02-21:親の心子知らず
「───そんで、今日はステーキなのか……いや時成さん大丈夫なのか? あの人幾つだ、歳によっては重くね?」
「えっと、私たちを拾ったのが30…9、だったから……」
「56じゃない?」
「そうそれ」
「胃腸薬買っとくか……」
「あるよー」
「そうか」
ジューっと肉が焼ける音、キッチンに立つ二人の談笑を腹ごなしのBGMに、学生ニートの真宵は絨毯に寝そべって静かに天井を眺めていた。
対照的に日葵と一絆は忙しなく動いている。
育て親の帰宅に浮き足立った日葵が、スーパーで正気を疑うサイズのステーキを4枚も買ってくるわ、料理スキル持ちだと知られたせいで一絆は強制的に徴兵され、台所の戦士の仲間入りを果たすわ……相当手慣れた様子で2人は料理していく。事実、かなりのハイスピードでたくさんの料理がカウンターを埋め尽くしていっている。
真宵? 暗黒物質製造機は用無しだ。皿ぐらい運べ。
「甘やかしすぎじゃね?」
「いいんだよ、あれで……下手に動かすと、壊れる」
「あー、えげつない不幸体質だったか。すごいもんな……何回床踏み抜いたよ。損害賠償請求すげぇ額になりそう、つかなってるよな?」
「……考えたくないなぁ。倒壊とかザラにあるし」
「うわぁ」
日葵はトングを使って分厚い肉をひっくり返し、裏面を焼いていく。勢いのいい肉の焼ける音は空きっ腹を激しく刺激する。つまみ食いの衝動に2人は駆られるが、流石にそういうメニューでもない為、苦渋を飲みながら焼かれる肉を眺めている。
尚、この間真宵はまだぼーっとしていて、虚空を紫瞳に映していた。
……決して拗ねいてるわけではない。そう、例え近所のスーパーの陳列棚が自分の方に倒れてきたり、平謝りする定員の目が「またこいつかよ」と殺意塗れだったり、もう自腹切って損害払おうとしたら養父のポケットマネーから全て支払われていると知って絶望したり……
なんだかもうどうでもよくなったとか、そんなモノではない。
「……あいつ、大丈夫か? 家帰ると大抵あーなってるが。あんなぼーっとされると、なんかの病気を疑うんだが……本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫大丈夫。昔っからあーなってるから」
「それはそれで心配だぞ」
昔(前世)から。以前あまりにも無防備で、首を絞めても虚無っている真宵が心配になって、病院に、ではなく悦に聞きに行ったところ、魔王になる前からそうだと判明。
加えて、安心できる場所でしか虚無らないとまで。
それを知った日葵と時成は、微笑ましい気持ちになって真宵の頭を撫でた。
嫌そうに手を払った真宵の照れ顔は、密かにアルバムに入れた。
「お?」
……と、数年前を懐かしみながら付け合わせのベイクドポテトに焦げ目をつけていると……
玄関の扉が開いた。
「ただいま、と……おや、好きな匂いだねぇ」
一家の大黒柱、滅多に帰らぬ都祁原時成の帰宅である。ようやく顔を見せた養父に、日葵は足早で迎えに行く……調理は一絆に押し付けた。
「おかえり〜、遅かったね」
「これでも早い方なんだよ? 仕事は増える一方だからね。でもちゃんと帰ってこれた……偉いでしょ」
「普通」
「あ、おはよう真宵ちゃん」
「ん。……おかえり」
「ただいま」
でっぷりと肥えた、愛情いっぱいの身体に被さっていた茶色いスーツをハンガーにかけてクローゼットに吊るし、日葵は時成の背を押してリビングに上がる。
意識を戻した真宵も文句を言いながら起き上がって……床からソファに這い上がった辺りで、また虚無り始めた。充電が切れたかのように、突然に。
あまりにも短い覚醒に日葵は濡らしたタオルを叩きつけ起床を促した。
真宵は気絶した。
そして、ここで一絆は久しぶりに時成と対面する。
「こんばんは時成さん。お久しぶりです」
「あぁ、こんばんは望橋くん。すまないね……君のことを随分と放置してしまった」
「やー、いやいや。そんないいっすよ。居場所くれた上に色々と便宜図ってもらえてるんで……お仕事忙しいのは、なんかもう仕方ないってゆうか……取り敢えず、今後ともよろしくお願いします」
「うん、よろしくね」
身元不明の自分に快く衣食住を貸し、保護者の後ろ盾も作ってくれた時成に、一絆の媚び振りメーターは振り切り敬意全開フルオープン。
要するにめちゃくちゃ恩義を感じている。
……別に養子としてどう接すれば良いかわからないから敬語で接しとけと脳内で完結したわけではない。
「今後もなにか困ったら言ってくれ。私ができることなら大抵は叶えてあげるからね」
「わかりました。そん時はよろしくお願いします」
「いつでも待っているよ……節度は守ってね。止める時は止めるから」
「うす」
改めて助力することを伝え、洗面所で身支度を済ませた時成は台所へ。流石に一絆と日葵がいて手狭なのと、時成本人の横に大きな図体のせいでスペース的な問題が生じ、手前の冷蔵庫までしか立ち入らないが……
手慣れた様子でお茶や漬物などを取り出……否、久々の冷蔵庫の中身が一新されており、欠片も見覚えがなく一瞬固まっていたが、それでも無事欲しい物を運び出す。
机に置いてある人数分のコップに並々とお茶を注げば、夕飯の準備はほぼほぼ終わりとなる。
久しぶりの家族団欒に胸を踊らせながら、時成は虚無るもう一人の愛娘を呼ぶ。
「真宵、そろそろ起き…………し、死んでる……」
勇者の強肩で投げられた豪速タオルを顔面で受け取って意識を飛ばしていたが、なんとか蘇生して事なきを得た。強靭な空想の牙、鉄をも砕くそれを受けても流血で済ます頑丈さが売りなのに、日葵相手には発揮されない矛盾。
無意識に甘えているんだなと内心気付きながら、時成は黙って作業を再開。日葵が次々とカウンターに並べていく小皿や箸を机に運んでいく。
目覚めた真宵は、寝起きの辿々しい足運びで顔を洗いに行った。
「はい、おとーさんデカいのいいよ」
「じゃあ……これかn「ボクもーらい」ぁぉお!?」
「便乗。俺これにするわ」
「望橋くぅん!?」
「まよちゃー? かーくーん? やめよーねー?」
「むぅ」
「はい」
途中で肉の奪い合いが起きたが、怒気を纏う一喝が入り怪我なく終息した。
ステーキの大きさは時成一絆日葵真宵の順である。
基本お腹を空かさない真宵は一番小さいサイズの肉だ。先程までの争いに意味はあったのか、いやない。何故なら低燃費少女マヨイは頭を使わない動作が大の得意だから。
ノリと勢いで生きているともいう。
「「「「いただきます」」」」
閑話休題、手を合わせて挨拶した4人は、久しぶり……若しくは初めての家族団欒と興じる。ナイフとフォークを両手にステーキと向かい合って夕飯を楽しむ。
肉は滑るように切れ、頬ばれば肉汁が溢れ出る。
付け合わせである人参のグラッセと、程よく焼き焦げたベイクドポテトが大変美味。なんなら真宵はステーキ本体よりそっちが気に入ったのか、時成のプレートから人参とじゃが芋を躊躇いなく掻っ攫っている。
奪われた時成は時成で、ステーキ肉への興味関心の方が強いのか特に気にしてないようだ。
「美味しい?」
「うん」
「うめぇ」
「とっても美味しいよ」
「良かった♪」
こうして初めて一絆を交えた家族団欒は、料理スキルが優れていた2人のお陰で無事に成功するのであった。
……約一名、マジのガチでなにもしていないのは、最早ご愛嬌である。
◆◆◆
「ふぅー……」
燻る紫煙が夜闇を立ち昇る。ベランダの柵に腕を乗せ、愛用する“クローズin月羽”を嗜む真宵。毒々しい薄紫色と真黒の夜の対比を眺める真宵は、身体の熱を冷ますように夜風に身体を晒している。
どうも夕飯で身体が昂って、熱が篭ってしまったとか。それが煙草を吸っていい理由にはならないが、口うるさい家族が寝た段階で吸い始めたので問題はないとのこと。
時刻は深夜、草木も眠る丑三つ時。
夜行性の真宵がこの時間帯に起きていることは、なんらおかしくもない夜。
「……変なの」
ただの家族団欒で胸が熱くなったのか、異様に暑かった不快さに眉を顰める。なにがどうして……不快よりかは、不可解さを感じたのか。
変わりつつある心の揺れ動きへの些細な苛立ちを、燻る紫煙と共に吐き出す。
「ん?」
そのとき、真宵は階下に気配が動くのを感知する。
「……晩酌かな」
気配の主を補足して、自分も混ぜてもらおうと影の中へ沈んでいく。そのまま空間を通って一階へ。リビングまで無音で入室した真宵は、酒瓶やツマミをテーブルに並べる養父の影と接続、ぬるりと這い出て驚かす。
「あぼッ、な、あぁ…真宵か……はぁ……びっくりした。怖いからドア使ってもらえるかい?」
「開けるのめんどい」
「魔力消費の方がめんどくさくないかい?」
「気付けば治るもん」
「そう……」
時成に怯えられるも気に介さず、晩酌に混ざろうとする真宵。未成年飲酒を断行せんと現れた真宵に対して、まだ時成は頭を悩ませる。なにせ相手は転生者。肉体と精神の年齢どちらを優先すべきか。あのときはダメと言ったが、実際どうなのだろうと。
流石に身体と中身の年齢が一致しない生徒を受け持ったことはないので、時成にもわからない。
結局押し問答でも押し切られ、教職者の前で堂々飲酒と喫煙をかます非行少女ができあがった。
我関せずと無表情で酒を煽る真宵は、文句ありげな父の視線から目を逸らした。
悪足掻きで賄賂で異世界のお酒を渡したのは内緒だ。
「銘酒だねぇ、この赤ワイン。どこ産だい?」
「龍火圏ベルドゥーツの。600年前にルゥ……ルインが、趣味作りの一環だとかで着手して、興が乗って極めた……そう、献上品ってヤツ。龍の息吹で焼くんだってさ」
「へぇ……想像もできないな」
「酒造風景ボクも見たことない」
「そうなの?」
忘れ去られた龍の起源。業火が花咲く灼熱の剣山が囲う巨大火口……その中に造られた赤き地底都市。魔界有数の危険地帯であるそこは、“炎”を司る四天王の支配領域だ。
溶岩の中で生きる龍種の王が、魔王の為に作った酒。
濾過した“華焔竹の罪水”に、“星雫の夢”と“石氷”の塊を三年漬け込んで、“とろろ糸”で編んだ“極日草”と赤い酵母を掻き混ぜながら投入。発酵させた後は従来の酒作りと同様百年単位で熟成させて、最後は龍の火炎放射で燻るのだ。
龍火の酒アガルタ───これでもかと霊水で薄めないと龍種以外飲めない劇物である。
ちなみに素材は全部食用ではない。なんとなく混ぜたらすごい美味しいのができあがってしまった経緯を持つ。
これのせいで“彼女”は酒作りにハマったのだとか。
「“紅極”かぁ……会ってみたいねぇ」
「丸焼きになるよ。あいつ、脂肪の塊嫌いだから」
「おっと、それは困った」
時々談笑を交えるが、基本2人の間には静寂が広がり、ツマミを肴に酒を傾け合う時間の方が圧倒的に長い。
……こうして二人っきりで過ごすのも久方ぶりだ。
一絆が来るより更に前、二年生に進級してからは格段に夜会の数は減った。ほとんどは時成の多忙さが原因だが、寂しいモノは寂しい。
真宵は前世で酒の味を知った。前々世は内臓の問題で、飲酒も喫煙もできるわけがなく……その反動が今世にまで響いている。死んで転生した今、未成熟な身体なんかには見向きもせずに享楽を楽しんでいる。
酒の味を知った前世の感動と喜びは計り知れない。
初めて飲んだ酒の味は異世界のモノ。それだけでも十分満足なのだが、こうして三度目の生を受けて地球の銘酒も呑めるようになったのだ。楽しまないわけがない。
……いつ死んでもいいと思っているのだ、歯止めが聞くわけがない。
「……ねぇ。一つ聞いていい?」
そんな真宵は、チーズを啄みながら対面の養父に問いを投げる。
「なんだい?」
「浮舟柊真になに吹き込まれた?」
「……」
確信めいた口調で時成を糾弾……否、純粋に心に抱いた疑問を真宵は呈する。
責めるつもりなど毛頭なく、ただただ純粋な興味で。
あの対異能最強が、現役犯罪者だと疑惑を持って接する己の保護者と何度か接触しているのは知っている。軽薄で気弱そうな雰囲気だが、その実燃えるような正義を宿した男である。
真宵が警戒するだけの価値を見出したニンゲンと養父の繋がりを指摘する。
……本当に興味本位なのだが、傍から見たら尋問にしか見えない。
数十時間前に交わした異能特務局局長との会話を傍受、または盗聴されていたのかと不安になった時成だが、すぐいつもの気紛れだと気付いて溜息を零す。
驚きと諦念を、ほんの少しの安堵で誤魔化しながらその問いに答える。
「なーに、彼は何も知らないよ。今まで通りさ……ただ、多少の進展は期待してるみたいだけど」
「また引き抜きの話? 諦めて。花は散らすモノだ」
「まぁまぁ……彼の方針は罪人であろうと未来の為ならば正義に鞍替えさせて戦力に加えることだ。扱い易ければ、使いやすければ余計にね。その点真宵は……」
「……異能部か」
「そういうことだね」
「懲りないな」
所謂“超法規的措置”───犯罪者を登用して、正義側の使える戦力を充実させる。あの災害から300年経って尚、対空想及び異能犯罪者へのカードが不足している今、この方法を取る国は少なくない。
かつてただ日本と呼ばれていたこの国も例外ではない。
それに真宵も適応される……そんな未来があっても今はおかしくないのだ。なにせ異能部という正義の学生機関に所属してしまっているのだ。最初っから異能部にいるならそのままで在籍させていればいいのだ。
潜入なんて手間を挟むのもただの理由付けに過ぎない。
「……希望的観測だね」
「不満かい?」
「不満しかないよ。つまりボクの思惑が潰れてもふざけた未来が続くってわけだ。不愉快すぎる」
「ひねくれてるなぁ……」
特務局の走狗になるつもりなんて、微塵もない。いずれ死ぬ予定とはいえ、それまでの過程で超法規的措置なんて不要である。異能部にいること自体面倒なのに、これ以上なにを求めるというのか。今のうちに退部届でも出すか。
割と本気でそう考えながら真宵は嘆息する。
……真宵が異能部に入部した経緯は、ほぼ日葵に原因がある。彼女はなんの了承も得ず、最悪などなにも考えずに無理矢理入部届けを提出した。その結果、真宵が気付いたときには異能部の仲間入りしていた。
落ちると思っていたのに、何故か合格していた。
世の中は不思議に満ちている。当時の真宵はその背中に宇宙を背負った。
学院長直筆の推薦がトドメになったのかもしれないが。
「……消すか」
「やめてくれ。私から社畜仲間を奪うのは」
「もう最早仕事からの救済だろ。最適解では?」
「魅力的だけど死ぬのはなぁ……彼も、私の教え子でね。ちょっと困るなぁ、なんて」
「おねだりして?」
「おっとぉ」
研ぎに研いだナイフ型魔剣を指で弄び、真宵はグラスにアガルタを注ぐ。
ゆらりと傾く血色の水面を眺め、喉奥に流し込む。
強くて重い。そんな味わいの龍酒で心身を暖めながら、真宵は現実から逃避する。自慢の例の計画が成功しようが失敗しようが、どうやら真宵の未来は安泰らしい。
段々酔いが回ってきて、酩酊の気持ちよさもとろ〜んと味わいながら、嚥下する真宵は喉を鳴らす。
直飲みせずとも回る酔いの早さは、瞬く間に真宵の脳を鈍らせる。
───あぁ、そういえば。一つ言い忘れてた。
「これ、元は毒酒だったんだよぉ?」
「ごほっ!? ヴ、ゲホッ、ゴホッゴホッ……ちょ、待っ、待って待って今なんて言ったー? 言ったのかな〜!?」
「あはは〜、んまぁ“元”だよぉ。安心してぇ?」
「怖いッ! 脅さないでくれ、心臓に悪いんだから!」
「あはは」
その原型が魔王を殺す為の酒であった……なんてのは、言わないでいいか。
慌てふためく父の姿を見ながら、真宵は笑う。
酔いが回ってきた頭は今にも蕩けそうで……夢見心地に身を任せて───…
夜の微睡みに沈んでいった。
◆◆◆
「おや……今日は、酔うのが遅かったねぇ」
机に伏した寝落ち娘の寝顔を肴に、時成は最後の一口を喉奥に流し込んだ。こっそり久しぶりの晩酌をするつもりだったのだが、真宵からは逃げられなかった。
傍若無人、悪逆非道な愛娘にしては、だいぶ手心のある対応ではあった。今日も最寄りのスーパーで不運を起こし迷惑をかけたと聞いたが……あの様子なら、気に病んでもすぐに立ち直ったことだろう。
そもそも他人への迷惑に頓着しない娘だ。恐らく、別の要因で凹んでいた筈。
「よいっ、しょ……っと。失礼するよ〜」
真宵を抱き上げ、その背をトントンと叩いてやりながら二階へ上がる。警戒心などなく、揺られても起きない娘を寝室まで運んでやり、ベッドに寝かせる。
だらんと垂れる腕を布団の中に入れ、最後に頭を撫でて踵を返す。
「おやすみ真宵。今日はありがとう」
───願わくば、かわいい娘たちに幸せがあらんことを。
「………」
「………」
「……布団に忍び込むのも、程々にね」
「ぅえぇ!?」
もう一人の愛娘への忠告が、結局聞き届けられないのは言うまでもない。




