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まおー様、逝っきまーす!  作者: 民折功利
楽園終日譚
17/51

第6節:魔王カーラと孤独の千年旅


 勇者を失った魔王の旅は、空虚で、退廃としたモノへと成り果てた。


 いくら魔王だからと言って、カーラには何世紀もの間を孤独に生きて、歩みを止めることなく、終わるその時まで正気を保っていられる程の強さは、無い。

 強靭な肉体も、異常な魔法も、桁外れの権能も。

 世界の頂点を捕れる強大な力が、その身に備わっていたとしても。


 そう、例え───前世の人間時代の記憶を引き継いだ、転生者だったとしても。


 神のお遊びで二度目を与えられ、健康以前の問題がある怪物に生まれ変わった。同意のない転生だった。更には、転生後に色々やらかした結果、世界の不穏分子という謎の上から目線で呪いを浴びせられたり、言う程強くない刺客を差し向けられたり……

 上位者気取りの神々に、人生を振り回され続けていた。

 故に、カーラは神頼みをしない。嫌悪する神に祈るなどするわけもない。

 だから、このなにもない地獄───“無間”と騙られても納得できる異界に閉じ込められても、赦しと救いを求める未来はありえない。


 自分自身の力で世界の壁を超えると、狭間を抜け出してみせるから。


 転生特典も、死なない呪縛も、魔王という役割も、全て捨てていいぐらいだ。前の二つは余計なモノなので心からいらないと言える。

 無理矢理転生させてきた邪神と、気持ち悪い現地の神の贈り物など捨てた方がいいに決まっている。

 ……権能頼りの自分が、何を言うんだという話だが。


「そう、だな……脱出できたら………捨てるか、この力。魔王でもない、ただのカーラになって、リエラを待つのもいいかもしれない」


 我ながら慧眼だと自画自賛しながら、カーラは神々への呪詛を吐き続ける。

 そもそも権能の遠隔封印も神呪の遠隔付与もズルい。

 世界の危機だよ全員集合! のノリで集まって、一個人をいじめるんじゃねぇーよクソ無能共が。そのせいで自殺もできない他殺もされない不死身の魔王になったし、いつかお前殺されるからと運命を強制されてしまった。

 確かにチートを持っていたのはこっちだが、話し合いはないのか。


 ……もし仮に、権能を封印されていなかったら、こんな次元の狭間など容易く脱出できたのに。世界に干渉できる無秩序の改変術がなくなっただけで、無力感に苛まれる。

 原因が自分にあるのはわかるが、このやり方は果たして許されるモノなのか。

 日に日に積もる悪感情を、理由のある八つ当たりで発散する毎日。


───勝負じゃカーラァァァ! その椅子、その玉座ッ! この我に寄越せッ!!

───お帰りはあちらです。

───ッッッ!!!

───ヴィーニャ様ッ!! 相手にされないからって周りに当たらないでくださいッ!!

───あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

───笑


 定期的に「お主の地位絶対奪うからな」と強襲してきて魔王城を粉屑に変えていた四天王最強がいたお陰で、多少ストレス発散ができていたのは幸いか。

 終生のライバルは伊達じゃない。死にかけた心が完全に壊れきれなかったのも、偏に言って惑星崩壊RTA世界記録保持者のお陰だ。

 ありがとうヴィーニャ。サンキューヴィッニャ。

 なんで封印されたんやオマエ……そう内心頭を抱えて、幾度目かの溜息を零す。


 ……まぁ、それはさておき。


───なにだと?

───どったの闇ちゃん! 不具合でもあったかな!?

───オマエいっぺん死んでくれないか、ドミィ。

───えぇ!?


 精神ボロボロ、メンタル弱弱なカーラが貧弱人間時代を思い出してしまったのは、世界に喧嘩を売った楽園戦争の最終盤。もう後戻りできない段階で、最悪なタイミングで前世や転生時のあれこれを思い出したのである。

 つまり、もう詰んでいた。

 絶望的な状況下に、今更方針を変えようにも今更すぎてどうしようもなかった。


 記憶を思い出すきっかけとなった親友兼名付け親兼側近である魔女に理不尽にブチ切れて半殺しを決行しながら、前世を思い出して平和ボケした魔王はそれでもそれでもと考えた。

 起死回生、なんとか軌道修正できないモノかと、考えて考えて考えた。


 だって死にたくないから。真の勇者という脅威から身を守りたかったから。


 そうやって思考の渦に捕らわれていたら、いつの間にか勇者リエラの台当で自軍が劣勢になり、喉元寸前まで聖剣が突き刺さっていた。

 渾身の出来であった黒い空の切り裂きも、死徒十架兵の連続敗北も、知らされた時には開いた口が閉じなかった。状況整理の為に四度寝するぐらいびっくりした。


───!?

───なぁにあれ……ヴィーちゃん以外に干渉できるの、初めて見たんだけど。ちょっと誰か特攻してきてよ。ぼく側近して見てるからさ!

───巫山戯るなよ白いの。焼くぞ。

───私は遠慮します。肌が焼けるから嫌です。

───あんのクソアマァ……陛下の空を斬ったぁ? なんて不敬なッ! 万死ですよ万死ッ!!

───ヨシ、任せたエフィー!

───陛下!

───あぁ、うん。いいよ。行ってらっしゃい。消滅光線好きなだけ浴びさせてあげて。

───はいっ!


 最終的に面倒臭くなって思考を全力放棄したカーラは、やっちゃったものは仕方ないねと開き直って、世界を殺す戦いに享受したのである。

 魔法陣に必要分の魔力を充填できたのも拍車がかかり、戦場視察と銘打って前線を押し伸ばしたり、各地に建てた要塞から超遠距離魔法をぶっぱなしたり、黒塗りの天蓋を下降させて国を押し潰したりと、言い逃れが不要なぐらい戦禍を広げていた。

 それはもう、ヤケになって好き勝手に大暴れした。

 迷惑極まりないが、気にしてはいけない。既に人間性は魔族思考で終わっていたので、どれだけの数鏖殺しようがなんとも思えなくななったのも原因である。

 名実共に魔王となって、カーラは死が約束された世界に君臨した。


 ……その結末が“これ”なのは、最高に皮肉が効いた自業自得であると言えよう。


───なんかカーラちゃんって臭いよね。

───は?

───あっ、ごめん。人間臭いよねって言いたかったの。誤解を招く言い方してごめん! ごめんって!!


 尚、己が転生者であるとはリエラに伝えられなかった。わざわざ人間だったと教える必要性はないのだと、本人は気楽に言ってのけている。

 あと流石にファンタジーすぎるとかなんとか。

 転生先の世界の方が充分ファンタジーなのに。

 一人称ボクの変化も、公私混同を防ぐのと思い出すまで私を多用していたからそ今もうしているだけに過ぎない。キャラ付けとも言う。

 ちなみにリエラの前では不定期にボクと名乗ったいた為そうだったんだなと漠然な認識をされている。


「あぁーあ、どうしよう……どうしよっか。何日経った? 何ヶ月経った? 何年経った? ───いや、まだそこまで経ってはいないか」

「…………」

「……」


 魔界の頂点に立ち、世界を蹂躙していたカーラでさえ、こんな絶望的なまでに幸先の悪い一人旅など……考えても望んでもいなかった。

 ひとりぼっち。

 最初の100年は相方がいたからこそ耐え忍べた。だが、今は一人。たった一人で、孤独の世界を生き伸びるという結末を強いられた。

 道連れの同行者を、最後まで勇者であった友を失った。

 孤独となったカーラが、失意に沈んで動けなくなって、なんとか持ち堪えて狭間の度を再開できたのは、それから三日後の話。


「……………置いてくなよ、リエラ」


 リエラの亡骸を布で包んで、人一人入る木箱に寝かせ、奪われたくない一心で影の中へ埋没させてから、カーラは最初の数十年を歩んだ。

 死闘の余波で荒れ果てたベースキャンプをそのままに、リエラとの思い出を思い出すのがイヤという理由で二度と寄り付かず、ふらふらと狭間を進む。

 この100年では行かなかった遥か遠方まで、無言で只管進む日々。


───闇ちゃーん! 見て見て! 新しい魔法だよ! これで世界の時を進めようZE☆!

───フハハハハ! 来いよ、余の国に!

───アナタの血はいりません。飲めたもんじゃない……身体を作り替えるな。なにやっても飲みませんよ。

───ありがと、闇ちゃん。私なんかを応援してくれて。お陰で……夢に成れたよ、私。


 想起する。

 生まれてすぐの幼年期、のっぺらぼうの見境なく暴れる化け物を友と呼び、名を与えて、魔界を旅した……たった五人の親友たち。魔王になってからも、最後まで己と共についてきてくれた、唯一無二。

 口では決して言わないが、家族と言ってもいい彼らとの色褪せない思い出が脳裏を駆け巡る。


───貴様の憂いなど、すべて崩せば解決よ。どうじゃ、我と手を組まんか、月の魔人。

───ごしゅ、んんっ。陛下の幸せが私の幸せです!

───おい、黒いの。酒だ。味などわからんだろうが……試しに呑んでみろ。

───気狂いスライム……? 吾輩のことかそれェ!!


 懐古する。

 協調性の欠片もない、自分よければそれで良しな精神の強者たち。四天王という枠組みに押し込むことで暫定的な制御下に置いた、自分と同格の世界を滅ぼせる怪物たち。

 魔界統一戦争で激突した四陣営の当主たちの敵対構図はいつの間にか変わり果て、今や同鍋を囲んで啄く程度には緩い友好関係を結べていた最強たち。

 リエラとはまた違った友情の形を築いた思い出が蘇る。


───カーラちゃん!!


 恋い偲ぶ。

 最後まで笑顔を忘れなかった、100年連れ添った女を。魔王をこれ程ない迄に誑し込んで、絆して、受け入れて、心からの愛まで囁いた、死んだ英傑の名を。

 ぐちゃぐちゃになった想いが心の裡から主を蝕む。

 空っぽなままの胸を抑えて、悲痛に塗れた、救いのない動悸を抑える。

 

「……あぁ、やっぱり………ままならないなぁ」


 忘れたくても忘れられない。

 全てがいらない記憶などではないが───こんな風に、わざわざ思い出す度に苦しむのであれば、消してしまえば幾分か心が安らぐというモノ。

 だが、それはできないとも理解っている。

 その思考が、リエラに対して不誠実極まりない愚行だと理解しておきながら、そう自己中心的且つ保守的な思考に耽る己が恨めしい。


 色褪せることを知らない記憶。忘却を忘れた記憶能力は魂に付随する。それは邪神から授かった五つの転生特典の一つ。見聞きした全てを、体験した全てを、経験の全てを過不足なく魂に記録する記憶の権能───【死生魂録(ソウルメモリー)】。

 前世から今世に至る数千年を忘れることなく、いつでも思い出せる能力を、カーラは持っている。

 本棚、または戸棚を引き出す感覚で思い出す仕組みで、思い出そうとすれば幾らでも思い出すことができる。稀にうろ覚えや記憶違いが発生するが、記録を引き出せば必ず訂正できる。いらない記憶は引き出しの奥深くにしまう。ただ、忘れることだけは絶対にできない。

 消すという工程、自然忘却が存在しない脳機能の拡張。

 なんとも便利だが、同時に不便でもある。記録できればいいってもんじゃない。

 死の苦しみも、転生の昏迷も、友との出会いも別れも、魔法と血が飛び交う戦禍の非日常も、魔王に君臨してから始まった束の間の平穏も、世界を滅ぼす最終戦争も。

 狭間の中で芽生えた友情も、恋慕も、死別も、全て。


 脳ではなく、カーラの魂に、記録として刻まれている。


 元々、前世から記憶能力が高かったことが力の由来だとカーラは推測している。あの邪神にそんな紐付けできるかどうかも怪しいが。

 だが、この能力のお陰で暇を潰せているのは事実。

 なにもない空白を歩く最中、過去を幾度となく想起して思い出し笑いや懐かしさに浸れる。再出発した一人旅を、終わらない苦しみを少しでも紛らわせるように、何回でも思い浮かべる。

 そうすれば、ギリギリ前向きな思考を取り繕えたから。

 記憶を掘り返す。

 子ガチャの失敗を苦とは思わず隣にいてくれた両親も、不治の病の治療法を見つけてみせると、絶対に助けてやるから待ってろと豪語した医者も、院内で推し活に励んでた病人友達との前世の思い出で、もう見ることも聞くこともできない記憶を郷愁と共に懐かしんだ。

 人に恵まれた前世。なにも恩を返せず死ぬしかできない不孝者の記憶でも、全てが辛かったわけではなく、楽しい記憶の方が多かった。

 前世の思い出は、勇者の死によって失われた明るさを、ほんの少しだけ取り戻す要因となった。


 ……だが。正解の見えない宛のない旅はカーラの精神を何処までも蝕んだ。

 思い出語りでは覆せない絶望。

 血迷ったように片割れと定義してしまった友の死からは立ち直れず、ただただ重みが心に増すのみ。

 徐々に徐々に、魔王だった少女の心は壊れていく。


「……っ…」


 内面でのみの明るさを装えたのは、たったの数十年。


「……寂しいな」

「一人はイヤだ」

「…………あぁ、そう、か……自分で思ってたよりも……ボクって、寂しがり屋だったんだなぁ」

「…………」

「………」

「……」


 幾度も正気を失いかけては抗って、我慢して、進んで。


「───死にたいのに、なぁ」


 零れた本音を虚無に霧散させて、また一歩と前へ進む。


 一人がイヤになって、闇に沈めたリエラの亡骸を権能で操りの生き人形に変えようと考えたのは、一度や二度じゃ済まない。思い通りに動く人形を使えば無聊を慰められるかと思えたが、やる気にはなれず。

 本物じゃなければ意味がないし、腹話術で元宿敵を再現できるとは思えなかった。

 耐えきれない孤独を、ナニカで埋めようと、敗れ被れで必死になって。


───猛毒の孤独は、カーラの精神を徹底的に破壊した。


「ずっと、一緒……それ、なら…それなら……」


 精神を保つ方法などカーラにはわからない。どうすれば気持ちを前向きにできるのかも、カーラにはわからない。だからなのか、彼女が最終的に取った手段は、普通ならば理解を得られない代物だった。

 それは、どんな形であれどリエラと共にいられる方法。

 影の中に保存していたリエラの亡骸を引きずり上げる。時間の概念がない影にあったお陰か、腐敗は一切見られず綺麗なまま。見てくれだけでも綺麗にしたいと思い整えた亡き友の姿は、否応にもかつての情景を思い起こす。

 それがイヤだから、百年間見ることも無かったのだが。

 精神的支柱を失ったカーラは、己の愚かさを笑いながら権能を行使。


「【黒哭蝕絵(ドールアート)】───」


 カーラの影から湧いた濃暗がリエラを包み、箱を作る。パタンパタンと平面から立体の箱が組み立てられ、そこにリエラの亡骸を納棺する。

 あの最後の日に作った棺よりも、念入りに闇を束ねて、何者にも穢されぬよう作り上げた勇者の棺。

 より身近にリエラの存在を感じる為、金属質な黒い棺をカーラは背負う。

 背に棺。

 腰には聖剣───影への収納は聖剣からの抵抗が強く、わざわざ帯刀して持ち運んでいる───リエラの名残りを全身に身につけて、カーラは満足気に頷く。

 影の鎖で固定すれば、さながらギターケースを背負っているような気分に……は絶対ならないが、カーラは一先ず孤独を和らげる最後の手段、心の応急処置を完了した。

 健全などとは口が裂けても言えないが、今のカーラには絶対に必要なモノ。限界で、もう形振り構っていられない状況までカーラは陥っていたのだから。


「これで…、一緒」


 体温を感じるわけではない。

 ただ動かぬ骸を背負って前へと進むだけで───それで自分がどれだけの精神的不調を患っているのか、どこまで狂ったのかをむざむざ見せつけられている気分になるが、もう全て仕方ないと妥協する。

 砕けかけた精神を保って、泣き叫ぶ心をねじ伏せ、また自分に大丈夫だと虚勢を張る。


 根本的な問題は解決できず……カーラにできることは、永遠に歩みを止めずに進むことのみ。


───頑張ろうね。

───大丈夫、一人じゃないよ。

───行こ!


「…………あぁ、そうだな。いこう」


 かつての記憶を掘り起こして、その思い出を旅の燃料に魔王は前進する。心が悲鳴をあげて自分の存在理由を時折見失いかけては立ち止まってしまうが、その度に前を見て雑念を振り払い、カーラは一歩一歩確実に、ひたすら白い大地を踏み進む。

 ……何日、何ヶ月、何年経とうとも。何百年経とうと、諦めずに前を向き続け、歩き続けて……


 歩き、続けて……








    ───こわれた。








「………………」


 経過する年月に比例して、精神とは加速的に摩耗する。あまりに脆く、あまりに弱い。延々と一人で狭間を巡る、一向に終わりの見えない無限の旅はボロボロになった心に致命的なダメージを与え続けた。

 記憶の彼方へ追いやられていく思い出に必死に縋って、忘れられない外を目指して歩いて走って駆け続け。無為に過ぎていく時間に焦って……遂に自分に都合のいい幻想を支えにしながら、カーラは狭間を彷徨って。

 進展はなく、希望もなく、絶望しかない歩みを停めず。


───5000年。

 あまりに膨大な年月、その全て捧げたのにも関わらず、カーラは狭間から脱出できていなかった。


 4900年の孤独。人と触れ合って生きてきたカーラの、元一般人であったカーラの心が壊れるのは止めようがない途方もない期間。生きた年数の倍の人生。いつの間にか、カーラの心は形を成さず、ただ歩く死体に等しい状態まで魔王は落魄れた。

 心身共に絶望に沈む。

 未来は暗く閉ざされたまま。光明はなく、魔王は狭間に囚われた。


───闇ちゃん。

「なに、どみぃ」

───今度僕と一緒に魔法のべんきょーしようぜ。きっと楽しいよ。

「……いいよ、いつかね」

───うん。約束ね?

「うん」


 黒い棺を背負った魔王は、虚空に囁いてふらりふらりと不自然に揺れながら独り歩く。己以外の誰一人といない、白しかない不気味な異次元を、音にならない言葉をもって迷い彷徨う。

 勿論カーラだって、愚直に歩いていたわけではない。

 人為的に亀裂を開き脱出する方法も、1000年の時間を注いだ空間干渉の術式作成も、次元転移による狭間からの解放も、狭間全てを“黒”の支配下に堕として思うがままにするという権能頼りのゴリ押しも。

 できることはなんだって試みた。

 諦めずに頑張ればできるかもと、過去にやってないからやってみても、できないことを、やらないことをしても、限界を超えてまで取り組んでみても───全て失敗した。


 終点も、最果ても、綻びも、境界も、なにもない。


 最早出口があるのかさえもわからない。忌まわしき神を見るに行き来する手段はある筈なのに、カーラは未だその糸口を見つけることは叶わず。

 なにもわからない。

 己が生きている意義も、頑張っている意味も、外を探す理由さえも。


───あらゆる全てを捨て去って、なにもかもを放棄して自由になりたい。

 そう、夢に懸想しては、無理だと諭されあきら)る。


───でも、無理だとわかってるんでしょう?

「ぁ、ぁ……そう、だね。そうじゃなきゃ、魔王なんかになってない……」

───難儀なモノね。

「……」

───なによ黙って。

「そういやオマエだれだっけ」

───前世の(自称)姉です。

「???」

───おい。


 二つの世界で積んだ経験と記憶は未だ色鮮やかなまま。それが功を奏してか、はたまた言葉で形容できない狂気の引き金となったのか……

 会話の一つ一つ、その全てを鮮明に思い起こせる。

 あの人ならこう言う、あいつはこいつはそいつはと……人物像の全てを記録から補間できるから、思い描くその人そっくりと、記憶の中の彼らと会話できる。

 脚色などない記憶の断片は、“真”を形成して会話相手を生み出す。傍から見たら不自然な独り言でも、カーラには必要十分な処置に過ぎない。それが幻覚だとしても、全て受け入れる。


 荒む気持ちを和らげんと。これ以上は壊れまいと。


 全てを忘れることがない故に、中途半端に狂いきれず、今だに虚空を彷徨っている。


───諦めるか?

「まだ」


───諦めようぜ。

「うるさい」


───おいで。

「やだ」


───カーラちゃん。

「ここに、いるよ」


───死にたいか?

「いきるよ」


───生きたいの?

「しにたい」


───闇。

「やめろ」


───カーラちゃん。

「よぶな」


───!!

「やめろッ!!!」


 衝動的に幻影を薙ぎ払う。

 肩で息をして、自分がどれだけ消耗しているのかを漸く理解する。過去の幻影となった淡い思い出が、掌を返して魂の柔いところを刺してくる。

 自分以外の全てが敵になった錯覚に堕ち耽て、余裕など完全に無くなって。

 ニンゲンの心が悲鳴をあげる。

 あまりの苦しみに耐えられなくて、膝をついて……もう自分自身に嘘をつけなくなって。


「ッ、はぁ、はぁ……あぁ、ッ、クソ、が…………なん、なんだよ………」


 内なる声の囁きも億劫になって、心が絶望に喘ぐ。


「………リエラと、会わなければ……こんな、こんな……想いなんて、抱かず…に……」


 淀んだ思考は最悪の方へと転じる。悶々と一人悩めば、種族を問わずに生き物は壊れてしまうもの。

 空の思い出を否定する。

 奇跡の道程を否定する。

 その在り方を否定する。

 歪んだ心に嘘をつけず、どうしようもない現実に乾いた口が滑る。


 狭間に落とされた最初の100年。もしも最初から一人で行動していれば。まず因縁の宿敵などと仲良くなることがなければ。約束なんて結ばなければ。無理矢理にでもその天命を否定して生かしていれば。

 今頃、こうなってまで……自分は進んでいただろうか。進めていただろうか。

 

 こんなに苦しむことも、悲しくなることも……きっと、無かったんじゃないだろうか。


「………………………よくない、なぁ」


 自己嫌悪。責任転嫁にも等しい考えを始めるまで壊れた自分が、ピースが欠けて瓦解した心の悲鳴が、これ程まで出来損ないの愚図に成り下がった魔王の末路が。

 嫌いになる。

 元から嫌いだったと言うのは簡単だ。だが、口を開けば卑屈で陰鬱で、目を背けたくなる程の気持ちの悪い言葉を垂れ流すのだけは頂けない。

 なし崩しで生まれた軌跡を、これ以上穢したくなくて。

 致命的なまでに壊れた自分をどうにかしたくて……もう黙ろうと心を殺す。


 自我を殺す。思考を消す。在り方を歪めて地に落とす。


 考えるべきは、狭間からの脱却と───背負った遺体を彼女の生まれ故郷に届けることのみ。


 それまでは、絶対に死ねない。死ぬわけにはいかない。死ぬことがないといえど、心は兎も角、この身体までもが使い物にならなくなるのは避けなければならない。

 肉体を放棄してもカーラは死なない。

 ただ黒い化け物になって───自分が自分じゃなくなる恐怖に侵されるだけだ。


 だから、その手を取るのだけは憚られた。

 前世を取り戻した今、化け物になって闊歩するのは……自己の喪失よりも恐ろしい、取り返しのつかない“最悪”になると、薄気味悪い予感に吐き気を及ぼす。恐怖の神秘性など、物言わぬとはいえリエラの眼前で晒したくないのも理由に入った。

 枷をつけたまま、その咎を肯定して、否定もできずに。死ぬに死ねない絶望を噛み締めて。

 零落した王は、狭間の最果てへと手を伸ばす。


 吐き気を催す絶望の中でも、最後まで、リエラの為にも諦めきれないから。


「……あぁ………、……でも」


 でも、やっぱり。必死に自分を誤魔化したとしても───結局、本音は隠せない。

 足が止まる。

 張り詰めていた息が霧散する。

 濁った瞳は虚空を映し。

 瞼は落ちて。

 この世を呪った異貌が、どうしようもないことと緩んで弧を描く。


 何処までも、数千年を無為に彷徨わされた魔王は笑う。


「…死にたい……死にたい、なぁ───…」


 どうしようもない弱音を虚空に吐き零す。

 最早、歩くことも億劫になった。ここで立ち止まるのは果たして悪なのだろうか。すぐに諦める自分が、めげずに数千年も頑張った。壊れながらも愚直に歩み続けたのだ。

 十分ではないか? ここまでやってこれなら、もういいのではないか?

 もう……諦めてもいいんじゃないか?

 背中にある重みが鬱陶しくて、愛おしくて、もうずっとこのままここにいようかとつい血迷いたくなる。

 出れないのなら受け入れるしかないのではないか。

 もう二度と月すらも拝めないのなら、その事実を呑んで揺蕩うしかないのではないか。

 そう、死ねないなら、ずっとずっと眠っていればいい。


「あっ」


───最後の日、リエラが最後に語った“来世”に賭けて、待ってみるのはどうだろうか。


 きっと、きっと……彼女なら、必ず殺しに来てくれる。


 リエラが“真の勇者”の資格を持っていないわけがない。魔王を殺す使命を、意志を、聖なる力をもって再び会いに来てくれる筈だ。

 転生してすぐか、成長してか、それとも晩年で死ぬ直前なのか。

 未来なんて考えてもわからないけれど、カーラはそんな展開に夢を見る。


───期待ぐらいしても、許してくれるよね?


 伽藍堂となった心の穴に、ほんの僅かな希望が芽立つ。後向きな希望に、自分がどれだけ愚かでバカなのかと自分で自分を嗤いながら、カーラは背後を振り向く。

 こんなとこで眠っては見つけてもらえないだろう。

 眠るのなら、あの場所で。

 二人で過ごした始まりの場所。いつの間にか生活拠点になっていた、あのベースキャンプに戻ろう。もう何千年と帰っていないけれど、時間の概念が設定されていない狭間であれば、なんの問題もない筈だ。

 思い出の詰まったあの場所で、もう一度眠りにつこう。自分を邪魔するモノは、もういないのだから。


「そうか、そうだな───もう、帰ろっか」


 そう自分に言い聞かせて、カーラは歩いてきた長い道を逆戻りする。結局はなんの意味もない。今までの努力を、千年の積み重ねを無にする自己満足に過ぎない。

 もしかしたら、この先に出口があるかもしれないのに。

 諦めた魔王は、きっと糾弾されるのだろう。

 最後まで頑張らなかったことを、千年ぽっちで諦めて、逃げたことを問われるのだろう。存在否定も、文句だって言われて、また最初みたいに研ぎ澄まされた冷たい殺意をぶつけられるかもしれない。失望されて、突き放される、なんて未来もあかもしれない。きっとないと、そんなわけないと否定しようにも、疑い深い心は過去を捻じ曲げる。

 でも、でも……もう、いいのだ。

 存外諦めが早いカーラは、千年の我慢の旅に終止符を、妥協という理由を貼り付けて終わりにする。

 泣き叫ばないだけいいだろう。

 自由にはなれないが……未来を選択するぐらいの余地はあってもいい筈だ。


「ねぇ、リエラ───会いたいよ」


 気分は依然暗いまま。

 それでもカーラは、幾分か軽くなった気持ちで重かった足を進めていく。


 いつの日か、蘇った勇者に討たれるその日を夢見て。













































【アァ…ァ……そ■望ミ、そノ願ィ……■が、叶ェ■ウ】















































───その瞬間。脳裏に響いた不気味な音色に、カーラは己の末路を予見する。


「チッ……」


 カーラが、ナニカに捕まったように動けなくなった。


 希望は続かず。真っ白なキャンパスに、濁った絵の具が飛散する。あまねく全ては黒となり、万物問わず概念諸共溶かしてゆく。

 重みが増えて、徐々に固まる足。

 認識の外から攻撃してくるナニカ───下手人に見当をつけながらも、カーラは一歩、また一歩と重りを押し退け突き進む。

 四肢に纏わりつく、つるりとした触感の害意から逃げるように。


 目指すべきは思い出のあの場所。己に集る無作法者など眼中にない。


【■■■?】

「ッ」


 こちらを覗き込む、傷のついた神瞳と目が合うまでは。


───思考干渉。

───抵抗阻害。

───精神干渉による不調、悪い方へ思考を進める汚濁の後押し。


 意識した瞬間、カーラの灰色の脳細胞が己を蝕む干渉の痕跡を次々と見つけていく。5000の負の積み重ねの上に更なるデバフが重ねがけされていたことに気付く。

 そう、後押し。

 思考回路に淀みを忍ばせ、マイナスなことばかり考える欠陥に貶めた。例え思考に制限がかけられていたとして、それでもあの全ては紛れもないカーラの本音。

 無理矢理引き出された、神の介入を進める為の罠。

 一度意識してしまえば最後、神瞳から目を逸らせない。既に身体の大部分を触手に絡みつかれているが、カーラは余力を使い果たす勢いで剥ぎ取り、憎悪に吠える。


 性懲りもなくまた現れた、使い物にならない願望器へ。


「ぅ、がっ……アウター・ワン、貴様ァ……!」


 魔王に似つかわしくない弱々しい声色で、忌み嫌う神へ怨嗟の声を上げる。それは、負け犬の遠吠えにもならない微かな叫び。激昂する気力も、消し払う力も底を尽きた。

 限界を超えた先には到達済みで、動けなくなりつつある身体に喝は入らない。

 これでは戦わずして負ける。

 神との三度目の会合は、一方的に。為す術なくカーラは取り込まれる形で終わる。


「ふざける…な、よ……ちょこ、まか…と……貴様は……本当に、執拗い……なぁ……」


 直感で察知する───このままでは奪われる。肉体が、乗っ取られると。

 神の器に、操り人形にされてしまうと。


 機能不全に陥りぼやける魔瞳。魔瞳に微かに映るのは、黒に侵蝕されつつある己の白肉には目もくれず、ゆるりと穏やかな弧を描いた青い神瞳。

 虫唾が走る、肉体の主導権を奪われる気持ち悪さ。

 微睡むように闇へ溶けていく意識。気を失ったら最後、取り戻しがつかないと自覚して……それでも抗えず、闇に意識は沈んでいく。


【夢叶エるは、我が定メ───■ヲ受け入レろ、闇ヨ】


 “外なる神”の、不協和音にしかならない不気味な音色を理解できてしまうことに不味いと思いながらも、これではもう手遅れだと自覚して、手を拱く。

 受け入れたくない。受け入れられるわけがない。

───いや、まだ。まだだ。器を捨てればいい。この器に固執する必要はない。化け物になってしまう不安なんて、この際留意する意味も……ッ!!


 そう企み、止むを得ないと大事にしていた器の、肉体の放棄を決定して───…


───大好きだよ、カーラちゃん。


「ぁ」


 二度と手に入らないあの日の情景が、懐かしい思い出と心地の好いぬくもりに、カーラの心は囚われる。疲弊した脳に空白が挟まる。思い出が詰まった身体を捨てれば……リエラとの思い出も失われてしまいそうな予感がして。

 その恐ろしさが、壊れた精神にストップをかける。

 弱りきった心には抗い難く。無意識の停止は、カーラが再起する余地も与えない。


 器を捨てることは叶わず……カーラの身体は外なる神に支配される。


 手を伸ばす。

 触手に絡め取られた手を、望んだ未来を手繰り寄せんと緩慢な動きで伸ばす。


 救いを求めた先には、もう誰もいないというのに。


「───リエラ」


 その身が自分のモノでは無くなるまで───カーラは、想い人の笑顔を幻視した。


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