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睡中都市  作者: 時津橋士
32/33

浮雲山房から汝待神社(4)

「お、あれ見てみろ」

拝殿(はいでん)を目前にした石段を上っている最中、トキハシが空を指した。見ると無数の光の粒が暗い空へと昇ってゆく光景が広がっていた。

「まあ、綺麗(きれい)ね」

「そうだね」

感嘆(かんたん)の声を漏らすトアノとアリスエの後ろで、ウツギは無言のまま空を見上げていた。

「あれが皆、祈りのこもった灯籠(とうろう)なんだ。この辺のやつらは、あれが空の上まで上がって神様に祈りが届くって信じてるらしいぞ」

「素敵な話じゃない」

「よくある迷信だよ」

アリスエの言葉をはねつけたようにも見えたウツギは、なかなか空から視線を戻そうとしなかった。

「行こうぜ」

トキハシの声に一歩、踏みだそうとした私は、石段に躓いた。

「おっと」

姿勢を戻そうとした勢いのまま、私は危うく後ろ向きに転げ落ちそうになった。咄嗟(とっさ)に私の前に居たウツギが腕を取ったため、私は転落を(まぬか)れた。

「気をつけろよ」

「ごめんごめん、ありがとう」

ため息交じりのウツギの声に目を上げると、ウツギだけでなく、トアノも、アリスエも、トキハシも、こちらを見ていた。彼らはジグザグになって石段を上っていたため、私の視界には彼ら四人の姿が完全な調和を保って配置されていた。こちらを見下ろす四人と夜空へ昇ってゆく灯籠。一瞬間の映像が私の脳裏に強烈な熱で刻まれた気がした。夢から()めても、この光景だけは忘れないだろうと直感した。


 拝殿の近くまでやってくると、多くの人々が思い思いの場所で小さな灯籠を持って(たたず)み、(ある)いはしゃがみ込んでいた。或る親子は(むつ)まじく語り合いながら、或る恋人たちはひと言も交わさずに、或るひとりの青年は何かを考えるように。私たちのそばに居た老夫婦の灯籠にひとりでに火が点くと、それはゆっくりと浮上し、二人は手を合わせ、(おが)むようにしてそれを見送っていた。あちらこちらの闇の中から仄かな明かりの灯籠が空へと昇ってゆく()いだ神秘の光景を私たちは名も知らぬ人々と共有していたのであった。

 砂利を踏む音をたてながら、私たちの方へと近づいてくる大柄(おおがら)の人影があった。神聖な装束に身を包んだ待ち杉であった。

「よくぞ参った。待っておったぞ」

彼は私たち五人の顔をひと通り眺め終えると安堵(あんど)の表情を見せた。

「まじないは、どうやら問題なく働いたようだな」

(じい)さん、ありがとな。おかげで俺たちは全員集合だ」

「いや、なんの。気にすることはない」

待ち杉の方へアリスエが一歩踏みだした。

「私たちにとって、思ってもみなかった再会が叶いました。待ち杉様、ありがとうございました」

彼女が頭を下げると、私を含めた他の者も、一様にそれに倣った。

「それ程のことでもない。気にするな」

彼は少し、照れているようにも見えた。

「それよりも、そう、あそこで灯籠を受け取ってくるがよい。恐らく、そう長い時間は残されていまい」

低くなった待ち杉の声はいやがうえにも私にこの世界との別れを認識させた。覚悟を決めなければならないと理解はしていた。しかし、心が幼子(おさなご)のようにそれを拒否していた。極度の緊張にも似た寂寥感(せきりょうかん)に、私は泣きだしそうになるのを堪えていた。

「大丈夫だよ、主人」

トアノが私の肩に手を置いた。

「まだ一緒に居られる。そしてこの瞬間は永遠に消えることはないんだ」

「アリスエと同じようなことを言うんだね」

「ばれた?」

思わず、笑みが(こぼ)れた。


 私たちが近くにあった仮設テントを訪れると、中では三人の人物が法被(はっぴ)を着て慌ただしく、訪れる人々に小さな灯籠を配っていた。その中のひとり、顔の無い人物を、私は知っていた。

「おや」

カクは暫時(ざんじ)動きを止め、何か言いたそうにしながら私たちの方に顔を向けていた。そんなカクにトキハシは手を挙げて声をかけ、アリスエとトアノは会釈(えしゃく)し、ウツギは顔を背けた。不安定な空気が流れそうになるのを、トキハシが恐らくは、意図することなく阻止(そし)した。

「どうだ、忙しいか」

「ええ、ここ数年で一番盛り上がっているのではないかと、皆さん(おっしゃ)います」

トキハシと話をしながらも、カクは忙しそうに動き回っていた。

「ええと、皆さん、祭りは楽しめましたか」

「バッチリよ。ちょっと食いすぎたくらいだ。ま、飲み過ぎるよりはましだ。これも実行委員長様のおかげだな」

トキハシとカクが笑い合い、ウツギ以外の者の表情も(ほころ)んだ。

「どうも、恐れ入ります。さ、皆さん、灯籠をどうぞ」

カクから受け取ったそれは木と和紙でできており、(てのひら)に収まるほどの大きさであった。カクがまだ、何か言いたそうにしているのを、アリスエが感じ取ったようであった。

「カクさん、貴方(あなた)とご主人のやりとりは私たちみんな知ってるわ。そして、恐らく貴方も私たちのことを知っているんでしょう?」

「ええ。貴方がたは今回の作戦における重大な存在でしたから」

カクが一瞬間、覚醒党員(かくせいとういん)に立ち返ったように見えた。

「貴方もまた、私たちとは違った形で、ご主人のことを思ってくれていたのよね。思うところはあるけれど、今になって対立しようとも思わないわ。次の世界でもきっと、貴方は居るのでしょうね。この先も、よろしくね」

トアノがアリスエの言葉を肯定するように頷いていた。カクは言葉を返すでもなく、小さく(うなず)いた。

「僕は君が覚醒党員である以上、()れ合うつもりは無いよ」

ウツギが眼光に憎悪(ぞうお)を宿らせて低く言い放った。

「カクさん、そちらお知り合い? おっと、トキさん」

カクと共に働いていた法被(はっぴ)姿の男性がトキハシの姿を認めた。

「スガノさん、久しぶりだな。今日は知り合いを連れて祭り見物よ」

「トキさんのことだから、見物だけじゃないでしょ。あんまり飲み過ぎちゃいけないよ」

トキハシが男と親し気に話をしていると、もうひとりの法被の人物が声あげた。背の高い、いかり肩の男性であった。

「カク、ちょっと休んでこい」

男性の声はその内容とは裏腹に、カクを威圧(いあつ)しているような響きであった。

「え?」

「こんな狭いテントに三人は多すぎる。動きづらくてかなわん」

カクが戸惑い、私たちが不穏な雰囲気を感じていると、もうひとりの男性が声をあげた。「全く、マサさんの口下手は一級品だよ。カクさん、あんた、今日はずっと働きっぱなしだろ? ちょっと休んで、トキさんたちと話でもしてきなよ。働きづめのあんたが心配なんだよ。こういうことだろ、マサさん」

そう問いかけられた男性は何も答えなかった。

「でも、まだ人も途絶えませんし」

「いいのいいの。行ってきなって」

カクは半ば強制的にテントの外へと押しだされた。私たちも、後ろに人が集まりだしていることに気がつき、テントを離れた。


「本当に、皆さんいい方ばかりなんですよ」

テントから離れた拝殿(はいでん)付近で、私たちは灯籠を手にして輪になっていた。トキハシだけは賽銭箱(さいせんばこ)に近い石段に座り込んでいた。

「今になって、私は寂しいのです。この世界が消えてしまうことが」

何か言いかけたウツギの肩に、アリスエが手をかけ、留めた。

「ウツギさん、分かっているのです。覚醒党員である私に、そんなことを言う資格はないと。おかしいですね。この世界を崩壊に導いた、夢や現実に対する不安を核とする私にこんな感情が芽生えるなんて。私ね、既に灯籠を流したのです。次の世界にも、このまま変わらない私で生まれ変わることができるようにと祈りを込めてね。次の世界を前提とした祈りを込めるなんて、いよいよ私は覚醒党員失格なのかもしれません」

その時、私は自嘲(じちょう)を含ませて笑う彼の顔を確かに見た。長髪を後ろに束ねた端正な顔立ちは瞬きをした途端、見間違いであったかのように消えた。

「カクさん、貴方の祈り、届くといいわね」

それはただの相槌(あいづち)ではなく、アリスエの本心であろうと直感された。

「さ、私たちも灯籠を流しましょう。ねえ、トアノはどんな願いを込めるの?」

トアノは手にした灯籠を様々な角度から眺めながら、しばらく考えていた。

「かなり自分本位な祈りになってしまうけれど、いいのかな」

「いいさいいさ。祈りなんて結局そんなもんだろ」

トキハシは気楽な表情でトアノの言葉を促した。

「じゃあ、僕の祈りはこれからも主人の描く世界を旅ができるように、かな」

トアノがそう口にした途端、彼の灯籠にひとりでに火が灯った。

「不思議な灯籠だね」

灯籠を覗き込むトアノの顔に、揺れる小さな火が影を生んだ。

「トアノさんの祈りが、今そちらへ移ったのですよ」

人々が祈りを込める周囲は静かで、そう大きくないカクの声が明瞭(めいりょう)に聞こえた。誰がそうし始めたわけでもなかったが、私たちはいつしか声のトーンを落として語り合っていた。

「次は私ね」

アリスエが胸の高さまで灯籠を持ち上げた。

「私の祈りは、皆が自分を肯定して幸せに生きられるように、かしら」

灯籠に火が灯った。

「アリスエらしいな」

トキハシは座ったままでアリスエの灯籠を見つめていた。

「やっぱり僕の祈り、自分本位だったな」

トアノが困ったような表情を見せると、周囲にささやかな笑みが伝播した。

「じゃ、次は俺な」

トキハシはようやく石段から腰を上げ、片手で灯籠を持った。

「俺の祈りは、また美味い酒が飲めるように、だな」

トキハシの灯籠に火が灯った。

「なんだか、僕は余計な心配をしたのかもね」

「だから言ったろ、祈りなんてこんなもんだ。アリスエが博愛精神旺盛(おうせい)なんだ」

「君のは少し、自分本位が過ぎる気がするけどね」

ウツギがトキハシに冷たい目を向けていた。

「なんだよ。いいだろ、別に。美味い酒が飲みたいんだよ、俺は。で、お前はどうなんだよ。お前の祈りは」

そう問われたウツギはしばらくきまりが悪そうに俯いていたが、やがて私の方に顔を向けた。

「お前が、僕を忘れないように」

隠しきれない不安の表情で彼がそう口にすると、灯籠に火が灯った。

憎悪(ぞうお)を忘れるような腑抜(ふぬ)けた生き方したら、許さないからな」

彼の不安を全て受け止めるつもりで、私は頷いた。

「随分と寂しがりだな、お前は」

「違う、こいつは少し目を離すと直ぐに軟弱になるから、釘を刺しただけだ」

トキハシに茶化されて、ウツギは少し、早口になっていた。

「トキハシ、ウツギをあんまり揶揄(からか)わないでくれるかしら」

「へいへい。じゃ、最後だな」

「主人、君の番だよ。君の祈りは何?」

トアノがそう問いかけると、皆の視線が私に集まった。祈りは、決まっていた(はず)だった。睡中都市の再興(さいこう)。しかし、私の深層がそれを却下(きゃっか)した。それよりも優先させるべき、より素直な祈りを見つけたのであった。

 私はその場にいるひとりひとりの顔を見渡した。睡中都市の旅をガイドしてくれたトアノ。私の創作の根源となる憎悪を秘めたウツギ、万人への慈愛(じあい)(たた)えたアリスエ、浮雲のように自由な作家、トキハシ、睡中都市を崩壊へと導いた覚醒党員でありながら、変質しつつあるカク。そして、共に旅をし、今ここに居ない名前も知らぬキミ。全てが愛おしかった。

「また、皆と会えるように」

私の祈りが灯った。

 いよいよ銘々(めいめい)がその手に、祈りを灯した灯籠を持って立っていた。

「じゃ、放すぞ。せーの」

トキハシの掛け声に合わせて皆が手を放すと、それらは重力から解放されたかのようにゆっくりと浮上し始めた。私たちはそれらが周囲の人々の流した灯籠と共に一団となって空へ昇ってゆくのを、いつまでも眺めていた、なんの確証もないままに、私にはそれがいずれ、天上へと届くように思われた。


 誰も言葉を発することなく空に目を向けていると、カクが腰につけていた無線機から声が聞こえた。

「カクさん。こちらコスガ。旧社の方はあらかた消えちゃった。夜店の方まで迫ってるよ。ヨウちゃんの方は?」

「神社の入り口近くだよ。もうそんなにもたないと思うな」

「こちらヒダ。同じだ。恐らく、神社の周囲しか残っていないんだろうなあ」

カクはそんな報告を聞き終えると、小さく(うなず)いた。

「分かりました。では、手筈(てはず)通りにお願いします。それが終わったら、自由行動ということで。どうも、ありがとうございました」

「よし、じゃあ終わったら神社の前に集まろうよ」

「そんな時間、あるかなあ」

「酒が飲める店が残っているかな」

カクが無線機の電源を切った。

「皆さん。お聞きになったとおりです。あと少しでしょう」

見上げる夜空は果てしなく、消滅が迫っているとは思えなかった。目の前まで迫っているのは、既に分かっていた筈の結末であった。しかし、私は未だ、覚悟ができていなかった。私が何をしたところで、時間は無情に過ぎ去る。それだけの事実が恐ろしく、心臓を()かれる思いで、私は佇んでいた。

「どうだったよ。睡中都市は」

トキハシが私の肩に手を回し、晴れ晴れとした表情を浮かべていた。

「楽しかったよ。まるで、夢のようだった」

私の声は震えていた。

「夢のようってか、夢なんだけどな。ま、気楽に行ってこい」

私の肩を叩き、笑うトキハシの顔に憂いは無かった。

「主人。君はもう知っているよね。現実も、夢も、違わない。君たちは現実に居ながらにして、いつだって夢に接続されている。思い描けば、それは在るんだ。そして実現しうる。どんな世界に生きるかは、君たちが決定するんだ」

トアノが手を差しだし、私はそれを(にぎ)った。

「直ぐに、また会えるわ。ほんの一瞬よ。それに、この世界が消えようとも、本質が消えるわけじゃないわ。ちゃんと、貴方(あなた)と共にあるのよ。この世界も、私たちも。再会の日、貴方はびっくりするわよ。こんなに直ぐだったのかってね。さよならは、必要ないわね」

私はアリスエとも握手を交わした。その横でウツギが、あまりにもはっきりと不安を表出させていた。

「なんて顔してるのさ」

思わずそんな言葉が口を衝いた。

「そんなことないさ」

「本当に?」

しばらく、ウツギは顔を上げなかった。

「信じてるからな」

「え?」

整った顔に不安と信頼が同時に宿っていた。

「お前から、憎悪がなくならないって、お前は与えられた苦悩(くのう)に忍従しないって、嘘の世界を書き()えるやつだって、信じてるからな」

「大丈夫、安心して」

差しだした手を、彼は握り返してくれた。

「そして」

私はカクと向き合い、手を差しだした。彼は少し、驚いたような仕草を見せた。

「次の世界でも、会おうね」

彼は法被(はっぴ)を脱ぎ、帽子を被ると私の手を握った。

「ええ、いつ、いかなる所にでもお供しています。ご主人様」

突然、風切り音がしたかと思うと、上空で花火が炸裂(さくれつ)した。古代の炎と同じ色をした火の花は瞬くうちに幾つも打ち上がり、心臓に直接作用する音が立て続けに起こった。目を奪われている私たちの表情を花火が照らしていた。

「さあ、皆さん、フィナーレです」

両手を広げてそう叫ぶカクは、間違いなく、覚醒党員であった。

「ご主人様、どうぞあちらでもお元気で」

「なんだ、カク。花火なんて用意してたのか。手が回ったな」

「ヨウゾウさんたちが協力してくれたおかげですよ」

「綺麗ね」

「主人の旅立ちを祝して、だね」

「少し盛大過ぎないか」

語り合う彼らの姿を脳裏(のうり)に刻みながら、私は視界の端が、写真が燃えるようにして消失してゆくのを感じていた。

「やっぱり、嫌だな。終わってしまうなんて」

そんな言葉が圧搾(あっさく)されるようにして出た。

「終わったりするもんか。ずっと続くさ。少しの間、見えなくなるだけだ」

「存在していることに変わりはないわ。いつでも一緒。大丈夫よ」

視界は虫食いの跡が広がるようにして消滅していった。

「また一緒に旅をしよう。主人の描く世界が、僕は大好きだよ。一緒に旅をしたあの人にもよろしくね」

「このままなんて許さないぞ。書け、作家。お前の憎悪を、お前の言葉で。世界くらい、書き換えてみせろ」

打ちあがり続ける花火の音が遠ざかっていった。もはや視界はわずかしか残されていなかった。それでも、彼らの声ははっきりと聞こえていた。

「ご主人様、お目覚めの時間です!」

「こうでなきゃいけない、なんてことはないんだ。のんびりやれよ」

「次に主人たちと旅をする場所は何処(どこ)がいいだろう。考えておくよ」

「しっかり休むことも大事よ。貴方、()ぐ無理するんだから」

「行ってこい、作家」


 ついに視界は完全に闇に閉ざされた。

「トアノ、ウツギ、アリスエ、トキハシ!」

恐らくその声は、彼らに届かなかった。


 目が()めたのだと、私は自覚した。しかし、目を開けようとはしなかった。(まぶた)をとおして日の光が感じられ、鳥の声が聞こえてきた。


 やがて起きあがった私は一心に、睡中都市での出来事を原稿用紙に書き取り始めた。

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