第01話:ワタシを騙すなんて最低です
蓮は、心底幸せそうに微笑んだ。
物理的な拘束力はないはずなのに、私の体は金縛りに遭ったようにピクリとも動かない。
「君の罪は、君の心は、永遠に僕のものだ。誰にも渡さない。君が死ぬまで、いや、死んだ後もずっと、僕が君のそばで、優しく愛してあげるからね」
闇の中で、優しい屍の王子が笑う。
鳴り止まないスマートフォンの電子音と、鼻を突く腐敗臭。
そして、耳元で繰り返される永遠の愛の囁き。
私の世界は、彼という狂気の中に永遠に閉じ込められ、完全に幕を閉じた。
(完)
「……ちょっと待ってよ白石さん」
突如として、絶望の淵に沈んでいた私の鼓膜を、間の抜けた声が揺らした。
「ちょっと匂うけど僕の肉体再生中なんだよ。ほらよく見て」
(え?)
私は、自分の足元にある陥没した頭部と、目の前で笑う影のない彼の姿を交互に見比べる。
喉の奥がヒューッと鳴った。
「だって僕『屍の王子』だもの」
(どゆこと?)
張り詰めていた恐怖の糸が、ぶつんと音を立てて切れた。
限界を超えた脳の処理能力が完全にショートし、視界が急速にブラックアウトしていく。
「あ、ほら、よく見てよ。もう頭のへこみも治って……白石さん?」
彼の無邪気な声が遠ざかるのを最後に、私の意識は暗い泥の底へと沈んでいった。
* * *
ふわりと、鼻先を高級なアンティーク家具の匂いがくすぐった。
背中にはふかふかとしたクッションの感触。
そして、後頭部を包み込む、ほどよく筋肉のついた温かく柔らかなもの。
(……ここは?)
重い瞼を持ち上げる。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた特別生徒会室の豪奢な天井と、ステンドグラスから差し込む西日だった。
「大丈夫? 急に刺激が強かったかな。ごめんね」
頭上から、甘く優しい声が降ってきた。
視線を上に向ける。
私の後頭部は、あろうことか一条先輩の太ももの上に乗せられていた。
いわゆる、膝枕というやつだ。
逆光に照らされた彼の顔は、息を呑むほど美しい。
陥没した頭部も、どろどろの体液も、そこには微塵も存在しなかった。
「さっきは、幽霊の僕と肉体再生中の姿を急に見せちゃったから驚いたよね。でも、隠し事なしでグールの王子だって名乗れて、僕は嬉しいよ」
心配そうに私を覗き込む彼の整った顔立ちと、その無邪気な言葉。
それらが脳内でパズルのように組み合わさり、気絶する直前の『泥まみれの記憶』が鮮明にフラッシュバックした。
(……ドッキリだ)
冷え切っていた私の血液が、一気に沸騰するような感覚に襲われた。
幽霊? グール? 肉体再生?
そんな馬鹿げたオカルトが、現実にあるはずがない。
きっと彼は、私の罪悪感を弄ぶために、精巧な死体人形か何かを用意してあんな悪趣味な芝居を打ったのだ。
私は弾かれたように身を起こし、ソファの端まで転がるように後ずさった。
「……っ、幽霊とかグールとか、意味わかんない!」
喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど甲高く震えていた。
「あんな悪趣味なドッキリまで用意して、私をからかって楽しいですか!? もう、馬鹿にするのは止めてください!」
足がもつれるのも構わず、私は乱れたスカートの裾を握りしめて立ち上がる。
呆然としている先輩を一瞥もせず、逃げるように生徒会室の重厚な扉を押し開け、廊下へと飛び出した。
* * *
バタン、と大きな音を立てて扉が閉まる。
室内に残されたのは、奇妙な静寂だった。
ソファに腰掛けたままの一条蓮は、半開きの扉をじっと見つめ、ピクリとも動かない。
「……会長、せっかくの花嫁に逃げられちゃいましたね」
彼女が去った直後、部屋に一般の生徒会役員たちが雑務の書類を抱えて入室してきた。
不用意な言葉を発したのは、事情を何も知らない下級の役員だった。
瞬間、部屋の温度が急激に下がる。
「……誰が入室を許可した。そのまま外で待機していろ」
一条蓮が静かに首を巡らせる。
その声音はひどく平坦だったが、空気が重くのしかかり、呼吸すら困難になるほどの濃密な死の気配が部屋を満たした。
入室してきた一般役員たちの顔から、一瞬にして血の気が引く。
「おい、王子の機嫌を損ねるな。命が惜しけりゃとっとと下がれ」
たまらず間に入ったのは、書記を務める男子生徒――学園の荒くれ者たちを束ねる男だ。
彼が凄みを利かせると、一般役員たちは「ヒッ……!」と短い悲鳴を上げ、這うようにして廊下へと退避していく。
「あらあら。あの人間の女の子、あの状況で会長に怒鳴りつけるなんて。命知らずで可愛らしいわね」
生徒会副会長の美女が、優雅に紅茶のカップを傾けながらくすくすと笑った。
彼らは学園の頂点に君臨する魔物たち『M4』。
絶対王者である一条蓮と互角の力を持つ彼らに、恐怖や萎縮の色は一切ない。
「今年中に花嫁決めるんだろ? 彼女が候補なの?」
窓際で腕を組んでいた吸血鬼のもう一人の副会長――如月が、気だるげに赤いジュースのパックにストローを突き刺しながら尋ねた。
「候補ではない」
蓮は、自身の太ももに残る微かな温もりを確かめるように、そっと指先で撫でる。
「運命だ……それなのに……そのチャンスを僕は……」
彼の瞳に、ドロドロとした異常な執着の念が渦巻く。
指先がソファの布地をギリギリと力任せに引き裂いていた。
(……やれやれ。自分が惚れると周りが見えなくなるのは悪い癖だ。ウチの会長は)
如月は、微かに眉間を揉みほぐした。
ここで彼女に逃げられでもしたら、機嫌を損ねたこの暴君が、ヒロインを探すついでに学園の校舎を物理的に半壊させかねない。
(俺が動くか。……後処理が面倒だしな)
如月は空になった紙パックをゴミ箱に放り投げ、静かに生徒会室の扉へと向かった。
* * *
息が切れる。
放課後の静まり返った廊下を、私は無我夢中で走り続けていた。
階段の踊り場に差し掛かった、その時。
「わっ……!」
曲がり角から突然現れた人影に、私は勢いよくぶつかりそうになった。
咄嗟に身を捩るが、足がもつれて体勢を崩す。
冷たい床に叩きつけられる。そう覚悟して目をつぶった瞬間、ぐいっと強い力で腕を引かれた。
「……危ないな。廊下は走るなと、校則で決まっているはずだが」
耳元で、ひんやりとした低い声が響く。
目を開けると、すぐ目の前に端正な顔立ちがあった。
抜けるように白い肌と、切れ長でミステリアスな瞳。
生徒会副会長の、如月先輩だった。
彼は私の腕を掴んだまま、背中を壁に押し付けるようにして立っている。
いわゆる、壁ドンに近い体勢だ。
学園を牛耳る『奇跡のイケメン4人組(Miracle 4)』の一人。
間近で見る彼の整った顔立ちに、不覚にも一瞬だけ心臓がトクンと跳ねる。
「あ、すみません……如月先輩……」
「顔色が悪い。あの我儘な暴君に、また何か難題を押し付けられたのか」
如月先輩は、少しだけ呆れたように目を伏せる。
「いいえ……そういうわけじゃ……」
「探偵の助手、引き受けたんだろ? 無断で逃げ出すのは感心しないな。辞めるにしても、せめて本人と話をして筋を通すべきだね」
そのクールな声色は、決して私を脅すものではない。
まるで駄々をこねる弟に手を焼く兄のように、どこか余裕と大人の響きがあった。
「でも、あの人おかしいです……私、一人じゃ……」
「……一人で不安なら、俺も立ち会うよ」
(如月先輩……もしかして、私を庇ってくれようとしてる……?)
一条先輩の悪趣味なドッキリから私を遠ざけようとしつつも、彼が怒らないように、あえて正論で私を諭してくれているのだろうか。
「……分かりました」
彼の紳士的な気遣いと正論に納得し、私は小さく頷いた。
如月先輩は私の手首を掴むと、生徒会室の方角へと歩き出した。
しかし、私は気づいていなかった。
私の手首を掴む如月先輩の指先が、氷のように冷たく、微かにこわばっていたことに。
* * *
重厚な扉が開かれた瞬間、部屋の中は冷凍庫のように冷え切っていた。
肌を刺すような、ピリピリとした異常な空気。
部屋の隅では、一般の役員たちが怯えたように身を寄せ合って震えている。
だが、部屋の中央にいるM4の面々は違った。
一条蓮が、私と如月先輩の繋がれた手を、底知れぬ漆黒の瞳で見つめている。
「如月。……その手で、僕の助手に気安く触れるな」
声のトーンは決して高くないが、濃密な殺気が空気を震わせる。
しかし、如月先輩は全く動じることなく、涼しい顔で私の手をパッと離した。
「ほら、君の助手を連れ戻してやったぞ。これ以上殺気を撒き散らすな、下っ端どもが怯えてるだろ」
(……は?)
恐怖よりも先に、私の中で何かがプツンと弾けた。
わけのわからない死体ドッキリで人を気絶させ、目が覚めたと思ったら、今度は他の役員たちを威圧して怯えさせている。
ミラクル4だか何だか知らないが、一条先輩は、そもそも学園のトップとしての自覚がなさすぎる。
「ちょっと、一条先輩!」
私は、震える膝を必死に叱咤して、部屋の中央へとズカズカと踏み込んだ。
床で震える一般役員たちを庇うようにして、一条先輩を真っ直ぐに睨みつける。
「放課後なのに生徒会長室にこんなに人を集めて、部活の予算会議はどうなってるんですか! ここは遊び場じゃないんですよ!?」
私の怒鳴り声が響いた瞬間、部屋の隅にいた役員たちが「ヒッ!?」と声にならない悲鳴を上げて顔を覆った。
だが、トップ層の面々の反応は全く違った。
「……ぷっ、あははははっ! すげえ、マジで会長に説教してる! あんた最高だな!」
書記の男子生徒が、腹を抱えて大爆笑し始める。
彼は机からピョンと飛び降りると、人懐っこい大型犬のような笑顔で私に顔を近づけてきた。
「俺は書記の犬飼大牙。人狼族の王子だ。で、こっちで笑ってるのがサキュバスの王女、神宮寺魅音副会長。そんで、さっきあんたを連れ戻したのが吸血鬼族の王子、如月だ」
「えっ……じんろう? さきゅばす?」
「おう! 俺たちはそれぞれ魔界のトップ種族の王子や王女で、ガキの頃からの幼馴染なんだぜ。この学園を牛耳る『モンスター4』ってわけだ!」
誇らしげに胸を張る犬飼くんの言葉に、私はポカンと口を開けた。
(……は? 人狼? サキュバス? 吸血鬼? モンスター4? ミラクル4じゃなくて?)
恐怖よりも先に、盛大な呆れが押し寄せてくる。
(何言ってんのこの人たち。もしかして、生徒会全員で重度の中二病ごっこでもしてるの!?)
「ふふっ。本当に、人間の女の子って恐ろしいわね」
サキュバスを自称する神宮寺先輩が、面白くてたまらないというように目を細めた。
如月先輩も「やれやれ」と肩をすくめながら、口元に微かな笑みを浮かべている。
私が彼らの痛すぎる設定に頭を抱えていると、目の前の一条蓮が、ゆっくりと目元を綻ばせた。
漆黒の瞳が、甘く、ドロドロとした熱を帯びていく。
「……ああっ、素晴らしいよ、白石さん」
彼は恍惚とした表情で自分の胸を押さえ、熱に浮かされたような吐息を漏らした。
「魔界のトップである彼らを前にしても、一歩も引かずに説教をするなんて。君は本当に……不死身の肉体を持つ僕を一撃で粉砕した、唯一無二の気高い存在。――そう、美しき『破壊神』だ!」
「は?」
「今日から君は、僕の助手兼、花嫁だ。君が望むなら、この学園のルールも、僕の命も、何度でも君に壊してほしい」
一条蓮は、狂おしいほどの愛おしさを込めて、私に向かって両手を広げた。
意味がわからない。
中二病のイタい生徒会に正論を叩きつけたはずなのに、なぜか彼の激重な愛情メーターを限界突破させてしまったらしい。
面白がるトップ層と、怯え震える下っ端たち。
完全に狂っているこの生徒会室で、私は頭を抱え、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
【作者あとがき】
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
第一部の絶望から一転、勘違いが交差する第二部の幕開けです。
白石さんの常識的ツッコミは、魔界のエリートたち(中二病の痛い人たちだと勘違い中)
に大ウケし、屍王子の愛をさらに深める結果となってしまいました。
皆様の応援が力の源です。もしよろしければ、評価やフォローで応援していただけると嬉しいです!




