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水本さんと私

作者: 小此木
掲載日:2026/02/17

 待ち合わせ場所に立っていたら、向こうから手を振りながら水本さんが歩いてきた。


「ゆりさん、こんにちは。お待たせしました」


「水本さん、こんにちは。私も今来たところです」


 じゃあいきましょうか、と水本さんが歩き出した。

 私もついていって、人で賑わう水族館へと入った。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 今日は、水本さんとの2回目のデートだ。

 

 マッチングアプリで出会った水本さんとは先月一度カフェでお茶した。


 清潔感もあるし、朗らかだし、エンタメの趣味も合うし、何よりちゃんと働いている。

 最初の30分くらいで私は水本さんとの2回目のデートに行きたいなと思っていた。


「そういえばゆりさん、気にならないんですか?

あの、初対面で言うのもあれですけど、結婚を考えるとなると、はっきりさせておいた方がいいかなって」


 水本さんがおずおずとそう切り出してきたので、首を傾げて見せる。


「何がです?」


「ほら、僕、人魚だから」


 ああ、と合点がいった。

 そういえばプロフィールにそんなことも書いてあった気がする。


 マッチングアプリで来たいいねを写真だけ見て、あり・なしを判別していたので、正直プロフィールをそこまでしっかり見ていなかったのが本音だ。

 会ってみないと分からないことも多いので、写真がそこまで悪くなければとりあえず会ってみるのが私の婚活スタイルなのだ。


「確かに、人魚さんだとご実家への挨拶も大変ですよね。私、泳げないですし」


「あ、それは心配いりません。最近は海の中にも電車が通っていて、僕の実家は割と都市部だから泳げなくてもいけます」


 なんと。

 海の中にも都市部なんていう概念あるのか。


「なんというか、種族の違いとか、生活習慣の違いとか。そういうの、気になりませんか?」


 水本さんはそう言って、ピッチャーの水をグラスに注いでは飲み、注いでは飲み、注いでは飲んだ。


「えー。まあ。でも人間同士だって習慣の違いがあるんですから」


「まあそうですけど」


 釈然としない顔ながら、水本さんはピッチャーで水を追加注文した。

 ついでに私も紅茶を追加する。


「逆に水本さんは気にならないんですか?生活習慣とか種族の違いとか」


「うーん、僕は学生時代に陸に上がってから10年経ちますからねえ。陸にはもうだいぶ慣れていますから」


 陸に上がったと言われてつい港でびちびち魚のように跳ねている水本さんを想像した。


「学生時代から陸に?留学ですか?」


「そうです。まあ、留学といっても日本の領海からなんで単に進学先が陸だった感じですけど」


「でも受験も大変でしょう。言葉も違うし」


 水本さんは苦笑いしながら頷いた。


「まあ、人魚枠受験だったので多少は楽でしたけど、上陸してからは一人暮らしだし大変でした」


 上京みたいな言い方で上陸という水本さん。


「そもそも、歩くってことが難しいですからね。何しろ初めての足ですから」


「あ、そうか。ってことは、やっぱり海の中だとヒレがあったんですか?」


「そうです、そうです。上陸に合わせて海の魔女と契約をしたんです」


「魔女って、あの、アンデルセンの童話みたいな?」


「まあ、はい。あっ、でも愛を得られなければ泡になるみたいな契約、今どき法律で取り締まられるんで、僕はもっと気軽なやつですけど」


「契約に気軽とかあるんですね」


「はい。僕は、足をもらうんじゃなくてレンタル契約なんです。今でも代償として」


 私は、つい、『若い女の生き血』とか『髪の毛を一房』とか、そういうありがちなのを想像してごくっと唾を飲んだ。


「月に2冊、BL漫画を魔女に送っています」


 海の魔女が腐女子だとは思わなんだ。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


「あ、あの魚は僕の実家の近くによくいますよ。学校帰りとかに友だちとよく食べてました」


 水本さんがそういって指差したのはイワシだった。

 そんな陸の子どもが花の蜜を吸うみたいな話が海にもあるとは。


 大水槽の前に人が増え始めたので、わたしたちはそこを離れて歩き出す。


 けれども、隣を歩く水本さんがつまずいたのか体勢を崩した。


「大丈夫ですか?さっきも転んでましたし、もしかして体調が悪かったり…?」


 人魚の生態には詳しくない。

 足の調子が悪いこともあったりするのではないか、と思って慎重に尋ねると、水本さんは神妙な顔で首を横に振った。


「実は、魔女への代償をもう2ヶ月も滞納していて」


「2ヶ月も?代償って、確かBL漫画でしたよね?」


「はい。1ヶ月滞納するごとに、足の指が一本担保として持ってかれるんです」


 何そのシステム、怖。


「だから今、右足の親指と小指がないんです、僕」


「だから転びやすいんですね」


「はい。来週までにBL漫画が用意できなければ今度は人差し指が持ってかれます」


「じゃあ急がないとじゃありませんか。なんで滞納しちゃったんです?」


 また水本さんが転ぶと嫌なので、とりあえずベンチに腰掛けた。


 目の前にはペンギンの水槽。


「前回も前々回も僕はBL漫画を買って魔女に納めたんです。

でも魔女は受領してくれなくて」


「なんでまた」


「どうやら、地雷、というやつだったみたいです。

魔女は甘々溺愛ハピエンBLが好きなのに、僕が納めたのは死ネタありのメリバものだったらしくて。

それから、魔女は年下わんこ系男子攻めを要望したのに僕が送ったのはわんこ系男子総受けものだったらしいんです。

なんだかさっぱり分からなくて」


 それは確かに受領してくれなさそうだ。


「そんなに好みがうるさい魔女によく10年も漫画を納められましたね…」


「実のところ指を取られるのは年に10回くらいは起こってます。

なので一年のほとんどはは転びやすいのが僕です」


 水本さんは心なしか胸を張ったように見えた。


「でも一年に一回くらい魔女の好みど真ん中のものを送れるらしくてそうすると指が全部戻ってくるんです」


「それなら魔女の好みど真ん中のものを探しましょうよ」


「でも書店に行ってBL漫画の棚を探し回るのが恥ずかしいんです。女子高生が『腐男子だ〜』って言ってきたり、店員さんに生温かい目で『お探しのものあったらお声掛けください』って声かけられたり…」


 水本さんはリュックから2リットルのペットボトルを取り出して飲み干した。


「すみません、ゆりさん。せっかく2回目も会ってくださったのに、こんな話。

でも、僕はもう、足の指がない転びやすい男として生きていくしかないんです」


 私は水本さんの肩を叩いた。


「水本さん、諦めるのは早いですよ。私、その分野、大得意です」


 何しろ私は職業BL漫画家なのだから。


 我々は水族館を出て、近くで一番大きな書店に入った。

 親の顔より見たBL漫画の棚をざっと見渡し、先ほど水本さんが言っていた魔女の好みに合いそうなものを数冊見繕う。


「先月か今月出たばかりの新刊を集めたので、すでに魔女に送っているものはないかと」


 私がこの見繕った数冊を水本さんはキラキラした目で受け取った。


「す、すごい、ゆりさん…!」


 水本さんの羨望の眼差しに私は胸を張る。

 自分の描いた漫画もこっそり混ぜたのは秘密だ。


「早速帰って魔女に送り…、あっでもせっかくのデート…!」


 会計を終えた水本さんはわたわたとリュックに漫画を詰めながら天を仰いだ。


「デートはまたいつでもできますから。

それより早く漫画を送って、指を返してもらってください。転んで大怪我でもしたら心配です」

 

 私がそう勧めると、水本さんは何度も頭を下げて駅へと向かっていった。

  

 水本さんと別れて私もバスに乗って自宅へと帰る。


 そういえば、海にいる魔女にどうやって漫画を送るのだろう。

 次に会ったら聞いてみよう。


 自宅に着いてしばらくすると水本さんから連絡があった。


 無事魔女から足の指が2本返ってきたらしい。

 そのメッセージには、買った漫画をジップロックに詰めて、お風呂の水に浮かべた写真が添付されていた。

 よく見るとジップロックには、配送伝票みたいなのが貼られている。


 おめでとうございます、と返信してから、『海  荷物 配送伝票』と検索した。

 一番上に出てきたサイトを開く。


 『海の中に荷物を送るには、送りたいものの体積の10倍以上の水に送るものを浮かべて、配送伝票を貼ります。

一気に栓を抜いて、渦ができたら配送ルートに乗ります。

水がなくなったときに荷物も無くなっていたら成功です。

※配送伝票は近所のコンビニやドラックストアで購入可能です。』


 初めて知った。


 へえ。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 水本さんと出会ってから2年弱、私は稲尾百合から、山下百合になった。

 

 水本さんと結婚したのだ。


 水本さんと交際し始めてから、彼に本名を聞いてみた。

 アプリで表示されていた名前は水本だけだったから、下の名前を知りたかった。


 えっとねー、と言いながら水本さんは免許証を見せてくれた。


 『山下 水本』が本名らしい。


「水本って、苗字じゃないんだ!?」


 思わず声に出して言ったら、水本さんはきょとんとして頷いた。


「そうだよ。アプリなら下の名前の方が無難かなって」


「うん、まあ、私も下の名前でやってたけど。

あれ、でも人魚って、日本語で喋る訳じゃないよね?」


「うん。だから上陸するときにこっち用の名前を自分で決められるんだ。

苗字はね、山下海男からとったんだ」


 かっこいいでしょ、と水本さんは胸を張った。

 山下海男は確か明治時代の作家だった気がする。陸の生活を人魚たちに紹介するような小説を書いて陸でも海でも人気を博した。


「水本は何由来なの?」


「僕の海の中での名前の意味から取ってる。

日本語で名前を発音するのはちょっと難しいんだけど、『流れる水の根源』みたいな意味なんだ」


「だから水本?」


「うん。変?」


 私は返事に困った。

 

 きょとんとした水本さんが可愛いから、ぎゅっと抱きしめて誤魔化した。


 でもやっぱりちょっと変だと思う。


 そんなこんなで、海の都市部にある水本さんの実家にご挨拶に行ったり、海の魔女さんにご挨拶に行ったり、内陸部にある稲尾家に挨拶に連れていって水本さんが干からびかけたりしながら、結婚した。


 それにしても、毎月2冊BL漫画を2人で選び、ジップロックに入れて魔女に送る生活はなかなか楽しい。


 でも私の職業がBL漫画家とは魔女には秘密にしている。

 もしバレたら魔女に監禁されて、年下わんこ系男子攻め甘々溺愛ハピエンBLを描かされ続ける生活になりそうで。


 それは悪くないかもしれないけれど、水本さんとの暮らしの方がずっと愛おしい。

 今のところ彼の指は全部揃っているし。

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