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まおー様、逝っきまーす!  作者: 民折功利
楽園終日譚
18/51

第7節:歪んだあの日の夢と宙


───それは、昔昔のお話です。

 かつてエーテル世界では、世界を滅ぼす意思と、世界を救う意思という、相反する二つの力が100年ぶつかり合う戦争が起きていました。

 その戦争自体は、呆気のない終わりを迎えます。

 両陣営の最高戦力、勇者と魔王の異界追放をもって……国家・種族単位の戦争は中断されました。休戦でも、停戦でもないあやふやな結末の理由は、確かに他にもありますが。


 そんな異界に追放された勇者と魔王は、狭間へと永遠に閉じ込められても、お互いに嫌悪を隠さず、無限に広がる白一面の異界から脱出する為、定期的に、それこそ頻繁に殺し合いながら探索を始めました。

 勿論最初は啀み合いました。

 何処までも果てなく続く、終わりのない白に言いようのない恐怖を覚え、手を取り合うまで、二人は不理解のまま生きる選択を最良としていました。

───それは必然だったのかもしれません。

 勇者と魔王は“親”になりました。思想は変えず、生まれ故郷をどうこうする意思に一切の変わりはありませんが、二人は仲良くなれる道を辿りました。

 過去を共有しました。

 想いを共有しました。

 衷心を共有しました。

 不理解を是としていた、水と油の関係であった二人は、彼女たちが思っていた以上の仲になりました。


 ですが、二人は死によって離れ離れになります。


 根深い因縁のある白き群塊。歪み捻れる願望器は執拗に二人を狙い、遂に本懐を果たす機会を得ます。

 勇者は魔王の腕の中で死にました。

 魔王は勇者を幻視して、壊れて、疲れ果ててしまって、最後は大いなる×××の神の分体に、その身を取り込まれて眠ってしまいました。


 外からやってきた神の顕現、侵略は、全てを混沌の渦へ落とします。

 そう、混沌に落ちるのはエーテル世界だけでなく。


───魔王カーラと由縁のある、本来交わる筈のない他の世界さえも。





◆◆◆






「ママー、あれなにー?」


 日本時刻午前10時───地方にある街の公園で、母親と休日を楽しんでいたその少女は、これから始まるすべての悲劇の原因、神の人形を目撃する。

 指差す方向は空。

 娘が指差す方に、母親は目をやれば……青く澄み切った空の向こうにナニカがいるのを発見する。

 そこに浮かぶのは、黒い物体。なにやら蠢いていて……辛うじて人型を象っているような、不気味で気持ち悪い、見る者全てに恐怖を与える闇そのもの。

 純粋で幼いが故、なにもわかっていない娘は、UMAを視認して恐慌状態に陥った母親を、不思議そうな顔をして揺すっている。

 最後まで、死の予感に気付かなかったのは……きっと、幸運だと言えるだろう。


 そんな眼下の様子など興味もない“黒”は……ゆっくりとその手を地上へ向ける。


 高まる魔力が濁った空気を震撼させ、青い星を脅かす。


───空が黒く染まる。

───ドロドロと蠢く闇が青空を覆い、日本どころか世界全てから自由の空を奪う。

───空間が軋む。

───大地が揺れる。

───星が泣く。


───無貌の願望器が、二つの世界を跨いだ“願い”を……ここで叶えんと。


「【■■■】」


 惣闇色の極光が、地球から街を一つ消し去った。




───世界の崩壊はここから始まった。

 地球全土を襲う、同時多発災害。“外なる神”に精神まで乗っ取られた魔王が行う、概念の干渉と歪曲によって連鎖する天災の数々。現地に残存し、信仰の減少で弱っていた神格までもを食らい、力に変え、その猛威を増幅させる。

 崩落する大地。穴底へ落ちるビル群。

 荒れる海に呑まれる地上の全て。大火災、竜巻、局地的地殻変動。一都市どころか、国すらも軽々と滅ぼす厄災が一度に世界を襲う。

 かつて魔王軍が設計した“魔法陣”から着想を得た破滅の光線は、星の核に致命的なダメージを与えた。その攻撃をきっかけに地球は荒れ狂った。

 絶叫は聞こえない。

 世界の終末には誰一人として抗えず、無慈悲にその儚い命を散らしていく。


 そして、神は追撃として───カーラの封印されていた権能を復活させ、二つの世界の距離を縮めた。

 次元を超えた先にある異世界、エーテル。

 100年戦争が終わってから50年と経っていない世界は、外なる神の操りで次元を運ばれ───地球という、欠片も繋がりのない世界と、空間を通して衝突する。

 物理的ではない概念的な接触。

 力技で成し遂げられた神と魔王の御業は、滅びの危機に瀕していたエーテル世界を叩き割って───バラバラに、木っ端微塵に破壊する。


 衝突のエネルギーは地球にも伝わり、空間は軋みあげ、亀裂が広がって異常な光景を世界に描き始める。

 天災はより激化し、世界を跨いだ終焉は止まらない。


 神魔へ変貌した魔王の降臨、二つの世界の神為的接触、もとい次元衝突。

 それこそが、後に“魔法震災”と呼ばれる悲劇の正体。


「【■■■■■■■■───…】」


 すべては世界を滅ぼす古の願いを叶える為に。

 すべては故郷に帰りたいと願った、誰かの言葉にはない願いを叶える為に。

 すべては死を望む宿主の願いを叶える為に。

 すべては万物の願望器たる己の本懐を遂げる為に。

 すべては、すべては、すべては───過去に願われた、すべてを叶える為に。


 神魔の凶行を止めるモノはいない。

 一切合切が終わりへ向かう。救いなんてない。希望すら用意されていない。許されているのは、大人しく破滅を、死を享受することのみ。

 魔王カーラの神秘と、外なる神の神秘。

 重ね合わされた滅びの奔流が、破片の一欠片も残さずに二つの世界を終わらせる───その時。



「や、三度目まして───アナタを、終わらせに来たよ」






───希望の旗印が帰還する。






◆◆◆





───閉ざされた箱の中。永遠の眠りにつき旅立った筈の英雄少女は、滅びの音色を耳にして目を醒ます。

 覚醒と同時に、勇者は棺を拳で破壊し飛び起きる。


「ッ、ぅ……、今の音、は……あれ?」


 破片となった蓋を横へとかしながら、目覚めたばかりの勇者は困惑に首を傾げたまま周囲の警戒を怠らない。

 敵影の数は0。

 邪悪な気配は───遥か遠く、何処か感じた覚えのある空気感に目を細める少女は、一先ず今居る場所は安全だと判断してから……


 ここが、最期に見た白一面の“狭間”ではないと気付く。


 蘇った勇者───リエラの目に映ったのは、己と四方を取り囲む岩の絶壁。ところどころ鉱石が見え隠れするその空間は、最近掘られたばかりの様子。

 そこは、地下深くまで貫かれた、巨大な縦穴の底。

 それも、下から上へと掘り進んだような……螺旋へ堀り抜かれた大空洞だった。地下を照らす天井からは、漆黒の天蓋が空を塞いでおり……その光景は、否応にもあの戦争を想起させる。


 自然では作れない形状の穴底で、リエラは首を傾げる。


「……いや、ここどこ。カーラちゃんもどこ?」


 というか、私って死んだよね? んん……なにこれ。


 頭を捻るリエラだが、彼女はしっかりと死ぬ直前までの記憶を保持している。外なる神に心臓を貫かれ、滅して、最期はガーラの腕の中で眠りについた筈。

 だが、何故かリエラは今───意識をもったまま穴底に立っている。

 アンデッド特有の肌質や気配はまず感じられない。

 自分は生者であるという実感、確かな確証がある。故にわからない。転生、ではない。姿形が変わっていないのは鏡を見なくともわかる。蘇生された、ということか。でも理由がわからない。やらかしてそうなのは、強いて言うとあの魔王だが……できそうな彼女が今この場にいないのが不可解だった。


 夢などではない、これは確かに現実の光景だ。しかし、現状はわけも分からない。

 何が起きているのか。何があったのかも不明。

 ……わからないことは後回し。一先ずはここにはいない親友を見つけようと、リエラは全神経を研ぎ澄ませて……


 強化された聴覚に、世界を壊す轟音が再び届く。


 音と共に大地が崩れ、流れ落ちる土砂が穴の底へと積み重なっていく。それを器用に跳ねて避けながら、リエラは空を目指して飛翔。

 寝ていた判定なのか、全回復していた魔力と身体能力で縦穴を駆け上がる。

 その最中思うのは、この謎めいた地震。

 まるで誰かが暴れているかのような。そんな不気味で、現実味のない壊れ方をしていく現状を、勇者が黙って見ていられるわけもなく。

 リエラは目を細め、捜し物と同時にこの音を止めようと空を飛ぶ。


───地上は、草一つない荒野が広がる極寒の大地。

 黒く黒く塗り潰された寒空の下、凍て刺す空気を全身で浴びながら……リエラは思考を纏める。

 何故生き返っているのか。

 傍にいない、最愛となった彼女はどこにいるのか。

 そもそも、ここはどこなのか。あの───水平線を蹂躙する天災はなんなのか。


 答えの出ない疑問が脳内をグルグル回る中、これ以上は考えても仕方がないと切り替える。あらゆる懐疑、疑問はやっぱり後回しにするしかないとして、リエラは目覚めた荒野から、騒ぎの元へ飛んで向かおうとする───…


 そんな時。彼女の耳朶に、清流のような優しい声色の、聞き覚えのある声が響く。


『───リエラ。聞こえますか、リエラ』

「!?」


 立ち止まった彼女は、咄嗟に耳を抑えて声の主を探す。


「……この、声は………聖女神、様?」

『はい、そうです。人間上がりの新米女神、過労寸前無償労働の功績が認められて神になった元聖女です……あぁ、安心なさい。今度こそ偽物じゃないですよ』

「そこは疑ってないです!」

『ならいいのですが』


 脳内にそっと語りかける声の主。姿形が見えずともその正体を知っているリエラは、驚愕で開いた口が閉じない。そう、かの声こそリエラを勇者に導いた女神。人類の隣人であり、元人間の聖女である、神の一柱───聖女神。

 エーテル世界において、敬虔な信徒でありながら人から神になった初の事例であり、純粋な神よりも下界の人類に寄り添う、未熟ながらも格の高い女神なのである。

 100年振りに聞く自分とカーラ以外の声は、女神らしくリエラを安心させる声色を持っていた。


「おおお、お久しり、です……その、えっと……」

『あぁ、ごめんなさいリエラ。本当ならば貴女との再会を喜びたいところなのですが……今はその時間すら惜しいのです』

「……理由をお聞きしても?」

『えぇ』


 姿を現さないまま、何処か焦った様子の聖女神の声に、リエラは不思議に思いながらも耳を傾ける。


『まずはこれを。貴女が知りたい全てを、私は伝えます。その為にも、この場所について教えないといけません……理解する為にも、知っておくべきですから』

『───さぁ、私の声に身を委ねて。目を瞑りなさい』

「はい……」


 神の言う通りに目を瞑れば、瞼に塞がれた視界が歪み、リエラの瞼裏に鮮明な映像が転写される。

 それは見たことのない景色───異世界の情景だった。


「こ、れは……エーテル、じゃ……ない?」


 魔法文明で築き上げられた世界観を生きるリエラはまず知らない、機械文明で完成した異世界の光景。見たことのない材質でできた背の高い石色の塔。乱立する不揃いな塔が目立つ人の都。山頂に白雪が被さったなだらかな蒼山。魔導王朝が建造した列車を彷彿とさせる、煤煙を吐かない四角い鉄の箱。綺麗に舗装された道を走る、色とりどりの大小様々な箱の群れ。

 奇妙な建物、見知らぬ道具。己の世界にはない、衣服や装飾の数々。


 情景の全てが未知で彩られた、新鮮味しかない別世界。


 冒険好きなリエラは、その光景を見るだけで心が踊る。それが場違いな感情だとはわかっていながらも、自分の心には嘘をつけない。

 浮き足立つ心をなんとか落ち着けて、再び聖女神の声を拝聴する。


『───ここは地球。私たちが生きていたエーテルとは、世界の壁を隔てた先にある、本来なら交わることのない程遥か遠くに位置する、異世界の一つです。

 我々とは違い、魔法やスキルといった“普通”がない……科学や機械と呼ばれる人の技術をもって築き上げられた、人間だけが繁栄する発展世界です。

 そして───』


 次々と映像が切り替わる。

 今まで見せた光景が過去の情景であること、今これから見せるのが現在のなのだと言外に伝えられながら、新しい景色がリエラの目に映る。

 そこに映っていたのは……


「っ……これ、って……!?」


 複数の都市を襲う天災の数々。

 人々を飲み込む波。国を焼き尽くす大火。天空を征する巨大な暴風の渦。震動によって崩れ落ちる都市群。

 地割れ、噴火、津波、崩落、洪水、台風……

 小規模なものに大規模なもの、エーテル世界でも異常と称せるレベルの大天災が複数同時に起こって、地球という星を破滅に追いやっている光景。

 ……よく見れば、あの忌まわしき白い異界を想起させる空間の亀裂や、そこから覗くのっぺりとした白色が幾つも空に開いている。

 知らず額に筋を浮かべるが、リエラは冷静を装い女神に説明を求める。


「これは、なにがあったんですか」

『……魔王カーラが齎した、世界の崩壊です』

「ッ!?」


 また映像が切り替わる。

 そこに映っていたのは、荒れた海上に浮かぶ球状の闇。殺意の混じった、黒色に濁った魔力が台風のように大空で吹き荒れ、激流のように渦巻く黒死の領域───注意深く目を凝らせば、暗闇の中心に見覚えのある人形があるのが確認できた。

 そう、それはリエラの最愛。

 不気味に変形した黒い魔鎧を纏い、濃厚で気持ちの悪い死の力を周囲に当たり散らす───生気のないカーラが、そこにいた。


「カーラちゃんッ!!」


 100年の旅路で大好きになった、なってしまった魔王。かつての宿敵であり、親友でもある異種族の恋人が、世界全土に厄災を振り撒いている。

 かつて見た時とは似ても似つかぬ、異形の「ナニカ」に変貌している、魔王の姿。

 リエラや外なる神との激闘で破損して、結局欠けたまま修復されず放置されていた魔王鎧。その欠損部を埋める、ぶよぶよとした黒い肉塊。それが金属と融合して、見るにおぞましい鎧へと変質させていた。

 両手と両足、挙句の果てには顔までもが肉塊に覆われ、脈動する肉塊は至る所から見覚えしかない触手を生やして蠢かせている。


 生物的で、冒涜的なナニカ───黒く染まった神魔へと成り果てた魔王が、縁もゆかりも無い他世界を、徹底的に滅ぼしにかかっている。


 ありえない。

 声を大にして叫びたい気持ちを我慢して、信じたくない気持ちで胸がいっぱいになるリエラ。なんでなのか。あの触手は見る限りアレのもの。融合している? 何故、なんでそうなる? カーラが神を受け入れるわけがないとわかっているからこそ、リエラは困惑する。

 聞きたいこと、言いたいことが溢れて……喉元を抑えて食い止める。


『……言葉が、足りませんでしたね。

 正確には、肉体と精神の両方を乗っ取られてしまった、魔王の手によって……です』

「!」

『安心してください。彼女の本意ではありませんよ』

「そう、ですか……よかっ、たぁ……いや、状況としては全然良くないんだけど……あの寄生虫め……」

『虫扱い……』


 己の死後、どういうわけか乗っ取られたというカーラ。先に死んでしまった自分、置いて逝った不甲斐ない自分に苛立ちを感じてしまうと共に、後手に回り過ぎている現状に唇を噛む。

 いつだって、私が動く時は手遅れなんだ。

 事が起きてから動く。ナニカが起きないと戦いにすら、救うことすらできない愚か者───


「んんっ……」


 ……いつの日かカーラが語っていた使えない願望器が、ようやく本領発揮したのだとリエラは推測する。カーラの身体と能力を勝手に使ってやらかしてくれたことはかなりキモイが、自分の意思で世界の崩壊を実行してはいないと知れたのは僥倖か。

 安堵の息、は吐けないが、最悪は回避した。友が狂って強行したわけではないことにリエラは安心した。


 ……しかし、聖女神は更なる爆弾をリエラに落とす。


『……地球だけではないのです』

「え?」

『つい先程。エーテルと地球の次元衝突を確認しました』

「次元、衝突……ッ、じゃあそれって!」

『はい。エーテルはバラバラに……砕けた破片となって、崩壊してしまいました』

「そんな!?」


 バラバラになって虚空に浮かぶ、故郷が視界に映る。


 生まれ育った故郷の情景が、共に戦って、旅を楽しんだ仲間たちの笑顔が脳裏を過ぎる。その事実をありえないと力強く糾弾したくても、そんなことできなくて。

 生き残った人々は、知っている人達は無事なのか。

 安否を考えるだけでも、ゾッとする。それでもリエラは悲鳴を押し殺して、心痛な面持ちで滅ぼされた景色をその目に焼きつける。


『……今、貴女がいる大陸の地下洞窟は、狭間と接続した最初の地点です。カーラを操るあの異邦の神は、すぐさま地上を目指してその大穴を作り上げ……地球を攻撃した。

 それがこの厄災の顛末。終わりの始まりなのです』


 思わず目を開いて、後ろに広がる大穴を見つめる。


 かつて必死に守ろうと抗って、救おうと頑張った世界は滅ぼされ、全く関係のない世界までもが、嫌いな神の手で最悪の絶望、滅びの危機に瀕している。

 その現実を受け止めて、リエラは悔いるように目を瞑り───前もって固めていた決意を、再び固める。


 二者択一の許されざる決意を、リエラは胸に灯す。


「……救う方法はありますか」


 リエラは聖女神に問う。世界を救う方法を───いや、違う。

 その本意に気付いている聖女神は、勇者のなにを思い、どんな答えを求めているのかをわかっていながら、わざと的を外した言葉を続ける。


『……今、地球はエーテルとの衝突、そして狭間と繋がる亀裂から溢れ出た魔力によって……』

「ううん。違うよ……違うんです。そっちじゃない」

『……まさか、とは思いますが』


 悪い予感が的中してしまった……そう捉える以外にない声色がリエラの耳に届く。

 それでも、リエラは確固たる意志をもって告げる。


「私が救いたいのは───カーラちゃんなんです」


 100年の濃縮された想いを、何処かから語りかける最も信頼できる、否、神の中で唯一信用できる女神へ伝える。

 それは勇者の使命を捨てると同義。

 壊れゆく世界ではなく、世界の怨敵を。恋した宿敵を。長い年月を共に旅したせいで絆された、絆てしまった友を優先する。優先順位が間違っているのは百も承知だ。それでもリエラは選ぶ。選びたい。もう手遅れな程に壊された世界ではなく、想いを手向ける魔王を助けたい。

 己の正しさを信じて、リエラはカーラに手を伸ばす。


「私は、なんとしてでも……カーラちゃんを助けたいの」


 神への宣誓。

 この意志は絶対に曲げないと、曲がることはないのだと強い心をもって聖女神に宣言する。不敬極まりない勇者の声明。例えリエラが勇者であろうとも、天罰を免れない。

 それを真正面から言われた、聖女神の判決は。


『いいですよ』


───あっさりと、勇者らしからぬ行動に許可を出した。


「ぅ、そこをなんとk……ぅえっ? い、いいの!?」

『なんです、反論されたかったのですか?』

「いっ、いやぁ……別に……そういうわけじゃあ、ないんですけど……ほ、本当にいいんですか!? 私、だいぶ無茶なこと言ってるんですよ!?」

『お叱りがお望みで?』

「あ、今更ですけど膝枕で説教は逆効果です。心地よくて反省もなにもなかったです」

『!?』


 反論非難、叱責をされると思っていた。否、されるべき発言であった。なのに、リエラが信仰する聖女神はそれを許すと真正直に言う。

 困惑のまま再確認しても、良いと復唱して否定しない。怒ることも嘆くことも責めることなく、ただ勇者の意思を尊重するように、想いを受け止めて肯定してくれる。

 本来ならばあらえない話。世界に仇なす敵を救おうなど到底許されない話なのに。

 そう肯定する理由を、聖女神は苦笑と共に……リエラへ訳を話す。


『まず一つ。気付かれているとは思いますが……私には、もう顕現するだけの力すら残っていません。異邦の神……貴女方が外なる神という存在の、最初の侵攻から民を守る結界の構築や、維持、魔女一門の術式に手を入れ、邪魔にならない程度の神力を注ぎ補助、崩壊するエーテルを多少繋ぎ止める手伝いをしました。

 そして……勇者リエラ。貴女を生き返らせる為に、私の全てを捧げたので』

「えっ?」


 今の私は残滓なのです───そう告げる女神は、決して自分を卑下にしたわけではない、そして、蘇生した勇者へ同情を求めるでもない……穏やかで、誇らしげな声色で、聖女は笑みと共に本意を伝える。

 既に聖女神は限界だ。

 死んだ英雄を、それも、神に殺された人間を蘇らせる、神々においても禁忌といえる領域へ踏み込んだことに後悔などない。初めて天理に逆らってみたが、案外悪くはない───禁忌を侵す者が後を絶たないわけですと、消えゆく女神は笑っている。

 これが正しい行いなのだと確信している。

 私がやるべきことなのだと、一人の神としてそう理解し受け入れた。平和を愛する少女を勇者という兵器に導いた大人としての責務であり、報いであるとも思ってる。

 未だ人間味の抜けない女神は、信じる未来の為に全てを捧げた。


『ふふっ、これでも私は元人間の聖女なんですよ? 誰かを支えて導くのは得意なんです……それに、この世で、私が頼れる隣人は……もう、貴女しかいませんから。私の声が届く人も、貴女以外はこの世を去ってしまいましたし』

「聖女神様……」

『それに』


 まるで懺悔するように、聖女神は言葉を紡ぐ。


『あの魔王カーラを“ただのカーラ”に戻した貴女だけが、彼女を殺せる唯一の勇者なのです……後にも先にも、この役目を背負えるのは、貴女しかいないのですから』

「っ、それって……」

『……貴女が思い浮かべる救い方は、間違ってなどいないのですよ』


 その肯定は、暗に勇者リエラが魔王を殺せる存在───かつてとち狂った一部の神々が定めた、“真の勇者”であることを告げていた。

 魔王にかけられた神呪解除に必要な三つの条件。

 一つは神々全ての寵愛を受けた人間であること。

 一つは世界を救う為に命を捨てる覚悟があること。

 一つはすべてを投げ捨てて───魔王を心の底から理解すること。


「ぇー、いやいやいや初っ端から難易度高くないですか。これに限っては心当たりないんですけど。私が会ったことある神様って、聖女神様だけですし」

『そこは安心してください。リエラが生まれた時点では、もう神は私一柱しかいませんでしたし……そこからはもう気合いでなんとか封印に干渉して、聖女神の、と限定して書き換えて、条件を押し通せるように頑張りましたから』

「すごい」

『…………あれは、カーラもわかって見逃してくれたのが大きかったですかね』


 誇らしげに語る聖女神は、自分だけの力ではないと己を卑下する。その違和感に、カーラが許容したということにリエラは内心首を傾げながらも、野暮かなと追及しない。

 優先すべきは、自分が条件の全てを達成しているという事実のみ……まだ懐疑的だが。


───そもそもの発端は、魔王カーラの強大な力と、その根源であるとあるシステムの占有権を狙った一柱の神が、死ぬに死ねない呪いをかけることで魔王を手に入れようと画策したこと。

 死にたくても死ねない恐怖と痛みに苦しんだカーラが、神に跪き呪いを解いてくれと必死に望み、赦しを乞う様を見たいが為に設定した神呪なのだ。

 あわよくば魔王を手中に入れ、支配下に置きたいから。

 魔王という存在よりも、カーラが持つ権能やシステムに目が眩んだ、欲深き神々の暴走。


 ……まぁ、思っていた通りに事を運ばせないのがカーラなのだが。 


「性悪な」

『本当に。何故幼い頃の私は彼らを信仰していたのか……特例で神に成り上がってから不思議に思っ…あの、私は、あんなのになってないですよね、大丈夫ですよね?』

「大丈夫ですよ! 自信もってくださいッ! いやほんとに比べるのも失礼ですから!!」


 そんな不可能を前提に作られた神呪を打ち破る資格を、リエラは手にした。聖女神の力添えがあったとはいえ……彼女は既に“真の勇者”の資格を持っている……らしい。

 本人には自覚も実感もない。


『んー。では、一つ一つ例を挙げていきましょうか』


 現存する最後の女神の寵愛を一身に受けている。

 世界を救う、それだけの為に命を捨てる覚悟は、相討ち上等で魔王城に吶喊したことが、勇者になってから、なる前からの行動全てが証明している。

 魔王の良き理解者となる。敵でありながら友でもある。普通ならばありえないそんな未来も、『狭間』という誰も想定していないイレギュラーで本物になった。

 神の余興は、本物の資格に。現存最後の女神が認める、真の勇者はここにいる。

 なにも知らず、打算も計画もなく。神々の非道な介入も操作もなく。リエラは生まれ持った身体と、自分の意志と心の力のみで、三つ全ての条件をクリアして、その資格を見事手にしたのだ。


 魔王カーラを殺せる、この世で唯一の救済者の資格を。


『右手をよくご覧なさい。青く光っているでしょう』

「……ほんとだ」

『その紋様こそがら真の勇者の証……貴女が喜ぶ言い方をするのであれば……それは、貴女が“カーラの勇者”であるという証拠なのです』

「!」


 今まで気付かなかったが……確かに、リエラの右手には青色に発光する、“百合の花を咲かせた聖剣”の如き紋様が刻まれている。いつの間に。死ぬまでにはなかった筈……詳しく話を聞けば、蘇生時にいきなり浮き出たとか。

 なにそれ知らないと困惑しても、もう現にあるのだから受け入れるしかない。


 ……この証が表層に出ていなければ、カーラを殺すのよ無理だったとか。


 己の新たな象徴と言ってもいい青い輝きに、真の勇者は目を奪われる。


「そっ…か、そっかぁ……私なら、カーラちゃんを………殺せるんだ」


 いつの日か結んだ約束。殺し殺される関係だけではもう説明つかない想いの在り方を、遂に果たせるという仄暗い感激。かつて破ってしまった誓いを、ようやく果たせるという安堵。真の勇者になれた、魔王が求める希望になれた事実への歓喜と、今更すぎるという申し訳なさ。

 置いて逝った約束破りが、今更なにをと宣うのか。

 自嘲気味の呟きを内心で押し殺して、リエラは今度こそ手遅れにはなるまいと、再び己に喝を入れる。


 今度こそ約束を。私の死を───私たちの死を持って、この滅びゆく世界に救いを齎す。

 そして───あの日の再演を望む。


『……実を言いますと。貴女たちの旅は聖剣を通して凡そ知ってるんです』

「ぇ」

『ふふっ、ごめんなさい。ずっと聞いてはいたんです……ですから、こんな酷なことを告げるのはよくないことだと重々承知なのですが』

「……えっ、ちょ、ちょっと待って! き、聞いてた!? 聞いてたんですか!? えっ、嘘でしょ!!?」

『つっこむとこそこですか』

「私たち以外誰もいないからあんな、あんな……!」

『あぁ……傍から見て、恥ずかしい行いをしている自覚はあったのですね』

「やめてぇ!」


 赤面するリエラに聖女神は半笑いの言葉を投げつける。役職柄その関係性はどうなのかと物申したい話だが、例の条件とやらが頭を掠めて止めようもないジレンマ。

 聞かれていたことに悶えるリエラをそれとなく宥める。

 今更すぎる。今になって恥ずかしがるのは……他人から指摘されるのがダメだったか。

 そして。


「……あれ、聖剣? ……ぇ、ないっ!?」

『……気付いてなかったんですか……? ほら、よく見て。カーラの右手をご覧なさい』

「……………………ぁっ、れぇ!? 私のアイリスぅ!? なんでぇ!?」

『なんででしょうね』

「帰ってこい!」


 剣の相棒がカーラの手元にあることに驚きを隠せない。

 もっと言うのであれば、聖剣がカーラの右腕と融合した武器となっていた。魔王鎧とは違って完全に侵蝕はされていないのか、その輝きに陰りはない。だが、勇者の聖剣が魔王の武器となり、危険な状態にあることに変わりない。

 いや、リエラ的にはカーラに使われるのは別に……と、思うほどには構わないのだが……そうはいかない。

 なにせ今の手持ちは実質神魔なので。外なる神に聖剣が渡っているので。


 ……リエラは知らぬ話だが、カーラが自分の腰に聖剣を携えていたのが原因だ。外なる神に寄生されるとき、序で巻き込まれたのは聖剣の居場所を見失うよりはまだいいと前向きに肯定する。

 そんな勇者の困惑を見る聖女神の内心は暗いモノ。

 二人の白い旅を、その結末を聞くことしかできなかった過去を悔いる感情でいっぱいであった。

 神力さえあれば二人を狭間から掬い上げられたと。

 聖剣が異邦の神に奪われることもなく、リエラの手元に用意できた筈だ。


「聖女神様……聞いてたなら一言ぐらい……」

『………聞こえていただけですよ。こちらからの干渉は、不可能でしたから……本当に、ごめんなさい。貴女たちの心に痼が残ったのは、一重に私の力不足……』

「……いいえ。聖女神様は悪くなんてないです……でも、そっか……そっか」


 言葉を噛み締めるリエラは、何処となく嬉しそうに……天を仰ぎ見る。

 一筋の光も差さない荒天の下、勇者は身を震わす。


「うん───ありがとうございます、聖女神様」


 かつて宿敵だった二人は歪んだ約束をした。あの旅路で狂い始めた二人の、あるかもわからない未来の話を。

 死を願っていた魔王と、生きたいと叫んだ勇者。

 いつか躊躇うことなく殺すこと、殺されることを二人は約束した。外なる神によって破られた、最初の約束を……聖女神のお陰で、成し遂げられるのだから。

 リエラにとって、固執してでも叶えたい夢が、今ここで叶う。


『さぁ、行きなさいリエラ。エーテルと地球のことは他の勇士に全て任せてしまいなさい……貴女の想いを、最愛を優先することを、この私が許しましょう』

「ッ、はい! 行ってきますッ……! 今まで、ありがとうございましたッ!!」


 己を祝福する女神の赦しを得て、蘇った勇者は旅立つ。信仰心の別れと、感謝を告げて、最愛となった宿敵がいる空へと飛び立った。

 一息の跳躍で大穴ができていた大地───南極大陸から飛び立ち、魔力操作の技法で空を飛び、遥か大海を越えて行く。


 ……それを見ながら、意識だけとなった女神は呟く。


『行ってらっしゃい……あぁ、もう。子供に任せるしか、できないなんて……やはり、神、とは零落するもの、なのでしょう、か……

 主神様も、彼女が言っていたことも……全てその通りになるなんて』


 かつて、光そのものと闇そのものより告げられた未来。神々がいなくなる未来を、消滅の一途を辿る帰結を、もう見届けることもできない悲しみに、女神は掻き消えた唇を噛み締めて押し留める。

 リエラ・スカイハートは聖女神の寵愛の対象だ。

 小さい頃から、彼女を導いた。魔王に故郷を奪われても殊勝であり続け……復讐ではなく救済の道を、勇者という戦いの生き方を選んだ……選ばせてしまった娘の旅立ち。

 見送る女神は、薄れゆく意識の中思いを巡らせる。

 神々の良かれと思った行いは、尽くが裏目に出た。

 その結果が、結末がこれ。神々が消されて、楽園戦争が始まってから終わるまでの100年間。それからこの崩壊の最後まで、多くの民が、自然が、全てが消えていった。

 滅ぼされ、駆逐され、霧散して……エーテル世界に最後まで残った神は、己ただ一柱。


 そして今、己も同じように……かつて信仰した神の後を追うように消えていく。


───ん。なにオマエ、ホントに神になるの?

───正気?

───そう……いや、別に止めやしないよ。他の連中ならともかく、オマエがあの生き汚いゴミになることはない。魂の色を見れば、それぐらいわかる。

───精々頑張れ。私に殺されてくれるなよ?

───またな。


『………』


 遥か昔、まだ一人の人間だった頃。人の世に紛れていた大いなる闇と、巨悪と云われるようになったばかりの友に別れを告げた時の、最後の会話。何故、今更になって……そんなことが思い出されるのか。

 わからない。もう、わかる必要もない。そう心に秘めて女神は隣人の行く末を祝う。


『……リエラ。悔やむことはありません。貴女はあの日、私たちの世界を、人類を救ったのです。あのカーラの……殻に籠った心さえも解した貴女は、正しく真の勇者です。

 進みなさい。立ち止まってもいいです。貴女の意志で、貴女の思うように行きなさい』


 唯一無二の友を、恋してしまった宿敵を救いに行け。


 本当は、まだ最後まで見ていたかったけれど……もう、それは叶わないようだから。

 ここで願いましょう。

 ……願われる神がこう願うのは、なんだかおかしくて、笑えてしまうけど。


『貴女たち二人に、良き未来が───良き来世が、ここにあらんことを』


 5000年の旅を見届け、やるべきことを全てやり遂げて、現代に勇者を送り届けた聖女の神は、独り静かに……この世界から消滅する。


 あの微笑ましい光景が、また訪れることを祈って。






◆◆◆







 極寒の厳しさなどものともせず、リエラは海上を進む。海面スレスレを飛ぶ飛行速度は凄まじく、通った跡の海に白線ができあがるほど。

 異常気象を突っ切って、標的の座標まで距離を詰める。

 視界に入る生の滅びゆく光景に顔を顰め、戒めのように目に焼きつける。


 正面からぶち当たる天災や見覚えしかない光線を避け、景色も音も置き去りにする高速飛行は、存外早くリエラを目的地へと辿り着かせる。


「───見つけた」


 太平洋上空。

 豪州がすっぽり収まる大きさの暗黒球体が、光線を外へ射出しながら滞空している。ゆっくりと旋回する球体は、闇色の魔力と呪詛が渦巻く危険な領域───そこに勇者は更に加速して、躊躇いなく突撃。

 進行を妨げる障害を、呪詛を、聖なる極光で跳ね除け、邪魔をするなと消し飛ばす。

 道を譲れ、私を通せ。乗っ取られた魔王なんかに勇者が負けてたまるか。そう言わんばかりの勢いで、気配の元へまっすぐ突き進み、破壊し尽くし、内核へ突入して。

 闇が晴れた先。此方を見やる黒の───胸の鎧に生えた神瞳と目が合った。


「や、三度目まして───アナタを、終わらせに来たよ」


 黒に染められた触手に寄生されたカーラの成れの果て。外なる神に取り込まれた彼女は、貌を奪われた無目の顔の代わりに、胸に生えた神瞳をもって侵入者を視認する。

 湧き上がる感情はない。

 無感動に、無慈悲に。操られた魔王は黒い攻撃を放つ。神の苛立ちを、裁きの極光をその手に乗せて。


「【■■■】」

「耳障りな声だなぁ───まずは、私の聖剣を返してもらおっかな!」

「【■■───!】」


 惣闇色の極光、万物を一直線に消し去る破壊がリエラの視界を塞ぐが、こちらも難なく回避して前線を維持する。

 手始めに左手と融合しかけている聖剣を取り返す。

 邪なるモノでは鞘から引き抜くことすら叶わないのか、聖剣の刀身が顕になることはない。つまり、刃で斬るのは不可能であるということ。触手が頑張って柄と鞘を掴んで抵抗する様が、遠目に見てもわかる。


 ならば奪うのは簡単。左腕を切り落として聖剣を奪う。


「カーラちゃんの自我があるならさぁ……私たちに二回もコテンパンにされてる戦闘経験も勝利経験も少ないアナタ程度の攻撃なら……ほら、簡単に避けれるよ?」

「【■■■───!!】」

「ほらね?」


 ぴょんぴょんと神魔の攻撃を避けるリエラは、今までの戦闘データの積み重ねと魔王を取り込み、その権能を行使可能になったことを加味して、言葉の裏腹に神の危険度を上方修正しながらカーラの神剥がしに挑む。

 奪った“あらゆる黒を支配する”権能で空や海を塊にしてぶつけてきたり、服の黒い部分を棘状に変えて刺してくるなどのハプニングはあったたものの……その程度の危機。

 戦いながら、リエラはどんどん外なる神との距離を詰め接敵する。

 幾つもの策を練って、その全てを実行する。


「<(リギル)>───<ディヴァインセイバー>。剣がなくても手刀で鉄を斬れるってのは、イユが証明してたもんね……だから、私もできるよ」

「【───■■■!?】」

「ほらほら、頑張って防御しよ? 黒い手ぇぶんぶんさせてかわいいね?」


 光を帯びた手刀が闇を切り裂き、触手ごと魔王鎧を削ぎ破壊する。必死にカーラを操って後退する神などに構わず容赦のない斬撃を浴びせる。

 目的が聖剣であることを理解しているのか、外なる神は右手を必死に守りながら、時に極光射出装置として盗用し振るいながら斬撃を避けていく。

 胸に生えた神瞳は必死に目を血走らせ、再び勇者を殺め魔王を完全に手中に収めんと画策する。

 奪われるわけにはいかない。

 殺されるわけにはいかない。

 生きねば。勝たねば。願いを成就させねば。■が全てを叶えなければ。


 初めて抱く強迫観念に従って、魔王の身体だからできる無茶な運用で外なる神はリエラと対峙する。


 だが。


「───やっぱり、弱いね」


 リエラ・スカイハートの猛攻は、なにも聖剣を取り返す為だけではない。一度不意討ちで心臓を奪い調子に乗った神との彼我の差が、どれだけあるのか改めて確認する為の作業、観察に過ぎない。

 そして、その工程はたった今終了した。

 あっさりと手刀で右肘を切り落として、聖剣アイリス・エーテライトを取り返す。


「ただいま───待たせてごめんね。私だよ、アイリス」


 刀身を撫でる。鞘から抜いた刀身を摩れば、聖剣は更に輝きを増して担い手の意志に応える。

 神々が鍛造した、邪悪を討つ浄化の神器。

 魔王に効果的なダメージを与える最強の武器を奪取した明空の勇者に、勝てる敵対者はいないことを、外なる神は知らない。


「【■■■、■、■■■■───!!】」


 咆哮する神瞳に容赦なく、聖なる斬撃を浴びせる。

 ……今の外なる神にとって、聖剣の斬撃は致死量の毒に等しい。少し掠めただけで大ダメージを、存在を維持することも敵わない致命傷を負ってしまう。


 二度の敗北と復活、そして魔王を取り込んだ影響である神体の黒化。生身の生き物であれば、黒染めされるだけで息絶える猛毒を浴び続けている……つまり永久にデバフに襲われながら戦っているのが今の神だ。

 一見すれば悪手にしか思えないが……魔王を手に入れ、こうして使うのは外なる神にとっては必要なこと。


 封印されたカーラの権能、【否定虚法(ネガ・オーダー)】が鍵だった。


 ただでさえ弱まった神体は、これ以上の損傷を受ければ二度と復活できなくなるのは自明の理。滅びるのは対して問題視していないが……存在意義を果たすのがなによりも優先すべきこと。神呪によって封印された世界干渉の権能でその障害を取り除き、更に世界二つの彼我距離や位相を否定して、思うがままに操って衝突させるには、カーラの権能、転生特典の掌握は重要だった。

 なにもかもを書き換える世界規模の改変能力。

 この世とあの世、規定された理、既存概念、法、境界、基軸基盤を思うがままに否定して塗り替える権能……神に危険視されて封印されるのもやむなしと言えるこの力で、カーラを乗っ取った外なる神は打開策を探した。


 神体を蝕む黒を否定して、同調させて無害化する。───失敗。

 魔王カーラそのものを否定して身体を己のモノに。───失敗。

 勇者リエラの復活を見越して、現存する神の抹消。───失敗。


 上手くいったのは二つの世界の崩壊のみ。他の権能では聖剣の攻撃に対応できず、外なる神は無情にも破壊されて破滅を飲み込む未来しかない。

 過去2対1で神がある程度戦えていたのは、一重に初見であった有利を取れたから。

 今はもう───徹底的に己を解析し、勝ち筋を見つけた勇者に勝てる道理がない。

 触手を削ぎ落とす。神格が削ぎ落とされる。

 魔鎧を引き剥がす。神格が引き剥がされる。

 神瞳に剣が掠める。神格が爛れ、崩壊する。

 たった数秒の攻防は最後までリエラのペースで進んで、外なる神は手も足も出ない。魔王カーラという最強格の器をもってしても、人類最強には敵わない。

 聖剣が齎す“聖痕”、回復阻害で満足に動けず、リエラに叩き切られる。


「当たらなければ、どーってことないね。カーラちゃんを使いこなせもしないアナタじゃ、私を倒すなんて夢のまた夢だよ……ねぇ、教えてよ。私の魔王様を手駒にすれば、勝てると思った? 使命を果たせると思った? 世界の二つ程度滅ぼせると思った? これからも生きれると思った?

───思い上がるな。そんな未来なんてあげるわけない。選択肢もない。三度目の正直もないよ。その代わりに私がオマエにあげるのは……二度と覚めない夢だけだ」

「【■■■■───!!】」

「うるさいなぁ。吠えないでよ。んまぁ、カーラちゃんの口使ってないのは……及第点かな?」


 飛び付く。押し倒すようにカーラの肩に足を乗せ、目を強ばらせた神瞳に聖剣を突き立てる。触手や闇が大群とり襲いかかるが、抵抗全てを剣圧で切り伏せ塵に変える。

 容赦なんてしない。死んでも生き返っては迷惑をかける存在に手向けるやさしさなんていらない。

 不理解なままなのは仕方ない。

 双方共に対話をしていないのだ。お互い話さず敵のまま終わらせるのは、リエラが思う勇者としての道、在り方に痼が残るが……もう諦めるしかない。

 それに、きっと───神に乗っ取られている最中でも、あの子なら意識をもって、ちゃっかり神と対話をしているかもしれないから。

 理解者にはなれずとも、その本質を知る役目は……別に私じゃなくてもいい。


───いつか、真の勇者とやらが私を殺すのだろう。


───それがオマエになるかは知らないけど。


───期待はするよ。その信念、努力、想いの全てが……無駄にならないことを祈るよ。


───殺せるといいね、私のこと。


「……私は、真の勇者」


 未だに実感は湧かないが。そこまで深く考けずにいた、その称号の意義を考える。自分の女神にも告げられたその祝詞は、戦いの最中でも尚脳に反響している。

 死んでからこの日まで、リエラにとっては昨日の今日。

 カーラを殺せる日を期待して、望んで、いつかは必ずと本人に宣誓してみせた。今、約束が形を結ぶ。元より私が殺せる唯一の人間なのだという確信が、漠然としたモノがあったのは事実。いや、私であってくれと密かに祈った。

 その確信は正しいと肯定されたことで、リエラは改めて自分が何者なのか再確認した。


 私は、世界に希望の空を齎す者。


 私は、魔王に終わりの光を捧げる者。


 私は、絶望を希望に変える者。


 私こそが、このふざけた運命から想い人を救う、たった一つの光である。


「終わりにしよう───私のエゴで、オマエを殺す」


───そして、私たちは二人であの日の奇跡を再演する。ここまでやらかした最愛をこの手で葬る為に。きっと……これが最後の機会だから。

 今を逃せば明日はない。約束を違えるのだけは、もう嫌だから。


 世界ではなく、友の為に。想いを、力を聖剣に乗せる。


「わぁ……ふふっ、アイリスってば。カーラちゃんの闇、ちゃっかり吸収してんじゃん……使ってもいい? おっ……ありがと!」


 魔王を殺す光の剣。神々によって創られた聖なる神器。長年の戦いでリエラだけの一振りと成り得た相棒は、主の思いを汲み取り、救う為だけの光を灯す。

 極光を過剰充填した聖剣を頭上まで振り上げ、リエラは殺意を研ぎ澄ませる。

 ……何故か内部機構に蓄えられていたカーラの闇、あの汚染する闇ではなく、静かな優しさを感じる闇も使って、極光と混ぜて、束ねて、纏める。全ては友を救う為に。

 目標は侵食された漆黒の魔王鎧。狙うべき一点は中心。胸元で蠢く青い瞳孔を、かれこれ三度目の死を迎える瞳のような神核を。神の心臓そのものを貫かんと。

 簡単には引き剥がせない。

 やわな攻撃ではまた現れて悲劇を引き起こす。ならば、今度こそ徹底的に、確実にこの世から葬り去るには───手段を選ばずにやるしかない。

 今までも油断や慢心はなかったが……それ以上の力で、確実に殺る。


 それがリエラの最適解。最も手早く神を滅し、カーラを解放できる手段。


「【■■! ■■■ッ───■■■!?】」


 三度目の死を目前にして今更震える神には目もくれず。


「<(ルムナ)>ッ───<アンリエスト・グランズレイ>!!」


 カーラの胸の空洞を勝手に埋める神瞳へ、極光と暗黒の相容れない力の融合を突き刺す。世界を震撼させる一撃。魔王だろうが関係ない、神であろうと滅する合技。

 魔王諸共焼き焦がす破滅の光闇が、暴力的な力が邪悪を討ち破る。


 絶叫は光に呑まれて届かない。神瞳を埋め込まれていた魔王の胴体が大きく膨れ上がって、極光と暗黒にあらゆる全てを破壊される。

 器の内と外、全てにこびりついた肉塊が消滅する。

 万物浄化と侵蝕の黒に神は蹂躙される。抵抗もできずに神核を貫かれ、吹き飛ばされ、切り刻まれ……塵も残さず消えていく。

 リエラの容赦ない一撃は、外なる神に本当の死を齎す。


「帰ってきて、カーラちゃん!!」


 勇者の想いは魔王に届く───諦観と絶望、失意の底に沈んだ心を掬って。


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