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まおー様、逝っきまーす!  作者: 民折功利
楽園終日譚
16/51

第5節:楽園の証明


「うーん……ここも違う、か」


 幾度も放射状に魔力を飛ばしては空間の反応を確認し、狭間の綻びを探すという、終わりの見えない、途方もない作業を強いられたカーラとリエラ。

 通算7502回目の沈んだ声をあげたリエラだが、そこに諦めの色はない。カーラも脱出を諦めておらず、ここから更に100年かかろうが絶対に生還する心積りである。

 諦めなければ希望はあると、そうリエラが言ったから。

 二人で手分けして、いつ脱出口が見つかってもいいよう心構えをしながら、狭間からの脱出を目指す。


───勿論、二人揃って。


「……今日は、もう休もっか」

「……そうだな」


 ギリギリまで魔力を使い果たした二人は、手持ち最後の魔力ポーションをガブ飲みしながら、拠点になった因縁の場所へと逆戻りする。

 数千本はあった魔法薬は今や0本。

 魔力増幅や魔力循環を円滑にする魔法薬も、一本残らず使い切ってしまった。

 100年かけて、数十年を一睡もしないで駆け続けた……その成果は未だ0。


 それでも諦めず、二人は愚直にゴールを目指す。


「これが最後の一本、かぁ……今更だけど、100年分も物入るとか、容量すごいね? 私のカバンだって、容量大きいアイテムボックスなのに……負けたよ」

「許容量限界が無いからな」

「へぇ」


 クルクルと空になったガラス瓶を手回ししながら足元の影の中に落として沈める。手持ち無沙汰になったリエラは疲れを吹き飛ばすように腕を伸ばして大きく息を吐く。

 いくら我慢強く、耐え忍ぶ心を持っていたとしても……疲れるモノは疲れる。


 そして。


「っ、はぁ〜……ねぇ、カーラちゃん」

「ん、なに」

「私たち、ずーっと彷徨ってるけど……いつになったら、ここ出れるんだろうね」


 小さな弱音が零れる。この100年、今まで決して口から出さなかった紛うことなき勇者の本音が、より退廃とした雰囲気を纏ったカーラの耳をなぞる。

 リエラの懸念はカーラにもある。同意する他ない疑問。なによりも、否定できないのは、カーラも光明の見えない旅路に辟易と、弱りきっていると。

 無言の肯定が、互いの心を代弁する溜息が空虚な狭間に霧散する。


「……仕方がない。あの時はあーすれば、こうすれば……もうそんな慰めの言葉すら私たちには通じない。そこまで現状は悪化している……そして、どうしようもない」

「うん。いつだって私もカーラちゃんも精一杯をやった。そこに異論はないよ」

「いつ出れるかは……考えても仕方がない。今の私たちにできるのは、ゆっくり時間をかけてでも帰還する手立てを見つけることのみ。進むしかない。最後まで折れずにな」

「……確かに、結局は頑張り次第だもんねぇ。仕方ない。もっとがんばるかぁ」

「その調子だ」


 今は停滞こそが罪であり、前進せねば活路は開けない。


 それを宣うのが停滞をも司る自分であるということに、カーラは内心苦笑いを浮かべ……塞ぎ込んだリエラの頭を無意識に撫でてしまった。

 数秒の硬直、すぐに手を離して取り繕ったがそれを逃すリエラではなく。


「もっと撫でてよー♪」

「ッ……幻覚の疑いあり、と。いい闇医者を紹介しよう。死体愛好家で患者が死ぬギリギリまで待って死にそうにもなかったら舌打ちして助ける腕だけはいい医者なんだが」

「クソかな? でも私は諦めない!」

「近寄るなッ」

「なんでー! 折角デレてくれたこの機会、逃すなんて私は無理だよ!」

「チィッ」


 ここ100年で芽生えた衝動を全力無視して、否定と共に逃げ惑うカーラをリエラは追いかける。遮る腕を掴んで、目と目を合わせて、無表情を僅かに歪ませた異貌を覗く。

 会敵したときと比べて随分と人間味がでてきた表情に、リエラは喜びを胸に抱いてにこりと微笑む。

 あまりにも強大で、決して手の届かない高みに鎮座する魔王が頬を僅かに赤らめ顔を背ける……過去の姿を知ればありえないと豪語できる、リエラと一緒にいたからこその変貌。

 自分の影響の大きさに内心狂喜乱舞して、リエラは更に力強くカーラの手を握った。


「仲良し♡」

「……調子に乗るなよ」

「えー、いいじゃん。私たちの仲なんだからさ。もう全部諦めて私に委ねよ?」

「やだ」

「むー」


 かわいく頬を膨らませて抗議しても、カーラには差程も通用しない。


 勇者と魔王という敵対構図に多少固執しているカーラはそんな感情など認めないし、あって無いものと毎度判決を下して無かったことにするのが最近のルーティンだ。

 そこまでしなければリエラに心が流されそうで、必死に体面を繕っているだけなのだが。


「あっ! 置いてかないでよー!」

「ハイハイ」


 その内面を暴いているからこそ、リエラもまた積極的に触れ合っているのだが。


「───ん?」


 その時、異貌を僅かに歪め、カーラが周囲を警戒する。


「どうしたの?」

「いや……気の所為、か?」

「?」


 突然なにかを感じ取ったカーラだったが、周囲一帯には見慣れてしまったいつも通りの白が広がっているだけで、なにも変わりはない。

 感知範囲内になにかがいるかと思ったようだが……ここ100年で鈍ったのか、幻覚なのか勘違いなのか、それすら判別がつかずに首を傾げる。

 確かにいると思ったのだが……そう顎に手を添えるも、答えは出ない。


「なにかいるの……?」


 リエラは気付かなかったのか、それでもカーラを信じて訝しげに辺りを見回す、が……やはり違和感は見つけられないのか、横に首を振る。

 歴戦の二人ですら見つからないのだ。カーラは己の気の所為だと判断して前を向き直す。

 だが、それはそれとして。


「……一応、離れる?」

「……そう、だな。こういうときの勘は、従うに限る……取り敢えず走るぞ」

「うん!」


 危機管理能力が高いと自負している二人は、嫌な予感をそのままにはせず、一先ず感じた場所に居続けるのもなと移動を再開する。もし違和感が違和感じゃなかったとき、面倒事にならないように。

 ……リエラの判断は正しかった。

 カーラの予感と経験に裏打ちされた決断も、決して悪くなかった。


 ただ今回ばかりは……彼女たちの想定を、相手が遥かに上回ったというだけで。


「───ぇ?」


 それ(・・)に気付いたときには遅かった。


 突然後ろから聞こえた呆然とするか細い声を耳にして、後ろを振り向いたカーラの目に映ったのは───見覚えのある白い触手に、胸を貫かれているリエラの姿。

 肌を粟立たす淀んだ神気。つるりと無機質な白肉の怪。黒に侵蝕されたことで死に近付いたのか、冥府の如き死の気配を纏った異形の先端がリエラに突き刺さっている。

 唯一見覚えがないとすれば、白肉に黒い闇が斑点として入り交じっていること。


───外なる神の触手が、空間を突き破り、リエラの命を奪っていた。


「なっ───リエラ!!」


 素の防御力が高すぎて、魔王の攻撃でも貫きずらかったリエラの肉体が、不遜な闖入者によって傷つけられた。

 それも見るからにわかる致命傷。

 動揺のあまり一瞬過呼吸になりかけたが、カーラはすぐ雑念を払って体勢を立て直し、リエラ目掛けて手と自分の闇を伸ばす。同時に現れた空間の亀裂にも影を伸ばして、こんな時でも好機を失うわけには行かないと脱出口を固定する。勿論その最中も闇で触手を滅多刺しにしている。

 ……が、触手は堅牢で、幾ら串刺しにされてもリエラの胸を痛めつけたまま不動を貫いている。


「一度ならず二度までも……調子に乗るなよッ、ゴミにもならない神風情がッ!!」

「!」


 激昂するカーラの怒気に意識ごと生命力を吸われていたリエラは目が覚めて、即座に身体の主導権を取り戻さんと腕を振るう。ただで殺されては堪らないと抵抗する。

 激痛に喘ぎながら、身体を捻り、聖剣を突き刺して光を注ぎ込む。


「ぐ、ぅ……いい加減、離れ、ろっ!!」


 力づくで身体を前進させ、遂に触手を引き抜くリエラ。先端に心臓が突き刺さったままなのを睨みつけて、怒りと辛さに顔を歪めながら全力でカーラの横に跳ぶ。

 たたらを踏んで着地するリエラを、カーラは片手で支え受け止める。


 死にかけの勇者を見て辛そうに異貌を歪めるカーラに、リエラはなんでもないように微笑む。


「はぁ……はぁ……ッ、見て見て、おそろいだよ!」

「ッ、バカ! なにを悠長に……ッ、傷が、塞がらない……クソがっ、ふざけるなよ!」

「神の御業、ってやつかぁ〜……ほんとに厄介だね」

「チッ」


 感情的に吠えるカーラは、どこまでも平常運転に見えるリエラの強がりを仕方なく受け入れて、それを見習い己もなんともないように平然を装ってリエラの背に触れる。

 闇を媒介とする肉体修復をリエラに試みるが……自分も無理だったのだ。己の心臓が一向に再生しない前例からもわかっていたことだが、リエラは治らない。

 胸の傷痕を塞ぐことも適わず、強力無二の血液ポンプを失った身体は死に近付く。


「ッ、ふぅ……心臓を失うのって、こんな痛いんだ。全然知らなかったなぁ……はぁ……」

「……自前の治癒魔法は効きそうか」

「……んーん。ダメそ。ッ、ぅ…はぁ……死ぬ気なんて、なかったのになぁ」


 苦悶の表情で汗を流し、嗚咽を我慢できないリエラは、カーラに肩を支えられながらも二本の足でしっかり地面を踏み締める。

 真新しい貫通痕を指でなぞり、絶え間なく溢れる血……いずれ枯渇する運命にある赤の温度を確かめて、また一つ勇者は決意を固める。


「大丈夫、とは言わないよ───でも、まだ動ける」

「無理なら無理で、いい……死体は必ず、故郷に……私が持ち帰ってやる」

「ふふっ、ありがと」

「あぁ」


 ここが最後の正念場。

 そう決めた、決めるしかなかったリエラは今一度聖剣を構える。担い手喪失の危機に、聖剣の輝きに多少の曇りが見えるが、リエラはそれを無視する。何故ならば、勇者の生き様を知っている聖剣が、この程度で極光を絶やす鈍らではないと、心の底から信じているから。

 力を込めれば、熱意を当てれば。

 ほら、聖剣は担い手に応えんと輝いてくれる。美しくも過激な極光を纏わせて、命全てをその刀身に宿す。

 お互いに強がって、お互いに鼓舞し合って。

 空間の裂け目から再び顕現する、未だ懲りない邪神へと殺意を向ける。


【───■■■■■!!】


 聖剣の切り傷を遺した神の瞳が、憎悪と殺意、破滅的な死の熱を込めて振動する。かつて勇者にトドメを刺され、滅びに瀕した筈の神は、100年をかけ今この時復活した。

 魔王の心臓を取り込んだことで変色した肌は大部分元の白色に戻ってはいるが、所々斑模様のように黒い侵蝕痕が点々と残っている。

 変異した黒は未だ神の身を蝕んで、安らかな赦しなどは欠片も与えない。


 侵蝕されたまま、外なる神は蘇ってすぐ二人への復讐を果たしに来た。


「まーた殺されに来たね、あの神様」

「……再生怪人にはさっさと退場してもらうとしよう……葬式が控えてるんでな」

「盛大によろしく」

「参列者一人でか」

「うん!」

「ククッ」


 リエラの活動限界は刻々と、命の終わりは迫っている。


「あの時と同じ方針で───いや、記録更新を目指そう。前回よりも早く、アレを殺すぞ」

「いーよ、大賛成。仲良くなった私たちのパワー、神様に見せつけちゃお」

「途端にやる気が無くなったんだが」

「えぇ!?」


 最後まで軽口を叩きながら、二人は神へ力をぶつけた。






◆◆◆






 結論から書く。神は、また死んだ───完膚なきまでにボコボコにされて、再起不能を願ってまたぐちゃぐちゃのめちゃくちゃに破壊され、砕かれ、粒子となって世界から消滅した。

 カーラは呻き声すら聴くのも嫌だと言わん速度で、また三度目がないように散らばる光の粒子を、神の残滓を空間掌握で一箇所に集めて封印した。

 二人がかりで築いた78000枚の壁に囲まれた多重結界は外なる神を完全に外界とシャットアウトし、仮に復活して表舞台に立とうとしても、何千年とかかるよう嫌がらせを実行したのだ。

 ついでにベースキャンプから遠く離れた探索済み区域に放り捨てた。もう行く予定もないので関わることも触れることもないだろう。


 ……ちなみに、折角開かれていた空間の亀裂は戦闘中に勝手に閉じてなくなってしまった。

 だが、それを気にする程の余裕が今のカーラにはない。


 何故なら、戦闘を終えて気が緩んだリエラが、とうとう崩れるように倒れたのだから。


「リエラッ!!」

「───あー、ごめん。ごめんね。ちょっと……ちょっとキツくなってきた、かも」


 心臓を失くした状態での大立ち回りを演じたリエラは、普通なら死んでいる致命傷をものともせずにいた。それは偏に勇者としての意地、魔王と対等の人間としての誇りで耐えていただけ。

 回復魔法と意識を覚醒させる魔法を持続的にかけて命をギリギリまで繋ぎ、満足に動けない己の代わりにカーラが聖剣を突き立てるまで身体を稼働させ続けた。

 人類代表、希望の象徴、明空の名に恥じぬ暴れっぷりは何度もカーラの脳を焼いた程だ。

 だがそれも限界。無理矢理動き続けたリエラは、愛する元宿敵の腕の中で呼吸を乱して、その意識を徐々に朧へと溶け込ませていく。


 そっと床に寝かせられたリエラは、苦しげに吐血する。


「ごほっ、ごほっ……」

「……よく考えてみれば、もう120になるのか。私もだが欠片も寿命を考慮していなかったな」

「あはは、確かに……私、もうおばあちゃんなんだねぇ。全然見た目に変化なかったから、考えもしなかったや……ねぇ、それなら……これって大往生?」

「戦死だろ。天寿を全うしたなんて、言えないと思う」

「だよねぇ」


 100年は魔族からすれば短い年数だが、人間にとっては生まれてから死ぬまでの全ての時間と行っていい年月だ。老いを知らないカーラも、自覚していなかったリエラも、自分たちが如何に異常なのか認識することもなく狭間からの脱出を試みていた。

 実年齢を考えればベースキャンプで余生を過ごさせて、自分が全部やるべきだったと考えるズレた思考を余所へと追いやって、カーラはリエラの真隣に置かれた聖剣を……寿命問題の元凶となる神器を見つめる。


「聖剣による老化の否定……いや、停滞の付与、か」


 神々が求める勇者の、一つの理想の形。それは死ぬまで全盛期であり、黄金時代に突入してからは一度も劣化することなく戦い続ける戦士であること。

 明空の聖剣アイリス・エーテライトはその理想を勇者に押し付ける。担い手の肉体年齢が最盛期に至ればそこから退化することのない、心身共に万全な状態で死ぬまでの間戦闘を維持できるという効果を、この100年の間リエラへ付与し続けていた聖なる神器。

 戦闘兵器扱いに思うところはあるが……カーラたちは、100年という年月の重みを、永遠に続くかと思われていた安寧の意味を、様々な要因で忘れてしまっていた。

 無論、聖剣も万能ではない。永遠の命は与えられない。いずれ停滞ですら追いつかないぐらいに寿命が尽き、突然別れを告げる暇もなく終わる未来も待ち受けていた筈だ。

 それがわかっているからこそ、カーラはこれ以上なにも言わない。


「不意打ちで戦死かぁ……らしくないなぁ。でも、歴史で活躍してた英雄たちって、こんな死に方……多く、ない? ふふっ、私も英霊の仲間入り……って、ヤツ?」

「……暴れっぷりを見るに、オマエはそれ以上だろ」

「えへへ、ほんと?」

「あぁ、誇れ。名のある英雄でも私の顔を殴れたヤツは、リエラ一人だけだ。傍から見れば魔王に大打撃。これ以上ない絶賛物になると思う、が……なんかこれ、事実なのに私が自意識過剰なヤツみたいになるな?」

「嘘じゃない、ん、だから……いーんじゃ、ない?」

「……それもそう、か」


 ありのままにリエラを褒め称える。

 確実に、これが今生の別れになるのだ。言いたいこと、言うべきことを、言いたいだけ伝えていく。最期だからと遠慮することもなく。

 あらゆる障害を飛び越えて、手を繋ぎに来た英雄に心を寄りかける。

 ……カーラは負けた。

 リエラ・スカイハートという名の勇者に、戦においても心においても負けたという自負がある。一切の僻みなく、負けたと認めることができる。

 それぐらいには、カーラはリエラのことを受け入れていた。


「……思った以上に、絆されてしまったな」


 最後の一時まで、リエラの生き様を目に焼きつける。

 死を拒みたい想いが少なからずあったカーラが、独自の延命方法を幾つか試そうかと提示したのだが……リエラはそれを固辞して、拒絶した。人間のまま死にたいという、ありふれた願望にカーラは否を唱えられない。


 無断無許可で肉体を改造するのも、寿命を伸ばす外法もカーラは決行できない。


 そう、できるわけがないのだ───リエラは宿敵であるだけでなく、対等な友になったのだから。死ぬのを拒み、無理矢理生かすなど。

 自己満足で生かすなど……もうできるわけがなかった。


「あっ……ごめん。約束、守れそうにないや」

「あぁ、気にするな。オマエは悪くない……恨むべきは、オマエではない。でも、そうだな……なら、私の代わりに元凶共殴っといてくれ」

「あはは、いーよ! ……でも」

「うん?」

「これって、さぁ……ある意味、私の……抜け駆け、に、なっちゃう……よね?」

「………あー、ホントだ。協定違反だ。罪では?」

「ごめんね……本当に、ごめん」

「っ……もう、うるさいなぁ。別にいいんだよ。謝んな。似合わないから」

「なにおぅ」


 一人っきり、外を求める旅からの先制離脱。死後の魂がどうなるか想像もつかない現状、それはかつての約束を、休戦の誓いを破るに等しい裏切り行為。

 片方が片方を置いて楽になってしまう。一方的に契約を破棄してしまう事実にリエラは嘆く。謝り倒すリエラに、カーラは額を突いて黙らせる。

 自然と頬を流れる涙────製造時設定していない器の異変には目もくれず、カーラはリエラの頭を撫でてやり、最期の短い時間を会話で彩る。

 言葉を重ね、穏やかで心地のよい、二人だけの世界を。


 運命を決するという誓いも、命を預ける約束も、全てが叶わない夢物語になったとしても……それでも、カーラはこの最後を受け止める。

 リエラもまた不甲斐ないと自己嫌悪するが、それ以上にカーラを置いていくことへの申し訳なさが、不本意な約束破りをすることに心を痛めつける。

 それでも、最後は笑っていたいから。笑顔で別れたいと思うから。


 リエラは強ばっていない、自然な笑みを浮かべるのだ。


「あの、ね……私、ここに一緒に、迷い、込んだのが……カーラちゃ、ん…で、良かった、よ」

「私も、リエラと一緒にいれて楽しかった。ありがとう」


 今までは死を悼むなど考えもしなかった。なのに、この100年ぽっちしか共にいない、他の友人たちよりも少ない時間だったのにも関わらず……カーラの心は痛んでいる。

 朋友の喪失はなにもりも苦しくて、叫びたくて、地面に蹲りたくて、どうにかなってしまいそうなほど寂しくて。

 生まれて初めて、悲しい涙が頬を伝う。留めなく溢れてポトポトと雫が落ちる。


 今まで封殺されてきた感情が、ここにきて壊れたように溢れ出す。


 涙で歪んでいく視界も、意識と共に霞んでいく視界も。その中でも、お互いの変わらぬ姿を、生きた表情までもを脳裏に焼き付ける。

 唐突な終わりに耐えようともしない心の声を押し殺す。


「っ」

「ん……」


 薄れゆく意識の中、嗚咽を必死に堪えんとするカーラをリエラは優しく抱き締めて、宥めるように頭を撫でる。

 本音を語るのであれば、狭間から脱出するまで、いや、脱出してからも───二人で一緒に旅をしかったけれど、もうその願いは叶わない。

 あまりにも悲しくて、苦しくて、辛くて、この現実から逃げたくなるけれど、そうも言ってられない。無くなった胸がはち切れそうになる思いに駆られながらも、リエラは気丈に振る舞いカーラを想う。

 死にゆく運命には唾を吐くが……弱音だけは吐かない。自分のせいで傷つく最愛を見ていられなくて、これ以上に傷ついてほしくないから。

 自分の死で、魔王を傷つけたくないから。

 無理にでも笑顔を作って、嘘偽りのない、ありのままの想いを伝える。


「何度でも言うけど……大好きだよ、カーラちゃん」

「…………ばぁーか。私も………ううん。なんでもない。気にしないで」

「ぇ、え!? そこは言うとこしょ!? なんで!? これで最期なんだよ!? 伝えよ!? 素直になろ!? 続けて!? 本音を! 思いの丈を隠さずに! ほら! 私に! 愛を!!」

「必死すぎてキモい」

「げほっ、ごほっ……地味に傷つくこと言わないでよ……あー、はぁ……もう、これだからカーラちゃんは」

「罵倒……」


 終わりの寸前まで変わらない会話のペースが、創造より意外と心地よくて、なんだか面白くて笑えてしまう。辛い寂しさを和らげる為か、自然と涙が溢れてしまうけれど。

 最後まで変わらぬ時が、なによりも大事に思えて。

 寂寥もある。悲嘆もある。なにもかも、まだ割り切れていない。


 それでも、カーラは、リエラは、この別れを受け入れる準備を終えた。


「……そろそろ、かな」

「口で言うなアホ」

「うっ……辛辣すぎて逆に安心……」

「なにそれ……」


 手を力強く握って、すぐに来るであろう終わりを待つ。


「泣き虫、だ…ねぇ……」

「違う……違うよ。オマエが私を……ボクを変えたんだ。こんちくしょうめ」

「………本性はボクっ娘かぁ……知ってたけど」

「何故」

「お酒」

「理解」


 今まで常に無面を貫いていたカーラが、悲しみに昏れる変わりようは、リエラにとっては三番目に見たかった表情の変化。普通の人間と同じように流れる青い涙は、彼女が生きている存在である証明であり、自己否定する程の欠陥生物ではない証拠。

 いつか見たいと願った“笑顔”とはまた違うが、リエラは最期の最後にいいものを見れたとにっこり微笑む。

 魔王を変えたという自尊心が、苦衷の中の僅かな喜びがリエラにほんの少しの希望を紡がせる。


 それが、カーラを現世に縛り付ける約束/呪いになると、心のどこかでわかっていながら。


「エー、テル、には……さ? 転生、ってのが、あった……でしょ? だから、きっと……また…私は、私たちは、必ず会えるん、だよ」

「ッ、転生、か……低確率の奇跡に身を委ねろ、と」

「うん。だって、私は貴女の勇者だから……貴女の元に、行くから、さ」

「……あぁ」

「待っ、待ってて……待ってて、ね」

「……くふ、くふふ……あぁ、そう、だな。いいだろう。幾らでも待つさ……」


 息も絶え絶えになりながら、苦痛に喘ぎながらも、またリエラは宣言する。

 輪廻の輪を乗り越えて、記憶を持ったまままた会うと。

 その身に溢れる想いの力と、勇者としての資格と、己が持ち得る全てを投げ打ってでも、カーラに会いに行くと。再会を約束する。

 それも、普通ならばバカにされるような夢物語。

 そんな机上の空論を、カーラは否定しない。祈るような想いを胸に抱いて、信じることにした。


 またいつか、キミと会える未来を。楽しみに待つ。


「ん」

「……ん」


 僅かな可能性に、小さな希望に望みをかけて……二人はまたいつか巡り会う日を、再会を誓う。




───そして。




「───……」

「……おやすみ、リエラ。ボクが、知る中で、キミは……最高の、勇者だった」


───リエラ・スカイハート、享年122歳。魔王カーラに敬意と憧憬、友愛を込めて讃えられた勇者が、今この時、命の灯火を消して……永き戦人生の、幕を下ろした。

 最後まで、笑顔を絶やさずに。

 誰かの希望であろうとした少女は、最期まで人々を守り導く希望になり続けた。


「…っ……うっ……!」


 鎧を外された膝の上に頭を乗せ、安らかに眠った勇者。その頭を撫でながら、勇者に絆されて、心を解かれて……武力以外をもって倒された魔王は、静かに友を悼む。

 悲哀に歪めた顔を歪めて、もう二度と戻らない100年を懐古する。



───覚悟しろ、魔王!!


───これ、勇者の口上なの。ちゃんと覚えてよね。


───勝手に模様替えするのやめて! 迷っちゃうから! なんで? なんで迷うぐらい広くなってるの!?


───魔王!


───カーラちゃん。


───カーラちゃーん!


───カーラちゃん?




───好きだよ、カーラちゃん。



「っ、ぁぁ……ぐっ、ぅ……」


 黒く淀んだ片手で口元を抑えて、嗚咽が止まらない喉を掻き毟りたくなる衝動に駆られて……何度も何度も悲しさから来る音を塞き止めようと試みて、失敗して、失敗して失敗して失敗して、諦める。

 物言わぬ友を支えたまま、塞がらない穴に指を添わせ、流血すら止まった亡骸に雫を落とす。

 短いようで長かった、長いようで短かった……

 時間感覚の壊れた矛盾の世界で、ただ一人、死ぬ時まで己の傍にいてくれたモノ。


───色を失っていく空の下、魔王はまた孤独に沈む。


 二人でいたから耐えられた。ずっと隣にいてくれたから自我を壊さず、歩みを止めずにいられた。希望を唄う声を毛嫌いして、明日を呪っていた過去の自分が、それなりに未来を思える程度には、淀んだ思考を浄化された。

 あらゆるモノを奪って消し去ったのに、それを責めず、この手を取ってくれた女は───もう、いない。


 名前をつけるのを嫌がった感情が、遂に行き場を失って暴走するように渦巻く。

 呼吸ができない。

 思考が纏まらない。

 希望が見えない。

 生きる意味も、歩む意義も、たった一人で孤独の世界を旅する現実に、心が耐えられない。


 生まれて初めて───転生してから初めての涙は、全て勇者の為に流される。


「ぁ……あぁ…ぁあああ………あああああああああああああああああああああああぁぁぁ………!!!」


 魔王は、異邦の魂を乗せた残骸の結晶は、勇者の手で、勇者の“ぬくもり”によって討伐された。忘却に追いやった悲しみを思い出して、苦しみを理解させられて、遠い昔の過去に捨て去ったヒトの情緒を、再び植え付けられた。

 孤独となった王の慟哭が、白平線に響き渡る。

 エーテル世界を脅かした巨悪は、心の弱い人に戻され、神様仕掛けの人形から、ただの臆病な小娘へ。病に伏して腐り果てた、異邦人の精神へと堕ちる。

 魔王を名乗れる程、強面で世界を相手できるほどの……力ある意志は、もう保てない。


「あぁ……あ゛あぁ………」


 心を壊した絶叫が、果てなき絶望への慟哭が喉を劈く。


 どこまでも、どこまでも……魔王になった元ニンゲンの悲鳴は響いていく。




───こうして。勇者と魔王の長き旅は、神という邪念に引き裂かれた。

 唐突に終わってしまった旅路に、一切の光明はなく。

 孤独に突き落とされた魔王は、勇者の死を背負って再び歩み始める。


 いつの日か、友の亡骸を───故郷の地へと帰す為に。


───今この時、魔王カーラの一人旅が、千年続く孤独の旅路が始まった。


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