02-16:夢見る王の憂鬱
「───闇ちゃん」
地底に浮かぶ偽りの夜空。月の裏側のみが大地を照らすエーテル世界の地下異空間───“魔界”の最深部。絶崖の頂きに君臨する禍々しい漆黒の魔城が魔光に照らされる。
幾つもの尖塔に貫かれた空は、今日も今日とて黒模様。
人外魔境の中心地、闇の使徒たちが跋扈する魔窟では、世界を滅ぼす最終計画が立てられる。
───その最奥、王が坐す深淵にて。
石の玉座に、漆黒の鎧を身に纏う女王が腰掛けていた。それは、物語に出てくるような巨躯の怪物でも、すべてを堕落させる蠱惑的な美の悪魔でもない───ナニカ。
不定形の存在でありながら、人の形を真似るモノ。
この魔界を統べる───最初にして、最後の絶対王者。三千世界を黒く染め上げる、絶対悪。
手足の指先から首の根元まで、露出を許さぬその躯体は全身余すことなく、特殊加工された魔神鉄で覆い隠され、神秘と恐怖のヴェールに守られる。
顔全体までもをすっぽりと隠す蛇腹型の黒仮面が、王の容貌を世界から隠す。
臀部からは金属光沢の───否、文字通り金属でできた偽りの竜尾が伸びている。
胸の起伏と特徴的な身体のライン、頭から腰まで伸びる闇より深い黒色の髪がなければ、女とまでわからない……そんな悪印象を周囲に与えるような、人を象る悪の華。
仄暗い雰囲気を常に漂わせ、世界を蝕む魔界の女主人。
“黒穹”の名を冠する魔族───魔王カーラである。
「……なんだ、ドミィ」
時期は楽園戦争真っ只中。玉座で一人静かに黄昏ていたカーラは、己の愛称を……原初の名を呼ぶ声に応える。
フルフェイス越しに視線を向ければ、石の玉座の肘掛に顎を乗せ、心配そうにこちらを見上げる、紅い瞳が目立つ真っ白な少女がいた。
無遠慮に王の傍にいる彼女は、王の側近にして友。
露出度の高いローブは肌や髪色と同様に白く染められ、深く被った唾の広い三角帽子もまた白い。ところどころに紫色のラインが引かれているが、主体の色のインパクトに負けて、白色を際立たせる装飾に成り果てている。
そんな魔王とは正反対の色を持つ、肌の露出からしても正反対な衣装を着た、主君の胴回りぐらいの背丈しかない長耳の娘。
彼女はカーラのはじめての友であり、家族であり、また側近でもある……魔女。
領域外の魔女、“狂儀”のドミナ・オープレスであった。
「いやさぁー? なーんか気分悪そうで……ね?」
「心配になった、と」
「うん。最初はあの人間ちゃん……リエラ、だったっけ? あの勇者ちゃんが、闇ちゃんの“空”をたたっ切ったから、なーんて思ってたんだけど……よくよく思い返してみたらなんか違くね? もっと前からじゃね? って思ってね?」
「……それで?」
「謝罪に来ました。やっぱこの前の実験の後遺症とか……あれれれれと思った次第……で、やっぱそう? わんちゃん違ったりする?」
「肯定しよう。その通りだ。悔い改めろ」
「さーせんっした。はい。で、どっか痛いの? 教えて? だいじょーぶ?」
勝手に巻き込んでおいてよく言う……口から飛びかけた本音を慎んだカーラは、溜息を一つ吐きたくなった。また怒っても意味はないから。
……確かに今、気分が憂鬱なのは事実である。
ドミナの考え通り、カーラの気分を害した主原因は先日勝手に行われた無意味な実験のせいだ。仮にも上司に対し無理強いして、頭を無駄に刺激したよくわからないアレ。
なーにが「人に近付けてあげる」だ。善意でもやるな。
結局謝罪の言葉は薄っぺらいし、もういっぺん頭潰してやろうかと悩んだが、そんなことする元気も気力も生憎と今はない。有り体に言ってダルい。
……というかなんで生きてるんだろ、こいつ。不思議。
生まれて初めての親友であり、名付け親であり、姉でも配下でもあるドミナを仮面越しに睨みつけ、カーラはその悩みについて考える。
最近現れたあの忌まわしき神の本命であろう勇者には、確かに思うところはある。あるが、その程度のことは今は後回しにしたい。
不壊の概念を付与した黒い穹。あれを聖剣で切り開いた勇者よりも厄介な案件があるのだから。
そう、今優先すべきは、この突如生えてきた記憶。
……否、故意に封じられていた記憶とでも言うべきか。この認めがたい現実を、意図せずして思い出させてくれた親友に話すべきか、否か。
頬杖をついて見上げる紅い瞳を見返して、相変わらずの知的好奇心の中に心配の色があるのに気付いて。
思わずカーラは仮面の奥で目を瞑り、僅かに逡巡する。
「……まぁ、いいか」
結局、カーラは思い出した全てをドミナに話すと決め、記憶を整理しながら言葉を紡がんとする。
……今の今まで、いや、今でも邪悪の権化として世界に君臨する、地上全土に喧嘩を売って全面戦争を仕掛けた、カーラのかつて。
先の実験で暴かれた秘密は、自分の前世の種族が───人間であったこと。
予期せぬ出来事で、彼女は己の前世を思い出した。
それもエーテル世界を滅ぼす戦争の真っ最中に。だいぶやらかした後で、今更純粋な人間性を欠片ほど手に入れたカーラは、己の所業を改めて振り返り……
───うわぁ、ボクやば……やばやばのやばだ。詰んだ。
語彙力が崩壊した。そんな混乱の最中、やれ真の勇者が現れただの、空が斬られただの、マジか一目でも見るかと軽い気持ちに戦場に飛んだり、配下に命令を下したりと、久しぶりに濃厚な一日を過ごした。
それから4日ぐらい寝込んだが、現実逃避するに十分な時間だっただろう。
取り敢えず知識の擦り合わせと人格混合や変化の有無、そういった諸問題の確認は片付けた。特に変わらず己は己であると安心したカーラは、この軽くは言えない真実を、言葉を濁さずドミナに伝えることにした。
懐かしい過去を想起しながら、カーラは一応信頼のある友へ告げる。
「……驚くなよ」
「うん? なにー、そんなにぼくの知的好奇心を突っつく、刺激的な話だったりするの!?」
「あぁ。何故、私の魂に邪神の残滓───残り香があるかわかった」
「……マ?」
勿論、まずはジャブから。数百年前からの疑問の一つ。そこから紐解く。
邪神。エーテル世界とはまた異なる、別の次元にいると仮定される外の一柱。
本来なら観測も、知覚することもできない高次元体。
その存在を、カーラの魂越しに感知した───それが、今から500年前の秋。これまた実験の手違い、手が滑って寝起きドッキリをかました大失敗によって判明した魔王の真実は、長年ドミナを筆頭に多くの者を悩ませていた。
それが今、真相の一端がドミナにのみ明かされる。
もったいぶった前述は語らず、カーラは残酷に告げた。
「その、だな。私の前世、ニンゲンだったらしい。しかもエーテルとは別の……異世界出身で、うん、なんだ。私は邪神に転生させられた、ニンゲンの生まれ変わりらしい」
「……ふーん???」
頬杖をついて呟かれた王の真実は、溜息と共に溶ける。
魔界の女主人───他の魔族と比べても根本から異なる暗黒生命体。世界の全てに戦争を、そして崩壊を齎さんと万物を蹂躙する親友の前世が、まさかの人間。
前世があることにも驚きだが……その言葉を、真実を、魔女はゆっくり咀嚼する。
エーテルにも転生の概念や、大量にリソースを消費する転生の秘儀があるのは知っている。かつて魔王軍にいた、記憶喪失の天使がモロにそれだった。
なので、まぁ……転生云々は納得できた。
カーラ本人は自覚していないが、出会った当初、異形の身でありながら節々に人間っぽさ?を感じる気配や行動が垣間見えてるいたのを、ドミナは知っているから。最近は滅多に見ないが、あの時はちょっぴりフレーバー的な形で人間っぽさがあったのだから。
その時のちょっとした疑問が、こんな形で解明された。
ドミナは思った。今ここに、玉座の間に自分以外に誰もいなくてよかったー、と。
私用だから出てけー!と駄々こねて魔法で吹き飛ばした甲斐があった。これを知られたら真っ先にカーラが激しい質問責めにあって、ブチ切れ八つ当たりで城崩壊の未来は予測するまでもない。
取り敢えず自分だけで良かった。それと、ほんの少しの優越感を抱く。
突飛的発想を発揮する叡智が詰まった頭脳をフル回転、与えられた情報を整理して……
「ふんふんふん。うん、だいたい理解したよ!」
神すらも圧倒する天才的な頭脳、叡智を持つドミナは、手軽い気持ちで出生の秘密のようなモノを話したカーラを見つめる。黒鎧に包まれた顔を、肢体を、その紅い魔眼でじっくりと見つめていく。
穴が空くまで、そんな比喩が付くほどじっくりと。
彼女の瞳には、自称魔王研究者としての好奇心が大きく疼いていた。
「……あまり見るな。不快だ」
「んもー! もーッ! そんなこと言わないでよー! ぼくと闇ちゃんの仲じゃんかー!」
「信頼関係を出汁にするな……相変わらず気分の高低差がすごい……っ、おい」
「黙って! 闇ちゃん邪魔しないで! モルモットしてて! はい、返事は!?」
「動詞にするな……はぁ、わかった。好きにしろ」
「わーい♪」
身動ぎをするほどドミナの視線を煩わしく思うカーラは全てを諦め、仕方なく魔女に身体を差し出した。好奇心の塊であるドミナは、正論で止まるほど利口ではないから。
これ以上腕を揺さぶられて千切れた方が被害がでかい。
解析を許されたドミナは、魔改造により超多機能化した魔眼となった紅い瞳をよく凝らして、対象であるカーラを隅から隅まで覗き始める。
視界を阻む鎧なんぞ、透視の前では無力である。
一秒、十秒、数分間。
……沈黙が長引く。見るだけ見て満足したのか、満面の笑みを浮かべた顔が上げられる。
「うんっ! ───わっかんねぇ!!!」
解析結果、不明。これといってなんの成果も得られずに終わったことを、声高らかにドミナは叫んだ。
それはもう誇らしげに、魔女は笑顔で言い放つ。
「……珍しいな。オマエがそう言うなんて」
「まぁーね! でも、でもだよ? わからない、ってことがわかったんだ! それだけでも収穫なんだよ? 研究はね、未知を知ることから始まるんだ! わかる!?」
「わかるわかる」
「適当言うなー!」
「……はぁ」
知的好奇心の前ではどうしようもない。傍目から見てもおかしいぐらいに興奮する悪癖持ちを適当にあしらって、再び溜息を一つ。
カーラは腕を組んでドミナの解析結果を聞く。
ドミナの魔眼<視覚星>をもってしても、領域外とまで恐れられる叡智をもってしても、なにもわからない。
ただ虚空との繋がりが薄らとあるだけ。
どうやって転生させられて、身体になにをされたのか、輪廻の輪からどうやって外したのか。その一切がドミナですらわからない。エーテル世界の神性を丸裸にしたドミナですら解明できない、謎。
流石はそこらよりは上の位階の神と言ったところか。
「面倒な……」
ドミナと違い、カーラは未知を嫌い、時には恐怖する。
アンノーンという不気味な重みが己の魂に巣食っている事実に、カーラは仮面の向こう側で苦虫を噛み潰したような顔をした。
カーラは己を転生させたあの邪神が嫌いである。
まず第一声が「悪役になってね!」とかいう意味不明なモノだったり、望んでもいないのに二度目の生を無遠慮に投げつけて来たりと、邪神という言葉が地雷になるぐらい嫌悪する存在である。
今までは漠然とした形ない嫌いであったが、前世と転生前後を思い出した今では、完全に唾棄すべき対象である。
輪廻の輪から勝手に魂を外したのは万死に値する。
本当に、余計なことをしてくれた。
あれこれ言ってしまうと今世のあらゆる全てを否定することになってしまうが、それほどまでにカーラはあの神が嫌いなのだ。この手で殺せないのが本当に口惜しいほど。
ついでに言えば、エーテル世界にいる神も嫌いである。
もう既に過半数は死滅しているのだが……世界の空気を共有して吸っているのが、もう耐えられない。同じ部屋の空気を吸いたくないの世界規模版である。
……逃げ延びたヤツらは、後ほど殲滅する予定だが。
自陣の戦準備が整い次第、神々が潜伏しているであろう場所を一斉に叩くとしよう。
カーラは改めて決意した。
己の平穏を邪魔する、否、邪魔しかしてこない神々への嫌悪と憎悪。胸いっぱいの不快感を、カーラは幾度目かの溜息で外に逃がす。
いらいらと己を蝕む思いとは、もう直おさらばだ。
あともう少しの辛抱で、この異世界と一緒に無くなるのだから。
前世を思い出して、人間性を獲得……もとい取り戻したとしても、カーラのやることは変わらない。相も変わらず自身の終わりを妄執する。
神々の呪いをも消し飛ばす、最高の結末を夢見る。
……そんな狂った逃避行を夢想する、本人も知らぬ間に壊れかけた女の妄想。それをぶち壊すかのように、遠慮を知らないドミナが口を開いた。
「そうだ! 闇ちゃんの前世のお話、聞かせてよ!」
「……何故」
「聞きたいから。そんな簡単な理由だよ。闇ちゃんの昔、ずーっと一緒にいたから知りたいの。だめ?」
「……」
口を閉じる。黎明より同じ時を過ごすドミナ以外の要望であれば即刻切り捨てるものの……今回の発信源は色々と世話になっているそのドミナ本人。
真剣な表情でこちらを仰ぐ白を見て、黒は悩む。
カーラの前世の昔話。これといって緩急などなく、ただ死にゆく様を語るのみ……なにもできない、できなかった女児のつまらない一生。
出来損ないと貶した駄作の過去。
それを聞いてどうするのか。知る意味も、聞く必要性もないのに。
くだらない一生を話したくない。例えその相手がドミナであろうとも。しかし、己を覗く瞳に、カーラは一瞬だけ息を止める。知的好奇心に染められている筈の紅い瞳は、今はただ友の過去を知りたいと、聞きたいと訴えてくる。友愛とか、親愛とか、そんな在り来りで、今のカーラには耐え難い概念を宿した目で、此方を見ている。
知識の探求者としてではなく、一人の友として。
あまり見ることのない、ドミナなりの気遣いが含まれた誘いを受けて、カーラは重苦しい心情を溜息に逃がす。
……随分と絆された。普通、話す必要なんてないのに。
長い長い逡巡の末、やっとカーラは言葉を紡いだ。
「……前世の私は、多分、20まで生きた。いや、20しか生きれなかった。生まれ持った身体は脆弱、病弱の極み。いつ死んでもおかしくない……なにもできない、惰弱で、恐がりで、無力な女だった」
想起する。薬品の匂いが漂う冷たい白い部屋で過ごしたあの懐かしい日々を。
自分に絶望して、自棄になっていた20余年を。
心優しい母親はいつも謝っていた。他人の前ではいつも気丈に振る舞うのに、夜な夜な少女に懺悔して、一欠片も悪くないのに泣いていた人。
丈夫な体に産んであげれなくてごめんなさい。
ううん。産んでくれてありがとう。ボクは辛くないよ。母の懺悔に、何度そう嘘をついた事か。検討違いの恨みと怒りを抱いて、謝るばかりの母を哀れんで……与えられる愛に泣いただろうか。
気弱な見た目の父親は、どんな時も諦めない人だった。自分のやりたいことがあっただろうに、娘の治療費の為に身を粉にした人。
無理だとわかっても、大丈夫だと笑ってくれた父。
宣告された余命なんかにめげないで、ボクよりも未来を信じて笑顔を振り撒いていた、やさしい人。
悲観的な母の支えとなってくれた。その前向きさには、何度心を救われただろうか。
学校にはなんとか出れた。高校までだったが、他者との違いを痛感したあの12年。保健室登校ばかりだったが……バカみたいに心配する同級生、大丈夫だと勇気づけてくる口だけのバカ、色んな景色を見せてくれた人……
病弱な己に、様々な形で接してくれた学友たち。
思えば、どうにも義理人情に溢れた、ニンゲンができたヤツらばかりだった。
入院先で出会った親切な人のお誘いで、どうせと諦めた社会人生活を経験できた。
たった一月だけども、社会の歯車の厳しさを知った。
あまりにも恵まれた環境。ぬるま湯で浸かったみたいな優しい人たち。無償の愛を注いでくれて、頭を撫でられ、いつも手を握られて。
卑屈なボクの命を、なんとか引き留めようとしてくれた大馬鹿者たち。
なのに。そんな人たちに守られていたのに。
女は報いなかった。
紛れもなく恵まれていた癖に、結局ヤケになって自分を大事にせず、甘い言葉だなんだと被害妄想を重ねて他者を忌避して嫌悪して……諦めて。
なにも残せず死に逝った、その過去を。
親不孝なゴミの、自分嫌いな小娘の短い一生を。所々を詰まらせながら、人ならざる闇はゆっくり話す。
「……………………死にたく、なかった」
最後に呟かれた弱音。秘められた本当の想いは、決して誰にも掘り返されることはなく。
虚空に溶けて、消えていった────…
◆◆◆
「っ、ん……あぁ…夢、か………」
夢が終わる。微睡む脳が目覚めを嫌がるが、一旦それを無視して起き上がる。
朧気な視界で辺りを見回せば、そこはいつまの寝室。
……の、椅子の上。ベッドではなく。
……えっと、あぁ、そうだ。ちょっと作業してたんだ。寝るつもりはなかったんだけど。睡魔には勝てないか……いくつになっても寝落ちはしてしまう。
痛みを訴える身体をポキポキと鳴らして、夢から覚めたボクは椅子に座り直す。
頭が背もたれまで下がっていたせいで、だいぶ痛い。
うーん、やっぱり座って寝るのはダメだね。ちょうどの硬さの布団が恋しい。
時計を見れば丑三つ時。布団の中でぐっすり寝ているか黒彼岸として人をコロコロしている時間帯である。ちな、今日も黒彼岸の仕事があった。簡単めだったからサクッとやってすすっと帰ってきた。
あっ、誤解のないように言っておくと、ボクは殺人せず帰ってきた。
実際サクッとやったのは斬音で、蓮儀が銃で援護して、その後ろでボクは殺害風景をボーッと眺めていただけ……指示をすればいいだけの、簡単なお仕事をしてきた。
裏部隊の隊長権限をこれでもかと使ったよ。
なにせ、最近は殺すと変な幻覚見る羽目になるからね! あれ本当に厄介で面倒なんだよ。理解できない。傍迷惑で水に触れたら発症するから、おちおち清潔にできない。
閑話休題。任務の難度は何度も言うように簡単だった。相手は異能も使えない犯罪者。心置きなく、大した警戒もすることなく殺せたし。
ただ、その後がね……
うちの斬音の殺人衝動の激しさを甘くみていた。
あの語尾にハートマークが浮かぶ甘ったるい喋り方で、できたてほやほやの死体を執拗に切り刻み、情熱にも近いその勢いで近くにいた廃人部下も縦に両断して、可哀想な目撃者を笑いながら辻斬り。
その勢いで表通りに出ようとしたから大変だった。
影で縛って、蓮儀がライフルで頭を殴って昏倒させて、鎮静剤とかを飲ませて……
濃厚な夜だった。イヤな予感に従って、こっそり2人に同伴したのが功を奏した。危うく人斬り抜刀姫が世間様に晒されるとこだった。
斬音が捕まってブタ箱に行くのは兎も角、監督不行届でボクも処断されたらどうするんだ。まったく。
意識を奪って沈黙した斬音は、取り敢えず地下牢に放り込んどいた。朝日が登って正気に戻ってたら解放する……できるかな……できないかもしれない。
だって斬音だし。なんでこう、ボクの周りの女は厄介なヤツしかいないの?
……後でアニマルセラピーしよ。癒しを求む。
「ふわぁ」
ねむっ……さっさと布団で寝ろってか。はぁ……
あ、そういや一絆くんはボクが黒彼岸してることをまだ知らない。なんなら今日外出してたのも知らない。
ぶっちゃけ彼が住み着いたせいで心置きなく、障害なく任務に行けなくなったし、帰る時もステルスミッションで気を付けなきゃいけなくなった。おじさんにも見られないようにしてるけど、日常的になったら気苦労が増える。
帰宅にもリスクがあるとかさぁ。ボクの安全圏はどこ?
一応、カモフラージュでバイトしてると、言及されたら教えるつもりだ。実際夜のお仕事……マシなとこで賃金を貰っているのは事実だし。
異能部に黒彼岸、接客、臨時の用心棒……詰め込みすぎだったかもしれない。過労で死ぬのは遠慮したいんだが、そうも言ってられない。
あーあ、あっ、今日死んでないじゃん。今からやるか?
「……それにしても」
懐かしい夢を、過去を見た。
ここ数分色々回想してたけど、やっぱり忘れない。
玉座の間で交わした会話も、その情景も、未だ色褪せず脳の中で描写できる。
驚異的な記憶力……いや、記録力をボクは持っている。いや、持たされたってのが正しいか。
……あ、ボクが持ってる転生特典の一つの話ね。
記憶を脳ではなく魂に刻んで記録するっていう、他とは毛色が違うスキルだ。
これのお陰でボクは前世の全てを覚えている。
いや嘘ついた。大抵は覚えている、だ。疎覚えとか……あと物忘れとかも普通にあるしね。記憶の断片が一つでもあれば、“思い出す”という工程で思い出せるらしいけど。
そういった忘れた記憶、忘れてた記憶も、魂に作られた引き出しの中にしまわれてるらしい。
実際の所は知らん。要するに邪神クオリティだ。
……おっと。また脱線した。ボクの記憶保持能力は横に置いといて、と。
「……ドミィ」
生まれ変わっても白いままの友を思い浮かべる。
───勇者と魔王の死後、滅びゆく2つの世界を再構成、終わりを先延ばしにするという救世の大偉業を成し遂げた魔法狂い。
自分の命を代償にしてまで成し遂げたのは、一体どんな理由があったのか。
何度肉塊にしてもしれっと復活して横に立ってたから、死ぬことはないと思ってたのに。
夢の内容は確か……楽園戦争が終盤に差し掛かった頃の時期か。よりにもなタイミングで思い出したモノだ。何故ニンゲンだった記憶を、戦時中に思い出すのか。
どれもこれもドミナのせいだ。うん、ボク悪くないな。
……詰んでる前に思い出させて欲しかったなぁ。やはり間が悪い。
まぁともかく。なんやかんや前世の記憶を取り戻した、そのタイミングがあの日……の、五日前ぐらいなのだ。
いや正確には前々世か。
滔々とドミィに語ったつまんねー話。今も昔も、マジでゴミの具現化みたいな女だ。それだとゴミに失礼? なにを言ってるんだオマエは。
……親孝行……せめて今世の“父”ぐらいには……うん。
「うん、それは後で考えるとして」
いやぁー、今思い返してみても前世のボクってヤバい。あの無骨にも程がある変な仮面を四六時中つけてるから、ヤバさ百倍の女だったよね。
別に恥ずかしがり屋とかではなかったよ?
ただ美顔すぎて……あの魔族キラーなリエラでさえも、最初は目を見開くぐらいの美貌の持ち主だったのだ。このボクは。
今もだけどね!!!
仮面をつけ始めた経緯は……カーラの顔を見て拝み倒す変態魔族がいたり、固まってなにもできなくなる美顔耐性皆無のマヌケがいたり、同性なのにお相手申し込むバカが一定多数いたりしたから、だったと思う。
一番は身内たちが連名で訴えて来たんだったっけ。
魔界の自称アイドルとか、三番目に友達になった吸血鬼剣士とか、エルフのハーレム皇帝とか、魔王のお命頂戴系褐色のじゃロリとか、存在するだけで周りを焦土に変える婚活ドラゴンとか、魂大好きスライムとか、なんやかんや方舟の総帥やってる知能足りない忠臣とかが。
なんか、みんな揃って仮面しろって言ってきたの。
酷くない? 素顔を晒してなにが悪い。顔面偏差値なんて強さの指標になりゃしないだろ。そういう変な世界観でもあるまいし。
……仮面の下は常に無表情だったから、美貌ってよりは異貌って言われる方が多かったのは、今でも納得してないけど。
で、で、で。話をドミナに戻すよ。
今世も前世も真っ白白なドミナこと悦ちゃんとは、もう四桁以上一緒にいる。長い長い付き合いだ。
無垢だったボクを最初に見つけたのがドミナ。
カーラっていう名前を付けてくれたのは、ドミナ。
色んなことを教えてくれたのも……ドミナ。
だいだい全部、人間性、前世を思い出す前までのボクを形成したのはドミナだと言っても過言ではない。
それだけボクにとって、ドミナは特別な存在だ。
……あんな魔法狂いに懐いたのは、今思ってもどうかと思うけど。幼年期の“私”は純粋無垢だったのだ。
世界のなにも知らない私を、“禁域”と神に名付けられた黒い森から連れ出してくれたり、一緒に旅をしたり。
無論、二人旅ではない。
前述したアイドルとか吸血鬼とかエルフも一緒だ。他の下四人は俗に言う四天王だ。出会ったのは旅の最中とか、後とか、魔界統一戦争とかでだ。
魔界の女主人───つまり、魔界の支配者になる前も、なった後も、転生しても、ドミナとはバカ長く付き合いが続いている。
ぶっちゃけよう。嬉しい。
なにせ、あれが……マトモにお喋りした、最後の会話になったんだから。
「はぁ〜……」
……ドミナの死因は、“世界を2つも救った代償”による肉体の崩壊だ。
勇者と魔王がお空の上でドンパチしてなんか死んだ後、エーテル世界に衝突されて崩壊……なんていう巻き込まれ事故をした地球を、地球だけをドミナは元通りの形にある程度再構築したんだとか。すごいね。
神の御業ってヤツだ。ボクの前々世の生まれ故郷……の、並行世界を救ってくれてありがとう。もう足を向けて寝れない。
ま、それが原因で身体壊したみたいだけどさ。そこまで救道精神あったかオマエ。
元から滅ぼす予定だったエーテル世界の方は、そのままバラバラで……保護? 停滞? させたんだってさ。知らない専門用語いっぱいでよくわからなかったけど、取り敢えず魔法的なパワーで世界を維持できるようにしたんだとか。
いやすげぇよ。あんなバラバラ大陸でも一応世界として機能しちゃってるんだもん……
……そんな大偉業を成し遂げたから、彼女は各国政府に頼られているのだろう。エーテル関係ではかなりの頻度で引っ張りだこだ。本人が研究で忙しいって突っぱねてるのよく見るけど。
世界を救ったって言う確かな実績があるからね。
それが例え、魔王軍の最高幹部だったとしても……か。裏で思惑が渦巻いてはいるんだろうけど、あんまりボクのドミナに迷惑かけないで欲しい。
……本当に雲の上の存在になっちゃったな。神を卸す、その発言は強ち嘘じゃなかった。
下手したら肉体と一緒に魂も崩壊して、転生すら不可な可能性だってあったのに……わんちゃん今世で再会できずお別れだったかもしれないのに。
何回も言うけど、すっっごく嬉しいんだよボクは。
本当に……会えて良かった。
こうしてまた、あれを夢で再確認できたのも良かった。あの最期の日を鮮明に思い返せた。望むなら、やり直してみたいところだが。
高望みも無意味なので、そこは諦める。
過去は過去。やっちゃったモンは仕方ない。やらかした全てを背負って歩くのだ。
止まることなく、永遠に……歩き続けるのだ。歩くのはもう慣れた。
あの後味わった……5000年よりかは、マシだろう。
「……もっかい寝るか」
憂鬱に浸かりすぎたな。最後に思い出したクソな旅程でメンタルが死にそう。
勇者と友情を育んだ旅とは言え、地獄は地獄。
二度と味わいたくない。味わう前に死んでやる。絶対にヤダ。
若干のイラつきをドブ川に捨てて、身体を伸ばしてから不自然に膨らんだベッドに近付く。電気は影を操って……そういや、長時間つけっぱだったな? 電気代平気か?
取り敢えず影で消灯させた。うん、まぁいいか。
二度寝になるが問題はあるまい。身体の為だ。
ちょー眠いんだもん。はふっ……欠伸が止まんないや。こんな時は寝るに、かぎ…る……
ちょっとマテ茶。不自然に膨らんだ? え???
……………。
ガバッ! がしっ!!! ズバッ!!!
「いちゃ!」
「おい」
「……………黄昏れる真宵ちゃんもかわいい、ね!」
「死んでくれ本当に。頼むから」
「切に願わないでもろて……」
マジで油断ならねぇな。一人で寝かせてくれよ。
布団に忍び込んでいた日葵の首根っこを掴んで……おいいい加減どけよ。しがみつくな。シワができるだろうが。一向に動こうとしない……絶対にシバく。鼻から鼻水とか血じゃなくて、脳汁出るように痛めつけてやろうか。
……さぁて、まずは尋問だ。何故いる。この部屋、扉に鍵かかってる筈なんだが。
「いやーさ、寝落ちしてる真宵ちゃんに寝起きドッキリを仕掛けようと思って……ね?」
「いやそこは布団まで運ぼうよ。そんで電気切れよ」
「……確かに」
「脳足りん……」
キミ、勇者時代に知能を筋肉に吸われでもしたのか?
……え? この後? 抵抗虚しく同衾ですがなにか。
文句あっかよ。
……まぁ取り敢えず……おやすみなさい。




