02-17:勇者が師匠になった!
───明朝。登校時間よりも更に早い、朝の刻。
「きゅうじゅごッ……きゅうじゅ、ろっく………!」
中庭で鍛錬に励む若い青年の声が、閑静な高級住宅地に小さく響く。場所は都祁原邸。異世界人と異邦人が潜む、大きな屋敷にて。
一家の新入り───望橋一絆が、まだまだ冷たい春風を浴びながら腕立て伏せをしていた。
「………ひゃ、く!! っ、とぉ……ふぅ〜………」
計百回。荒い息を吐いて、一絆は筋トレを終える。
スクワットやシットアップなど、基本のトレーニングは既に終えた後。
これらは彼が以前から続けている習慣の一つである。
最近は忙しかった為やり損ねていたが、なんとか状況に慣れて余裕ができた為、今日再開したのだ。
……そして、一息つく一絆に近付く、少女が一人。
「朝から精が出るね〜、はいタオル」
「おっ、サンキュ」
少女の名は琴晴日葵。
ウッドデッキから一連の鍛錬を、文庫本片手に見守っていたのだ。小説の内容は戦記物である。ジャンルはSFだ。読みかけの本を閉じた日葵は、腰掛けていたガーデニングチェアを降りて、汗をかく一絆に新品のタオルをぽーんと投げ渡した。
一絆は礼を言って汗を拭い、グッと伸びをする。
「っ、ふぅ〜……今何時だ?」
「まだ六時だよ。早起きだよね、かーくん」
「まぁーな」
伸びをしてから草の上に倒れる。朝露と土でジャージが汚れてしまうが……まぁ問題はない。
既に汗で汚れているし、今更気にしても仕方ない。
他人行儀な思いはとっくのとうに捨ててしまったので、気にもとめずに一絆は汚れにいく。怒られたら素直に謝るだけだ。その都度改善していけばいい。
「……昨日の戦い、凄かったな」
「ん? あー、クルドホーンのこと?」
「そうそれ。鹿ってあんな強かったんだな……」
「肉食動物なめすぎだよ」
「いや、どー見ても草食だったろ。いやあのデカさだと、逆に肉食も有り得るん……のか?」
「さぁー?」
話は変わって昨夜のこと。時系列で言うと魔法研究部で水の精霊を浄化した日の次の日。
予知されていた空想との戦いに、一絆は参加した。
見事異能部入りした一絆は、他の部員たちの戦いをまず見ることから始まった。現場に連れていかれて、異能部の戦いを観戦したのだ。
見学として、一絆はその戦い方を見せられ……改めて、己の弱さを改めて自覚したのだ。
脳裏を掠める情景は、彼らが入部したての一絆に見せた空想の群れとの戦闘風景。
異能【星盤図】による先回り。
敵意ある空想を相手取る異能部の戦法は、常に一貫してそのような待ち伏せで決まる……訳ではない。
この世に絶対がないように、異能にも絶対はない。
時には、予知が通用しない相手もこの世にはいる。
「廻先輩の異能って、今ん所国内限定なんだよ」
「いや広いな……十分だろもうそれ」
「うん。でも、欠点の方が大きくてね。例えば、アルカナ国外で界放した《洞哭門》は余地の範囲外だし……だから海外から来た空想にも通用しない。アルカナって、意外と狭いんだよ」
「……つまり、それが昨日の奴らってわけか」
「そゆこと……他にも異能の探知外から来るのもあるよ。この前の口だけもそう」
「嫌な思い出」
「克服しなね」
アルカナ内部に発生した門ならば、【星盤図】で大凡は対処できる範囲だ。しかし領海を超えてしまうとなると、その精度は著しく落ちる。未だ成長過程にあるというのもあって、極稀に予知が外れる、場所がズレる、まず感知ができない、なんて失敗も過去にはあった。
その失敗を乗り越えて、今の星見廻が、異能部がある。
そういった取りこぼしとも異能部は戦ってきた。国軍の戦闘部隊や特務局のエージェントだけでは手が回らない、そんな危機を脱する救済措置なのである。
「今の俺の力じゃ、どうしようもねぇよな……あの突進に盾が耐えられるとは到底思えねぇ」
「耐久値負けそうだもんね〜。そこも要鍛練、だね」
昨日の相手は海から来た空想。歪な形の巨角に、深紅の剛毛をその身に纏う巨獣。咽頭から垂れ下がる肉垂などが特徴的な、ヘラジカによく似た魔獣。
名をクルドホーン。魔界原産の鹿で、危険度は☆3。
その大きさはダンプカーをも上回り、突進すれば直線上あらゆる全てを薙ぎ払う、というか押し潰す。あの魔王も初見は回避を選んだ速度と威力を誇る肉食魔獣である。
主に湿地林を好むが、定期的にヌーの大移動もかくやの川渡り……否、海渡りによって大陸間を移動する。
念を押すように言うが、食性は肉食だ。鹿なのに。
今回クルドホーンは7頭の小さな群れで海渡りを決行。中国大陸───魔法震災で国土を海に飲まれ、沈まされ、挙句の果てには巨大植物に地上を乗っ取られた───からやってきた空想たちは、海上警備隊の防衛ラインを突破、アルカナ各地の海上都市や農村を無視して、ただひたすら魔都を目指して……上陸。
大海を駆けた疲れを癒すように砂浜に屯していたときに異能部は到着した。そのまま大人しくしているのであれば保護施設に誘導なりなんなりしたのだが……体力の回復と気力の復活と同時に、今度は住宅街に向けて驀進した。
敵意ありと看做し、共存不可と断じた異能部と激突したわけだ。
派遣されたのは、神室玲華、小鳥遊姫叶、八十谷弥勒。たった3人で、重量級の空想であるクルドホーンを7頭も相手取ることとなった。
けれども彼女たちは精鋭中の精鋭。実践で経験を積んだ腕前を活かして、巨獣たちと激突した。
雷速の切り結びでクルドホーンを翻弄した玲華、異能部最弱を名乗りながらも空想の足元に玉を転がし、そのまま巨大化させて転倒させた姫叶。そして、死神の如き大鎌で全てを両断して、綺麗な断面図を形成し続けた弥勒。
そんな三者三様のやり方で戦う光景を、一絆は堤防から見せられていた。
戦場に一番近い、最も安全で危険な観客席。神速ならば必ず守れる範囲内。部長権限でそこにいるよう命じられ、見て学ぶように言われた一絆は、その指示に従って、一切加勢することなく3人の戦いを注視した。
そして……自分と彼らを隔てる、隔絶されたその強さを知ってしまった。
激闘にはなったが、勝利を収めた異能部の3人。
姫叶が足止めで妨害を、玲華と弥勒がトドメを刺す……ただそれだけの繰り返しではあったが。同時並行で各々がタスクをこなし、多少の傷はあれどたった3人の力だけでクルドホーンの群れを討伐した。
こっそり応援に行こうとしていた日葵や真宵がまさかの全員生還に驚いたのは、誰も知らないが。あの真宵さえもヤバいかな?と懸念するレベルの相手でもあった。
見事に人間の強さを、3人は魔王に見せつけたのだ。
「……3人とも、すげぇって思った」
そもそも一絆とは練度が違う故、当たり前の話だが……この日改めて、戦う為に、生きる為に強くなろうと一絆は思い直した。
自分もいつか……否、早く彼らについていける様にと。
「で、まずは筋トレからだなぁ、って」
「うん、基礎は大事だもんね! いい出発点だと思うよ!」
「だろ?」
草の上で胡座をかく一絆が、朝早くの筋トレを再開した理由の一端はここにもあった。今まで目的もなく、筋肉が欲しいな程度の気持ちでこなしていた筋トレだったが……
これからはしっかり目標を、目的をもってやろうと彼は決めた。
お荷物なんて呼び方は、一人を除いてないだろうが……
言われたらムカつくから、これでもかと鍛えてやろうと決意した。
そんな若き男の決意を見て、日葵は少し悩む。
聖剣───聖女神から「これを使ってー」と授けられた勇者の武具。300年前の死闘までは持っていたのだが……転生した今は、何処にあるかわからなくなってしまった、リエラの片割れ。
真宵が黒彼岸で精神を削る自爆暗躍で特攻している間に捜索はしているものの……収穫はない。前世死んだ場所を探索してみたが、何故かそこはもぬけの殻。腐敗も残骸も痕跡さえも見当たらず、聖剣の所在は未だ不明である。
故に低迷している聖剣探し。別に現状あってもなくても困らないのだが、普段携帯していたモノが手元にないのは落ち着かない。
だが、見つからないのも事実。
ここは心機一転。別のことをしようと日葵は思い至り、そして一絆にこう提案する。
「かーくんかーくん」
「なんだ?」
「そんなに強くなりたいの?」
「……まーな。つーかなんだよいきなり」
「いやさ、かーくんが強くなりたい〜って言うなら、私も手伝うのもやぶさかじゃないなって」
「……まじ?」
「うん」
提案。それは日葵が一絆に稽古する、というもの。
「私、捜してる物があるんだけどさ……最近あんま進捗がよくなくて。気分転換したかったんだぁ。だから、貴方がよければ……私が鍛えてあげる」
「おおう……その捜し物、俺も手伝おうか?」
「ううん。いいよ。正攻法じゃ見つかんないだろうし……一旦諦める」
「……そっか」
やや上から目線であったが、それは一絆にとって得しか生まない協力で。いきかり師弟関係を結ぼうと言われて、動揺しないのは無理であったが……メリットデメリットを天秤にかけることもなく、一絆は即決する。
立ち上がって、真剣な目で日葵に師事を仰ぐのだ。
「頼んでいいか?」
「ふふっ、やる気いっぱいだね」
「そりゃそうだろ」
強くなるという目標は、漠然とだが今こうし定まった。それを支えてくれる絶好の相手も、恵まれた環境も、全て自分の周りにいる。ならば、その全てを有効に使うべし。
───受け取れるモノは受け取れ。
それが望橋家の家訓である。金にがめつい社畜過労母がゲスい笑みで言っていた言葉だ。果たして家訓になるのかわからないが、幼い頃にこれを言われた一絆は、そういうものだと思って一先ず納得している。
実際、受け取って損した事は……意外とあった。
家訓にするのやめようかな。一絆は答えを保留にした。動物の死体入りレジ袋は色んな意味でヤバいので是非ともやめていただきたい。
「私がやるにはビシバシ行くよー! 勇者を鍛えた王国式の秘伝鍛錬、その全てを私が教えてしんぜよう! ちな、私は異世界から伝わる武術の7割を習得してるから、頑張れば頑張るほど学べる範囲は広がります」
「なにもんだよお前」
「一般通過剣士かな〜」
友達、同居人、監視対象、同級生、そして───師弟。
朝焼けの空の下、一絆と日葵は新たな関係性を構築……この後に、“勇者の弟子”と判明して肩書きの重さに驚愕と優越感を抱くとは知らず、一絆はいっちょ前に深々と師にお辞儀をする。
「早速いいか?」
「いいよ〜。時間なら……一時間はあるね」
「んじゃ、頼む」
状況証拠的に勇者の弟子確定という隠し称号を手にした異邦人は、自分の輝かしい未来に思いを馳せる。
強くなった自分を、誰かを助ける自分の姿を幻視する。
それがどれだけ遠い道なのか、朧気ながらも理解して、受け入れて……それでも、止まらない、止まってやるかと決意を漲らせる。
愚直にまっすぐ。望橋一絆の魔改造計画が、今始まる。
「でも、まぁ……まずは身体作りからね!」
「今も十分やってね?」
「足りるわけないじゃん。そんなのじゃすぐ死ぬよ? でも大丈夫! 私も頑張ってかーくんのこと、魔王軍に会っても生還できるぐらい強くするから! 目指せ魔王討伐!」
「目標高すぎんだろッ」
「やらないの?」
「やりますッ!」
「おっけー、それじゃー行くよ! まずは<お守り>……、あっ、間違えちゃった! 字が“重い”に、注いだ魔力の量で重くなるの使っちゃった! ちなみに今君の背にはお米の袋マウンテンがあると思ってほしい……ま、がんばれ!」
「白々しいぞおまえぇぇぇッ!!」
日葵に組み伏せられ強制的に腕立て伏せを命じられて、更にはその背中に乗られ、肉体加重をその身に受けながら必死に耐え忍ぶ一絆。
そのまま重みに潰れるのか、耐えて運動できるのか……まだまだ道は遠いようである。




