【第3話】黒衣は“ごめんね”と言った
突如として現れた黒衣の女に、全身が強張る。
声が出ない。
――誰だ。いつからそこにいた。
全身を黒衣で覆い、顔は透けた黒布に隠されている。
表情はまったく見えない。
ただ、こちらを見ている。
……誰なんだ。
恐る恐る、お嬢様の方へ視線を向ける。
彼女は――蒼白な顔で震えていた。
さっきまでの無邪気な笑顔はどこにもない。
そこにあるのは、ただ純粋な恐怖だけだ。
「す、すみませんが……どちら様でしょうか……? お名前を、お聞きしても……?」
喉が焼けるように乾く。
それでも、どうにか声を絞り出した。
――やばい。
本能が告げている。
獣人としての直感が、全力で警鐘を鳴らしていた。
逃げろ、と。
いや、獣人でなくてもわかる。
この少女からあふれる気配は――不吉そのものだ。
早く、この場をやり過ごさなければ。
そう思った、その瞬間。
黒衣の少女が、ゆっくりと俺に手を向けた。
空気が、重くなる。
掌に淡い光が集まっていく。
――魔法。
「っ……!」
身体が動かない。
「……あ……やめて!」
震えていたお嬢様が、叫んだ。
かすれた声。
けれど、確かにその一歩は前に出ていた。
勇気を振り絞ったのだ。
黒衣の少女は、わずかに動きを止めた。
沈黙。
風の音すら消えた気がした。
そして。
「…………ごめんね」
ぽつりと。
その瞬間、光がふっと消える。
少女の姿は、霧のように――掻き消えた。
残ったのは、震えるお嬢様と、荒い呼吸の俺だけ。
俺は――殺されかけた。
理由もわからず。
ただひとつ、はっきりしている。
あの少女は迷っていた。
迷った末に、やめたのだ。
……俺を、殺すことを。
静寂。
空気の抜けるような音がして、ようやく肺が動く。
「…………はぁ」
助かった――そう思った瞬間、はっとする。
「お嬢様!」
慌てて駆け寄る。
彼女はまだ震えていた。
小さな手が、ぎゅっと俺の服を握りしめている。
そして――
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その後、お嬢様は死んだ。




