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第1話「君の世界に、魔が刺した」

 天野あまの 小春こはるは、いつものように放課後の教室で一人残っていた。

 クラスメイトたちの賑やかな声が廊下に響く中、彼女だけが机に向かい、教科が書かれていない名無しのノートにペンを走らせている。

 

 書いているのは、小説。


「主人公が魔法学院に入学して、最初に出会うのは……」


 ぼそりと呟きながら、想像の中の世界に没頭する。

 ノートに走るペンと時折、鼻歌や好きな音楽に合わせたリズムで指をトントンさせる。

 それはまるで音楽のように複合した音になっていた。


 誰もいない教室には、その音楽がよく響く。

 

 彼女の真剣な眼差し。

 顎のラインよりやや短め。

 耳が半分隠れる程度の、きれいな丸みを帯びたショートボブ。

 固くなった肩をほぐすため背もたれに身体を預け、目を閉じて脱力する。

 毛先が内側に向かってカールしていなければ――男子とよく間違われる容姿をしている。

 

 3-3と書かれたクラス。

 十五歳の小春にとって、小説を考えている瞬間は噛み合ったテトラポッドのように——この子の生活に無くてはならない存在だった。


「これをこうして……そしたら、ここが!こうなってこう!!」


 ほぐれた身体はまるで、くべられた薪のように創作の火種を大きくさせる。

 姿勢を執筆モードに戻して自分だけの世界に入った。

 指先のリズムは激しさを増していき、乱れた髪が無風の部屋で踊っていた。


「もー!一緒に帰る約束忘れてるでしょ〜!ハル!」


 締め切った教室に響いた声は——舞台の主演女優みたいだった。

 突然かけられた声にビクッ!と慌ててノートを閉じた小春。

 恐る恐る振り返ると、見知った顔が2人いた。


「あっ!……冴ちゃん、ミコりんもどうしたの?」


 書いていたノートを素早くバッグに入れて、乱れた髪に構うことなく2人の名前を呼んだ。


「どうしたのじゃないよ……。いつまでも机に引っ付いてるから、迎えに来たのよー」


 新島にいじま さえ——スポーティーな身体に長い髪をポニーテールにしている運動神経バツグンの陸上部のクラスメイト。

 小春とは小学生からの付き合いで1番長い関係だけど、小説のことをまだ打ち明ける勇気が出ていない。

 けれども、間違いなく小春にとって1番仲がいいのはこの子である。


 

「ハルちゃん健忘症かもよー?若いのにや〜ね〜」


 茶化すように言うこの子は、星宮ほしみや 美琴みこと


 小春たちと同じ年齢なのにどこか大人びたお姉さんで、豊満な胸にはクラスの男子から人気が高い。

 小春の視線が、自然とその胸に向く。たゆん。

 天は二物を与えず、そんなものは嘘だと知った。

 

 小春はこの中で1番控えめで、1番伸び代があるのだから。


「あ〜そうだった!というか健忘症って!ボケてないから!」

 いつものやり取りをして、彼女たちと3人で帰り道を進む。


 防犯と、近所ということもあって3人はよく一緒に帰る。

 美琴は最近引っ越してきたが、転校してすぐにクラスの人気者(主に男子)になっていった。


 お構いなく見てくる男子や、下心丸出しの男子の愚痴を言いながら帰るいつもの日常に安心する小春。


「今度さ、地区大会に出るんよ。そこでアンカー任された!」

 冴は照れ笑いしながら、自慢げに、褒めて欲しそうに2人に言った。

 夕陽に照らされた横顔は、普通の1人の女の子になっていた。


「あら〜それはえらいねぇ〜。よしよし、練習サボって勝てるほど勝負は甘くないわよ〜?」

 冴の頭を優しく撫でつつ、とんでもない言葉のナイフを差し込む暗殺者に戦慄を覚える小春。

 黒ひげ危機一髪も逃げ出す鋭利な一撃だった。


「ばっか!サボってねぇよ!今日の部活は休みだっての!」

 冴は躾のなっていない犬のように吠える。


「はいはい。言い訳できてえらいでゅね〜」

 火に油を注ぐのを喜んでやる美琴に、巻き添えを喰らわないように一歩後ろを歩く小春。


「こんのぉ〜!そういうミコは、この前の告白どうしたんだよ!?」

 美冴は反撃の狼煙をあげて、一矢報いるべく2日前のことを聞いた。


「あぁ〜あのボンクラねぇ〜。秒で断ったわぁ〜」

 笑顔でとんでもないことを言う美琴に美冴は何か他に言い返す話題を探していた。


 2人の後をついて行く小春は、その光景がただ単に面白いと捉えるよりも「文章化」するにはどうやって書けばいいか考えていた。


 勉強と習い事のピアノをやりつつの小説を書くのは、若くても限界がある。

 書いて半年経つけれど未だに小説の出来はイマイチで、日間のPV数は良くて20くらいだった。


 コメントも無く、評価も無い。

 続けられるのは書きたい気持ち、ただそれだけだった。


 家に帰ると、小春はすぐに2階にある自分の部屋に向かった。


 宿題も、夕食の準備の手伝いも後回しに2人の光景を思い出しながら文字を選び文章を組み立ていく。


 書きたくて仕方がなかった小春は、パソコンを立ち上げて椅子に座って小説投稿サイト「エブリノベル」にログインする。


 ペンネームは「雨音あまね」。

 誰にも知られることのない、小春だけの秘密の名前だった。


 タイトルに手早く今日の日付を入力して、組み立ている途中の文章を出力する。


 3回見直しして、自分なりに満足した小春は保存ボタンをクリックした。


 そして、別の執筆途中のタイトルをクリックする。


 連載中の作品『妖精の焼き立てパン〜小さな世界のクロワッサン〜』は、まだ投稿して三週間ほどの新作だ。


 ストーリーは、主人公の女の子が使っていない部屋の扉を開けたら小さな妖精の国に繋がっていた。

 出口も消えて、途方に暮れていたときに助けてくれた見習いのパン職人をしている妖精に連れられて訪れた両手を合わせたくらいのパン屋で今まで食べたどのパンよりも美味しいクロワッサンと出会う。

 そして、妖精への恩返しで妖精たちにとっては難しくて動かすことが出来なかった重い木の枝を運び、大きな天敵の鳥を追い返す守り人として妖精たちと主人公が助け合うストーリー。


 週に二、三話というゆっくりペースでの更新だが、PV数よりも、コメントや評価よりも自分の世界を表現することが何より楽しかった。

 

 今日も新しい話を投稿しよう。

 そう思いながら、小春は文章を打ち込んでいく。


 冴と美琴をイメージした妖精たちは、すでに登場させていたので今日の出来事を言い換えて話に組み込んだ。


 書いているだけで、ほっこりと頬が緩む小春。


「小春〜!ご飯できたわよー」


 1階のリビングから父が再婚した義母の呼び出しだ。

 小春の緩んだ頬が、消えていく。

 小春にとって義母よりも亡くなった実母のほうが、大好きだった。


「はぁ…………」


 仕方ないのでザッと、書き上げた原稿を読み返して大丈夫!と思った小春は投稿ボタンを押した。


 ご飯をお父さんと義母さんと小春の3人で食べて、ほどほどに雑談をしていた。


 それから一時間後。

 部屋に戻りパソコンに向かい、椅子を揺らしながら次の話はどうしようか考えていた時。

 

 パソコン台の側に置いてあったスマートフォンが、通知音を奏でた。


『エブリノベル』新着コメント:「妖精の焼き立てパン〜小さな世界のクロワッサン〜」


「えぇ〜!?コメント付いた!コメントが付いた!?嘘っ!ほんと!?えへへ〜」


 コメントを読む前に蕩ける顔はこの先、人に見せれない。

 

 心躍らせながら通知をタップする小春。きっと感想を書いてくれたんだろう。それとも、続きを楽しみにしているというコメントかもしれない。


 ドキドキ!ワクワク!


 そんな擬音が似合う小春が見たのは。

 小春の期待を木っ端微塵に砕いた。

 なす術もなく、大切に育ててきた妖精と私の世界が一瞬で焼き尽くされたように。

 まるで原爆に滅ぼされるかのような、圧倒的な暴力だった。

 

 その言葉は、15の少女にはあまりにも衝撃が強すぎた。


【ユーザー名:現実主義者777】

『はぁ?なにこのクソつまんない話。異世界転生とか、どこにでもありそうな設定でドヤ顔して書いてんじゃねーよ。文章も稚拙だし、キャラクターに魅力皆無。時間の無駄だった。つーか、作者はガキか?こんなレベルで小説家になれると思ってんの?現実見ろよ!気持ち悪りぃ』


 小春の全身から力が抜ける。

 落としたスマホの音がスローモーションのように鈍く、重く、心を砕いた音を真似るかのように部屋中に木霊する。


「な、んで……」


 か細い声が喉から漏れた。

 開けた口に、母の死に初めて感じた……しょっぱい液体が、喉を通り抜けた。

 

 批判されることなんて考えてもみなかった小春。


 震える四肢は、脳の制御から完全に切り離されてしまった。

 吐き気、心拍数の急激な増加により胸を締め付ける痛み。


 座っていることも困難になっていた小春は椅子から崩れ落ち、地に這いつくばる。


「ど、どう……して……?うぐっ…………なん……で?……うぅ」


 大粒の涙が、喉を通り抜け、上手く言葉に出せない。


「ただ書きたかっだけなのに!!なんでぇ!!なんでぇえ!!」


 錯乱していた小春に宿るのは、激しい怒りのみ。

 

 義理の母とも、クラスの男子とも、どんな先生とも争いを嫌っていた小春が覚えた怒りは火山の噴火よりも熱い涙と、やるせない気持ちで一杯だった。


 ピロン。

 

 また通知音が鳴る。

 

 小春は恐る恐るスマートフォンを見た。

 それは同じ人からのメッセージだと気付いて、スマホを放り投げる。


 小春の顔が青ざめる。

 あんなに激しい怒りは、今や恐怖に支配されていた。

 


 ピロン、ピロン、ピロン。


 

 次々と通知音が鳴る。


「見たくない……見たくないぃ!!止まってよぉ!誰か止めてよぉ!!」


 その時、小春の部屋の隅から、低く重い声が響いた。

通知音がピタリと止んだ。


「安心して……君を怖がらせる存在は消したから」


 小春は慌てて体を起こした。


 誰かいる。


「誰……?」


 震え声で問いかける小春。


 突然、部屋が明るくなった。

 その人の指先が淡く優しい光を放っていた。


 身長は二メートルを優に超えている。全身が漆黒で覆われ、背中には巨大な翼が生えている。頭上には角が二本、腰の後ろからは長い尻尾が伸びている。


 真っ黒な外見だったけれど、怖くはなかった。

 小春の小説に出てくる影のお助けキャラのまんまだったからだ。


 けれども間違いなく、人間ではなかった。


 黒い影——いや、悪魔は、小春をじっと見つめていた。その瞳は7色の青色のグラデーションに光っている。


 小春の視線が、彼の瞳に吸い込まれる。


 今まで震えていた身体が、正常に戻る。


「怖がることはないよ」


 悪魔の声は、穏やかだった。

 まるで亡くなった母を彷彿とさせる安心する声。


「そして、もう泣かなくても良い。可愛い君は笑顔が似合う」


 彼が小春の目尻に溜まっていた涙を掬い上げる。


「あ、あなたは……?」


「僕の名はドラペンサー」


 悪魔——ドラペンサーは、ゆっくりと小春に近づいた。


「ドラペンサー=フラン=ペンドラゴン。可愛い女の子が好きな悪魔だよ。僕が好きな女の子がいじめられて黙って見てられなくなっちゃって、来ちゃった」


「え……?」


「可愛い子、名前を聞かせて」


 ドラペンサーの瞳に、小さな星々が映る。

 まるで7色の青色の銀河を瞳に宿したかのようだ。


「わた、しは……天野 小春です」


「そう。こはるちゃん!きみが書いた小説!あの世界は綺麗だね〜。そこに込められた想いを考えるだけでワクワクが止まらないよ。僕はね、そんな世界を汚す者たちが許せない」


 ドラペンサーの言葉には感情があった。

 彼は嘘を言っていないと思った小春は質問をしてみる。


「あなたは……私の小説を読んでくれたんですか?」


「もちろんだよ!僕も昔はこはるちゃんみたいな理想郷を頑張って作ってさ、あの頃を思い出すような素敵な世界だったよ。また続き、読みたいなぁ」


 ドラペンサーは小春の前に寝そべり、下から小春を見上げる。

 悪魔の顔なのに、猫みたいと思う小春。


「こはるちゃん、僕と契約しないかい?」


「契約……?」


「僕がこはるちゃんを傷つける存在を消すから、代わりに……」


 ドラペンサーは立ち上がり、小春を真っ直ぐ見つめた。


「こはるちゃんの世界をもっと見せて!」


 小春は困惑した。

 悪魔との契約なんて、まるでファンタジー小説の世界の話だ。

 それも代償らしい代償もない。

 そもそも、今の状況がすでに現実離れしている。


 でも、ドラペンサーの言葉には嘘がないような気がした。

 あの通知音から救ってくれたドラペンサーを信じたいって思った小春。


「もし……もし契約したら、あの酷いメッセージは止まりますか?」


「もちろんだよ!魔王だってデコピンで消し飛ばして見せるよ」


 小春は迷った。

 これが正しい選択なのかどうか分からない。

 でも、何か良い方向へ向かっていく。


 そんな気がしていた小春。


「分かりました」


 小春は意を決して言った。


「あなたと契約します」


 ドラペンサーの唇に、微かな笑みが浮かんだ。


「やったー!これで本当の姿になれるよ〜。ごめんねぇ〜怖かったでしょ?これが本当の僕だよ」


 それはまるで、宝石細工から抜け出してきたかのようだった。

 

 深い群青の髪は光を受けて艶やかに揺れ、夜空を閉じ込めたような瞳は、鮮烈な青で小春のハートを射抜く。


 その目に映るものすべてを見透かすかのような、冷たくも知的な光を宿していた。

 

 整った顔立ちは中性的ながら凛とした気品があり、彼の存在感をひときわ際立たせている。長い睫毛の下、滑らかな白い肌に浮かぶ笑みは優雅で、同時にどこか人を試すような余裕があった。

 

 身にまとう衣装もまた、ただの装いではない。


 漆黒の生地に金の装飾が細やかに施され、胸元や肩には魔力を帯びたような見るたびにコントラストが変わる蒼い宝石が輝いている。


 まるで夜空に散る星々を纏っているかのようだった。

 耳元には揺れるイヤリング――それすらも装飾ではなく、彼の力の一端を象徴しているように思えた。


 惚れるなと言うのは、無理があった。


「しゅき……………………………………はっ!」


 つい零れた言葉をドラペンサーは聞き逃さなかった。


「え?!今、好きっ…………」


「ドラちゃん!静かに!!」


 小春は苦し紛れにドラちゃんの口へ目掛けて手を伸ばす。


「もごっ!?…………ぺろっ」


「ひゃぁぁぁぁ!?」


「うーん、美味しい」


「ドラちゃんの…………変態!!」


 パシンッ!!

 

 乾いた音が部屋に木霊する。

 小春が流した涙も、乾き。


 まるで卵が孵るかのように、小春が籠っていた殻にヒビが入っていった。


 2人の出会い。

 小春にとって人生で最も大切であり特別なものになる物語が、ここから始まった。

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