はこの世界の通貨単位や相場の類を知らない。
しかし他の物を基準にして考えることはできる。
これまで勤めていた職場で『経理部の守護神』と呼ばれていた女は、通貨単位を知らない程度では止まらない。
神官長は長い髭を手で伸ばしながら、笑う。
「ああ、そちらは浄化の旅の最中に聖女様がお召しになる正装です。複数枚ご用意しますので、金額が上がっているのは当然のことですな。……ご安心を。きちんと採寸を行い、立派な物を仕立て上げますので」
ぴくり、と綾香の眉尻が動いた。
「聖女の服……要するに、旅の服ですね?」
「ええ、まあ……」
「だとすれば、おかしいですよね? なんですか、これは。こんなものに予算を割く余裕はあるのですか?」
綾香の言葉を聞いた神官長は、心外だと言わんばかりに顔を真っ赤にした。
「『こんなもの』ではありませぬ! 国民に聖女の存在をアピールするための、浄化の旅のシンボルです!」
普通は、普通はこれで止まる。
聖女信仰はこの国の基礎。神官長に歯向かうなど、ありえないことだ。
しかし、その聖女様に信仰心なんてものはなかった。
「浄化の旅のシンボル? 訳がわからないことを言わないでください、所詮は消耗品です。もっと質素なものを用意すべきです」
困ったことに、言っていることは綾香の方が正しい気がする。
何も口を挟めなくなった大臣たちは、事の成り行きを見守っていた。
「し、しかし、歴代の聖女も同じ意匠の服を身にまとっているのです! その姿は国民に安心を届けることができるでしょう! そのために必要な衣服なのです!」
「浄化をして立ち去ることが何よりの安心では? 服だけ整えておけば、アピールさえできれば、浄化はいらないとおっしゃるのですか?」
「いえ、それは……」
とんでもない速度で、神官長が負けた。
そして綾香はくい、と眼鏡の縁を上げる。
「経費削減を求めます。これは私がきちんと仕事をすれば良いだけです。半端な仕事をするつもりはありませんので、ご安心を」
「はい……」
「私の衣服を豪華にする資金があるのであれば、国民に還元してください。その方が安心を届けられるはずです。アピールなんてものは要りません」
「分かりました……」
——大臣たちは、不安になった。
実はこの国が召喚するのは、『聖女』だけではない。
瘴気を生み出す魔物を討つ力を持つ『勇者』も呼び出す必要があるのだ。
それこそ、この後は勇者召喚の儀式が行われる予定だ。
自分たちは旅に送り出しさえすれば、割とどうにかなる。
しかし勇者は、浄化の旅の最中は綾香とずっと一緒にいる羽目になる。
それは……あまりにも。
あまりにも、不憫なのではないだろうか?
——大臣たちは、心の底から勇者に同情した。
○
「おおっ! 召喚に成功したぞ!!」
突然のざわめき。
唐突に世界が真っ白に染まったというのに特に驚くことはなく、ビシッとスーツを着込んだ黒髪の男性、沢城琢磨は眼鏡を外して目をこすった。
「ようこそいらっしゃいました、勇者様!」
真っ白になっていた琢磨の視界が、ようやく晴れてきた。
カラフルな髪色、見たことのない造りの教会。
ザ・ファンタジー!
……としか言いようのない世界に飛ばされたというのに、琢磨は特に反応しなかった。
「勇者? 随分と変わった役職名ですね」
「は?」
「要するに部署異動ですね、分かりました。職務内容について教えてください」
「……は?」
琢磨を召喚した召喚士たちは、困惑した。
困惑するしかなかった。
困惑しないはずがないのだ。
彼らはつい先ほど、聖女召喚でも全く同じやり取りをしているのだから。
——勇者も変なの引き当てちゃった。
召喚士たちは黙々と琢磨の疑問に答えていき、綾香の猛襲で疲労困憊になっていた大臣たちに容赦なく、本当に容赦なく琢磨をぶん投げた。
○
「馬車での移動は経費に含まれていますか?」
大臣たちの胃は溶け始めていた。
どうして、どうして2度も同じようなやり取りをしなければならないのかと。
まったく同じやり取りが発生してしまった。また馬車移動の経費を聞かれるなんて思わなかった。
聖女と勇者の相性は良さそうだが、我々とふたりの相性が悪すぎる。
もはや杜撰なのは隠しようがないため、大臣たちは1枚しかない計画書と経費関連の書類、綾香とのやり取りを終えてから念のため大急ぎで算出した大まかな馬車の使用料を琢磨に提出した。
算出しておいて良かった。こんなにも早く役に立つとは思わなかった。
しかし、出しておけば良いという問題ではなかった。
「馬車移動の経費は、こちらの書類には含まれていないようですが。後から出したのですか? 移動費はこの旅における要だというのに? むしろ移動費前提で物事を判断すべきだというのに?」
「申し訳ありません……」
「はあ、駄目ですね。移動費を計上していないだなんて、ありえません」
「はい……」
「この世界の通貨単位は分かりませんが、見たところ、かなり高いですね。徒歩では駄目なのですか?」
「と、徒歩!?」
何故か勇者が馬車移動の経費を削減しようとしている。
流石にそれは通せない。通してはいけない。
いくらなんでも、そんなことをしている余裕はない。
「じ、時間が、限られておりまして……」
「はあ、時間ですか……それは致し方ありませんね。では、せめて最短経路での移動を。……いや、聞くまでもありませんよね? もちろん、最短経路で予定が組まれているはずですから」
「……」
最短経路か、と言われると非常に怪しい。
何故なら地方領主を喜ばせることを最優先で経路を決めているからだ。
その土地に『聖女と勇者が浄化の旅の際に立ち寄った地』という箔を付け、国の中心部と地方との繋がりを密にするためだ。
暗黙の了解でそうした政治的な配慮が優先されていた。
……そんなこと、とてもではないが言えない。口には出せない。
しかし「これが最短経路だ」と言い張ったところで、琢磨の目を欺けるとは思えない。
遠回しに圧を掛けてきている彼は、間違いなく信じてくれない。
証明させろと言って、確実に地図を要求してくるはずだ。
だが、ここでの無言は「最短経路ではない」という事実を示しているだけだ。
琢磨は大臣たちを睨み、ため息を吐いて書類から手を離した。
ぱさり、と無機質な音が部屋の中に響いた。
「話にならない」
泣きそう。
「申し訳……ありません……」
まだ聖女の方がマシだった。
まだ聖女の方が優しかった。
まさか聖女を超える人材がいきなり現れるとは思わなかった。
机の上で乱れた紙束を見て、大臣たちは肩を震わせる。
しかし勤めていた職場で『経理部の守護神』と呼ばれていた男はまだ止まらなかった。
「この後の予定は? 特に無いのであれば、聖女さんも招いて計画の見直しをしたいのですが?」
うわあああああぁ!!
絶対に怒られるううぅう!!
もう、琢磨の返答は分かりきっていた。
しかし言うしかなかった。
大臣たちは、口を開く。
琢磨は心底呆れ返った様子で、冷え切った眼差しを大臣たちに向けた。
「勇者と聖女の激励パーティ? 愚かですね。瘴気による被害が出ている状況で、接待交際費を経費に含めている場合ではないでしょう?」
「申し訳……ありません……」
「明日は計画の見直しをします。良いですね?」
「はい……」
「……。聖女さんとは価値観が合えば良いのですが」
困ったことに、間違いなく価値観は合う。
だからこそ、綾香も全力で計画の見直しに参加してくるだろう……明日は、地獄確定だ。
激励パーティ。
自分たちもしれっと楽しむ気満々だったのだが、まず楽しめない。
何なら今日眠れるかどうかすら怪しい。
「……」
嗚呼、この後は一体どうなるのだろう。
そもそも明日、自分たちはどんな目に遭うのだろう。
大臣たちは、胃の痛みを感じていた。
——なお、激励パーティの華やかな空気は当然のことながら開幕崩壊した。




