02-10:圧迫強要フレンドコール
ケミカル☆ホワイト
[ 殺意〆⊂('ω'⊂ )))Σ≡ ]
[ ねぇ闇ちゃん ]
[ やってくれたねぇ……お陰で情報開示要請の通知が鳴り止まないんだけど? ]
ナイハートまおー@瀕死
[ はにゃ•́ω•̀)? ]
ケミカル☆ホワイト
[ よーしわかった。そっちがその気ならぼくにだって考えがある ]
[ 曝露おけ? ]
ナイハートまおー@瀕死
[ ごめんなさい ]
[ 謝ヽ( ;꒳; ) ]
ケミカル☆ホワイト
[ 新薬の実験体が欲しかったんだよねー☆ ]
[ 発熱+痙攣+吐き気+悪寒+頭痛+魔力異常症+喀血のフルコースだよ! ]
ナイハートまおー@瀕死
[ 泣 ]
……以上、やらかした魔王と尻拭いにブチ切れた白魔女の秘匿回線トークより。
◆◆◆
───真宵が冷蔵庫の隠し蓋を開けて缶ビールを一気し、当然の如く深酒で夢の世界に旅立ったその日の夜。
欲望に従い添い寝で一眠りした日葵は、二時間足らずで目を覚まし、ふと新しくできた同居人に貸す予定の布団を用意していなかったことに気付いた。慌てて階下に降りてやり残したことをやりに行く。
お風呂にも入ってないし歯磨きもしていない。
軽食のつもりで作ったおにぎりが意外とお腹に溜まっていらない気分だが、食べ盛りであろう一絆ではあれじゃあ足りないだろう。
一応、冷蔵庫にあるヨーグルトやプリン、アイスなどは自由に食べていいと伝えてはいるが。
「んにに……」
深酒で気絶同然の寝落ちを見せた真宵は、魔法で繋いだ脳直結の秘匿回線から飛んでくる罵倒を真摯に受け止め、内心毒死に咽び泣きながら爆睡を決めていた。
日葵の代わりにと誕生日プレゼントに贈られた抱き枕を力強く抱き締める。親友のえげつない魔法薬物に襲われる恐怖と後悔に苛まれる様は、まさに自業自得。
最初は日葵が抱き枕だったが……巧みな力技と柔軟さで無意識拘束から抜け出して今に至る。
己の立場が抱き枕に奪われるのは遺憾だが、ここはもう仕方がないと腹を括っている。
やることやったら真宵ちゃんを起こそう。寝惚けたままされるがままだろうけど、それは好都合。そのまま一緒にお風呂に入って歯も磨いてあげよう。
多分、自分から動こうとはしないだろうから。歯磨きも虫歯ぐらいなんてことないの一言で自主的にやりはしない確信が持てる。
そんなふうに心の中で呟きながら、日葵は明かりが灯るリビングの扉を開く。
「……おっ」
L字型の黒いソファ、座り心地と寝心地を追求した……珍しく真宵が率先して選んだお高い場所で、新しい家族が黙々と本を読んでいた。
彼、望橋一絆の手にあるのは『世界の歩き方』。
世界情勢やその国の特色、名所などの景色が載せられた観光客向けの一冊だ。
他にも机の上には『アルカナ文化』という魔都について書かれた教材本、更にはどこから見つけたのか『エーテル冒険譚』という異世界の日常、空想との戦い、戦争などが臨場感満載で紡がれる伝奇物まで揃えていた。
前者二冊は新天地を軽く教える為に真宵が用意した本、後者はソファの下にあったのを見つけて、埃を払ってから机に置いたようだ。
「ん、琴晴さんか」
「うん。ごめんね、寝ちゃってた」
「だと思ってた」
パラパラとページを捲り、今朝まで住んでいた地球とは見るからに違う情報を見て読んで、一絆は目を抑える。
その悩んでいる様はまさに理解を拒んでいる顔だった。
一絆の苦悶を見た日葵は、半笑いで疑問を受け取ろうと口を開く。
「なにか聞きたいことできた?」
「そりゃまあいっぱいある。特にアメリカ。なんで大陸が浮いてんだよとか、エルフ化現象ってなんだよ、とか……この世界、ヤバくね?」
「あはは……あの国は一番空想化が進んでるからね」
「……空想化?」
「ファンタジーに侵蝕される現象。異世界と溶け合う〜で覚えてくれていいよ」
「やべぇじゃん」
エーテル世界との地球の衝突で、アメリカ合衆国───否、北アメリカ大陸は変貌した。なんと、大陸そのものが空に浮かんでしまったのだ。原理は魔力であるということ以外判明していない。なにもわかっていないというのにも関わらず、その大地に暮らしている国民たちは相当図太い精神をお持ちである。
気にしなさすぎるとも言う。
そして、エルフ化現象とはアメリカで生まれた新生児がエルフの特徴───耳が長くなる、魔力の扱いが上手いといった変化をもって生まれる症状である。大きな悪影響は観測されていないが、旧世界から新世界へと移り変った、不可思議な変化の一つとして数えられている。
思ったよりファンタジー。それが一絆の正直な感想だ。
───その兇変の原因の3割が、自分たち勇者と魔王だと理解している為、日葵は気不味げに答えた。
やっちまったことは仕方ない。前を向こう。
現状なにもできない故に歯痒い思いをしている。
いつの日か、魔王が全ての原因であるという“誤解”を、正しい結末を伝える日が来るのを、日葵は待っている。
そんなことなど露知らず、一絆は一戦を越えて成長し、夜風を浴びて冴えた頭に新知識を取り込んでいく。
「んん〜、うちの世界とぜんっぜん違うな……なにもかもわからなん。最早異世界って言った方が、いやでも地名はだいたい同じなんだよなぁ」
そもそもが別世界ということにしたい気持ちは、真宵も思っていることである。
日本ですらアルカナと名を変え、本来の世界線と異なる歩み方をしているのだ。転移してすぐその違いを垣間見た異邦人としては、他の変異を知りたくなるのは自明の理。
国家統合に滅亡……間違い探しをしろと言われたらまず最初に世界地図を連打する羽目になるだろう。地形図から変わっているのだから。
アメリカは合衆国のままだが新大陸を名乗り始め。
中国は地上が植物型空想に汚染され、やけくそになって地下帝国を建設し。
フランスは勢い余ってヨーロッパを統一し。
アフリカ大陸に至っては空想化の影響で人間が住めない魔境へと変貌した。
ご存知、日本は群島国家となって皇国へと改名した。
あっちの世界の見る影もない。大陸が少なくなっている世界地図を片手に一絆は天を仰いだ。
その最中、日葵は廊下の壁に埋め込まれたタンスから、来客用の布団を引っ張り出していた。
これといって特徴のない普通の布団だ。
力拳を込めながら持ち上げた布団を、ソファの前にあるスペースに運ぶ。
「ここに敷いといていい?」
「あぁ、ありがとう……机とかどかした方がいいか?」
「そうだね。じゃ、そっち持って」
「おう」
布団を一旦床に置いて長机を2人で持ち上げ、ソファの裏へ移動する。来客用の部屋の掃除が間に合えばいらない手間だったが、予想だにしなかったことだ。仕方がない。
敷布団、掛布団、最後に枕を上に置いて寝るスペースを建造し終えた。
リビングの一角を寝室に改造した2人は、肩を鳴らしてソファに座り、ホッと一息つく。
「ありがとな、色々と」
「どーいたしまして♪ 私って、世話好きだからなのかな。こーゆーのは苦じゃないんだぁ」
「へぇ……洞月は?」
「基本座して待ってるね」
「上流階級かよ」
「あながち。否定はできないな」
「ふーん……」
脳裏に思い浮かべるは、邂逅初日で性格の悪さを見せた黒髪白メッシュ。酒浸りで百合色の面も見せつけてくれた非行少女のドヤ顔が高速で過ぎった。
なんやかんや長時間一緒にいた女子の片割れ。
化け物退治で見た影を操る異能に、どこか恐れを感じて後退りかけたのは記憶に新しい。
濃厚にも程がある一日のお陰で、最早全てが遠い記憶のように思える。
「……なんか、一日で馴染み過ぎた気がする」
「ふふっ、そうだね」
世界を移動して僅か一日。まだ始まりを迎えたばかりの生活は、既に波乱が決まっているようなもの。
異能に目覚め、現代唯一の精霊術師となった一絆。
その行く末はもう誰にもわからない。最早一絆を選んだ邪神にすら。邪神が作ったのは望橋一絆という乗り物で、彼の歩みとなるレールは引いていない。
ここから先どんな苦難が待ち受けているかは、無干渉で鑑賞するだけの邪神ですらわからない。運命力への干渉もやらないから。ただ用意しただけの邪神は、自分で選んだキャラクターを楽しむだけだ。
世界を救うという使命───行先不明の救道を、一絆は強いられてしまった。
……そんなもの構いやしないと、突っかかってくる女が二人もいるわけだが。
「ふんふっふ〜ん♪」
運命に拳を叩きつけるタイプの勇者は、一絆の傍に座り何故か鼻歌を歌い始めた。このL字型ソファは、そもそも座れるスペースがかなりあるのだが……どういうわけか、日葵は一絆の隣に座っている。
鼻歌の理由は、その手に持った一冊の書物。
『エーテル冒険譚』をパラパラと捲って、傍から見ればどこか懐かしそうに読んでいる。
そこでふと一絆は気付く。なんで隣合ってんだ俺ら。
「……」
チラッと横を見れば視線に気付かれ微笑みを返される。困ったような微笑みは、ジロジロと見られることへの不満なのかもしれない。
そう思った一絆だが、しかしと目を逸らす。
なんでわざわざ隣に座ってきたのだろうか。思いっきりつっこんでいいものか。無視するべきか。
悶々と悩み、近距離にある温もりに喜んでいいものかと考えて、もう言霊にして呟こうかと思案する。
そうして悩んだ末に、口を開く。
「離れてもらっていいか?」
「ごめんね。今距離感掴もうと頑張ってるから待って」
「えぇ……んまぁ確かに……」
「ごめんね」
目的はわかったが、この近さは果たして許容すべきか。異様に近い、いや、徐々に近付かれている。なんならもう肌が触れ合っている。
異性のふれあいを大人しく享受すべきか、心を鬼にして理性を抑えるべきか。
青空に生じた虚空の下で出会った、初めての異世界人。
落下する一絆を、空を舞って救出しに来てくれた日葵。その後もなんやかんやあって、真宵を混ぜれば基本3人で行動することになっていた。ついでに言えば、大半の話は真宵を間に通して展開が進んでいたまでもある。
そして、日葵と一絆が一対一で会話することもなく……今初めてふたりっきりになった。
「……疲れたな」
「そうだねぇ」
並行世界生活一日目に多くの人と出会った。その大半が美少女であり、残りは女装が似合いそうなショタと眼鏡と小太りの養父という、男女差の天秤が狂っている出会いに恵まれた一絆。
彼は今、なにをどうすればいいのか思案している。
国宝級の美少女とふたりっきり、隣に座られて、なにをどう話せばいいのか頭を抱える。真宵も同レベルの美貌の持ち主だと断言できるが、あっちは如何に適当を言っても貶される程度で許される空気があった。
しかし、日葵には? 何を話せば良いのだろうか。
今更ながら本当に困り始めていた。オタクを発揮する、定番の話し方をしてもいいものか。本当に今更ながら彼は悩んでいた。
異性経験が中の上くらいしかないことが災いしていた。
───対して日葵は。暇潰しで余興の会話を楽しんでいた真宵越しに、一絆をずっと観察していた。
今後どうすべきなのかを、距離感込みで悩んでいた。
日葵が望橋一絆という青年に向けた定義はあやふやだ。いや、だった。
突然空から現れた不可解な存在。邪神という不確かな、あまりにも不気味なナニカから送られてきた刺客。またはそれに連なる者。
警戒すべき監視対象であり、見守るべき観察対象。
あの洞月真宵が異常な程に関心を見せた、ちょっとだけ嫉妬心が湧く青年。
かつて勇者だった者として、今でもその誇りを胸に抱く戦士として、日葵は一絆を終始見張っていた。
……真宵のちょっかいの酷さで、途中からは庇う方向で守っていたが。
とはいえ、日葵は周りから責められることも承知の上で異邦人を切り伏せる覚悟もしていた。万が一、敵性存在の遠隔攻撃が一絆を通して行われることを想定して。
真宵が秘匿する世界干渉の権能を使う計算もあった。
最悪が起きる前に自分が止めるつもりだった。
……けれど。
───やってやらあああああああああ!!!
───俺は俺の為に、戦っていくよ。外道になってでも、明日を手に掴むさ。
……あ、この子思ってたより無害だ。外部からの干渉で攻撃される可能性も、【危機感知】が発動しないの理由に多分大丈夫なんじゃかと判断して。
日葵はすぐにその警戒心を和らげ、一絆を守るべき者と認識を改めた。
真宵との会話や、子供を助ける為に己を犠牲にするその精神力。僅か半日のふれあいだけで、彼の善性を測れた。前世数多くの英雄や悪人、魔族と渡り合って来たが故に、善悪の判別は得意であり、容易かった。
故に日葵は一絆の存在を認めた。
結果的に養父の言伝関係なく、同じ屋根の下で異邦人と住むことを許容した。
……そしてまた、一絆との距離感に困っている。
実を言えば、数時間も前の公園での攻防を観劇していた時点で彼に抱いていた疑心は薄れていた。
だいぶ無くなったからこそ、最初の警戒が足を引っ張り悩む羽目になっている。いつも通りなにも考えず、後からなんとかすればいいやの精神で特攻してもいいのだが。
……ぞんざいな扱いをしてもよさそーだな、なんてふと思ったのは口が裂けても言えない。
監視観察を止めるつもりはない。なにせまだ、あらゆる意味で未熟も未熟、見守っていないとなにかあったときに手を差し伸べられない。
異能犯罪者(真宵を除く)に襲われれば、高確率で死ぬ未来が見える。あの精霊を使役する異能を持っていても、なんならそれ狙いで誘拐されるかもしれない。
更にいえば身体が成ってない。筋肉はあるけれど。
勇者基準で考えても低い。異能部で一番筋力が足りない姫叶や廻とどっこいどっこいだろう。あんなんでも2人はもっと動ける為。
……あれ……異能部の男子、か弱くない?
錯綜しかけた思考に日葵は蓋をした。それ以上は彼らの名誉に関わる。深く考えてはいけない。
女の子ってすげーんだ。それでいい。いいんだ。
異能部の女の子たちが一人を除いて体育会系なだけで。夏のブートキャンプが悪い。
「あっ!」
そうだ。代わりに一絆くんを鍛えよう。この私が。
「ふふふ、決めた」
「なにが?」
古来より、友好を深めるに必要なのは肉体言語と云う。ならばこの考えは最適解かもしれない。一緒に住むのだ、朝練が作れる時間はたんまりとある。
勇者式ブートキャンプだ。鍛えて強くしよう。
観察対象を強くするのはよくないかもしれいが……まぁそれはそれ、これはこれだ。
個人的には、もう庇護の対象へと移り変っているが。
勇者の武器は剣だけにあらず。転生した今は紛失した為手持ちにはないが、勇者とは聖剣で悪を薙ぎ払うだけでは務まらない。
徒手空拳も棒術もだいたいできる。そもそも日葵以外の勇者は聖剣を持ってないし。皆各々の得意武器で戦って、戦線を押し上げていたのだから。
聖剣はズル? 使い手が自分しかいないのだ。仕方ない。
教えられる基盤がある。ならば使おう。
……この世界、強くしなければ、強くならなければまず生き残れない。仲良くなったとしても、生きてくれなきゃ意味がない!
即決即断、日葵にとってはもう決定事項だ。
まずは体作りを、そして自衛から教えよう。
日葵についてけるように、異能部の背を追えるように。弱さを理由に、真宵から見捨てられないように。
「私が強くしてあげるからね……!」
「……お、おう? そうか……まぁ願ってもない話だわな。頼むわ。死にたくねぇーし」
「うん! 全力でやるね!」
「ぇ、やー、その……さ、最初はやさしくで頼んます……いやマジで……」
この日、勇者式スパルタ訓練の近日開催が確定した。
死にはしないが、血反吐で死にかける規模の戦闘訓練が盛んに行われるだろう。多分きっとバイオレンス。
日葵は勇者であるが、元は村娘である。
戦時中、聖なる女神にその特異性を見初められ、最新の勇者へと選ばれた。保護してくれた王国の指導下で訓練を受けた日々が脳裏を過ぎる。
有り体に言ってしまえば、そこで体感した訓練内容しか日葵は知らない。
───つまり、一絆がこれから味わうのは“勇者”を育てた訓練に他ならない。
「……あっ、そうだ」
言伝にだが、人と人の温もりとやらは友好を深めるには効果的だと聴いたことが日葵にはあった。
それを実践してきた結果が、今の真宵との関係だ。
かれこれ10年以上拒否されながらも身体接触を欠かさず続けてきた身だ。幾ら心無い罵倒をされようとも、暴力に訴えられようとも、構わず真宵にアタックしてきた。
その努力が実を結んでか、あの世界ぶっ壊元魔王の心を絆せた。日葵との身体接触で安心感を抱くようになった。故に、慣れぬ世界で不安な気持ちに苛まれている一絆にも通用するだろう。
日葵は純粋にそう思った。
そこに、異性との身体接触で一絆が困るという問題点は加味していない。
「んふー♪」
「!? …………、……っ???」
「あれ?」
思い至れば即行動。肌が触れ合うか触れ合わない程度の距離を一気に飛び越えて、日葵は男らしさのあるその腕に抱き着いた。
考えが纏まった瞬間行動に移した結果。
その行動は見事一絆の脳を破壊。変顔百面相を直に見た日葵は、自分が如何にまずいことをしているのか一欠片も気付いてない。
なにせ日葵だから。彼女曰く、スキンシップは普通より効果的且つ有効なコミュニケーションであると。
なにもわかっていない。誤解している。
というよりも、日葵は異性との接触に強い抵抗がない。
これも全てはエーテル世界が悪い。戦争が悪い。戦時中男女間を気にする余裕がなかったともいう。
つまりは戦争を引き起こした魔王が悪い。巡りに巡って真宵に責任がある。
尚、これを本人に言えば全力で逃げる。
覚えがありすぎるから。
「ちょ、近すぎ近すぎ!! 近すぎだって! 死ぬ! 羞恥で死ねる!」
「えぇ???」
出会って一日目の相手にすることではない。
数秒脳がバグって硬直したが、一絆は混乱からなんとか立ち直って、あどけない顔で首を傾げる日葵のやわらかい拘束を解いて逃げる。バッと飛び跳ねてソファから逃げる選択肢は、思春期の清純男子には無理もないこと。
一瞬放置したくなった本音に蓋をして、揺れそうになる心を強く律する。
ほんの1ミリも「勿体ないことしたなぁ」だなんてこと思っても考えてもいない。ただ青春の1ページが少しだけ分厚く、濃厚になっただけである。
そんなふうに問題を起こしながらも、夜が耽る中2人は交友を深めていく。
「あのさ一絆くん」
「なんすか琴晴さん」
「苗字呼びやめよ?」
「……えーっと」
遂に日葵が痺れを切らした。苗字呼びは普通だろうに、日葵は嫌がった。馴れ馴れしく見えようが名前呼びの方が本人的には好ましい。例えそれが初めましてでも。
異能部の男子部員2人は頑なに苗字呼びだが。
無論日葵は最初抗議した。日葵の方が呼びやいでしょ、琴晴は逆に言いづらいでしょう、と。しかし頭を振られて「やだ」の一点張り。個々人に事情があるのは承知だが、そこまで固辞されるのは予想外。
泣く泣く日葵は苗字呼びを許容している。壁があるのを感じてしまうが。
だが、一絆はまだ真っ白。つまりチャンスなのだ。
これから同じ屋根の下で暮らすのだ。プライベートでの苗字呼びは疎外感があって嫌。故に日葵は強行するのだ。光属性特有のゴリ押しが、今ここに発揮される。
勿論さん付けも却下である。
何故か真宵を“洞月”と呼び捨てしてるのも不満である。名前呼びがいい。真宵、日葵と、軽い感じで呼ばれたいと本心で思っている。
青春真っ盛りの純情な青年には酷な話かもしれないが。
「っ……あー、うー」
困りに困って唸る一絆は、頭を抱え込んで深く考える。この状況を乗り越える打開策はないか。頑なに名前呼びを強要する意図を探ろうと、その熱視線から逃れようと。
考えて悩んで考えて……何も思い付かずに諦めた。
なので、一絆は腹を括って……
「ひ、日葵……さん」
「呼び捨て」
「難易度高ぇよおおおお!! ファーストステップは敬称がデフォだろ!?」
交友関係が広かった一絆でも、その難易度はヘルだとかスペシャルだとかが適正な難易度である。
それでも日葵は急かす。定着するまで寝かせない。
誰かにとっては役得な話だが、一絆はそうは思わない。せめて、せめて段階を踏んで欲しい……出会って一日目の相手に強要することではない。
しかし、流石に我の強い一絆でも押し負けた。美少女の顔面至近距離には勝てない。
「……日葵、さ……日葵」
「もう一回♪」
「ひ、日葵」
「……うん、合格♪」
「恥っず……」
「真宵ちゃんのことも真宵って呼んであげてね?」
「……か、考えとくよ」
三分程の攻防を経て、一絆は折れた。頑張って、それはもう頑張って名前で呼んだ。
元の世界にいた頃から、異性を、それも同年代の女子を呼び捨てにすることもほとんどなかった。子供の頃ならばちゃん付けも呼び捨ても容易かったが……大人に近付くに連れて難しくなり、抵抗が生まれるというもの。
それが今破られた。強制的に。
ただ一絆自身悪い気はしないので、両人共に幸せになる結果だったので良かったのだろう。
しかし、ここに更なる爆弾が一絆に降ってくる。
「それじゃあ改めて……これからよろしくね。かーくん」
今日何度目かの爆弾を日葵は投下した。
突然彼に、実質新しい弟分である一絆にあだ名を付けて呼び始めたのだ。
何故故にかーくん。いや単純でわかりやすいが。
日葵にとって……否、勇者リエラにとって「かー○」の名称は大好きな部類に入る。一絆も自然とその枠に入れる適性があったことで、日葵からの好感度は急激に上がる。値にすると十段階の番目ぐらい。
爆速で勇者と魔王の好感度を稼げていた。今は“ま行”に変わってしまったが、好きは好きだ。
「待て待て? いや今なんて言った? なんて呼んだんだ? ちょっと待とうぜ? ってことでワンモアプリーズ……俺がなんだって?」
「かーくん」
「なんで???」
「親しみを込めて。あと真宵ちゃんを習って」
「えぇ……」
裏話だが、真宵の前世である魔王時代、親しい相手には愛称で呼んでいたらしい。
側近にして親友である魔女ドミナがいい例である。
四天王や特別幹部、親衛隊など、お気に入りには名前を短くした愛称で呼んでいたのだとか。
それを日葵は真似た。
……未だリエラか日葵、ひまちゃん呼びで、他みたいな愛称をもらえないことに不満を抱いていることは、誰にも言ってない秘密である。
そんな経緯で、日葵は一絆をかーくんと呼称することを決めたのだ。
「あとわかってるかもだけど、私たちってスキンシップがそれなりに多めだからさ。覚悟してね。私はあの子一筋で生きてるから間違いなんてないから安心してほしいけど」
「待ってくれ俺が死ぬ」
「百合だかなんだか知らないけど……悪いようにはしないからね!」
ここで一絆に更なる追加ダメージ。
彼の寿命は僅か半日で急速に減っている。現在進行形、爆速でライフを削られてしまった。これはひどい。それも日葵の自己満足で。
無意識や意図的に抱き着いてきたり隣に寄って来るのがこの2人。そこに邪念や偽りなどなく、人肌に飢えているからこその行動であった。
異能部の先輩や同級生たちの心臓に与えるダメージは、最早言うまでもない。
そして今日、被害の4割が収束することが決定した。
この後、一絆は説教をした。異性間の身体接触で生じる色々な問題を日葵に諭した、が。
日葵は「平気平気」と理解を放棄した。
100年の孤独、ふたりぼっちだった日葵は、いつだってぬくもり急募な精神で生きているから。真宵もそうだが、未だ精神に疾患がある。
そのことを誰にも悟られず、日葵と真宵は生きている。
「……大変なことになったなぁ、俺」
今後のあれこれを察して悟った笑みを浮かべた一絆は、全てを諦めて布団の中に潜る。これから巻き起こる百合に挟まれた弊害を考えるが、なにもできないから諦める。
取り敢えず生き延びたい。
力ある者にペコペコ頭を下げるのが今の最適解。いつか独り立ちしたい。
「無理かも」
並行世界生活一日目。一絆の心労が絶えることは無い。




