02-15:終わりを知らぬ祝福を
───入部試験から二時間後。
「ぅ、んっ……、うおっ!? ……びっ、びっくりした……なんだお前か……」
『〜〜〜///』
「なんで照れんの?」
気絶から、目を覚ましてすぐ。視界いっぱいに広がった光の精霊の照れ顔に驚いた一絆は、気絶する直前の記憶を掘り起こして、試験があったことを思い出して慌てて身体を起こし、辺りを見回した。
視界に映ったのは、薄暗い真っ白な部屋。
ごちゃごちゃと用途不明の機材が部屋中所狭しに並び、複雑怪奇な図面や魔法陣が紙の山を無限に築き、毒々しい色合いの薬品がこれでもかと適当に散乱している……
部屋の四方が白で構成された、研究室であった。
「ここって……確か……」
見覚えがある。部屋全面に塗りたくられたような白も、奇怪な形の装置も……全て、全て、この世界に来た初日に見たもの。
なんならさっきまで寝ていた寝台も見覚えが……ある。
脳裏に浮かぶ、自分の身体を遺伝子の隅々まで解剖され解析され尽くされた苦い記憶。
ケラケラと笑う白い声が、嫌でも思い起こされる。
ひしひしと感じる嫌な予感に、当たっていそうな未来を思い描いた一絆は、その顔を顰めて……小さく唸った。
そして、隣にいる精霊に再び話しかける。
「……すまん、一緒にいてくれるか?」
『♪』
「ありがとな」
長時間の呼び出しにも関わらず文句一つ言わず、戦闘が終わった後も傍にいてくれる精霊に、一絆は感謝を込めてその小さな頭を指で撫でてやる。
寝台から立ち上がり、隙間から少しだけ光が漏れている扉を見やる。
ほんの僅かに聞こえる3人の姦しい声を頼りに、一絆は扉へ一歩踏み出した。
「───だから無理だって」
「いけるいける! 闇ちゃんなら行ける!」
「信頼がすごい……なんなんだよ。このボクが、オマエの信頼に応える人間性を持ち合わせているとでも?」
「がんばえー、真宵ちゃん」
「やれ」
「うい」
まず目に入ったのは、先程まで居た部屋と同じ色彩の、またもや真っ白すぎる研究室。そして、ジェンガを囲んでワイワイと騒ぐ3人の姿。
真宵と悦、日葵の転生体トリオである。
遊びは佳境を迎えているようで、棒を抜いては積んでを繰り返した結果、穴だらけの歪な塔ができあがっていた。なにをとち狂ったのか、縦置きの棒まである始末。なんでわざわざ不安定な、それこそ自分たちの座高より高い塔を築き上げるのか。
そんな中、真宵は崩れる寸前の位置を狙って、息を潜め棒を一本引き抜く。
グラグラと揺れる塔の上に、ゆっくりと置き……
崩れた。
「あーあ」
「闇ちゃんもそんなもんか〜」
「えっ酷くね?」
信頼をジェンガと共に崩された真宵は、ボク心外ですと表情で苦言を呈しながら、開けられた扉の方───思わずジト目で遊戯の結末を、可哀想な真宵を見つめる一絆に、視線で「来なよ」と促した。
アイコンタクトが通じた一絆は、渋々歩き出す。
「むぅ……おはよ、かーくん」
「おっおっおっ。起きたんだねぇ……あはっ」
「怖っ。やっぱオマエキモいよ」
「えっ酷くね?」
「……あー、おはよう?」
突然笑った悦を、真宵が引いた目で見て呟いた。
前世からの親友だからか、辛辣な物言いをされたときの反応が一緒だった。そこに更にアイコンタクトで通じ合う同居人らにヤキモチを焼く日葵は横に置き去って、真宵は寝起きの一絆に話しかける。
「おはよ。取り敢えず二時間ぶり」
「そんな気絶してたのか、俺」
「逆だよ。そんなんで済んだ、が正しいんだよ……部長の雷本物なんだからね?」
「マジか……」
バリバリに手加減されていたとはいえ、部長神室玲華の手加減付雷撃を浴びた上に、ギリギリ意識を保って横腹に一発当てる気概を見せた一絆。その奮闘は、観戦していた全ての者に彼の“強さ”というモノを見せつけた。
それに加えての生命力。本来なら半日は布団のお友達でベッドに沈んでいる筈なのに、一絆はたった二時間程度で起床。悦曰く、真宵と日葵以外にこっそり隠れて調べた、その結果……どこもかしこも、そこら辺の人間のと同じでつまらない、だったとか。
邪神に選ばれた人間は、なにかしら見えない“異常性”を抱えているのかもしれない。
「精霊ちゃん、目覚めのキスした?」
『〜〜〜///』
「あっしてないんだ。そう……」
「ちょっとどういう意味か説明プリーズ」
「仕込んだ」
「仕込むな!」
眠り姫は王子様のキスで起きる───童話のありふれた御伽噺を学んだ日葵は、異邦人は精霊のキスで起きるよに改変して光の精霊を唆した。嘘を吹き込んだにも関わらずそこに一切の犯罪や悪びれはない。
今後、一絆のファーストキスが眠っている最中に精霊に奪われる可能性が高くなった。
「それはそれとして……なんで俺、ここにいんの?」
今後唇は死守するとして、一絆はこの場にいる3人に、ここ───“魔法研究部”に自分がいる理由を問う。
気絶前は異能部の部室棟に居た筈だが……
何故ここに、部室棟から少し離れた研究室にいるのか。これがわからない。
「それはね……」
「それは?」
「これからキミに、第二試験を受けてもらうからだよ」
「……はぁ?」
無論、入部試験の関門は一つしかない。
初耳すぎる試験の存在に目を白黒させる一絆に、日葵は安心させるように微笑んで真宵の言葉に補足を加えた。
「ま、非公式だよ非公式。安心して?」
「いやできねぇよ普通」
「残念拒否権はないよ───愚痴はいつか聞くよ。とりま本題入るね。これからキミには、あるモノを対象に、その異能を使ってもらう」
「あるモノ?」
エーテル転生組がお送りする、非公式の異能部勧誘への第二試験。真宵が指差すその先には、部屋の奥……大きな試験管の中で、培養液に浸かったままぷかぷかと浮かぶ、どこか儚げな雰囲気を纏う球体粘液。
稀に弾むように波打つ幻想的なそれは、これまた一絆も見覚えがある存在。
「ッ、こいつは」
「いい顔だねぇ───見覚えあるでしょ? 呪いかナニカ、よくないモノに汚染された……水の大精霊ウンディーネの成れの果て」
空想溢れるこの世界に来た、初日の話。この研究室で、自分は身体を隅々まで調べられ……そして、自分目掛けてガラス越しに突進きてきた、スライムの見た目の精霊。
否、“水の大精霊”ウンディーネ。
星に還ることもできず、存在基底を塗り替えられたまま現世を彷徨う、死にかけの大自然。
終わった存在を、真宵と悦がにやけ顔で語る。
「ウンディーネ……」
「ふふっ、あのね、ぼく個人としては、この精霊ちゃんは見捨てる予定だったんだよ?」
「は」
「なにせ治療法がない。助ける手立てがない……そもそも助けてあげる理由も必要性もない。そのまま魔物と化して堕ちていく様を、精霊としての死を迎えることなく終わる未来を観察するつもりだった───そう、君が精霊特効の異能を発現するまでは」
「……胸糞悪いが、要するに……治せ、ってことか?」
「そうなるねー!」
仮説とはなるが、望橋一絆の異能【架け橋の杖】には、ある種の特異性がある筈なのだ。かの魔王と同じ、同一の邪神を系譜に持つ、そして、干渉化にある特典という点。
【黒哭蝕絵】の存在が、その説を肯定する。
表面上の話をしよう。真宵のこの異能は、影の支配権を獲得するという能力の一部のみを触れ回っているのが現状なのだが、その効果範囲や規模はそれだけに収まらない。
常人が持つにはあまりに大きすぎる力。
邪神由来の特異性は、他の異能力に大きく差をつける。ならば、一絆にもその類似性がある筈。
仇白悦は提唱する。
「これはまだ、実験が十分に進んでないせいで曖昧になる仮説だけど……モルモットくんの異能は、精霊に対してはなんでもできる可能性がある」
「なんでもって……なんでも?」
「そーそ! なにせ前例がある! ぼくは識って、学んで、この目で見た! それに、今の時点でモルモットくんの力は多彩さが見られてるんだよ? 君は無自覚だろーけどさ?」
「またモルモットって言われた……んんっ、ふむ。それは本当なんだな?」
「もち!」
悦の仮説───現時点で一絆の異能は、発現したてにも関わらず常軌を逸している、という眉唾なモノ。それは、精霊に関してならば可能なことが多いという多彩さから。
精霊の召喚、契約、使役、魔法借用、成長。
精霊術師が複数の魔法をもって行うそれを、全て杖一つ異能一つで解決できていること。
そして、“精霊の可視化”という一番の異常性。
本来精霊は見ることができない。精霊から見せなければこちらが見ることは叶わない。地球環境ではまず見るのもコミュニケーションを取るのも不可能な筈なのに。例え、古の精霊術師が精霊と契約しても、契約者以外には誰にも見えていなかったというのに。
どういうわけか、一絆の場合、一絆以外の全員に精霊が見えている。
関係のない第三者にまで精霊の可視化が及んでいる……本来そんなことはありえない。
「精霊の可視化、その共有……これは、一種の現実改変と似通ってると思うんだ」
「なにそれエロい」
「どういう意味?」
「煩悩隠してかーくん」
「殺してくれ」
契約者以外の誰もが精霊を見れるように、他者の視界をジャックする……それで済めばいいが、【架け橋の杖】が世界そのものに干渉している可能性も視野に入れるべきと悦は提言する。
ほんのちょっとだけだが、干渉は干渉。影響範囲は殊更狭いが、異質なことに変わりはない。
「まぁ、精霊だけに作用する、って考えが間違いかも……いや、でも……うーんデータが足りない。ちょっと今すぐ横になってくれたりする?」
「断固拒否する。俺はなによりも自分の命を大切にする」
「ほんとー?」
……一絆の改変疑惑の危険度は、実際そこまで悩むほど怖くはない。彼よりも上位の現実改変スキルを持っている猛者たちよりは遥かに劣るから。
魔王や戦天使、無貌の現実に、世界に干渉する改変。
世界を書き換える権能と、歌声を介して万物に干渉する天使の力、そして有るものを無いものに、存在を世界から隠蔽する超常。しかも全員が元を含めて魔王軍にいた……系譜は違うのに。
一絆の魔杖は、そんな危険人物とは似て非なる指向性の異能なのだ。
そのすごさを一絆はいまいち理解していない、悦渾身の自己解釈混じりの長ったらしいご高説は、ただただ睡魔を呼び起こすだけに終わった。
これには日葵と真宵もにっこり。
後日、一絆が魔王規模の改変のヤバさを体感するのは、また別の話。
「後一つ言いたいのは……精霊の顕現維持の長さかなぁ? いや、これはモルモットくんの魔力量に比例……あとその杖の形してる補助具の賜物か。うん、うんうんうんうん。やっぱり調べ足りないなぁ……じゅるり」
「?」
『?』
今も光の精霊が一絆の傍で浮いているのもおかしな話。疑問に思った悦は、紅い瞳を光らせて一絆の魔力の長さを詳細に視る。
魔眼で観察する───そうすれば、可視化と存在維持に常に魔力が消費されていることがわかった。それに加え、常に杖から魔力が供給、体内で循環して回復していることまでも。
調べれば調べるほど、異常性が浮き彫りになる。
先の戦闘では魔力枯渇が存在したのに。異能の成長か、自然と身体が学んだのか……無意識にその工程を行って、常に新鮮な魔力が体内を巡っている。
魔力切れという敗戦理由の一つが、徐々に、念入りに、時間をかけて潰されていっているのが見て取れる。
───観察対象には内緒で視界を共有していた真宵たちもその異常に目を見張り、無意識に息を飲む。
「あはぁ☆」
これには悦もにっこり笑顔。すぐにでも【魔法工房】をこの場に展開して、一絆を解剖したいぐらいにはにっこり笑っている。
その杖は、空気中以外の何処から魔力を生成していて、何を基準に進化しているのか……知りたくて、調べたくて堪らない。
不気味な笑みは、怪しさは、全て好奇心から成るのだ。
「えーっと、痛いのは嫌だ」
「そんなこと言わずに! ぼくの被検体になってよ!」
「嫌だわ!!」
精神衛生上よろしくない笑みで近寄る悦に、もういいと真宵が止めた。このタイミングで死なせるつもりなんて、欠片もないのだから。
前世の時から親友の衝動を止めるのは得意である。
「んっ、んん……まぁつまり。そんだけ機能満載な異能があるんだったら、精霊の治療もできんじゃねー? ってのがボクらの本題。キミを呼んだ一番の理由だよ」
「……理解はできた。俺に頼るしかないってわけだな?」
「今すぐやめる?」
「そんなことないが? やるぞ? 上から目線になってマジすんませんでした」
何度も本題から脱線したが、真宵の軌道修正により話はやっと元の場所に帰ってくる。
今回行うのは、水精霊ウンディーネの治療。
現在、そもそも治療する気のない真宵や悦、人間以外を治療できない制約の異能を持つ日葵、そしてとっくの昔に絶滅した精霊と交流できる存在を除いて、ウンディーネを救けられる可能性があるのは一絆しかいない。
「ほら、ぶちょーたちがいない内にやるよ」
「……そういやなんでいねーの?」
「みんな忙しいからね。本当はかーくんの入部おめでとうパーティとか、お偉いさんからのありがたいお言葉とかがあったりしたんだけど……前者はともかく、後者はあんまいらないじゃん?」
「同感だな」
「そんでもって、異能部って多忙でさ……今日も今日で、空想討伐に勤しんでるんだ〜」
「ほーん……なんか申し訳ないな」
「気にするだけ無駄だよ」
治療の見届け人として参加すべき部員たちは、副部長の采配でギチギチに詰められた予定に従ってせっせと活動中である。全員過労を覚悟で任務に励んでいる。それこそ、精霊治療の現場にいれないぐらいには。
日葵と真宵は、対精霊用の護衛として待機組になった。
留守番ついでに精霊の治療風景を録画し、万が一精霊が暴れたときは一絆を守る、それが2人に与えられた任務。
できることは早めにやってしまえの精神と、汚染されたウンディーネの様態が悪化してきたのも相まって、玲華は入部試験と精霊治療、そして通常任務を同時並行で完璧に済ませようという魂胆で動いている。
自分たちの力足らずさ、新人に頼るだけの不甲斐なさに申し訳ない気持ちを抱えたまま、善良な彼らは治療成功をただただ祈り、水の精霊を一絆に任せて任務に出かけた。
そんな異能部の悩みの種、助ける為に生かされた精霊を一絆はもう一度見る。
「……今日は、突進して来ないんだな」
素人目で見ても生気がないように思える。悪化したとは聞いているが、確かに。最初に出会った時はガラスに全力体当たりしてでも近付こうとしたにも関わらず。
嫌な予感。一絆の背筋を、冷汗が一滴滑り落ちる。
「うん。なんせ消えかけだからねぇ〜」
悦の死亡宣告が、一絆の灰色の脳に冷水を浴びせる。
「どう、いう……」
ガラス管の向こう側の仲間を見て、辛そうに顔を歪める光の精霊にも、その動揺は伝わり。不安気に契約主の顔を見上げて、なにかを期待する小人の頭を撫でてやる。
動揺を気力で押し付けて、一絆は再度悦に問う。
待ってました! と言わんばかりに、悦はnot死にかけ、Yes消えかけの違いを問う。
「精霊には死の概念がない。存在を保てなくなったらね、星に還るんだ。大自然の化身だからね。消滅ってよりかは還元って言った方がいいかもね!」
「死ぬってことはそこで終わり、消えるってのはまた次があるって解釈でいいのか?」
「いいよ。精霊は自然を循環させる存在だからね」
「……つまり、このウンディーネは、その循環ってのが」
「そうなるね。死ぬことはできるけど、精霊の本懐はまず果たせなくなる」
「ッ、それは……人間には、ちとスケールがでけぇな」
「ね〜」
自然の摂理を維持する───勿論日葵を除く2人は一切思っていないが、それはそれ。精霊のあり方を説明された一絆は、それ以上は求めずに行動に移す。
知識者特有の早口でいつまでも捲し立て話していた悦も沈黙して、世にも珍しい精霊の治療を優先する。
真宵と日葵も、カメラを手に一絆とウンディーネを記録する。
……だが、ここで一つ問題が出る。
「やり方がわからん。Hey Riri!!」
『───すみません。よくわかりません』
「ボクのが反応してて草」
「まだ質問してねぇよ! 呼んだだけだぞ!? 先手打つな解答放棄すんな!!」
「が、頑張ってかーくん!」
真宵の最新式スマホのバーチャルアシスタントが勝手に反応したが、きっと偶然だ。先読み機能はない。ちなみにこちらの世界ではSではなくRである。
よく間違えられるが、決してLilyではない。花の模様もない。
「も〜、悦、なんかいい方法ないん?」
「え〜、知らん」
「そこをなんとか!」
「んむっ、むむむ……それじゃあ、杖握って念じてみる? 異能の起点はそれなんだしさ!」
「……やってみるわ」
魔女の助言に従い、一絆は力の限り念じてみる。かつて脳裏に描かれた異能の使い方から、これだとピンッと来る方法を探す。
これじゃない。これでもない。あれでもない───…
一秒にも一年にも感じる程の、不思議な時間感覚。
真剣なその後ろ姿を日葵は固唾を飲んで見守り、真宵は流し目で、悦はワクワクした一絆で彼を見る。
……そして。
「……これだ」
目を見開く。導き出された最適解、その答えは杖の先。異能が一絆に力を伝える。杖の頂点に輝く白水晶。どこか温かい雰囲気を纏う、淡い光の結晶。
その一点に、ぼんやりと感じ始めた魔力をそこに流す。知覚したばかりの魔力は、指先から杖を伝い、水晶の中へ流れていく。
次第に眩くなる輝きに目を焼かれるが、一絆は躊躇わず魔力を水晶に注ぎ続ける。
『……!』
光の精霊は祈るように手を繋ぐ。同胞を助けんと励む、たった一人の契約者を静かに応援する。
一絆の成功を、無力な少女はただ願っている。
その力が完成する───否、開花するその時まで。
「ちょちょッ、それ以上は爆発しちゃうよ!? ダメダメ、ダメだって! 一旦止めよ!?」
「うるさいよひま」
「黙ろ?」
「私が悪いの?」
日葵の制止の声も無視して、魔力を回す。延々と体内を循環する魔力を、朧気ながらも意識して、流せるだけ杖の先端に運んでいく。徐々に歪んでいく水晶の形に、方法が当たっている確信を抱く。
ただ願うは、自然を司る隣人を救う為の力。
以前助けを求められたのにも関わらず、わけもわからずその手を掴まなかったことを思い出す。あの時は転移時の混乱でそれどころではなかったし、まだ自分の力の詳細を知らなかったし、目覚めてすらいなかった。
それでも、あの日、この精霊の希望を裏切ったことには変わりない。
必ず救う。その誓いを胸に、一絆は一心に力を込める。
自分が思う理想の形を、精霊を救けられる力を求めて、魔力を杖に流し込む。
「っ、ぅお……!」
身体から持っていかれる魔力の多さに、身体が勢いよく軋む音を上げる。魔力の生成源である杖だが、循環以外の目的で逆流させれば、身体は悲鳴をあげる。
その痛みを我慢して、一絆は目的の形になるまで魔力を練り続ける。
精霊を救う結晶ができるまで。
徐々に徐々に杖に変化が起こる。元は球体だった水晶は溶けて蠢き、角柱状に変形する。新たに作り替えられる。脳裏に描かれた形を求めて、異能を進化・成長させる。
暴発寸前の魔力で、【架け橋の杖】を傾城する。
───異能の原動力は“想像力”である。想像力が豊かで、柔軟であるほど力は増す。何処かの探究者が唱えた、その不確かな真理は、今ここで、並行世界人によって正しさが証明される。
「わぁ……!」
「っ、これは……」
「お〜」
力の余波は研究室を淡い翠に染め上げる。杖から溢れる翡翠色の魔力は、空間全体を彩り、この時点でその効力を僅かに発揮する。
練り上げられた空想の力が、部屋の中を包み込む。
日葵はその温かさに頬が綻び、真宵は胸にチクッとした痛みが走り、悦はのほほんとした様子でその光に微睡む。
そして、翠の色彩は……呪われた乙女を揺り起こす。
『───………、……?』
培養液の中。彼女───瞳を失くしたウンディーネが、その目を覚ます。外界への視覚情報を失くした、汚染され全てを失ったウンディーネ。
そんな死にかけの水精霊は、確かに彼を見た。
己を救わんと異能の力を引き出す、その男を。
「ど、ぅだ……!」
ゆっくりゆっくり、時間をかけて───
「っ……できた……!」
『〜〜〜!!』
───完成したのは、呪われた精霊の心を癒し、壊された精霊の身体を治す、異能の新形態。
変わった点は、先端部の翠色になった角柱結晶のみ。
それ以外は変わりのない白杖を、一絆は自信満々な顔で持ち上げる。ほんのちょっぴり疲れているが、表情からは伺えないよう耐え忍んで。
光の精霊にキャッキャッと喜ばれ、頬を叩かれ、一緒に万歳したりと、互いに跳ねて喜びを分かち合う。
「おめでと、かーくん!」
「でと〜」
「うーん、これも才能かにゃー?」
見届け人たちは各々一絆を褒めながら、発揮された彼の異能センスに舌を巻く。目覚めてまだ数日にも関わらず、ここまで扱えるだなんて。
天性の才と言うべきか、驚き混じりの拍手を惜しみなく一絆に送った。
「でも、これからだね」
「そうだね」
「そーだよー、モルモットくん! 喜んでるとこ悪いけど、まだまだだよー!」
「おー」
……だが、これはまだ始まりの第一歩。治療手段がまだできただけの初期段階。
ぬか喜びするにはまだ早い。
「よし……やるか」
『♪』
『……!』
逸る気持ちを押し殺して、一絆は翠晶の杖を持ち直す。そのタイミングで悦は延命装置を操作して、培養液を抜きガラスを開いてウンディーネを解放した。
突然の環境の変化に驚いたのか、わかっていないのか。ウンディーネはプルプルとその場を動かずに震えている。
最早這う元気もない。
そんな精霊の様子に心を痛めて、一絆は変成した魔杖をウンディーネに向ける。
「いくぞ。<ひかりの波動>!」
詠唱すると、角柱水晶から翡翠色のオーラが放たれる。具現化した治癒の魔力が、呆然と固まったウンディーネの液化した霊体を包み込んでいく。
やさしく、やさしく……抱擁するように、光が溢れる。
『……!? ……っ! っ!!』
液面を走る不思議な感触に驚き、身悶えする。しかし、それは決して嫌がってのモノではなく、未知の不可思議に対する怯え。だがすぐに、ウンディーネはその力の波動が自分に利するモノだと気付き、次第に緊張が解れて、その治癒の光を受け入れる。
翡翠色のオーラが、精霊どころか部屋までもを照らす。
汚染された霊体が癒される。その身を蝕む死の呪いが、綺麗に洗い流されてゆく。
「チィ……ボクこの光きらい」
「うーん、こりゃ、確かに闇ちゃんとの相性は悪いねぇ。完全に抑止じゃないか」
「はいそこ。いい空気に水を差さないの」
治癒の光が集い、癒し、治し、元の形に復元してゆく。ウンディーネのスライムのような身体が、光の中で大きく歪んでいく。
まるで粘土を捏ねるように。
その在り方を“元”の形に戻していく。水の精霊は唸り、苦痛に呻く。巨躯の粘体は徐々に小さく萎んでいき、その形を変えていく。
霊体が作り変わる。元の形へ───何処か見覚えのある縮尺となり……
「これで、どうだ!!」
一絆の声と共に、翠の光が収束し───復活を遂げる。
『……?』
『〜〜〜!!!』
『!?』
治癒の温光が晴れた───そこには、女の子座りをして目元を擦る、小さな女の子がいた。髪の毛も瞳の色も青に美しく染められた、精霊の姿が。
背丈は光の精霊と同じぐらいの手乗りサイズ。
呪詛で汚染された霊体から解放され、かつての美しさと可憐さを取り戻した。
喜びで思わず抱き着く光の精霊が、同じ背丈の水精霊と頬を合わせ、ぐりぐりと押し付け合う。ほんのちょっぴり流れる涙が水精霊の頬を伝う。
光の精霊が自分のことのように喜んで、涙を流す。
数十年の時を経て呪いから開放されたウンディーネ……現実を直視できていなかった顔は、見覚えのある懐かしい小さな手に目を見開き、少し遅れて雫を垂らす。
光と水の精霊はお互いに手を合わせて、泣いて泣いて、心の底から喜んだ。
ウンディーネは長年の苦しみから解き放たれ、人の形に再臨され復活した。
現代の精霊術師、望橋一絆の手で。
「……ふぅ。よかった……本当に、良かった」
『〜〜〜!』
『〜〜〜!!!』
「元気になって良かったぜ」
『♪』
感極まって腹に飛びつく精霊2匹を受け止めたことで、一絆は初めて誰かの命を救えたことに、誇らしさと喜び、嬉しさを感じて、ほんのちょっぴり涙ぐむ。
一絆が鬼才の持ち主であったから。
その場に相応しい異能があったから……ウンディーネが生きることを諦めていなかったから。
あらゆる幸運が幾重にも積み重なり、今日一匹の精霊が救われた。
「かーくん! すっごい! 凄いよ本当!」
「お、おう。そりゃそうだろ。俺だからな!!」
「うん! 天才! イケメン! 神!」
「ハハー!」
日葵も思わず背中に抱き着いて喜びを全身で表現して、ありったけの褒め言葉を投げつけた。美少女免疫が少ない一絆は、戸惑いながらもそれを受け止めて、なんだかんだ嬉しくなって上機嫌になった。
学院の誰もが認める美少女に肉体接触で褒められれば、男女関係なく誰だって嬉しくなるだろう。
二重の意味で。
しかし、一絆は直ぐに素面を取り繕った。
何故なら。
「は???」
「闇ちゃんステイ」
「ッ、…ッ……、ッ!!」
「なんかごめん」
「あはは」
日葵ガチ勢の殺意。本人は絶ッッッ対に違うと否定するだろうが、馴れ馴れしく触るぽっと出を目の敵にしている真宵が殺意の波動を放っている。
いつか背後を刺されるかもしれない。
死にたくない一絆は、これ以上間に挟まってたまるかと言わんばかりの速度で日葵を引き剥がし、怒りと殺意から首を傾けていく真宵の方へ日葵を押し付けた。
一瞬で真宵の機嫌は治った。元宿敵の無意識の独占欲に日葵も笑顔になった。
悦はドン引きの表情。
なにせこいつら元宿敵。馴れ初めの経緯を知っていると言っても、勇者と魔王がお互いに独占欲を発揮しあって、依存しあっているのは如何なものか。
魔王の側近は、何とも言えない気分で顔を顰めた。
……かわいいかわいい妹分が、ぽっと出の女に奪われた気分もある。
『♪』
『♪』
「痛いところは無いか?」
『〜〜♪』
「そいつは良かった……って、こらこら…」
『〜〜〜♪』
キャッキャッと喜ぶ姿は、まるで年相応の少女のよう。この場にいる誰よりも歳上(一絆視点)であろう精霊たちは周りの目を気にせずはしゃいでいる。
何処となく和む雰囲気が辺りを漂っていた。
小さくなったウンディーネは一絆に近寄り、小さな手でブンブンと一絆の指を掴んで上下に振った。感謝の握手のつもりらしい。一絆の指は千切れかけた。
……そして。
『?』
『〜〜〜!』
『! 〜?』
『♪』
なにやら精霊2匹で顔を近付け、密かに会話を始めた。
『〜♪』
「ちょ、おい! どうした、ちょ、待っ!」
会話が終わった瞬間、水の精霊が一絆へ突進しだした。いきなりのことで避けるのが間に合わず、水の精霊は胸に飛び込んだ。そして、一絆の静止を振り切って……目的の水晶へ飛びついた。
いつの間にか丸い形に戻っていた水晶に触られるのは、色々な意味で不味い。
なにせ、触られたら【契約】が成立してしまう。
今度は交わせた一絆。光の精霊と無断契約して怒られた過去がある。特に日葵に叱られたばかりなのに……先ずは確認を。あと元気になったばかりのウンディーネにそんな無理強いはしたくない。
できれば安静にしていてほしい。仲間になったら、絶対頼ってしまう自分がいるから。
『ー♪』
恩返しをしたい。そう願うウンディーネは、光の精霊の何気ない提案に乗って、必死に水晶に触りに行く。
一絆は一絆で必死に食い止める。
光の精霊はウンディーネを応援。それに、新しい仲間を期待するようなキラキラした目を主に向けていた。
これは堪らぬと一絆は救援を要請する。
「ひ、日葵! 真宵! 止めてくれ!」
「ぇー、いいんじゃない? 前はあー言ったけど……うん、その子たちのやりたいようにさせてあげよ? 個人的には、かーくんのすごさがわかったから、無理に止める気とかは無くなったし」
「で、でもな……」
「悪かないでしょ。へーきへーき。やばーいことあってもなんとかするよ」
「ほら、真宵ちゃんもこう言ってる」
「っ……はぁ……そうか、そうなるか……んまぁ、これ、俺に拒否権ないよなぁ……」
日葵たちはそれを止めずに、精霊たちの純心を、想いを受け止めろと訴えかける。真宵はどうでもいいと無視して戦力計算に集中していたが。一絆が使える力が増えるなら別にいいかとも思って。
面倒ではあるが己の障害にはなり得ぬと、悪影響なんざ知ったことかと。
遂にはさっさと契約しろと手を振った。
悦は我関せずの笑顔で成り行きを見守っている。
精霊との契約の瞬間は、今世ではまだ見たことない為、資料として早く見たいらしい。
「はぁー。しゃあねぇな……俺と契約してくれるか?」
『!』
「今はまだ、無理に戦いの場に出す気はない。病み上がりなんだからな……でも、まぁ。俺が困った時……今度は、お前が助けてくれると……その、嬉しい」
『♪』
「……いいのか? うん、そうか。そんじゃ……よろしく。ウンディーネ」
同意を得て、小さな手が水晶に触れる。
瞬間、一絆と水の精霊との間に、精神を通してなにかが繋がるような、不思議な感覚に包まれる。
そして、白くて透明だった水晶に、ほんの少しだけ青が混ざった。
その色合いは……契約が完了した証そのものである。
青と白のマーブル模様になった水晶を上から覗き込み、精霊たちは嬉しそうに跳ねる。
契約が無事成功したことに一絆はホッと一息。
背中を押してくれた日葵と真宵の方に感謝の礼をすればそれぞれ手を振り返された。目が合った日葵は自分のことのように喜び祝福する。真宵は、まぁ仕方ないかぐらいの軽い感覚で精霊たちを眺めてから、作動させていた手元のビデオカメラを停止させた。
何処ぞの知識狂いは精霊解剖に乗り出そうとしていたがすぐに止められた。一絆は悦の視線から相棒たちを隠して守った。
「しょぼん」
残念、そんな顔しても許されない。あと口で言うな。
「ま、一件落着だね♪」
「肩の荷が降りたってやつ?」
「そーそ♪」
「ウヒヒ、どっちにしろいいデータ取れたからいっかー! 闇ちゃーん、また後で実験手伝ってねー!!」
「モルモット連れて?」
「うん! モルモットくん連れてね!!」
「おいやめろ! 立場の改善を求める! やさしくしろ!」
『ー!』
『ー!』
「えぇ〜? なに、君たちもぼくに抗議すんの!? はぁ? 精霊の分際でぇ〜!!」
「うちの子を舐めんなよロリが!!」
「ロリじゃないが!?」
「ロリなんだよなぁ……」
「ロリだよねぇ〜……」
「君たちー???」
やいのやいのと騒ぐ面々。それは異能部の面々が任務を無事遂行して帰ってくるその時まで、止められることなく賑やかに騒ぐのであった。
……そして一絆は、両肩に精霊2体を乗せて、呟いた。
「頑張らなきゃな……これからも」
波乱万丈、イベント盛り沢山。ゲームで言うならば未だ序盤の場所にいる。
また想いを固め、一絆は口論の輪に再戦を申し込んだ。
「ところで魔王の側近だったってマ?」
「よく知ってるね。マだよ」
「イッツファンタジー……転生もあんのかよ」
「キミに至っては転移だけどね」
「……確かに俺もファンタジーだったわ。うわ、うわうわなんかやだー!」
「諦めろん」
仇白悦の前世云々は殴り合いの最中色々あってサラッと流された。
また今度、なにか聞けたら良いなと思う一絆であった。




