第4節:終わりなき世界の果てで
カーラとリエラが狭間に落ちてから───14日目。
お互いに必要以上の会話を求めず、黙って探索をする。
落下地点をベースキャンプにして、そこを起点に四方を練り歩く日々。朝も昼も夜もない、自分たち以外になんの色彩がない狭間を無言で休まずに探索するのは、否応にも二人の精神を蝕んだ。
難航する調査に希望はなく、常に無言でいるのも流石に辟易としてくる。
根負けして、限界が訪れた二人は遂に言葉を交わす。
「ねぇ」
「……なんだ」
「なんか話そ。気が狂いそう。紛らわせて」
「……うん……んんっ。そうか。好きにしろ」
「……あのさ、前から思ってたんだけど。なんでさも私は気にしてませんって顔ができるの?」
「喧嘩売るの早すぎだろう」
「ごめんつい」
14日も耐えたと褒めるべきか、耐えきれなかったのかと蔑むべきか。やっと音を上げたリエラとカーラは、本当に不本意ですと言った顔で会話を振り合う。
気が狂いそうな世界を生き抜く為に、沈黙を貫くことを諦めた二人は言葉を交わす。
「あの魔法陣って実際どーなの? 製造期間教えてよ」
「設計に4ヶ月、構築に3日、起動に漕ぎ着ける前段階魔力補充に半年と16日、一回誤って暴発して、その術式修理に2週間はかけて……安定するまでに4年以上はかかったな」
「それ戦争の前? 後?」
「勿論前だ。ちゃんとできてから喧嘩を売った……私は、そこまで考え無しじゃない」
「成程ねぇ」
100年かかった人類vs魔族の楽園戦争。終盤に生まれて生きたリエラが、生まれた時の前の時代を話題に紐付け、色々な話を好きなように、お互いがお互いの記憶を幾つか掘り返しながら会話を紡いだ。
思い出を確かなものに、共有するように。
そこからは気が緩んだのか、自分の出自や秘密まで……尽きない話題を互いに出していく。
何故、勇者となり世界を救う旅を始めたのか。
何故、魔王となり破滅を目論んで、やがて世界の全てを敵に回したのか。
二人は何気ない会話から意味を成さない無駄話、更には外部に漏らしては……それこそ敵には聞かせてはいけない機密情報までもを特に深く考えず思い思いに喋っていた。
全て退屈を紛らわす為、なにもない世界を理由に二人は口を軽くする。彼女たち以外に誰もいないのが……止める誰かがいないのも拍車をかけた。
……その最中も魔力を波にして虚空に反芻させるというエコーロケーションの要領で狭間の綻びや破壊できる箇所を探しているので、本当に片手間の会話だが。
そんなツマラナイ作業が、二人の口を軽くしていくのは言うまでもない。
「いやー、ほんとに綺麗なんだよ? 絶対状況とかが悪くてそーなっただけだって」
「青空嫌い」
「外に出れたら一番いい景色見せてあげるから! 絶ッ対に好きって言わせてあげるもん!!」
「はいはい」
あの日、生まれて初めて見た青い空の感動をカーラにも共有したくて、最終的には自分の好みを強く押し売りするかのように熱く語ったり、熱弁が行き過ぎて、脱出後共に空を見る約束を結んでしまったり。
特に叶える必要もない、破るつもりでいっぱいの約束を律儀に記憶したり。
「作戦がダダ漏れだった原因はやはりアイツだったか……つまり戦犯と。やはり出奔されるときに記憶を消しておくべきだったか」
「いやそこまでする必要はないんじゃないかな!?」
「記憶喪失になった挙句敵対陣営に入ったバカなんて……そんな扱いでいいだろ」
「で、でもドゥは……旅の間も毎日毎日悩んでたんだよ。自分はどうすればよかったんだろ、生きてる意味ってなんなんだろ、って。だから、その……あの子のこと、少しは許してあげて? あ、高頻度で魔王の悪口言ってたけど」
「わかった。あの羽後でもぎ取ってやる」
「やめたげてよぉ!!」
援護射撃に見せ掛けた死角からの突き落としで約一名程脱出後に酷い目に遭う未来が確定したが、仮にその展開が来てもリエラが止めに入るだろう。
天界唯一の生き残り、記憶を失っていた天使のアホ面を脳裏に思い浮かべながら、二人は愚痴を続ける。
仲間へ、家臣へ、過去の強敵や印象深い者たちへ。
積もりに積もった苦悩や本心を曝け出して、呑気に和気藹々と、過去の己なら驚くであろう感情をもってお互いを知る。
「怪獣決戦かぁ……懐かしいね。あの時が何気に一番大変だったかも。特にあのデカすぎるカラス! すごい広範囲をめちゃくちゃにされて、こっちは大変だったんだよ!?」
「……クラウバードだな。思えば、随分と甘えん坊だった記憶が強いな」
「あー、お世話してたの?」
「生みの親」
「あっ……」
「どっかのなー、誰かがなー、問答無用で、情け容赦なくぶっ殺してくれちゃったからなー」
「ごめんて」
時には郷愁に耽って、過去の強敵を弔って思いを馳せ。
「や、私の仲間のほーが強いもん! イユは剣術マスターで道場破りのプロ! ドゥは美声でドーンッと魔族なんか軽く吹き飛ばしちゃうし! ヴィル爺は強くて逞しくて、ずっと恋に生きてる王様だし! アクくんは辛辣毒舌女の子のこと愚痴愚痴ゆーけど仲間思いだし! 皆、私のことをここまで支えてくれたすんごい人たちなんだよ!!」
「そうかそうか、すごいな。うんうん。すごいね」
「そーだよ!」
「……うちの、ヤツらは………褒めれるところあるかな。ないかも」
時に酒を片手に、過去を摘みに会話に花を咲かせ。
「……ねぇねぇ。ここ、この前も見なかった? 見覚えある通った形跡置いてあるけど……そう、貴女が置いた二頭身カーバンクル像の目印が」
「……気の所為、だ。うん」
「…………あのさ、もしかして」
「違う」
「まだなにも言ってないよ」
「黙れ」
「はい」
弱味の一つである、ひた隠しにすべき迷子の癖を唐突に暴かれたり。
「カーラちゃんって呼んでもいい?」
「……好きにして」
「それとこれからは私のことリエラって呼んでね約束だよはい決定事項!」
「は?」
───気付いた時には殺意も叛意も薄れ去り、互いに素を見せて会話できるぐらいには仲が深まっていた。
特にカーラはその変化が顕著に現れた。
魔王らしい傲慢不遜、無感動で平坦すぎるのではなく、何処となく幼さを感じさせる雰囲気を纏っていた。心ない怪物の如きおぞましさは、ガラリと消え去ってしまった。
本人曰く、演じたままなのが面倒臭くなったから。
【無情闇無】の感情起伏を抑制する権能、自称神より贈られた呪いにも似た祝福は、今は必要ないと停止させ、無のままの表情筋ではあるものの、それなりに感情のある声色と表情で勇者との会話を楽しんでいた。
魔王としての仮面を外して、素面を晒したままリエラの隣を歩く。無表情のままではあるものの、カーラは確かに一人の人間としてリエラを認めていて……己の秘匿された本性を見せることを良しとしていた。
不本意だと口には言うが、カーラはそれほどまで勇者に気を許していた。
「勇者」
「リエラ」
「……勇者」
「リエラ」
「ゆ「リエラ」…………り、リエラ」
「うん!」
カーラの雰囲気の変わりようにリエラは驚きながらも、また嬉しそうに頬を緩めて、カーラとの会話を酒の摘みに白一面の異次元を旅していく。
空白の期間を、感情の谷間を埋めるように。
「きれーな目」
「やめろ、ジッと見るな……」
「えー、いーじゃん!」
「チッ」
微量な魔力で動く懐中時計で時間帯が深夜であることを確認した二人は、わざわざ用意する必要もないが気紛れに焚き火を一つ焚いて、地べたに座る。
そしてリエラはカーラの顔をむんずと掴んで、正面からまじまじとその紫瞳を覗き込む。
必死に魔眼を逸らそうとしたカーラだったが……最後はなすがままリエラに見つめられていた。
「……なにが楽しい」
「……んとね、人を知る時は目を見ろって教えられてさ。だから見てるの……うん、やっぱりきれーな色。この変なバツマークもいい味出してて好きだよ、私」
「……そう」
「うん」
闇を頌える魔眼、傾けられた正十字の紋様が妖しく輝くその紫瞳を、リエラは魅入られたかのようにジーッと無言で見つめ続ける。
最終的には熱い視線に気味悪がったカーラに思いっきり突き飛ばされてしまったが。
それでもリエラの視線はカーラを見つめたまま。
敵意とも嫌疑ともまた違う、随分とむず痒い感情の波を真正面からぶつけられるカーラは、内心タジタジになって目を逸らすしかない。それでも頑なに動揺を表面から顕に出さない辺り、2000年で培ったカーラの自慢たる無面の鉄壁さが垣間見える。
「ねぇ、笑ってよ」
「イヤだ」
「なんで?」
「なんでもなにも……オマエなにを企んでる。さっきからなんか怖いんだけど」
「えー? 気の所為じゃない?」
「そうか?」
「そうそう」
「……」
「……」
胡座をかいた二人の間に走る奇妙な沈黙。カーラの疑念塗れの視線には意も介さず、リエラは新たな薪を焚き火に放っていた。
リエラが最初で最後のカーラの笑顔を見たのは、残骸となった魔王城の上。外なる神へ得意気に奸計を語っていたあの時のみ。狭間に落ちてからはずーっとずっと無表情。常に笑顔を絶やさぬよう心掛けている己と違い、カーラは人形のようとしか言えない無面を理由もなく貫いている。
いくら笑える話をしようが表情は変わらず、声にもまだ感情が乗り切れてない。
本性を見せてくれるようになったとはいえ……魔王から笑顔を引き出すのは難しいらしい。
そこでリエラは、心に芽生えた小さな芽を隠すように、カーラへ微笑みながら決心した。
───この女、絶対笑わせてやる。
━…━…━━…━…━
「……そーいえば、さ。心臓ないまんま、だよね?」
ある時。ベースキャンプから10km離れた地点を魔力で探索していたリエラが、やる気を失って白い床に仰向けで倒れていたカーラに一つ質問した。
指摘されたのは胸鎧をまん丸にくり抜かれた貫通痕。
外なる神に奪わせた心臓部の空洞を、塞がれた表皮の上からなぞる。ナチュラルに谷間を触ってくるリエラの手を強く叩き落としたカーラは、なんてことないような軽さで答える。
「所詮はニンゲンを真似た模造品。無くて構わ……おい、だから触るなって」
「見て見て、すんごい凹む」
「遊ぶな」
皮の下は黒一色、濃厚な闇のみが胎動する人外の肉体。骨も形だけは揃えてあるが、大半の臓器が備わっていないのがカーラの身体。指で押してちれば人間のと変わらない感触がしても、中になにも入ってなければ違和感が勝る。
そんな違和感を啄くリエラは、カーラに止められながら指が皮肉に沈む感触を楽しんでいた。
カーラからすれば傍迷惑極まりない。
……そしてそのとき。リエラが一つとんでもないことに気付いた。
「んん……あれ、心臓ないならどーやって倒せばいいの? 今気付いたけどまずくない……?」
「ふっ」
「ちょ、ねぇ!」
「くふ、確かにこのままでは殺せないなぁ……精々悩め、ばぁーか」
「はぁ!?」
半年も前に捧げた仮初の心臓は、本来ならさ人魔共通の弱点となるべき臓器である。カーラに限っては弱点になり得ないという驚愕の事実。心臓を刺すか、脳天を貫くかで討伐を目指していたリエラにとっては前提条件を狂わされ頭を抱えるしかない。
カーラは【無情闇無】が正常に機能していないことに不思議に思うが、今となってはそれも些事。胸の空洞にも思うところはあるが……深追いはしない。
直らないことに意味はある。
……今はまだ、そこを追求する時ではないと言った方が正しいだろうか。
「はぁー、ムカつく」
「クハハ」
知恵あるもの、力あるもの、勇気あるものならば。
いずれその致命を見つけることができるのだろう。己の宿敵と認めた勇者であるならば、きっと、間違いなく。
カーラは信じている。ただの勇者ならともかく、この女ならばと。
本音はおくびにも出さず、苛立ち混じりにカーラへ連続足蹴りを繰り返すリエラをせせら笑った。
「そもそもの大前提として、オマエの聖剣が不死の境界を乗り越えられるか否かの話になるがな」
「ぁー、フシ……不死? ねぇ今不死って言った?」
「言った」
「な、なんでェ!? あ、あの時の戦いはなんだったの……やっぱ殴っていーかな!? もう監禁拘束拷問ルートもありよりのありだと思うんだよね!」
「バカが」
今この瞬間、リエラたち人類の対策不足が露呈した。
「……安心しろ。正確には不死に近い、だ……死ぬときはちゃんと死ぬぞ?」
「うぅ〜ん。困った」
「───いや、違うな。死ねなくなったが正しい、か?」
「ぇ?」
また人類にとっての爆弾発言をかましたカーラは、顎を撫でながら言葉を続ける。
死なないと死ねないは大分意味合いが違う。
自己完結するカーラは、必死の形相で全ての説明を求むリエラに仕方ないなと滔々と語る。
「死ねない、の?」
「なにも絶対的な理ではない……死ねる条件があることは知っている。それが成立するかどうかは……現状なんとも言えないがな」
カーラとは、不定形の闇と歪な精神のみで存在を象った埒外の魔族である。彼女を魔族と呼んでいいのか定かではないが、種の枠組みに押し込むのすらも憚る程度には理解を拒む異常生命体、それがカーラだ。
見た目は黒髪美人でも、随所に人ならざる者だとわかる要素が点々としている。普段は鎧の下に隠れた炭のように黒ずんだ両手、突起や穴のない人形の如き作られた肢体、腰から臀部にかけて描かれた薄い紫に明滅する謎の魔術的紋様など、全身の特異から例を挙げればキリがない。
肉体という肉体がない。つまり、心臓という急所がない───特別な方法を用いなければ絶対に殺せない存在 。
それに加えてもう一つ……カーラは死ねなくなった原因となる、忌まわしい神々に植え付けられた外付けの呪いについても話す。
カーラを延々と蝕む、運命に死を委ねたがる神の呪縛。
運命やら使命やらを好む神々らしい呪いの形で、魔王を簡単には死なせないぞと、なんらかの思惑をもってかけた神呪の。
三つのある条件を達成した人間───真の勇者によって殺されるという運命の強制。
選ばれた者以外には殺してもらえないという神の呪鎖。
暴走した一部の神々の凶行。一見すれば魔王の不死性をより高めるといい敵に塩を送る行為であり、カーラ自身も当初は「なにがしたいんだこいつら」と無表情の下で疑念と嘲笑を隠せずにいた。
なにせ死なない。なら可能性のある強者は纏めて屠れば永遠に生きることができる。
……まぁ、前世を思い出す前からカーラは長生きに魅力自体感じておらず、死ねなくなったのはどちらかと言うとめんどくさいという感想しか出てこなかった。
そもそも不死に近いのに。どんな意味があるのやら。
とはいえカーラは“それはそれ、これはこれ”の分別する精神で普通に利用したが。
幾つかの検証をもってその神呪が本物であり、また破壊できない代物であると判明。本命だとされる権能の一つの封印の方が厄介ではあったが、カーラはそれ程気にせずに今まで戦場に赴いていた。
例え戦場に“運命”がいたとしても、自分なら気付かずに葬れる絶対的且つ最強の自負が、自信があったから。事実彼女はこれまでそれっぽい枠組みの異常に強い戦士を悉く滅ぼしている。
どれだけ強くても無意味かのだと、その身をもって力を証明していた。
そう、まだカーラは自分を殺せるという運命とやらに、真の勇者とやらと出会していない。可能性がありそうなのが真隣で悔しそうに呻いているが……未だ確証を抱けず、攻撃全てに死を予期するモノがなかったせいでそうだとは思えていなかった。
まだ覚醒しえいないのか、他にも自分に匹敵する人間がいるのか。
……取り敢えずまだ死ぬことはないと安心しきっているカーラは、呑気に欠伸の真似をすることで不死性の説明を一旦中断させる。
「そっ、かぁ……」
「……ん? まさか……共有、されてなかったのか? 魔王を倒せるのはこの世に一人、私たち神に選ばれた人間のみ、だとか」
「その……まさかだよ……うん、初耳だもん……そもそも聖女神様が把握してたかも怪しい」
「なに?」
とっくの昔に楽園軍全体に周知されている話だと思っていたカーラは、理解できずに首を傾げた。
そして暫く脳を回転させ……あぁ、と一つ頷く。
「やってくれたヤツらは皆殺しにしたから、他の神は何があったのかすらわからなかったのか……いや、わかってもやりようがなかった、といったところか」
「ねぇ、情報の秘匿して楽しい?」
「故意じゃないし」
「だからってさぁ」
カーラを蝕んだ呪いは一部の神々が暴走した結果。他の神々……特に比較的マトモであると分類できる神々には、特に寝耳に水な話だったのだ。
神がわかったのは魔王を葬るのが難しくなった、魔王に勝つ難易度が上がったということ。
この件に関与していなかった神々はこの事態に焦って、なんとか打開できないものかと魔界に強い刺客を送ったり地上に幾人もの勇者を作ったりと、様々な策を複数弄して頑張ったが……結果はご覧の通りに終わった。
埒外な呪詛の正体に気付いたときは既に手遅れで、後に神々は一柱を除き全滅した。
四天王の手で天界事逝ったのはカーラの記憶に新しい。
魔王討伐を目指した英雄、兵、国の全てが世界を平和にする夢を達成できなくなるという、あまりにも酷い真実を突き付ける神呪である。
この呪いがなければ楽園戦争は100年も続か……いや、どちらにせよ続いていたかもしれない。
「ぶっちゃけ不死より権能停止の方が痛かったしな」
「あったらどーなったの?」
「そもそもリエラは私の前に立てないし、戦いにすらならない」
「マ?」
「うん」
元より死にずらいのに死ねなくなっていた最強の魔王。あまりにも先の見えない試練を、青空を夢見た勇者は乗り越えられるのか。
何処かワクワクとした気持ちを隠さずに、カーラは声を弾ませる。
それに応えるように、リエラは笑って言葉を返した。
「いいよ、やってみせるから───貴女も、かっこよくて素敵な最期の言葉、ちゃんと考えててね」
「ほう?」
決意を燃やす様を見て、いずれ再戦する己たちの運命の終わりを夢見る。
いくら仲良くなろうと、その結末は変わらない。
二人がいずれ、決着をつけなければいけないことに何ら変わりはない。
だからリエラは宣誓する。誰よりも忌むべき黒き宿敵に誓いを立てる。
「───私が、殺してあげるから」
「───そうか。期待はしない。だが待っておこう。その意志が折れるまで」
いずれその身を蝕む約束を、最初で最後の誓いを。
勇者と魔王、リエラとカーラは、また一歩開いた距離を近付けた。
───それからも勇者と魔王の旅は終わることなく。
「魔王なのに王冠ないの?」
「いらん。性に合わんし……ま、この鎧に相応しい王冠があるなら被るが」
「ないかも」
「だろう?」
───
「うわーい、カーラちゃん今日は何作るのー?」
「オマエを殺す魔法」
「えっ」
───
「足湯!」
「リエラ、私の影に足を入れるな。飛沫が飛ぶ」
「影の飛沫ってなに?」
「さぁ」
───
「見て、聖剣。持ってみ?」
「……右手が焼けたんだが? ジューって鳴らして焼けたんだが?」
「ダメかぁ」
「バカか?」
───
「……なに」
「重さを計ってるの……ッ、なんで人工物なのに、私よりたわわなの!?」
「自由自在だからに決まってるだろ……これが最適なの。これ以上は下品。私の求めるスタイルにはね……ちなみに私には痩せるという工程は必要ない。どや」
「ムカつく!!」
「殺意たか」
「聖剣───!!」
「本気かよ」
───
「暇!」
「歩け」
「なにかいい話題ちょーだい! 1000年も生きてたらあるでしょ!!」
「……ふむ」
───
「お洒落チェーック! 脱げ!」
「脱ぐわけない。なにが起きるかわかんないんだから……常に鎧を着てるべき。せめて軽装に……いや私服になるの早すぎでは? 早着替え選手権チャンピオンかオマエ」
「いいから着替えて」
「……どうだ」
「死刑」
「何故。点数は?」
「斬!」
「早い」
───
「おーーーい!!」
「……やめろ。山彦なんぞないぞ」
「……チッ!」
「八つ当たりやめろ」
「だっでぇ」
「号泣……ちょ、おいっ!? 私で顔を拭くな汚なっ、鼻水がッッッ」
───
「ここどこー」
「そこどこー」
「「でーぐちー、どこー?」」
───
「い、いだだっ! ちょ、もーちょいお手柔らかに! ダメ死んじゃうッッッ」
「ただのストレッチだろ。望んだのもオマエなんだ」
「それはそれ、これはこれッ……あっ待っ待ってほんとに痛いッ!!」
「うるさ……」
───
「広くなったね、私たちのベースキャンプ」
「無駄にモノ置きすぎなんだ。料理できないんだからこのアイランドキッチンいらないだろ。見栄え重視で選ぶな」
「亜空間にいっぱいしまってる方が悪い。それこそなんであるの?」
「魔女の家宅捜査の没収品」
「なんて?」
───
「……zzz」
「……ボクの膝を枕にするとか、だいぶ狂ってんなぁ……いや、絆されたのは、ボクか……くふっ、ハハッ、魔王の名が聞いて呆れる」
「ん、ぅ……カーラ、ちゃん?」
「……寝てろ。安心しろ、私はここにいる」
「……ぅ、ん……」
「……ふん」
───
「カーラちゃん!」
「リエラ」
───────…
─────…
───…
─…
「ここも違うね」
「そうだな……」
数年、数十年───…永遠とも錯覚しかねない年数を、カーラとリエラは共に生きた。人の一生など軽々と超える無限の旅路。ふたりぼっちの異次元は解れつつあった相反する心情を否応にもなく捻じ曲げさせ、いつしかお互いがお互いの役職を、役目を、魔王と勇者という敵対構図すら忘れてかけてしまう程の時間を与えていた。
何度も気が狂いそうになってはお互いを求め合い、二人でいるなら平気だと笑えるようになった。
広くなった野営地で、影絵の蝶を指に添わせるカーラは過去を想う。随分と変わり果てた自分自身を、そして隣で呑気に微睡むリエラを眺めて。
本当に、随分と丸くなったと───まるで、前世の病人時代に戻ったぐらい静かになったと思いながら。
陰鬱さも、苛烈さも、畏敬もない。等身大の一人の女がそこにいた。
「───あっ、ヤバいかも」
「ん?」
「あっ、いやー、その……ちょっと……ね。そう、ドキがムネムネして……ね?」
「……病気?」
「即決判断やめて? 人様を病人扱いするのはやめよっか。傷ついちゃうから」
刃を向け合う敵対関係は、いつしか互いに必要とし合う不可思議な関係にまで変わってしまった。
人肌が恋しくなって。
孤独に怯えるようになって。
共存を望んで。
共生を選んで。
お互いを求め合って、失わぬようその手を繋ぎ合って、弱くなった心を誤魔化すように力強く握って。
───共依存。
100年にも及んだ当てない旅路は、二人の高潔な精神をこれでもかと蝕んだ。
その結果。
「カーラちゃん、すき」
「……敵にうつつを抜かすとか、アホなの?」
「いっ、いーのいーの! 私がいーって言ったらいーの!! わかった!?」
リエラに至っては真正面から隠すことなく、熱を帯びた好意を告げるようになってしまった。
敵意は変異して、殺意は変貌して、色は塗り変わる。
かつて押し殺した本音を、いつの間にか芽生えた感情の色を隠すことも無くなり、リエラは正々堂々と真正面から言葉を告げるようになった。
宿敵いう過去は忘れずとも、その想いに嘘をつくことはない。恥ずかしさは確かにある。だが、そんな当たり前をリエラは恐れない。正直に気持ちを伝えることで、微妙な均衡を保つ今の関係が崩れることも、今は厭わない。
どうせ二人しかいないのだから。当たって砕けてもまた言い寄ればいい。そんな後先一つ考えない思考回路の元、リエラはそのまま想いをカーラにぶつけていた。
その全てをぶつけられているカーラは困った顔をして、ただたじろぐばかり。
「暴論…」
「ぇー、今なら誰も見てないじゃん」
「これが勇者の姿か?」
「うん」
「曇りなき眼……」
「えへへ」
至近距離まで詰め寄るリエラに、カーラは後退りすらも許されない。たった100年でここまで関係性に進展、いや変化があるなど想定外にも程がある。カーラにできるのは付かず離れずでそっと逃げ惑い、好意を跳ね除けるのみ。
……ここまで好意的な感情をぶつけられたのは生まれて初めてで、カーラの中では戸惑いが勝っている。
「やめろ、趣味が悪い」
「や、そんなことないもーん。心に嘘はつけないよ。私、勇者なんだから」
「矛盾」
勇者を名乗るなら魔王に恋するな。諦め半分で内心そう嘆いて天を仰ぐが、視界目一杯に広がっているのは虚無の白面のみ。
心安らげる空間がない場ではまた溜息を吐くしかない。
……リエラが抱くのと同一の“色”が、自分にもある事実からは目を背けて。
「オマエのは、アレだ。ストックホルムとか吊り橋とか、そーゆー現象に心理を歪まされてるだけだ。恋心になんて曲解は、あとで自分が苦しむだけだぞ」
「知ってるよ? でも、違うんだなー、これが」
「……信じられん」
「ふふ、どっちだろーね? ……ま、私自身、よくわかってないんだけど」
「おい」
額を小突かれか細い悲鳴をあげるリエラだが、カーラの論評は真っ向から否定する。
───自分の想いは本物だと。魂でわかるのだと。
目と目を合わせて、揺るぎのない自信をもってリエラは答える。
相手から、想い人から全てを否定されようとも、私は私なのだから。
「でも、それでいーじゃん!」
膝枕をされたまま、リエラは想い人の頬に両手を添えて微笑んだ。