第8節:愛紡ぐ希望の旅曲
───もう、どうにでもなーれッ!
数刻前、数日前、数年前。時間の感覚もわからぬまま、意味もわからぬまま神に器を奪われたカーラ。未だ理解ができてないことが多いが……主導権を奪われた肉の器は、テコの原理でも動きそうにない。発声すらできやしない。
意識は朧気な状態にあり、微睡みの中にいる感覚で宙を漂っている。散発的に意識が覚醒するのを狙っては、状況把握を試みてはいるが……言うほど上手くいってない。
……まぁ、やる気を失い、失意のどん底にいるカーラにそこまでできる気力はないのだが。
唯一理解できたのは……とんでもない所業の押し付けを喰らったことだけだ。
───これぇ、ボクやってんねぇ? わーやらかしてんね。地球オワタ。なんで地球??? エーテルはどこ? あっ、なんかもうバラバラに……はわわ……
相変わらず詰んでんなぁボクの運命。死にたすぎる。
前世の故郷が蹂躙されている光景は、多少なりとも思うところはあった。唯一気になるのはここが前世住んでいた世界線の地球なのか、それとも他の世界線の地球なのか。それだけだ。
ご存知の通りカーラが滅ぼしたいのはエーテルであって地球ではない。だから木っ端微塵になった第二の故郷が、見ていて爽快感があったのは隠しようもない事実。知らずバイブスが上がって脳内リサイタルを開催してしまった。
でも地球を巻き込むのはおかしくないだろうか。ボクは望んでいないんだが。
自分の悪業が、他人の手……触手で増えてしまった。
まず自分自信の手でエーテル世界を滅ぼしたかったが、間接的に叶えられてしまって遺憾の意。こいつの寄生から解放されたら即座に引導を渡すと決意した。
そしてカーラは考える。まず何故こうなったのか。
自分の身体に寄生してまで、世界を滅ぼした理由。
外なる神がカーラの願いを成就させる為───この線は薄いと彼女は考える。何故なら「死にたい」や「ここから出たい」などと願った覚えはあるものの、代わりに世界を滅ぼしてくれとか、手伝ってくれとは一ミリも願ってない思ってない一言も言っていないのないない3連だからだ。
……もしかしたら自分も把握できていないぐらい微かに思っていたのかもしれないが……それとも、夢を歪ませて曲解させた願いを叶えるという、この神特有の詐欺の証拠だろうか。
取り敢えずカーラは激怒した。
難しくて考えるのを放棄した。
邪智暴虐な謎肉生命体を殺さねばならぬと死に吠えた。散々死に損なう生き汚さを見せつけた神に特大且つ最大のプレゼントをしよう。神瞳に蜂蜜塗りたくってたくさんの虫を寄せ付けるもよし、切り刻んで鍋にして瞳の下の口に自食させるもよし、衝動のままにぶち殺すのも一つの案に入れる。
現状、夢想するだけで何もできないけど。
神嫌いの自分が神の言いなりになっているのに吐き気がするが、どうしようもない。承諾なく人様を取り込むのはやめなさいと教育は受けなかったのか。復活した暁には、徹底的にぶちのめしてペットにしようとカーラは誓う。
死なないなら死ねないように管理すればいい。不死でも心は殺せるのだから。
───それにしても、最近は随分と考える余裕ができた。気分が楽になってきたと言うべきか……さっきより思考がスムーズにできてる気がする。うーん?
何故???
なによりも不可思議なのは、この思考回路の前向きさ。完全には治ってないし、ふとした時に死にたいだのいっそ殺せと後ろ向きな思考に耽るが……旅の終わりの時よりもマトモだと自覚する。
かつて虚無を背負っていた時の倦怠感はあまりない。
まるで健常者の精神のような、そんなレベルまで精神が改善されていた。麻薬を疑うレベルの代わり用だ。決して全てが改善されたわけではないが、マシにはなっている。
……それが、外なる神の仕業だということは、朧気にも理解できた。
━━━???
不可解なのは、外なる神がそも認知すらしていなかったことだが。
───なんだこいつ。
━━━何故?
───こっちの台詞なんだよねそれ……自分の権能ぐらいちゃんと理解しとけや……
考えられるのは【否定虚法】と【無情闇無】の暴走。
外なる神に乗っ取られるさい、なんらかの不具合が起き精神に作用したとカーラは推測した。それ以外に該当する要素がなかった。
他の権能の月呪や嫌がらせである神呪の可能性も考えてみたが、やはり思い当たる節はない。結局のところ、この触手の塊が悪いんだという結論に至る。
───オマエはなんで願いを叶える? いや、正しくは……願いを集めてるの?
それ以上の熟考は無駄だとカーラは区切り、今度は己の見解混じりの問いを投げつける。触手の塊と単眼という、人外要素しかない願いの神に。願いを叶えるといいながらそうは見えない風貌の、怪物にしか見えない神へ問う。
そもそも、何故願いを司るのかも知らないのだ。まぁ、知ろうとも思っていなかったが正しいのだが。
カーラがわかっているのは執念深さと生き汚さ、そして願いを叶えようとする姿勢だけは本物で、形は歪曲すれど結果的には叶えていることだ。
その歪曲で世界が吹っ飛んだりしているのは、まぁ見て見ぬふりをする。
━━━存在定義。自己証明。夢叶えるハ■の使命、権能。
カーラの質問に、外なる神は流暢な思念で解を渡す。
───成程、そーゆーシステム。そんで、神も人も権能に生き方を縛られるのは変わらないと。
ハハッ、くだらな。それ、自分が空っぽじゃんね。
神は司る権能によって生き方を縛られる。
火を司るなら火に関する生き方を、水を司るなら水に、土なら土、風、雷、時間、未来、創造、破壊、雨、光……それら全て異なる権能を神々は個別に持ち、管轄し、己の力を行使する土台としている。
外なる神ならば、願いを叶える権能を下地に行動指針を決めているように。
例外として枠組みが違うが、カーラならば黒色を操り、月を司り、あらゆる理を塗り替える“支配と侵蝕”に連なる
権能を持っている。
つまり、この神が願いを叶えるのも、集めるのも、全て神の生態故に、ということ。
━━━■は不滅。永久無限に願いヲ叶エる為ニ■はアル。終ワルりなどはナイ。
聞いてもいないことを自慢気に豪語されたカーラだが、ふとナニカに気付いて首を傾げる。不死性の嫌疑に、既に崩壊しているであろう前提に思い至る。
それに気付けたのは……誠に遺憾だが、この神のお陰と言える。
───多分、次はないぜ? 終わっちゃうと思うよ?
死を待ち望むが故に死の嗅覚に敏感なカーラは、期待を損ねるようで悪いが、もう無理だと真正直に神へ告げる。リエラの極光、カーラの侵蝕、度重なるエーテル世界最大火力をぶつけられたせいで、その神核が既にボロボロだとわかってしまったから。
修復不可能なまでに壊されて、自覚もできぬまま、もう無理だと宣告する。
カーラは知っている。不死は無限にあらず、それ相応のエネルギーを消費することを。身をもって知っているからこそ忠告する。
それは善意ではない。特に理由はない。思いついたから告げるに過ぎない。それでも、それに意味を付け加えるとするなら……現実を突きつけ神の反応を見る為だろうか。
━━━???
───あっ、あー、うん。なわでもないよ。好きに暴れ。気にしないでいいよ……こいつの精神性、ワンチャン幼いガキなんじゃね……?
んんー、まぁ関係ないか。さっさと終わらせて、ボクの身体から消えてくれ。
━━━是。
───??? 聞き分けいいね……
━━━?
これが最初で最後の会話。カーラが生まれて初めて心底嫌悪する対象に歩み寄っ……歩み寄らざるを得ず、結局はなあなあで終わった交流となった。なんだか拍子抜けで、好き勝手人様の盤面を引っ掻き回してくれやがった塵とは思えない素直さに当てられてしまった。
無垢すぎというか、産まれたての赤子みたいだなと数回雑念が脳裏を過ぎるが、それ以上に思考のリソースを割く必要もないかと神への興味を放り捨てる。
……どうにも佳境に入ったのか、これ以上の干渉接触は以降無かった。
───早く終わってー、だーれか殺してー。
黄色いポンポンを可動域限界までぶん回して、カーラは外なる神と対峙しているであろう、顔も知らぬ誰かを一人応援する。ここ数分は外界を把握できないが、それは神に情報遮断されているとわかっている。
そうするということは、カーラに余程見られたくないと思っている証拠だろう。
そんなせめてもの抵抗をカーラは大人しく受け入れて、早く殺されろーと頑張ってる相手を応援する。ぶっちゃけ無理だろうけどと付け加えたし……ふと、懐かしさのある気配の魔力、極光に意識を奪われる。
精神体に視覚情報が送られ───極光を叩き込む、あの死に別れた友の勇姿を、復活した勇者を遂に認識する。
驚愕、歓喜、懐疑、希望、戦意、希死念慮が溢れ出る。
───ぅぇっ、なん……リエラ? リエラなんで……いつ、生き返っ……待ってぇ? それボクごと斬る気か貴様ァ……おい本気かよちょっちょっ待っ待っ───!
死ぬッ!!!
愛しき宿敵との、5000年ぶりの再会まで……後16秒。
◆◆◆
星を照らす極光は、天災に見舞われた世界全土に届く。
聖なる光と大いなる闇の重ね技。四度目はない、絶対に終わらせるという意志の元、リエラは神格に甚大すぎる、桁外れのダメージを食らわせた。
聖剣と月の呪いに当てられた触手が石灰となり崩れる。
不死の許容限界。あまりに強大な一限はキャパシティの上限を貫いて、外なる神に完全なる死を齎す。文字通りの完全崩壊。再起不能の復活不可。残っていた神力の余力も消し飛ばした光と闇の斬撃は、概念すらも打ち砕いた。
断末魔を上げる暇もなく、寄生先から離れた矢先に色が白くなっていく触手を散り散りにして、外なる神は完全にこの世を去った。
「神様に来世があるのなら……次は真っ当に生きてよね。また討伐しなきゃいけなくなるの、普通に嫌だし……対話できるようになったら、その時は話そうね。
…………さて」
そう呟いて、異形から解き放たれたカーラを見つめる。リエラの一方的な蹂躙で大きく砕けた魔鎧は、もう守護の意味を成せない。
砕け散った魔鎧が裸体を晒す。滑らかな白い肌と一部が黒く染った腕を見せる。そのままでは全てが露になる……その寸前に何処からか現れた闇が煤のように吹き荒れて、カーラの秘所を隠す。一枚の布を身体に巻き付けたように闇を纏わせて、長い眠りから魔王は目を覚ます。
神の残滓を色濃く残す魔王が、虚無に浸っていた魔瞳を見開いた。
「………久しぶり、だな。リエラ」
覚醒と同時に目に入った勇者に、カーラは薄く微笑む。昨日今日の感覚であるリエラとは違い、カーラにとっては正しく5000年ぶりの再会。歓喜に震える心を押し殺し、平静を装って戯れに洒落込まんとする。
その出で立ちを見るだけで懐かしさに浸りたくなるが、そこまで喜べるほど今のカーラに余裕はない。
消し飛んだ神の干渉でも、千年で培った虚無は治らず、諦観の退廃はその身に纏ったまま。
亡霊のように宙を佇んで、カーラは狂笑を浮かべる。
「礼を言おう。まさか、ここまで容易く神を屠るとは……流石は、私が認めた勇者だ。本当にすごいよ、オマエは。正直言ってここまで完璧にやるとは思わなかった」
「……カーラちゃん」
「でも私ごと斬る必要あった? 死ぬかと思ったんだが? やり返していいか?」
「ごめんなさい」
「……はぁ、調子が狂う。何故毎回そう謝る? 謝罪精神にステ全振りしたのか?」
「ごめんって。だってこれが最善策だったんだもん」
「だもんじゃないよ……あぁ、ったく……これだから……うん、懐かしいなぁ。この感覚」
完全鉄壁の無表情が緩む。精神が肉体に引っ張られる。異貌が歪む。会話のテンポ感、待ち人の声、温度、それら全てが懐かしくて……いやでも溜飲が下がってしまう。
文句を垂れて、笑いを堪える。
その変わり様を見たリエラは、なんだか違和感を感じて首を傾げる。自分が知らないカーラの今の姿。以前よりも表情が柔らかすぎて、驚愕や安堵よりも疑問が勝つ。
けれども、そんな違和感は一先ず横に置いて、リエラはカーラに会話を振る。
……カーラ自身は異様さに気付いていないのか、疑問を抱く素振りすら見せない。
「……厶、神の残滓が無い。本当に消滅したのか、あれ。やはりヤツの本質は理解に苦しむな……私が助かったから良しとするか」
「わかるの?」
「あぁ、寄生されてた影響でな。だが、こんなものか……舞台装置の面目躍如といったところか?」
「そうなの?」
「そのまんまの意味だよ……所詮、この世は神の為にある舞台でしかないしね」
「そんなこと、ないと思うけど」
「そうなんだよ。悲しいかな、これはね、変えようがない世界の根幹なんだ」
随分と悲観的な言葉で否定するカーラに、リエラは益々違和感を感じる。かつての言動を知っているが故に、その変わり様は不思議でしかない。
神の所業を嘲笑うのは相変わらずだが……
やはりおかしい。狂ったように陰鬱とさせた雰囲気と、キャッキャッと悦に浸って笑う二面性。何処か、ボタンを掛け間違えたかのような……おかしな陽と陰の両立。
自分がいない間になにがあったのか。もうリエラは我慢できないと質問する。
「ねぇ、私がいない間に……なにがあったの?」
その返答は、色を失った無表情。
「なにも。なにもなかったさ───ちょっと隙を突かれてやらかしただけ」
「……本当に、大丈夫?」
「あぁ」
心配して聴いても、返ってくるのは気にするなの一言。何処までも一線を引くその態度に、だんだん言い様のない苛立ちが募ってくる。
言えよ。隠すなよ。死んだから? 死んでる間の事なんて知らなくてもいいと?
死んだ自分が悪いのはわかっている。
それでも隠されるのは頂けない。だって隠されたら……手を差し伸べるもないのだから。
「聞くよ、カーラちゃん」
「なんだ」
「私が死んでから、何年経ったの? 私がいない間に、何があったの? 私がいなくなってからどう過ごしたの。ねぇ、包み隠さずに、全部教えてよ」
「……イヤだ」
「カーラちゃん」
「イヤだ。言わない……ホントに、なにもなかったんだ。ならば、聞くまでもないだろう?」
「嘘つき」
わかりやすい嘘に、リエラはなにがあったのかを悟る。
意固地になって拒絶するほど、言いたくないと言い張るカーラに、余程のことがあったのだなと理解してしまう。自分が不在だった過去を悔やむ。
あの日のカーラの警告通り、常に警戒維持していれば、注意を怠らずに探索していれば、また違った未来がここにあったかもしれない。
心臓を貫かれた後、カーラから提案された延命方法に、もっと感心を見せるべきだったかもしれない。
そう悔やんでも、過去は変わらない。
語りたがらないカーラは、もう仕方がない。これ以上は平行線。このままではらきっと答えてくれやしない。もう無理なのだとわかってしまったから。
きっともう、心が限界なんだ。
耐えられないのだ。ギリギリをふらつき、いつか壊れる未来を待っている……そんな歪な精神に陥っているのだとリエラは見抜く。
だからこそ、話を強引に解決へ持っていくことにした。
「カーラちゃん」
「……なに」
「戦お」
「……は」
「もう無理には聴かないよ……でも、それはそれとして。やらなきゃいけないことをやらないと。そう、例えば……私たちの決着を、つけるとかさ」
「……」
「ど?」
強硬手段、ぶつかり合って心を通わす。雁字搦めの心を紐解いて、重たくなった心を軽くしてやる……古来より、戦の最中は無駄なことを一切省かないと息ができない。
勝つ為には勝つ為の思考が必要だ。
つまり、一旦思考をフラットにしてやることやれば多分元気になるだろう理論である。ハッキリ言って望み薄だがそれはそれ。これ以上の方法は思いつかないから、自分ができる最大限でカーラを受け止める。
困惑したままのカーラを抱き締めて、背を優しく撫でて落ち着かせてやる。
……抵抗は、ない。
「なんで」
「大好きだから。辛い思いをしている人を、虚勢を張って我慢している人を……私は見捨てるなんてできない。なら手を差し伸べるしかないじゃん。それに……戦ってれば、もう難しいことなんて考えられないでしょ?」
「……脳筋め」
「賽の河原で殴り合うのが友情だ、って言うしね」
「色々混ざってる」
「え?」
死なないと友情を深められないとは、あまりに酷い。
致命的欠陥しかない格言()をリエラに教えた中途半端な嘘つき基勘違いは何処の誰だと追及したい気分を抑えて、カーラは考える。
この鬱屈とした想いが、晴らされるモノなのか。
戦いなどで、リエラとの触れ合いで、解けて溶ける代物なのか。
わからない。わからないが故に、カーラは忌避する。
そして、その拒絶を捩じ伏せるのがリエラなのだと……カーラは思い知る。
「あと言いたいのは……私が、カーラちゃんの苦しみを、受け止められないと。本気で思ってるの?」
「……くはっ」
まっすぐぶつけられる揺らぎない自信に、カーラは己がどれだけ馬鹿げた悩みを抱えていたのかを知る。そうだ、この女はこういうヤツだ。
何故忘れていたのだろう。こっちの言い分なんて聞かず突き進んで、悩みも苦しみも切り払う女であると、自分は知っていた筈なのに。
心が揺らぐ。
プライドをへし折ってでも、本音を伝えるべきなのか。リエラならば、この寂寥も、絶望も、苦痛も、何もかもを平らげてくれるのか。淡い期待がカーラの胸中を渦巻く。
否定していいものか。
受け入れるべきではないのか。
無視すべきではないか。
先に死んだくせに、殺せもしないヤツに何を希望するというのか。
……仮に話すとして。何処まで伝えるべきなのか。
本音を隠さずに伝えるのは、果たして正解なのか。
己すらも偽ろうと心に決めたのに───どうにも上手くいく気がしない。
リエラと対面してから全てがおかしい。
自分の心に整理がつけれない。誤魔化し方ってのがあるだろうに、それすらも上手くいかない。いつもなら簡単にできるのに。
自分が自分じゃないみたい。
どうしようもない愚かさに、弱さ拙さに目を瞑ることもできやしない。
「どちらにせよ情報を抜く気だろ」
「あれ、バレた?」
「ふん……だが、私よりも優先すべき厄災が、丁度あると思うんだが」
「そうだね。地球とエーテル、どっちも救わなきゃ勇者の名折れだよね……でも、そこは心配しなくても大丈夫」
「は?」
「世界のことはね、全部任せてきたの」
「……なに?」
任せた……誰に、何を。世界を? 使命を捨ててまで? 勇者なのに? 魔王討伐を優先するのは、いい。ならば何故ここまで会話に応じる? 先の一撃で神諸共、怨敵を同時に屠ってしまえば良かったのに。なにをしたい?
わからない。リエラ・スカイハートがわからない。
リエラの代わりに世界を救える存在など見当もつかず、理解したくなくて脳が拒む。
「聖女神様が言ってたの───詳しくは、うん……ほら、気配探知とか、魔力探知とかしてごらん?」
「………ドミィ?」
「ね」
言われてやってみれば、覚えのある魔力が、親友である魔女ドミナの存在を感知できた。決して近くにいる訳ではないが……容易く見つけられる程、随分と荒々しく魔力を練っているのがわかる。
今、リエラはなんと言った。それが本当ならば、彼女が二つの世界を救う為に奔走していることになる。
世界を滅ぼす手伝いをした王の側近、領域外の魔女が。
追及したい気持ちでいっぱいだが……確かに、ドミナに任せればなんとかなるなと察すことができた。ヤツならばできない筈がない。
問い質す時間はもうない───だが、リエラと対話する時間だけはある。
「何を考えてるんだか……クソっ、逃げ道を絶たれた」
「最初から用意してないもん」
「だろうな。ところで、オマエいつまで私にくっついてるつもりなんだ?」
「ずっと♡」
「やだ……」
抱き締められるのを心の底から嫌と嘘偽りなく告げるが聞く耳を持たれず、リエラはカーラから離れない。なんでそこまで接触したがるのか。死ぬ前よりも酷くなっている気がする。
なんだか言っても無駄な気がして、カーラはそれ以上の抵抗を諦めた。
それに……ここまでお膳立てされたリエラのやりたいを先延ばしにするのも、なんだか憚られたから。
殺し合う道を優先するのも、まぁアリだと思えたから。
「私が望むのはあの日の再演。想いの全部を、怒りも全部ぶつけて欲しいの。好きだらね。カーラちゃんの全部を、私は受け入れたいの……ダメかな?」
「……やっぱ、めんどくさい」
「ぇー、揺れるなぁ。でも、大丈夫。もう二度と、貴女を一人になんてしないから。今度こそは……カーラちゃんと眠るからね」
「約束?」
「うん!」
……あぁ、そうだ。そうだった。私を堕としたのはこのぬくもりだったか。
直に感じる人肌のぬくもりに、何処まで言っても拒絶を選びたがる思考が落ち着いていく。鈍化していく思考は、リエラの言葉一つ一つを、ゆっくりゆっくり時間をかけて咀嚼して、己の求める答えと当て嵌めていく。
受け止めてもらいたい。
殺してもらいたい。
お話がしたい。一緒にいたい。ご飯を食べて、遊んで、もう何にも悩まず、引き剥がされずに生きていたい───勇者リエラと、死にたい。
……もう、意固地にならなくてもいいか。言われた通り全て曝け出してしまおうか。
「……甘えていい?」
「いいよ」
「暴れるよ?」
「うん」
「いいの? 私が暴れたら……世界、もっとめちゃくちゃになっちゃうよ?」
「だいじょーぶ。私は、頑張る人を信じてるから」
「……そっか。オマエらしい回答だ……なら、その言葉に甘え、て───…」
その時。何度目かもわからぬ激突の、最初のやり直しを受諾したカーラに、異変が起こる。
「カーラちゃん?」
「……ぐっ、ぅ……ごほっ……あ゛?」
「!」
喉を抑える。なにかが迫り上がって、喉を逆流して……耐えきれず溢れ出た“赤色”に、目を奪われる。ボトボトと溢れる命の色に、カーラだけでなくリエラも固まる。
いきなりカーラが吐血した。
不可思議なのは、赤い色なこと。カーラに血などない。あるのは黒く濁った負の煮凝りのみで……流血するのなら黒色の液体が流れるべきだ。
なのに、赤い色。文字通りの鮮血がカーラを侵す。
「な、にっ……ごふっ、なんで……」
「っ……あぁ、そっか」
「んぐっ、ごふっ………ぅぇ、う、血がっ……まっず……おぇ……」
生まれて初めての───人間時代の前世振りの吐血に、身体が拒否反応を起こす。肉体が内側から焼かれるような不快感。あまりにも気持ちが悪くて、苦しくて堪らない。そんな言葉にならない激痛にそのに身を蝕まれる。
人外味のない赤色に思考が停止する。
生き物を象徴する色。生きている証。カーラにとってはその限りではないが……異常に苛まれる思考に、現実逃避できる程の安らぎはない。
不可解な器の異変。何故。何故こんなときに!
この身体が、死に瀕している。死なない筈の、死ねない運命にある魔王の魂までもが。
終わりが来たのだと、もう死ぬのだと、魂にすら訴えて泣き喚いている。
久しく感じていなかった赤い命の結晶が失われていく。不調にふらつく身体を、返り血に濡れたリエラがやさしく抱き留めることで支えてくれる。
胸元への吐血に嫌な顔一つせず、茶化すこともしない。
不快感で思考がままならないカーラを決して壊さぬよう手加減して、それでも力強く抱き締める。怖いのはカーラだから。己のぬくもりで、安心して息が吸えるように。
……その想いが伝わったのか、カーラの震えは止まる。呼吸も安定していって、動悸も収まる。
「大丈夫だよ。ほら、深呼吸して」
「すーはー、すー、ッ、ぅ、おえっ……うぅ……ごふっ、ごほっごほっ、うぷっ……はぁ……」
「いいよ、全部吐いて」
「汚いから、ヤダ……うわ、ごめん。今綺麗にする」
「別にいいのに」
「……得体のしれないモノを、軽々と受け入れ、んな……あぁクソ、イヤになるッ」
胸元を赤く血で濡らしたリエラに申し訳なさを感じて、カーラは少しだけ身体を離し、汚れてしまったその胸元に手を添える。
理由はわからないが、今はともかく。
権能を使って綺麗にする。それも、神に封印されていた世界に干渉する塗り替えの秘術を使って。
「【否定虚法】───“私の血の汚れを否定する”」
「わっ、消えた?」
「あー、例の神共に封印された権能の一つだ。言ったろ、使えてたらなんでもできるってヤツ」
「おー! 成程! ……なんで使えてるの? 封印は?」
「オマエが殺した触手の寄生目的の一つだ。使いたいから剥がされたらしい」
外なる神の目的でカーラを縛っていた権能潰しの呪縛は失われた。世界を滅ぼす為の道具として使われた権能は、万物を否定して塗り替える。
概念や事象、理から記憶、物質非物質に問わずあらゆるモノを自分の思うがままに書き換える力なのだ。使わないわけがない。
……未だその身を蝕む不死の神呪は残ったままだが。
「ッ、はぁ…何……ぐっ、まだ止まらん……ありえん……聖剣の影響、か?」
「どうだろ……でも、心当たりはあるよ。というか、多分これじゃないかな」
「なに?」
零れる血に溺れそうになる。最早致死量だろうと思える滂沱に幾度目かの不快感を覚えたカーラだったが、なにか意味ありげに俯いて呟いたリエラに目を向ける。心当たりとはなんぞやと。
……そして、その手を見てふと気付く。
右手に握られているのは聖剣。5000年もの間無理して傍に置いた、カーラにとっても思い入れが……まぁ別に、ないわけではない勇者の神器。
だが、視線の先は聖剣にあらず。違和感を感じたのは、その剣を握る、手の甲。
───碧く発光する剣の紋様に、カーラは目を奪われる。奪われて、続けられた答えに言葉を失う。
「もう一度、言うね。私は、約束を果たしに来たの───ここまで言えば、もうわかるでしょ?」
約束。遥か昔、己の命の最期を預けた……その約束?
「今更それが………、…待て。いや、まさか……そんな、そういう、こと?」
───魔王カーラを斃せるのは、この世にただ一人。
「そんな、馬鹿な……キミが?」
ありえる。
いや、まさか。だが、この自信の強さは、この痛みは、この胸を貫く確信は───
「くふっ、くはは、ははは……すごい、なぁ……本当に。なんだってそう、私の予想を裏切れるんだ……や、期待を裏切らない、だな」
「信じてくれるの?」
「信じるさ。いらん嘘をついてまで、私をぬか喜びさせる女じゃないことぐらい、ちゃんとわかってる」
「うれしいな」
「くくっ……」
完全に、拒絶する理由が無くなった。
表情を青ざめたまま、カーラは歓喜に震える。かつての絶望しかなかった旅路を思い返して、これまでの苦難は、この日の為にあったのだと結論付ける。
いつかきっとを繰り返して、もう手に入らないと諦めていたのに。
予想を裏切って、カーラにとっての希望を手に、勇者はまた現れてくれた。
死を渇望するその果てに、やっと出逢えた奇跡に笑う。カーラの涙混じりの笑顔にリエラは微笑む。
その期待に、不安を安心させるように、リエラは切望を肯定する。
「長い間、待たせてごめんね───やっと殺せてあげる。覚悟はできてるかな? 私の魔王様!」
終わりを庶幾う友を救いに、魔王の勇者は現れた。