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睡中都市  作者: 時津橋士
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鏡門から浮雲山房(5)

「それにしても、カク。この酒、あれだろ。ゲンさんのところで一番良いやつだろ。随分と奮発してくれたんだな。スルメもよくこんなでかいの見つけてきたな」

私たち三人は図らずも同じ寿司を囲んで座ることになった。憎悪(ぞうお)の対象である(かたき)との唐突な再会に、私の感情は複雑に(から)まり合い、怒りも恐怖も向く先を定められないまま混乱していた。

「今、こいつと寿司食ってたんだよ。まだ残ってるし、カクも食え」

「よろしいので?」

「ああ」

カクと呼ばれた覚醒党員(かくせいとういん)は首を動かし、私の顔色を(うかが)っているようなそぶりをみせると、恐る恐る、コハダを(つか)み、口と思われる箇所(かしょ)へと入れた。咀嚼(そしゃく)であろう沈黙の間、虫の声が聞こえていた。

「やはり、寿司は蓮見(はずみ)寿司に限りますね」

「だよなあ」

何処(どこ)かぎこちないカクの声を聞きながら、私は、待ち杉が別れ際に言っていたのはこのことであったのかと合点していた。顔を上げると、会話の尽きた二人が私の方を向いていた。

「ま、説明がいるわな」

トキハシは決心したようにひとつ、息をつくと私に向き直った。

「お前も察しがついているように、こいつは覚醒党員だ。この町の連中からはカクって呼ばれてる」

「どうも」

カクが頭を下げた。

「トキハシは覚醒党員たちがどんな連中か知った上で、そうやって親しくしているの?」

私は(たず)ねずにはいられなかった。(つか)みどころのないことは、彼の常であるには違いなかったが、今の私には、それが恐ろしくもあった。

「ああ、知ってる。といっても、俺がこいつらの企みを知ったのは最近のことだ。そう。お前がトアノと旅を始める前。睡中都市(すいちゅうとし)で消滅が増え始めた頃だ」

「そんな。君は知っていて、それを止めなかったのか!」

思わず声を荒らげる私を制したのはカクであった。

「ご主人様。落ち着いてください。私から、ご説明いたします。トキハシさんとの関係や、私がどうして本日、貴方様にお会いしに来たのかを」

カクは何か決意したかのような口調で語り始めた。

「そもそも、この睡中都市という世界は、ご主人様がお書きになった物語を核として、人類有史以来の広義の創作を巻き込んで生まれた場所です。それは既にご存知ですね」

私は黙って(うなず)いた。

「睡中都市の誕生以前から存在していた私たちは、貴方様から覚醒党員の名と人格を(たまわ)りました。そして、貴方様がオールトの図書館で出会ったリーダーの指揮のもと、睡中都市を消滅させるべく、方々へ散り、任務にあたったのです。そして、私が担当することになったのが、この夏見町(なつみちょう)一帯だったのです。そして、この町で、トキハシさんに出会ったのです」

トキハシが缶ビールをカクの手元に置いた。

「出会った頃のトキハシさんは素性も知れない私がこの町で生きてゆけるようにと、色々と計らってくださったのです。お陰様で、今では町の人々から信頼していただき、灯籠(とうろう)祭りの実行委員長の役をいただいております。そして、トキハシさんは私たちの計画をご存知の上で、今でもこうして親しくしていただいているのです」

そのトキハシは、ひとり、黙々と寿司を食べていた。

「ねえ、トキハシ、なんで?」

「何が?」

私の言葉で空気が緊迫しているのが肌に伝わる程よく分かった。

「君は彼が覚醒党員で、何をしようとしているか、今は知っているんだろ? どうして平気なの?」

トキハシは缶に残っていたビールを飲み干した。

「別に理由なんか無いさ。無理に理由をつけるなら、カクが俺の兄弟だからだな」

「この人が、兄弟?」

認めたくない。その思いが戦慄(せんりつ)にも似た衝撃となって駆け抜けた。

「途中経過はどうあれ、覚醒党員に覚醒党員としての姿を与えたのはお前だ。なら、こいつも俺やトアノ、アリスエ、ウツギと同じような存在だ」

「でも、こいつらの所為(せい)でこの世界は、夢は、消えようとしているんだぞ。君はそれでいいのか」

「いいのかって言われてもな。世界がそう動くなら、仕方ないさ」

トキハシは何処(どこ)までも他人事のような態度を崩さないまま、冷蔵庫から持ってきたビールを開け、飲んだ。

「こいつらの仕事で、この世界が滅ぶとしても、俺はカクを憎まない。仕方ないだろ。無為(むい)を核にした俺がいい加減に生きるように、お前たちを覚醒させるためにカクは生きてるんだ。こいつが夢を消そうとするのは、お前が物語を(つむ)ぐことを止められないのと同じだ」

少しずつ、憎悪の切っ先が鈍り始めているのを感じていた。

「じゃあ、私はどうしたらいいんだ」

「もっと気楽にしてろよ。カクもお前の一部なんだ」

到底認められない言葉に、私は思わず叫んだ。

「違う。それは過去の私だ。苦悩礼讃(くのうらいさん)の果てに夢を消し去る存在が、私の一部なものか!」

聞こえていた虫の鳴き声が止み、気味の悪い程の静けさが辺りを包んだ。

「こいつらの考えてることは間違いか?」

トキハシの鋭い眼差しに、私は思わず委縮(いしゅく)した。

「ああ、間違いだとも。夢を捨てて生きることが正しいなんて、どう考えたっておかしい」

カクはさも居心地が悪そうに縮こまっていた。

「なら、やっぱりお前は今でもカクの主人だ」

「は?」

脈絡(みゃくらく)が無いように思えるトキハシの言葉が、私にマヌケな声を出させた。彼は食べていた寿司を呑み込んでから私の方を向いた。

「お前、さっきから覚醒党の思想だとか行動だとか、むきになって否定してるだろ。人が何かを否定することに執着するのはどうしてだか知ってるか。それはな、そいつが本当はそれを心の中で認めてるからだ。今のお前は心の何処かで、苦悩礼讃や夢を捨てて生きることが正しいって認めてるんだ。本当にそれを認めていなければ、そもそも相手にもしないだろ」

「そんな」

最も否定したかった思想が私自身の中にあるなどと、認めたくなかった。しかし、反論することもできなかった。反論することにより、一層その思想を内包していると思われたくなかったためではなかった。

強く否定するものをこそ、人は信ずる。思いがけず、私はひとつの真理を、実感を(ともな)って理解してしまったのであった。

「おいおい。そんなこの世の終わりみたいな顔するな。お前の中にどんな思想があったっていいだろ。結局、どれを選ぶかは、お前次第なんだから。ただ、お前の中にある思想なら、真っ向から否定するだけが扱い方じゃないってわけだ。だろ、カク」

カクはビールを開け、それを飲んだ。

「ええ、そうです。どれを選ぶかは、結局のところ、ご主人様次第です。その上で、私は申し上げたいことがあります。そのために、私は今日、ここに来たのです」

カクは一度言葉を切ると、両手を膝に置いて、私に向き直った。

「正しく、現実を見てください」

「どういうこと」

「そのままの意味ですよ、ご主人様。直にこの世界は消滅し、貴方(あなた)様は現実へお戻りになる。その時にどうか、世界を、現実を、正しく見てください。夢の世界を失ったからといって、落胆しないで、現実に生きてください。今の貴方様にとって、現実は苦悩礼讃に満ちた、グロテスクなものかもしれません。もちろん、現実にはそんな側面もあるでしょう。しかし、きっと、それだけではない(はず)です」

カクの目を見ようとした視線は盲目となり、私は思わず、彼の首元に視線を下げた。

「正しい現実を見ることができれば、きっと、そこに生きることは怖くない筈です。現実には不安や恐怖しかないと思い込むことこそ、そう、夢です。それもとびきりの悪夢。私は今、貴方様にその悪夢からこそ、()めていただきたい。貴方様がよりよく、現実を生きるために」

足が(しび)れたようなそぶりをみせたカクは縁側の方へと足を伸ばした。私は彼に、かつて見た覚醒党員とは異なった印象を感じていた。そんな私の思考に気がついたように、彼は笑い声を漏らした。

「不思議ですか? 覚醒党員がこんなことを申しては。でも、私の本質は他の覚醒党員と、何も変わりはないのですよ。私たちは決して貴方(あなた)がたと敵対しようというのではないのです。覚醒党員とは、貴方がたがよりよく、現実を生きられるように生まれた存在。今回はそのための手段として、この世界を消そうとしていたのです。もっとも、我らがリーダーはその過程で必要以上に創作を憎み、目的と手段が入れ替わってしまったようでしたがね。本当のことを申し上げますと、私は今になって、この手段が適切だったとは思えなくなってしまいました。私は、覚醒党員失格かもしれません」

空虚な彼の顔に、悲しい笑みを見た。

「私はこの町で、名も知らぬ作者の創作に触れ、変わってしまったのです。人々の創作とは、かくも愛おしい。直にこの世界は消えます。しかし、きっと大丈夫ですよ。貴方がたの住まう現実は、決してグロテスクなだけのものではありません。でなければ、こんなに美しい世界は生まれなかっただろうと、私は確信しています。現実は睡中都市と同じように美しく、そこに住まう者たちもまた、美しいのです。だから、安心して、現実を生きてください」

カクは改めて正座をした。

「その上で、貴方や他の作家が創作を止めないのであれば、また、睡中都市でお会いしましょう。今になって思うのです。きっと、貴方がたはどんな現実に住んでも、なん度睡中都市が消えても、創作を止められはしない。どうか、ご主人様、幸せに、現実を生きてください」

カクは私の手を強く握った。私はそこに人の体温を感じた気がした。

嗚呼(ああ)、リーダー。この度の作戦はきっと、無意味でしたよ」

もはや私は、カクを憎むことができなかった。この夏見町で何処(どこ)かの誰かの作品であろう者たちに触れ続けてきた彼は、人々の創作がもつ力に魅了され、変質していたようであった。

「覚醒党員である私がこんなことを申しては、皮肉に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。どうか、夢から醒めて、幸せな現実を生きてください。今や世界と共に散った覚醒党員、皆、貴方がたの生がより良いものになるよう、お祈りしております」

カクは丁寧に頭を下げた。私は彼の(ひざ)辺りに視線を固定して、その声を聞いていた。

「では、私はこれで」

カクは帽子(ぼうし)を被り、立ちあがった。

「なんだ。もう行くのか。いいじゃねえか。もう少し、飲んでけよ。それとも、今から何かあるのか」

トキハシが彼を引き止めた。

「そういうわけではありませんが、せっかくのお二人の時間にこれ以上お邪魔しては」

「いいよ。そんなの気にしなくたって。なあ」

トキハシが私の方へ視線を向けると、カクの頭も、同じように私の方を向いた。カクの素性と覚醒党員の所業は分断され始め、その事実が彼をひとりの人物として私に認識させようとしていた。

「ああ、飲もうよ」

「ご主人様」

カクがそう呟き、トキハシは立ちあがって台所から湯のみを三つ、持ってきた。

「そうこなくちゃな。さ、カクが持ってきてくれた酒で飲み直しだ」

乾き始めた寿司を囲み、酒盛りが再開された。もはや睡中都市の消滅の話も、苦悩礼讃の現実の話も出なかった。緊張がほどけ、正しい密度の時間が戻ってきたような気がした。

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