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汽車から終の町(5)

 ようやくウツギに追いつくと、彼は廊下の最奥にある扉を前にして立っていた。

随分(ずいぶん)遅かったね」

ウツギが(あき)れたように私に言葉をかけた。

「暗くて、足元がよく見えなかったんだ。トアノに助けてもらったよ」

ウツギはため息をついた。

「違うよ。この世界と君たちの世界が苦悩礼讃(くのうらいさん)というグロテスクに(むしば)まれていることに気づくのが遅かったって言ったんだ。君たちから生れた思考がこんなにも僕たちを苦しめているっていうのに、今更(いまさら)気づいたって遅すぎるよ」

暗がりで、ウツギの表情はよく分からなかった。

「よく覚えておきなよ。苦悩礼讃は人々を自ら望む形で不幸へと釘付けにする狂った思考だ。一度(おちい)れば最後、自らに相応(ふさわ)しい(はず)の幸せに(おび)え、次から次へと不幸を(むさぼ)り、果てはそれを誇り、その考えに従わない善き人々を(さげす)む」

ウツギが一歩、踏みだし(にら)むように私の目を見た。

「いいか、これは今、起こっていることだ! 君たちは無縁じゃない! 本当にこの世界を救うっていうなら、その自覚と自分の感性くらい手放すなよ」

ウツギの言葉が、私を当事者として睡中都市(すいちゅうとし)に固定した。彼は最奥の扉へと向き直った。

「ここに、僕の親友が居る。いい? 君たちは何も言わないで。何もしないで」

ウツギはそう、私たちに釘を刺すと、扉を優しくノックした。

「カエデ、僕だ。入るよ」

中から返事はなかったが、ウツギは扉を開け、中へと入っていった。ウツギの後に続き、部屋へと足を踏み入れた私は驚いた。モキタやカレンの部屋と間取りこそ変わらないものの、その部屋は掃除が行き届き、床や壁に汚れは無く、調度品も充実していた。

「やあ、カエデ。少し、寒くないかい。窓を閉めてもいいかな」

カエデと呼ばれたベッドに横たわっている少年が拒否の姿勢を見せないことを確かめると、ウツギはベッドの向こうへと回り、窓枠のしっかりとした窓を閉め、真新しいカーテンを引いた。私は献身的(けんしんてき)なウツギの振る舞いを見て、部屋がこの状態になっている理由を合点した。しかし、この部屋が幾ら清潔に保たれていようと、モキタやカレンの部屋に共通する払拭(ふっしょく)できない印象がひとつ。病人の部屋。

 ベッドに身を起こしたカエデは顔や首に幾枚(いくまい)ものガーゼをあて、右目には眼帯をしていたためにその表情はよく分からなかった。しかし、その顔立ちは何処(どこ)か、ウツギに似ているようにも思われた。

「カエデ。具合はどう」

ウツギは私たちのそばに戻り、心配そうにカエデに声をかけた。

「うん。まあまあだよ」

「そう」

カエデはチラリと私たちを見たものの、なんの反応も示さなかった。

「腕は、どう?」

カエデは布団から左腕を出した。幾重にも包帯が巻かれたその腕は、肘から先が無かった。その黒くにじんだ包帯を愛おしそうに見つめて、彼の口角が(ゆが)むようにして上がった。それを見た私の背筋を気味の悪い感覚がなぞった。

「まだ、痛むよ」

「今日も鎮痛剤(ちんつうざい)は飲んでいないの」

「うん」

「そう」

カエデのベッドの(かたわ)らにある小さな机には封の切られていない鎮痛剤の瓶に他に、黒く汚れた剃刀(かみそり)と大きな()(ばさみ)、幾本かの太い針が置かれていた。私はこれらとカエデの姿から、おそらく間違っていないであろう、その道具の用途についての予想を立てていた。

「カエデ、くどいようだけれど、どうかもう今回みたいなことはしないでよ。君が腕を切り落としたって聞いた時、僕は本当に気が気じゃなかったんだから」

しばらくの間、カエデは返事をしなかった。やがて彼はゆっくりとウツギから視線を外した。

「ウツギは優しいんだね。ありがとう。でもね、僕はもう、そんな甘い考えに浸っているわけにはいかないんだ。常に成長を、向上を続けなくちゃ。そしてそのためにはあらゆる苦難を越えなければいけない」

カエデの声には不自然な程、抑揚(よくよう)が無かった。

「カエデ、君は別に成長する必要なんかない。ただ、君は君として存在していればいいんだ。誰かの決めた規格に自分を適合させることは決して成長なんかじゃないだろう」

「まだ、君には分からないんだね」

カエデは恐ろしい道具の並んだ机の引き出しから、何かを取りだした。

「ウツギ、これを見てよ。これは僕が右目の視力を失った時に貰ったメダル。こっちは、この間、左腕を失くした時に(もら)った賞状。ね? 皆が僕のことを、苦難を乗り越えた立派な人間だって認めてくれているんだ。君と一緒になって一時のくだらない幸せに浸っていた頃には考えられなかったことだよ」

カエデはメダルと賞状を大事そうに引き出しへと仕舞った。

「ね? これが現実なんだ。君も早く気がつかないと手遅れになるよ? いつまで君はそんな堕落(だらく)した生き方を続けるの?」

ウツギは初めて、カエデに鋭い眼差しを向けた。

「僕の人格は僕のものだ。誰かに認めてもらうための成長なんて、してやるもんか」

ウツギの声は決して大きくはなかった。しかしそこには揺らがぬ意志が宿っていた。

「カエデ、君が乗り越えたって言っている苦難は全て、君が引き起こしたことじゃないか。そんな自作自演のものでさえ、君は成長や向上だって言うの? そこに君の幸せは無いだろう?」

「僕個人の幸せなんて問題じゃない。結果が全てさ。現に僕はメダルも賞状も貰っている。多くの人が認めてくれているじゃないか。ウツギ、君は誰に認めてもらったの? 何を得たの」

二人の会話はまるで噛み合っていなかった。

「僕はメダルも賞状も要らないさ。例え、誰にも認めてもらえないとしても、僕は僕を生きるんだ。大勢が認めたから、なんだっていうんだ」

「そんな生き方じゃ、世間には通用しないよ。きっと、君には一生分からないんだろうね。可哀想」

カエデのついたため息の後には身動きできない程の重い空気が満ちていた。

「ねえ、カエデ」

ウツギは穏やかな口調に戻っていた。

「昔、カエデがまだここに移ってきていなかった頃、よく二人でモキタさんの店に行ってたことを覚えてる?」

「あったかな。そんなことも」

カエデは努めて関心のない様子を見せているようにも思われた。

「あの頃、僕はカエデとオムレツなんか食べながらモキタさんの本当か嘘か分からないような途方もない話を聞くのが好きだったんだよ」

「あの頃の僕は成長も向上も知らない馬鹿だった。今となってはあの時代は僕の汚点さ」

ウツギはそんなカエデの言葉に構うことなく続けた。

「一度、あの店でモキタさんの財布がなくなったって騒ぎになったことがあったね。店中探しても見つからなくてさ。君はあの時、店の排水溝まで覗き込んでいたじゃないか。そんなところにある(はず)もないのに。おまけにさ、モキタさんはその日、初めてお店に来たお爺さんが盗んでいったんじゃないかって言いだしたよね。店主としてどうなのかって疑ってしまったよ、僕。結局、財布はモキタさんの前掛けから出てきたんだったね」

カエデが笑ったような気がした。

「ああ。そうだったね」

「それから、カレンさんの花屋に立ち寄った時、大きな蜂が出てきて大変だったこともあったね。カレンさん、花は好きなのに、虫が大嫌いだから、(ほうき)を振り回して大暴れしてた。あんな華奢(きゃしゃ)な身体の何処(どこ)にそんな力があったんだろうって、今でも不思議に思うよ。そしてとうとう、蜂を追い払う前に君がその箒にぶたれたんだったね。痛かったろう」

「ああ。そうだったね」

徐々にウツギの友人に戻り始めていたカエデは切断された腕をちらりと見た。

「ねえ、カエデ。あの頃、幸せだっただろう」

「あんな幸せはまやかしさ。本当の幸せっていうのは」

「いや、違うよ」

カエデの言葉をウツギが(さえぎ)った。

「幸せは苦悩を乗り越えた人だけのものじゃない。誰にだって平等に開かれてる」

「それじゃあ、駄目なんだ。誰も認めてくれない。そんな幸せは一時の夢でしかない」

カエデは必死に苦悩礼讃を信じることで自分を保とうとしているように見えた。

「自分が夢だと思う世界に生きたっていいんだ。君の生きる世界は君が決めればいい。君がもし、より悪い世界を現実だと認めれば、君の周りの世界は本当にそうなってしまうんだよ。僕はね、本当のことを言うと、君に賞状やメダルを与えた存在が憎いんだ。君を在りもしない苦悩礼讃のゲンジツに留める存在がね。僕の予想ではきっと彼らは今、とんでもないことを企んでいる筈だ。ねえ、カエデ。苦悩や不幸の与える報酬に惑わされないで」

ウツギはカエデを取り戻そうと語気を強めて語りかけた。カエデの残された左の眼球が、せわしなく動いていた。

「違う、違う! 僕を惑わせているのは君だ。あの人たちが言ってたんだ。夢ばかりみて、甘い幸せを享受(きょうじゅ)するのは愚か者のすることだって。認められるには、苦悩を乗り越えろって。でないと、手遅れになるって。だから、だから僕はこんなにもたくさんのものを失ってきたんじゃないか! 君はそれが嘘だったっていうのか!」

カエデは苦悩礼讃を信じきってはいなかった。だからこそ彼はウツギの言葉に動揺していた。

「もう僕はそんな甘い世界には戻れないんだ! 僕はこう生きるしかないんだ。これが現実なんだ! 今更(いまさら)僕を否定するな!」

そう叫ぶなり、カエデは机の上にあった裁ち鋏を取ると、肘から先のなくなった左腕へと突き立て、力任せに引き裂いた。

「カエデ!」

ウツギが叫んだ。

「そんなまやかしに、僕は屈しない。成長して真の幸せを手に入れるためならなんだってするさ。これでまた、誰かに認めてもらえる」

痛みに顔を(ゆが)め、息を荒くしながらも、カエデは声をあげて笑っていた。

「トアノ! そこの棚に包帯の入った箱がある。取ってくれ」

トアノは手早くそれらをウツギに渡した。カエデの腕の包帯は無残に破れ、鮮血が(あふ)れていた。

「カエデ、一度、包帯を取ろう。それから消毒と止血を」

「いいんだ。放っておいてよ」

慌てるウツギに、カエデは冷徹に言い放った。

「そんな……。ねえカエデ。僕が悪かったよ。もう君の考えを否定することなんて言わないから、ねえ、手当てをさせて」

ウツギはカエデの手を取って懇願していた。カエデはそれに答えることなく、じっとウツギの手当てを受け入れていた。

「カエデ、もうお願いだから、自分を傷つけるようなことはしないで。お願いだから」

カエデは何も言わなかった。破裂寸前の悲哀に満たされた空気に、私もキミも、何も言えなかった。


「今日はもう帰って」

手当てが終わると、カエデは私たちが訪ねて来た時と同じ、抑揚のない声で言った。

 私たちはひと言の会話もないまま、長い廊下を歩き、階段を下りた。建物を出てからも、トアノが先に立ち、ウツギは私とキミの遥か後ろを歩いていた。私たちは時折、立ち止まってはウツギの姿を確かめるようにして振り返った。そうして彼がその瞬間に存在していることを確かめなければ、ウツギの姿はひっそりと闇に()き消えてしまいそうに思えた。

 なん度目か、振り返って見ると、私の視界にはウツギとあの建物、そして水晶塔がひとつの景色になっていた。あの建物は今、私にとってますます墓標のように見えた。

 突如、水晶塔がこれまで繰り返していた淡い明滅を停止させた。疑問に思う間もなく、停滞していた大気を鋭く振動させ、生存を(おびや)かす程に不快な高音が鳴り響いた。同時に水晶塔はその輪郭をあいまいにするほど激しく、巨大なフィラメントのごとき黄金色に発光し始めた。骨の(ずい)まで凍てつかせるような悪寒が走り、書き記す音が聞こえた。辺りを真昼のように染めあげる光に目を細めながら、水晶塔の上空に目を向けると、ペンを持った巨大な手が、百科事典のごとき分厚い本に何かを書き込んでいた。その音が振動として内臓に染み込んでくるような恐怖。やがて手は何かを書き終えた様子で本を閉じ、忽然(こつぜん)と消えた。

 次第に水晶塔の発光も収まり、辺りに再び濃紺の闇が訪れると思われたが、私は視界に新たな光源を発見した。モキタやカレン、そしてカエデの居た、あの建物が水晶塔の発した光と同じ、黄金色の炎に包まれ燃え盛っていた。

「カエデ!」

その光景を見たウツギが叫び、建物の方へと駆けだした。

 行かせてはならない。

 私は瞬時にそう直感し、彼を追った。建物から上がる炎は巨大な火柱となり、なんの光源も無い荒涼(こうりょう)の原を隅々まで照らしていた。明るくなった足元の瓦礫を飛び越え、私は一心に駆けた。そして、幾度も躓き、転びながらも走っていたウツギにようやく追いつき、燃える建物の寸前で捕まえた。

「ウツギ、待て!」

「放せよ! ここにはカエデが、皆が居るんだぞ!」

それでも、私は(つか)んだウツギの腕を放さなかった。

 網膜を焼く程の火が、間近というのに、なんの熱も感じられず、気味が悪かった。私の手を振りきって建物へ入ってゆこうとするウツギと争っていた視界の端で建物の外壁にあったひびが鈍い音をたてて大きく広がった。咄嗟(とっさ)に建物の倒壊を予期した私は自分でも驚く程の力でウツギを引き寄せた。次の瞬間には建物の一部が瓦礫となって落下してくるかと身構えたものの、建物から分離した巨大なコンクリートの塊は反重力の法則で中空に遊離し、次第に炎に巻き上げられるかのようにゆっくりと上昇し始めた。

「主人! ウツギ! もっと離れろ。それはただの炎じゃない」

駆けてきたトアノが大声で呼びかけた。

 逆巻く炎の中、遊離していたコンクリートの塊は一瞬にして質量を霧散させ、黒い(ちり)と化して天へと吸い込まれていった。建物は炎の中、次から次へと崩壊し、今やその原型を留めぬ姿に変わり果てていた。もはや中に居る者たちの安否は絶望的であった。ひとつ、大きな地響きがしたかと思うと、建物の基礎がめりめりと音を上げ、ひしゃげながら浮かびあがった。

 その瞬間、炎が音もたてずに私とウツギを呑み込み、爆発するかのように膨れ上がった。私の視界は黄金一色に染まり、もはや右も左も分からなくなった。炎の中だというのに、底無しに寒かった。

「こっちだ」

腕を掴まれた。温もりのあるその手に引かれながら、私はとにかく走った。目を閉じていてさえ、黄金の闇が広がっていた。

 ようやく視界に本当の闇を(とら)えられるようになった頃、私は走り疲れ、呼吸をするのも苦しい程であった。地面に倒れ込んだ私はしばらくの間、ただ、荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。近くにキミが居るということだけはかろうじて分かった。

 キミ、心配をかけたかな。

 少しずつ、周囲の暗さに目が慣れてきた。先程まで私が居たあの建物は跡形もなく消失し、巨大な黄金の火柱だけが煌々と、揺らめいていた。

 目の前で惨状を見た後だというのに、私はその炎から目を離すことができないでいた。音も熱もない炎が渦巻き、天高く伸びる中に、建物の残骸であったものが黒い(すす)に変質しながら消えてゆく様は、私の脳裏に浄化の文字を生んだ。次第に私の視界から、炎以外の情報が失われ始めた。確かに目に入っている筈の風景は意識に上らず、私は魅入(みい)られたように黄金の炎を眺めていた。

「主人。あまり炎の方を見ない方がいい」

トアノの声に我に返ると、彼がウツギを抱えて歩いてきていた。彼は私のそばにウツギを下ろすと大きく息をついた。

「ウツギ、あまり無茶を言わないでくれ。君をあの炎の中に置き去りになんて、できるわけがないだろう」

ウツギはその場に膝をついたまま、動かなかった。

「トアノ。この炎はもしかして」

私には大方の見当がついていた。

「ああ。主人の想像しているとおりだと思うよ。水晶塔が黄金色に輝いて、手が現れた、そしてその直後に生まれたあの炎。あれが、睡中都市を消滅させているんだ」

「じゃあ、あの建物や、そこに居た人たちは、やっぱり」

「この世界から消滅してしまったということだろうね。僕たちは消滅の瞬間を目撃したんだ。直に、今燃えている辺りも、視界に捉えることすらできなくなるだろう。ヨダカさんが言っていたようにね」

「なら、僕も……」

ウツギがふいに小さな声をたてた。

「え」

私が聞き返すと同時に、トアノとキミもウツギに視線を向けた。

「あれが僕の存在を消し去ってくれる炎だっていうなら、僕もカエデと、皆と一緒に消えればよかった」

ウツギは立ちあがり、炎の方へふらふらと歩きだした。トアノがその前へ、堅牢(けんろう)に立ちはだかった。

「君を向こうには行かせない」

「どいてよ、トアノ」

「どかない」

二人はそこから無言で向かい合っていた。未だ勢いを(おとろ)えさせることのない炎の生んだ二人の影が揺らめいていた。

「どうして君は、僕を炎の中から連れだしたの」

「君に、消えてほしくなかったから」

「そんなの、君のエゴじゃないか」

「そうかも」

「僕は、もう嫌だよ」

ウツギは立ち尽くしたまま、トアノの顔を見ずに呟いた。

「大切な人たちが壊れてゆくのを見るのは、もう嫌なんだ。そんな光景を見る度に僕の心には黒い感情が溜まってゆく。大切な人を狂わせたやつらが、世界の在り方が、憎い。憎くて堪らないんだ。そんな自分に疲れ果てたって、僕は、僕自身の核からは逃れられない。お前が……。お前が僕をこんな風に創ったから!」

ウツギがいきなり私の胸ぐらを(つか)んだ。

「お前はまだ、僕のことを思いださないのか! お前は、お前の内にあった(みにく)い感情の全てを僕に押し付けて創作をしていたんだろう! なのに今は、それも思いだせないのか。思いだせよ。僕の核を。この湧きあがってくる、身を焦がす程の……憎悪を! 思いだせよ! 僕は、世界の在り方を憎むお前から生れたんだ! お前がお前の在り方を思いだして、僕たちを創った作家に戻って、それでこの世界が救えるっていうのなら……早く思いだしてくれよ。お前の罪だって、そうすれば少しは軽くなるのに。この世界を消滅させているのはお前なんだ!」

ウツギは周囲に響き渡る程の声で叫んだ。

「ウツギの核……憎悪。私の罪……」

立っているための力の入れ方さえ忘れた身体が後退(あとずさ)ったのは、ウツギの胸ぐらを掴む力が強かったためだけではなかった。

 憎悪がウツギの核。()には、落ちた。彼は確かに、何処までも在りもしないというゲンジツと苦悩礼讃とを憎んでいたのであろう。そして恐らく、私のことも。ウツギは私の創作から生れた。つまり、ウツギの憎悪は私の憎悪。そう解釈すると、急速に私の心にも黒い激情が渦巻くような気がした。しかし、私が創作から離れていた時間は長く、あと一歩、それは実感を(ともな)って私に理解されなかった。

 そして彼が言った私の罪とは。

「ねえ、トアノ、私の罪って――」

トアノの方を振り向いた途端、周囲の景色が一瞬にして()じれ、私を内包していた筈の世界が、音も無く砕け散った。

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