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第3話「薔薇の棘と素直な心」

 放課後を意味する鐘が鳴る。

 

 悪魔に手懐けられて、心がすっかり元通りになった小春は学校の門まで2人仲良く歩いていく。


「もう!ドラちゃんは今後、撫でるの禁止!」


「そんなこと言って喜んでたくせにぃ〜」


「別に、喜んでないもん!」

 

「……?」


「明日からはちゃんと大人しくしててよね」


「……!」


「ちょっと!ドラちゃん聞いてるの!?」


 突然、悪魔が立ち止まり口元をニヤつかせる。

 隣を歩く彼女に向かって話す。


「あ〜こはるちゃん。ちょっと用事を思い出したから先に行ってて」


 純粋無垢な瞳で彼女が、悪魔の瞳を見つめる。

 会ってからたった数日でここまで懐いてくれることを嬉しくも思うし、心配にも思う彼。

 

「え?どうしたの?」


 首をかしげた時の髪が片寄る。

 その輪郭も好きになった彼は、なるべく心配させないように言葉を選ぶ。


「大丈夫だよ、すぐ終わる用事だから。夜にはちゃんと部屋に戻るよ」


 優しく微笑んだ。

 それが、魔法や能力を使わないで出来る――最大限の言葉だった。


 彼女は訝しむ素振りを見せた。

 目から感じる感情が、悪魔の彼には手に取るように分かっていた。

 もう一押し――手を握って安心させる。


「心配しないで。変な虫が寄ってきたら、僕が飛んできてやっつけるから」


 付け加えた一言と行動で彼女からの疑念の感情が薄れていったのを感じたドラペンサー。


「もう、ドラちゃんったら……」


 小春は頬を染めながら手を振りほどく。

 そこに嫌悪感はない、ただ恥ずかしい感情だと読み取った。

 

 こんな自分を純粋に、好きになってくれる存在なんて過去を思い出してもいなかった。

 悪魔は彼女自身のことが、より好きになった。

 

「気を付けて帰るんだよ。困ったらすぐに僕の名前を呼ぶんだよ」


「うん、ありがとう。家で待ってるからね〜!」


 彼女が小走りで校門を出て行くのを見送ってから、ドラペンサーは振り返った。

 彼の視線の先には、校舎の窓際に立つ一人の少女の姿があった。


 密 時雨。


 昇降口からずっと感じていた視線。

 それは教室の窓からじっ〜と、外から帰る2人を眺めていた彼女の視線と感情に――ドラペンサーは身に覚えがあった。


 ドラペンサーは再び校舎の中へ向かった。


「さてさて、鬼神が出るか龍神が出るか。うん?ここの世界だと鬼が出るか蛇が出るかだって?」


 誰かに向かって話しているが、周りには人はいない。

 彼が話しているのは精霊。

 ドラペンサーが悪魔になる前、元は精霊使いだった影響でこの世界でも意思疎通ができる。


 小春を1人で返せたのも、精霊が何匹も付いているからだった。


 精霊が案内する場所についたドラペンサー。


 そこは文芸部と書かれた簡易的な表札が掛けてあった。

 彼が扉を開ける。


 部屋の空気が入れ替わった影響で、密が手に持っていた原稿用紙がペラペラと羽ばたいていた。


「あなたは……」


「やぁ」


 密の視線に映る彼は、あの時に感じていた怖さを微塵も感じさせなかった。


「ドラペンサー……君」


 警戒するような表情で彼を見つめる。

 あの時の復讐か、脅迫か。

 脳裏によぎる――最悪のシナリオ。


「私に、何か用かしら?」


 手に持っていた原稿用紙を部室で使っているテーブルに伏せて置く。

 不自然と思われないように、通学鞄に近づく。

 その中には催涙スプレーが隠れていた。


「実は、君に話があってね」


 ドラペンサーは椅子を引いて、密の向かいに座った。

 間にはテーブルが置かれている。

 まるで2人にとっての国境のようであった。


「話?」


 密は警戒を解かず、立ったまま質問する。

 夕日が沈みかけている。

 電気が付いていない部室がゆっくりと暗闇に染まっていく。


「君、困ってるでしょう?」


 彼の言葉に、蛍光灯のスイッチへと伸ばそうとした手が止まる。


「何のことかしら……」


 彼の瞳は暗闇の中でも輝いて見えた。

 人の目があんなに綺麗に光るとは考えられなかった密は、彼自体も不審に思う。


「こはるちゃんのこと」


 その名前を聞いた瞬間、密の表情が揺らいだ。

 彼が来てから考えた最悪のパターンに対応するためのシミュレーションも、その一言で霧散した。


「……どうして、そんなことを」


 思わず聞いた密。


「君の表情を見ていれば分かるよ。昼間のことを後悔してる」


 ドラペンサーは穏やかに言った。


「別に君は間違ったことは言ってない。でも、言い方で相手を傷つけてしまったことを、君は分かってる」


 密は俯く。

 確かに、午後の授業中もずっと小春のことが気になっていた。

 彼女が自分の言葉で傷ついたことを指摘されてから、胸が痛んだ。


「私は……」


 密の声が震える。


「私は、ただ……彼女の作品を良くしたかっただけなの。でも、どうやって伝えればいいのか分からなくて……」


「うん」


 ドラペンサーは優しく頷いた。


「それに、私……素直に気持ちを伝えるのが苦手で……」


 拳を握りしめた。

 正直に話すことなんて今まで誰に対しても出来なかった。

 厳格な両親の元で育った密にとって、それは心の弱さを見せること。


 敗北宣言と同義だと考えていたから。


「いつも冷たい言い方になってしまう。本当は、もっと優しく言いたいのに」


 それなのに、すらすらと話してしまう自分に困惑しつつも言葉が溢れ出る。


「なるほど」


 ドラペンサーは立ち上がる。

 そして、精霊にしか聞こえない声で――もういいよ。

 彼女の吐露は、必然だった。


「時間があるときでいいなら、僕が相談に乗ろうか?」


 悪魔が囁く。


「え?」


 密は驚いて顔を上げた。


「でも、対価をもらうよ」


 暗闇の中で、光る目だけが密を見つめた。


「対価?」


「そう。こはるちゃんが小説を書いていて困ったときに、君が手助けしてほしいんだ」


 ドラペンサーは微笑んだ。


「君の文学的な知識は本物だからね。きっと、こはるちゃんの力になれる」


 密は戸惑った。

 自分のような人間が、小春の役に立てるのだろうか?

 視線に映る原稿用紙。


「君もそうしたかったんじゃない?」


 いつの間にか近くに来ていた彼。

 顔が近い、心の中をすべて見透かすような視線。

 魅力的な彼の提案。


「……分かったわ。でも、本当に私なんかでいいの?」


「もちろん」


 彼が伏せていた原稿用紙を手に取る。

 微笑む姿は、小春のことを大切に想っている証拠だった。

 原稿用紙のタイトルは――『妖精の焼き立てパン』改良アイデアと書かれていた。


「それじゃあ、まずは昨日のことから話そう」


「昨日?」


「そう、昨日のこと……」


 ドラペンサーは静かに語り始めた。

 小春が受けた誹謗中傷のこと。

 あの酷いコメントで、どれほど傷ついたかということ。

 そして、小春がどれほど小説を愛しているかということを。


「そんな……」


 密の目に、涙がにじんできた。


「そんなことがあったなんて……知らなかった……」


「うん」


「わたし……」


 密の声が詰まった。


「わたし、相手の気持ちとか、今どんな状態なのか分からなかった……」


 大粒の涙が、密の頬を伝って落ちた。


「彼女がそんなに傷ついていたのに……私はさらに傷つけるようなことを……」


「よしよし」


 ドラペンサーは、密の頭を撫でる。

 まるで親が子供にするかのような優しい撫で方だった。

 

「泣かないで。君は今、大切なことに気付けたじゃないか」


 密は涙を拭くことすら忘れて言った。


「私……謝りたい。心から謝りたいの」


「うん、そうしよう」


 ドラペンサーは頷いた。


「今から、こはるちゃんの家に行こう」


「えっ?今から?」


「時間が経てば経つほど、謝りにくくなる。それに、こはるちゃんもきっと君を待ってる」


 密は不安そうな表情を見せた。


「でも……受け入れてもらえるかしら?」


「大丈夫。こはるちゃんは優しい子だから」


 ドラペンサーは微笑んだ。


「それに、君の本当の気持ちを伝えれば、きっと分かってくれる」


 その後、2人は小春の家の前まで来た。


「緊張する……」


 密は手のひらに汗をかいていた。

 泣き後の充血した目が痛々しい。


「大丈夫」


 ドラペンサーはインターフォンを押した。


 しばらくして、小春が玄関から顔を出した。


「はーい、ドラちゃん?ようやく帰った……あっ」


 小春は密の姿を見て、驚いた。


「密さん……?」


「あの……」


 密は深く頭を下げた。


「昼間は、本当にごめんなさい」


 小春は戸惑った。

 この冷たい印象だった密が、こんなに素直に謝っているなんて。


「私は……あなたの作品を良くしたくて批評したつもりだったけれど……」


 密の声が震えた。


「あなたがどんな気持ちで書いているか、どんな状況にあるかを考えもしないで……」


「えっと……」


 ドラペンサーに視線を向けるが、彼は微笑むだけ。


「本当は……」


 密は顔を上げて、小春を真っ直ぐ見つめた。

 小春も彼女の視線を受け止める。


「本当は、あなたの作品に感動したの。妖精たちの優しい世界に、私も癒されたの」


 小春の目が大きくなった。


「でも、上手く伝えられなくて……いつものように冷たい言い方になってしまって……」


 密の目に再び涙がにじんだ。


「私、同じ小説を書く者同士……お友達になりたいの」


 密は恥ずかしそうに、でも真剣に言った。


「もし……もしよかったら……」


 小春は密を見つめた。

 昼間感じていた冷たくて棘のような印象が、今は全く感じられない。

 そこにいるのは、自分と同じように小説を愛する一人の少女だった。


 小春は振り返って、ドラペンサーを見た。

 彼が何か余計なことをしたんじゃないかと思ったが、ドラペンサーは何も言わない。


「私も……」


 小春は密に向き直った。


「私も、お友達になりたいです」


 密の顔が、パッと明るくなった。


「本当?」


「はい!」


 小春は笑顔で頷いた。


「よかった……」


 密は安堵の表情を浮かべた。


「それじゃあ、その……良かったらお部屋に上がりませんか?」


 小春は密を家の中に招いて、そのままドアを閉める。

 何も言わなかったドラペンサーも「やれやれ」と呟き、遅れて入る。


 小春の部屋で、二人は創作について語り合った。

 密の文学的な知識と、小春の豊かな想像力。

 お互いの違いを認め合いながら、同じ創作への情熱を共有する時間だった。


「そうそう、密さんはどんな作品を書いてるんですか?」


「私は……純文学系が多いかな。人間の心理を深く掘り下げるような」


「すごい!私にはまだそんな難しいこと……」


「でも、小春さんの描く世界観は私にはない魅力があるの。学ぶことがたくさんあるわ」


 二人が楽しそうに話している様子を、ドラペンサーは微笑ましく眺めていた。


 その時、ドラペンサーの表情がわずかに変わった。

 部屋の扉の隙間から、誰かの視線を感じたのだ。

 精霊が誰か教えてくれる。


 小春と密は気づいていない。二人とも創作の話に夢中になっているからだ。


 ドラペンサーは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「こはるちゃんの周りには曲者が多いなぁ」


 扉の隙間から覗いていた影が、さっと消えた。


 しかし、小春と密の楽しそうな声は続いていた。

 新しい友情が芽生えた瞬間を、ドラペンサーは静かに見守っていた。

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