第1節:魔王城決戦
───楽園戦争。
とある世界の終末期に開戦された、種族問わずあらゆる全てを賭けた───100年続く最終戦争。
人類vs魔族、理不尽な運命に抗う最後の殺し合い。
魔王によって仕掛けられたこの戦争は、終始人類陣営の不利なまま進行。空を奪われ、生まれ故郷を奪われ、幾人もの英雄、幾つもの国が滅びゆく……等しく全てが塵芥となって消えていく、安全圏などない全てが滅ぶ大戦争。
混沌と殺意、暗闇に支配された戦争は、瞬く間に世界を黒く染め上げた。
文字通り破滅への一直線。
両陣営のどちらもが終わりに近付いて、滅びゆく世界を舞台に武器を、魔法を、身体をぶつけ合う……その時。
“エーテル世界”の寿命を悟った魔王が、100年もかけた血みどろの争いに終わりを告げる為、最終局面へと戦争を動かす。
───魔王城ドゥーンハイト、浮上。
地下異空間にある“魔界”と地上を遮る大地は、直線上に大穴を開けられた。その奈落から魔王城が浮かび上がる。魔界深奥の切り立った崖にあるラストダンジョンは、今やエーテル世界の全てを悉く滅ぼす“最終兵器”が搭載された機構、空飛ぶ兵器そのもの。
楽園の最期を彩る為、魔王は玉座の間にて魔力を廻す。
明日なき世界に祝福を。
未来なき運命に喝采を。
ベッタリと塗りたくられたような星なき黒空を背景に、深淵の魔城は地上へと侵攻する。
そこに───破滅の躍動を食い止めんと集った、五人の英傑たちが魔城に立ち塞る。
「行くよ、みんな!」
「おねーさんに任せんしゃい! なんてね!」
「ガハハッ、腕が鳴るわいッ───剣聖、結界を斬れッ!ワシが運んでやるッ!」
「うるさ───待て投げるなやめろ死ねッッッ」
「緊張感ないなお前ら」
「ほんとにね!!」
「あはは!」
一同の先頭を駆け抜ける金髪の女剣士───人類最強の希望である、“勇者”と呼ばれる人間が、聖女神より賜った聖剣を手に空浮かぶ魔城へ吶喊する。
目指すは魔王の首。
世界から明日を取り戻す為に、宿敵が齎す破壊を防ぎ、平和を手にする為に。
勇者は───“明空の勇者”は飛翔する。
わいわいと場違いにも程がある賑やかしさで追従する、四人の仲間たちと共に。
「───迎え撃て」
魔王城最奥、玉座の間にて。
計画始動と共に自分の城へ急接近する不届き者を魔法で観測し、世界の滅びに抗う姿勢を眺めていた魔王が、遂に最後の王令を下す。
側に仕える配下たちに、一人のみ特例で通してもいいと告げながら。
王の号令に、四人の怪物が出陣───勇者パーティーを迎え撃つ。
「ごめんねぇ! 悪いけど───ここを通っていいのは、明空の子だけなんだ!!」
「死になさい。陛下のお邪魔はさせませんッ!!」
「双方ともに気合十分、ですね」
「ふんっ」
白い三角帽とローブを纏った魔女、白いフードを目深に被ったピンク髪の少女、魔鎧で全身を覆う吸血鬼の剣士、真紅の龍鱗を持つ巨躯の女龍人。
魔王軍最高位の魔族たちが、魔王城より飛び降りる。
「ッ、ごめんみんな!!」
「いいよ、雑兵は任せて……あの吸血鬼は私の獲物、ね。あれは絶対に斬るから」
「だいじょーぶっ! ガツンとやっちゃって!!」
「わんぶいわん、とゆーヤツだな。滾るではないか!!」
「心配するな───さっさと行け!」
「うんっ!」
仲間たちの激励を浴びて勇者は加速。
青い髪の女剣士は宝玉があしらわれた大剣を振るって、天使の羽を広げたボサ髪の少女が勇者を励ますように背を叩き、獅子の鬣を持つ豪放磊落な老戦士が喝采する。
そして眼鏡をかけた魔術師にも背を押され、再加速した勇者は魔王城へと進撃。
幹部からタダでは通さないと攻撃されるが、攻撃対処を全て仲間たちに任せ、勇者は躊躇いなく城へ突撃。
縦陣突破、あまりにも禍々しい魔力が胎動する城へ堂々侵入する。
「ありゃりゃ、意外とやんねぇ〜。でもさ、こんな簡単に通られちゃぁぼくが怒られるヤツじゃん! 通っていいとか軽々しく言うもんじゃないね!!」
「わかりきったことでしょうに……やはり、知恵はあれど愚鈍は愚鈍ですね」
「……謁見のお許しが出たのは一人のみです。これならば問題ありません……癪ですが」
「なに、こちらも楽しめればそれでいいさ……なぁ?」
妨害もできず勇者に通り抜けられてしまった魔族たちは言葉の割には気にしていない顔で、その場に残った敵を、攻撃を邪魔してきた勇者パーティーを視界に入れる。
勝って勝ち進むことしか考えていない戦意。
自信に満ちた覇気を隠さない、勇者の頼れる仲間たちは負ける理由がないと笑う。
「いい死合にしよう」
「最悪な形にはなったけど───絶対に止める。それが、私なりの恩返し、だよ」
「クハハッ、逢いに来たぞぉルイン!!」
「行くぞお前ら」
エーテル世界の運命を決める魔王城決戦。
浮上を止めない魔城の下、空を飛ぶ8人は武器を構えて大敵と対峙する。
仲間の後を追って手助けをする為に。
主君の敵を払って邪魔を無くす為に。
かくして、人類の希望たる楽園軍の勇者パーティーと、全ての絶望たる魔王軍の最高幹部は最後の激突をする。
「すべては陛下の安寧の為。死んで償え、天使」
四天王“星の獣”
───“星杯”のエフィトリーゼ
「貴様、この期に及んでそれするのか? 馬鹿なんだな? 馬鹿だったな……歳をとっても変わらないのは、まぁ美点ではあるが……ないな、うん。焼かれて考え直せ、ガキ」
四天王“緋灼の竜王”
───“紅極”のルイン
「ここまで付き合ったのです。最後まで踊りますよ」
王室親衛隊“真祖”
───“斬紅”のスレイス・ヴァンガルニア・ドラーク
「キシシッ、威勢あんじゃーん。そんじゃぁ、久しぶりに魔法の実験しよっか?」
魔王の側近“領域外の魔女”
───“狂儀”のドミナ・オープレス
VS
「私も貴女も人を支えるって決めた同士……自分のエゴ、いっぱい貫かせてもらうね、先輩」
元天使長“戦天使”
───ダドゥ・エーゼル
「知らんのか? 冒険者は諦めが悪い。特にワシはもーっと欲深い!! 今までの人生で諦めたことなんぞ一度たりともありゃせんよ! 故に覚悟せい……馬鹿は治らんのでなァ! ガーハッハッハッ!!」
アドヴァース王国“冒険王”
───ヴィルヘルム・ゴウン・アードヴェクト
「真剣勝負」
████“アカシャの剣聖”
───ミレイユ・フィクスドール
「……アイツにはできて、俺にできないこと───今日はそれを覆しに来た。無い胸借りるぞ、先生」
クラスピア神秘顕学会“理の賢者”
───アクト・クラスピア
そして、虚無を頌える玉座の間。全ての終点にて。
「───私たちがいる限り、この世界は滅ぼさせないッ! 覚悟しろ、魔王!!」
「───最早全て無意味。だが歓迎しよう、勇者」
魔王と勇者───世界最強たる二つの巨星が激突する。
楽園軍“聖剣の担い手”
───“明空の勇者”リエラ・スカイハート
VS
魔王軍“魔界の女主人”
───“黒穹の魔王”カーラ
世界の命運を決める最後の戦いが、今、幕を上げる。
◆◆◆
「───愚かにも人の限界を超え、私の滅びを阻んだその功績だけは讃えよう。貴様は確かに英雄であり、勇者だ。
だが、天を超えた程度では詮無きこと。
貴様がいくら神に認められた勇者であろうと……全力の一撃をもってしても、私の心臓には届かない。届く可能性などありえない。無意味な決意だ。
……だが、なにを言おうと止まらんのだろう?
ならば好きに挑め。貴様が抱くその想いも、矮小な魂に架せられたその運命も、全てを否定してくれよう。
完膚なきまでに破壊してくれる。そして───…
勇者の死をもって、この世界に終わりを告げよう」
───楽園の最果てより全ての滅びを嗤う、月の王。
漆黒の魔鎧を身に纏い、蛇腹状の段差があるだけの黒い鉄仮面で顔すらも隠した魔人は、唯一露出させた惣闇色の長髪をなびかせる。
己を睨む人界の英雄を、無感動な声で迎え入れる。
彼女こそがエーテルの全てが生きる未来を奪い、破滅に追いやった元凶。地上から空を奪い不壊の闇で天を塞いだ絶対悪。あまねく世界を滅びに導く、深淵の支配者。
その名は、“黒穹の魔王”カーラ。
「……そうだね。確かに貴女と私の実力差は天と地だよ。何度世界がひっくり返っても事実は変わらない。
でも、でもね。私は知ってるんだ。
魔王なんかに怯えて、泣き叫ぶ日々は……とっくの昔に終わってるってこと。小さな力をみんなで集めて、世界を取り戻そうって必死に抗ってたことを。一人じゃできないことも、力を合わせればできるってことを。
私は学んだんだ。
だから、私は諦めない。例え貴女がなにを言おうと……なにをしようとも……諦める理由には、ならない。
否定なんてさせない。貴女は、や、お前は───…
今この時! 私たち“人間”に───負けるんだ!!」
───災厄の王に牙を剥くは、光輝く白の剣と共に救道を歩んだエーテルの若き英雄。
眩い金色の髪を肩まで伸ばした翡翠色の瞳の女傑。
聖女神にその力を、心の在り方を認められ、定められた滅びの運命を断ち切る使命を背負わされた聖剣の担い手。
仲間や友の犠牲を踏み越えて、誓いを胸に世界を希望で照らさんとする者。更には、世界で初めて漆黒の大天蓋を切り裂き、100年ぶりの青空を地上と人類に齎したという大偉業を成し遂げた───唯一、魔王カーラに対抗できる力をもつ、あまねく世界を照らす者。
その名は、“明空の勇者”リエラ。
二人以外の全てが排除された、二人だけの空間で───戦争に終止符を打つ戦いが、今始まる。
互いの力を、想いを殴りつけて、二人は殺し合う。
「まずは───うん、あれを壊さなくちゃ」
リエラは天井に浮かぶ球体魔法陣に目を向ける。
それは、エーテル世界にトドメを刺す究極の兵器───魔王カーラと魔女ドミナの合作にして、魔王軍に所属する全ての魔族、特に“世界を滅ぼせる”脅威を持つ幹部たちのスキルを術式にして刻んだ、世界終焉の兵器である。
胎動する魔力はあまりにもおぞましい。
そして───術式起動までの時間はあと20分。今はエネルギーの充填と循環、より世界を滅ぼせるように最適化している最中の待ち時間。
つまりあと20分でエーテル世界は滅びを迎える。
一目見てその魔法陣が危険な代物であり、いち早く破壊すべきだと直感で導いたリエラは、玉座の間に入ってすぐ行動に移す。
虹色に輝く闇の魔法陣へ、正義の光を差し込まんと。
「<光>───<ホーリー・ジャッジメント>!!」
聖剣から溢れ出る虹の光が玉座の間を強く照らす。明滅する極光を、リエラはカーラがなんの妨害もせず傍観に徹していることに疑問を抱きながらも、一切の躊躇いなく魔法陣へと叩き込む。
魔族といった闇に属する生命体ならば瞬く間もなく消滅する神の光。
真っ直ぐ突き進む極光は、球体魔法陣を破壊する。
……ことはなく。魔法陣を沿うように光が伝播して跡形もなく極光は霧散してしまった。
それどころか魔法陣の輝きはより一層増していて。
極光を循環させる魔法陣を仰ぎ見て、恐怖を纏った魔王は嗤う。初手の一撃など取るに足らず、仕組みも原理もわからぬまま突撃する愚者に言葉を説く。
それは勇者の危機感を煽り、焦燥させるには十分な代物で。
「むぅ」
「残念だったな。
───対エーテル終末機構“Vi-Alum・Toltorm”
こいつには魔力と衝撃変換機能がある。つまり今の極光は魔法陣が内包するエネルギーを増幅させ、更に強化させたに過ぎん。
ククッ……闇雲に攻撃するのはオススメしないぞ、ニンゲン」
「言ってよ!」
「言わんが?」
リエラの極光で発動までの時間は2分程度短縮───つまり、あと18分で世界を滅ぼすエネルギーが地上へ放たれることになる。
寿命を縮めたリエラは、打つ手なしかと諦める……わけもなく。
「なら、その機能ごとぶった斬るよ」
「……脳筋め。だが理に叶ってはいるのか……ふむ。で、あるならば」
「!」
玉座に座ったまま、カーラは右手をリエラへ翳す。
「その気高き精神ごと、徹底的に折ってやろう───精々最後まで無様に足掻け、勇者」
「ふんっ。いーよ、望むとこだもんね。来いっ!」
───<黒生海>
瞬間、世界を蹂躙する闇の濁流がカーラの右手から溢れ出る。見るもの全てを恐怖させる視界の暴力が、リエラへ向けて怒涛の勢いで流れ込む。
それは触れたモノ全てを侵蝕する呪いの闇。
魔王の代名詞たる、全てを虚しく平等に、見境なく概念ごと侵蝕する闇の権能……その一端。
リエラは冷静に闇を対処。聖剣の一振りで迫り来る闇を切り開くが、無限に侵蝕する闇の前では聖剣など多勢に無勢。
「相変わらず厄介な闇……でも、やりようはある!」
そう余裕気に笑って、リエラは極光を纏った聖剣を城床に叩きつけた。
「教えてあげる。お前の闇でも侵せない光の力を……希望の光ってゆーのを! 行くよ、魔王っ……<花>───<サンクトゥムガーデン>!」
「……ほう?」
「ふふん!」
聖剣から迸る極光が円を描く。桃色の極光が城内の空間を隔てて、リエラを守るように結界を構築する。
花柄模様の結界に闇の濁流が打ち寄せる。
本来ならばそのまま結界は黒く染められ、侵蝕され破壊される───だと言うのに。例外などあるわけがないはずなのに、死の闇は結界の周りを波打つのみ。
聖剣の結界は見事闇からリエラを守っていた。
それどころか───光に接触した闇が、一瞬にして浄化されて消えていく。
「ふむ……どういう手品だ?」
「あれ、防がれるの初めてだった? ───この聖剣は原初の闇たる魔王を倒す為に鍛造されたもの。だから対策が施されてるんだ。その闇を凌げるぐらいのね」
「……かつて貴様の剣と似た性能の神器があったが、対策程度では闇を防げていなかったぞ」
「え?」
明空の聖剣“アイリス・エーテライト”───神々が鍛造した神器の中でも破格の性能を持つ勇者の剣。
魔王を滅ぼす為に造られた、最強の神器。
だが。ただそれだけでは魔王の闇を防げない。
何故ならカーラの闇は文字通り神をも蝕む、光すら通さない究極の黒。
もし仮に浄化できたとしても、容易くできるわけがないのだ。
経験則からそこを指摘するカーラに、リエラは暫し考え込んで……
「あっ」
「……」
「……あのさ。世界各地に貴女が置いた闇があるの、覚えてる?」
エーテル各地の地上に、まるで汚泥のように留まる瘴気の沼。確かにそれはカーラが嫌がらせで仕掛けたことを記憶している。自分でばら蒔いたモノを忘れるわけもない。
それは触れた生命を侵蝕する呪いの水源。
黒染めの空から雫のように落ちて設置される沼は、落下地点から動くことはないが……気を付ければまず死なない罠だ。
それが一体なんなのか。疑問に首を傾げるカーラがリエラに話を促す。
「私、あれに浸かって耐性つけたんだよね」
自殺行為にも等しい愚行を行ったことを、リエラは平気な顔をして告げた。
「……命が惜しくないのか貴様」
「そりゃー私だって生きたいよ。死にたくはないよ。でもね、私の使命はお前を殺すことだ。お前の魔法がどれだけ理不尽なのか身をもって知ってる……だから鍛えたんだ。勝てるように、倒せるように。普通さ、そうやってがんばるのは当たり前のことでしょ?」
「……聖剣で浄化しながら、というわけか? ククッ、随分と愉快な……狂ってるなぁ、貴様」
「褒めないでよ。毒は薬にもなるって言うでしょ?」
リエラがやったのは単純なこと───聖剣と一緒に身体を瘴気に浸して、沈めて、闇を浄化しながら心身全てに耐性をつけただけ。
修行とは言い難いその苦行は聖剣をも鍛え上げた。
それは命を削ると同義だが……リエラは使命の為と理由をつけるまでもなく、恐れることなくその苦行を率先して行い、力に順応するだけの格を得た。
つまり。今のリエラは、カーラの闇に侵蝕されない肉体と聖剣を、浄化する力をも手に入れた───真に魔王カーラの天敵なのである。
「───合点がついた。あの空が斬られたままなのもそれが理由か」
「正解。また塞がれて青空を奪われたくないもん」
虚空から溢れ出る無限の闇と、無限に闇を浄化する聖なる光。二分された光景をそのままに、戦いの最中であるにも関わらず二人は窓の外へ視線を向ける。
そこには、魔王城の上空に広がる暗黒と───空を横断する空白地帯、唯一の青空が一直線に伸びている景色が広がっていた。
まぁ、視線を他所に逸らしながらもカーラは攻撃を浴びせているし、リエラなどわざわざ結界の外に出て斬りかかるという不都合な行動に出ているが。
それも試しに闇に触れたら本当に効かなかったのが理由にある。
「そういえば、さっ!」
「なんだ」
「どうして……空を黒く染めたの?」
リエラは生まれた時から抱く疑問を、世界から空を奪った元凶に問う。
100年前、カーラは地上から空を奪った。
それは惑星全体を覆い隠す黒天蓋。いくら飛んでも青空に辿り着けない、分厚い闇の塊であり……星すら存在しない漆黒と雲のみが広がる空を魔王は造った。
せめてもの慈悲で太陽の光は僅かに届くが、それも視界が明瞭になって見えるというだけ。
植物は育つが暗いまま。日常的に仄暗い100年間。
破壊することもできない不壊の闇空は、一年前まで不動のまま空に鎮座していた。
一年前、リエラが聖剣をもって空を断ち切り───直線上に開けた青空を取り戻すまでは。
本来ならば修復されるのに、依然闇は塞がらない。それどころか、徐々に切れ目から青空が広がって……魔王の闇が後退していた。
それも全てリエラの努力の賜物。暗黒に身を浸して対抗できる力を得たからこその結果であった。
「そうだな。貴様も旅をして知っただろうが、我らの魔界には空がない。あるのは幻影で色付けされた空。太陽なんてものもない……強いて言うなら月の裏のみ浮かんでいる。それが魔界だ」
「月の裏……穴の空いた月のことだね?」
「そうだ。まぁそれは今いい……それで、空を奪った理由だったな」
「うん」
「地上から青空を奪うことで魔族全体の士気を上げる意味もあったが……単純に」
玉座に腰掛け、足を組んだ魔王は首を傾げる仕草でリエラの疑問に応えた。
「目障りだった。ただそれだけ───それだけだよ」
カーラにとって空とは邪魔なモノでしかなかった。
何者にも縛られない自由な空。この世界で言うなら
手を伸ばせば神々が住まう天界まで届いてしまう空。あまりにも美して、ウザったくて、目に毒な青を。
カーラは心の底から色変わりする空を嫌った。
───その嫌悪の根源が、前世から続く本音なのだと気付いたのは、つい最近のことだが。
彼女はかつて人間だった。人間だった頃、不自由な生き方を強いられていた。
人並みに生きる道は諦めた。
服薬しなければ生きていけない存在。病院に通って血反吐を飲み込んで生きなければいけない存在。
青空の輝きは、いつだって目に毒で。
転生してからは、忌まわしき神々が暮らす空という環境そのものが嫌悪の対象になった。
だから黒く塗り潰して、100年もの間地上から空を見上げる権利を奪った。
子供地味た幼稚な話だと自嘲する魔王はただ笑う。
「そういえば貴様は生まれて初めて空を見たのか……あの青空を見てどんな気分だった? 貴様の代名詞にもなった、あの空の光は」
「言葉には言い表せないよ───私は好きかな。空」
「そうか。わかりあえんな───そんなに好きなら、あの青空を貴様の墓標にでもしてやろう」
「すごいねそれ。空葬じゃん」
一年前のあの日、勇者リエラは初めて青空を見た。今まで黒く濁った天蓋のみを見てきたリエラにとって青空の光は新鮮なものだった。
生まれたときからある固定観念が一新され、青空の美しさを知った。
太陽の光を直接浴びる気持ちよさを。
明るく照らされた草原の瑞々しさを。
人工の明かりではない、本物の自然光に照らされた笑顔を。
それを守りたいが為に、リエラは心に喝を入れる。
「日光浴はいいよ。日課になったぐらい私は好き……だから、この空はもう奪わせない」
「そうか。なら抗ってみせろ。私が黒く染めるまで」
押し寄せた全ての闇を切り払い、魔王の首元へ直接聖剣を突きつけるまで接近したリエラ。そのまま一閃すれば殺せる距離にいながら、勇者は動かない。
魔王の命を握れる立ち位置にいながら、動けない。
どこまでも余裕を貫く宿敵が聖剣を掴んで離さないから。
「ここで光ぶっぱしていい?」
「好きにしろ。なにせ意味がない───すべて返す。貴様は自らの極光で焼かれるだけだ」
「ふーん。じゃ、試しに一発」
宣言通りリエラはカーラの首元へ容赦なく聖剣から極光を射出。至近距離で放たれた極光は本来なら標的の首を吹き飛ばす必殺だが……
網膜を焼く極光は、魔鎧に当たった瞬間……爆発。
極光は反転して夜光となり、指向性も逆転して元の位置へと帰っていく。
文字通りすべて反射され、リエラは右手を焼かれて吹き飛ばされた。
「熱ッ」
「貴様のだが」
「知ってる!」
体勢を建て直し再び駆け始めたリエラは、あの一瞬確かに見た。魔王の鎧に極光が当たった瞬間、黒色に塗り潰されて───属性を書き換えられたところを。
光は闇に変わり、そのまま魔王の操作対象になったことを。
「なら、これは?」
聖剣から再び極光を放つ。それはジグザグに直角で折れ曲がり、カーラの首元へ直進する。
カーラもリエラの企みに気付きながら光を浴びる。
「むっ……なに?」
何の変哲もない、捻りもない、ただ同じだけにしか見えない極光。それはカーラの首元を正確に穿ち……今度は極光は黒く染め上げられることなく、鎧を一部欠けさせることに成功した。
そう、欠けただけ。
だが本来欠けることすらありえないのが魔王の鎧。それを一欠とはいえ破壊した人類は、リエラが初めてであった。
「侵蝕が……それに鎧も。むぅ、なんなのだ貴様は。ここまで連続で私の想定を上回るニンゲンがいるとは思ってもいなかったが……今度はなにをした?」
「力んだだけ」
「……脳筋め」
欠けた魔鎧の断面をなぞって、ありえないを覆した下手人を仮面の奥の視界に収める。
自信に満ち溢れたその顔を。できると確信をもって大胆に行動できる行動力と精神性。過去対峙してきたどの強敵とも違う、闇そのものたる魔王への恐れなど欠片もない。特別な力などではなく、単純なパワーで凝り固まった己の常識を壊してみせたその実力。
浄化の力すら彼女の身体能力の一つとなっている。
絶対に勝つという自信を確信に変える力を、熱量を胸に秘めた───真の勇者への道標。
ただ強いだけではない、本当の意味で己に挑む者。
彼女は聖剣に選ばれたから強いのでは無い。
聖剣を持った上で、自らを鍛え強くすることに一切妥協がないからこその完成した実力。闇を脅かす真の極光。
かつて瀕死の神が呪い、己に制限がかけられたあの不快感とはまた違う、それどころか高揚感さえ心から湧き上がる始末。
久方ぶりの、自分にはもうないと思っていた情熱。
「いーの? そのまま座ってて。私が勝っちゃうよ?」
自信満々に笑う勇者は、玉座に座す魔王を唆す。
自分と同じ土俵に立たせる為、平面のフィールドで殴り合う為。
確かにこのまま極光を浴び続ければ、気付いた時に魔王は死んでいるかもしれない。
そう確信させる程度には、魔王は勇者を評価する。
評価したからこそ……退屈なまま座して行う戦闘を継続することに忌避感を抱いてしまう。
抱いてしまったが最後。その挑発に乗るしかない。
───アリエナイを有り得させた、私を殺すに到れる真の宿敵。
今この瞬間。
魔王は生まれて初めて、ニンゲンと戦いたいという欲に思考を侵される。
「ククッ、くふふ……誇れ、リエラ・スカイハート」
「!」
魔王は笑う。正真正銘、己を殺せる力をモノにして果敢に挑んできた人間の小娘を、勇者を、心の底から称賛する。
そして───己の容貌を隠匿する仮面に、その手をかける。
「……私の闇の対抗手段としてここまで仕上げたのは貴様で一人目だ。ドミナでさえ魔法で防御することを選択したのにも関わらず、貴様はその身一つで闇から身を守る術を手に入れた……剰え、私の凝り固まった常識さえも見事打ち破った。称賛以外の言葉はない」
「ッ、───綺麗な顔。なんて隠してるの?」
「臣下の求め声を応えるのは王の務め。あとは単純に貌を隠す意義もある」
外された仮面の向こう側───そこにはあまりにも生き物の美を超越した美貌を持つ、何処か人形地味た魔性の怪物がいた。
魔王カーラの素顔。ただ美しいと形容するだけでは語彙が足りない美しさ。あまねく全てを魅了する王の隠されし素顔が、今ここに晒される。
目が潰れる程の美しさと儚さを持つ美貌の持ち主。
唯一欠点を挙げるとするなば───究極的なまでに無表情であるということのみ。
それでも美しいことに代わりはない。
普段は仮面で隠した素顔を晒したのは───すべて目の前の勇者を讃えてのこと。
正真正銘リエラが自分の敵であることを認めた証。
紫色の双眸。薄い色合いのバツ印が刻まれた魔眼が好敵手を睥睨する。
あまりの美貌にリエラも息を飲むが、魅入られずに堂々と受け答えができている時点で……彼女もまた、魔王に挑む真の資格があるということ。
その意味を改めて突きつけられ、カーラはようやくリエラを認める。
この勇者は、真に魔王の天敵なのだと───やっと理解する。
「認めよう。貴様は私の敵だ───今初めて、貴様と戦う意義を見出した」
「それはよかった───それじゃ、続きにしよっか」
カーラは玉座から立ち上がり、段差を下り……己の支配下にある全ての闇を足元の影から溢れ出させて、玉座の間を闇で埋め尽くす。装備たる龍の尾を模した鎧の一部で床を払い、衝撃波を推進力に吶喊。
リエラもまた極光で闇を切り払い、再び前進する。
魔界の覇者はようやく本気を出して、人類の英雄と対峙する。
エーテル世界が滅びるまで───あと16分。世界の運命がどう決まるかは、リエラの頑張り次第。
死ぬ気で挑み勝利を掴む。その意味を再認識する。
「【黒哭蝕絵】───<斬坐闇覆>」
「【勇往旭心】───<聖羅一啓>!」
黒と白の斬撃が、空中で火花を散らして激突した。
───そこから先は怒涛の乱戦であった。
勇者の光と魔王の闇。繰り出された技は数知れず。両者互いに幾つもの傷を与えて浴びせて、必ず相手を殺すという殺意をもって絶死の技を振るう。
魔城の壁は倒れ、天井は吹き飛び、床は転落する。
あまりにも膨大な魔力の激突は世界を震撼させる。チリチリ…サラサラ…と存在を保てずに魔素となって構築物が消えてしまう程の極限環境は、二人が一切の躊躇いなく命を削っている証拠。
僅か16分にも満たぬ攻防に収拾などつかず。永遠と終わらぬ死の駆け引きは続いていく。
「<魔造眷獣>───我らが御使い、“魔王獣”。ここに来たれり」
「ちょ、無から生命創造とか……禁忌に片足突っ込みすぎでしょ!」
「今更か?」
異形の怪物たちが生まれ、それを無限に切り裂き。
「私にとって、剣術とは“兵法”ではなく“舞踊”なんだ。弱者が戦う為の技術は私の中で昇華され、格をもって新生した───というより、力無き者と相手する上で調整に調整を重ねた“遊び”に過ぎん。後は言わずともわかるな?」
「うん、喧嘩売ってるってことね───買うよそれ」
「ククッ、ほらほらどうした。残り数分……このまま舞踊に甘んじるつもりか?」
「まさか!」
両者共に型に嵌った剣術ではなく、自身の在り方を形作った技をもって相対する。
「……痛いではないか」
「ほんとー? ぜーんぜん痛みで顔歪まないじゃん……それに、斬っても斬っても再生するし。改めてお前の理不尽さを痛感する、よ!!」
「効かん」
「ぐえっ」
鎧を断ち切り、腕をへし折り、急所を付け狙い。
「……よく避ける。加速といい膂力といい……貴様、第3の目でもあるのか?」
「ないよー! 【危機感知】があるだけ!」
「成程、複数持ちか……面倒だな」
「こっちの台詞!」
斬撃も魔法も闇も軽々と避けるリエラは、死角から飛来する攻撃さえも跳ね除ける。時に剣で切り払い、闇を穿って反撃する。
被弾率の少なさは流石と言ったところか。
実力と経験に裏打ちされたリエラの戦闘力の高さにカーラは感嘆とした想いを抱きながら闇を踊らせ死を撒き散らす。
両者一歩も譲らぬ攻防で、滂沱の鮮血を汗のように溢れ流しながら、何度も何度もぶつかり合う。
超速再生を持つ魔王と治癒魔法を持つ勇者の死闘。
時間なども忘れ、二人は数瞬すら惜しいとばかりに身体の傷を増やしていく。
生と死の終わりは未だ来ず、戦場の天秤は変わらず均衡を保ったまま。
───だが。天秤が先に傾いたのは───終焉までのタイムリミットが迫った、リエラの方。
「ここ───ッ、<空>───<カテドラル>!!」
空間全体が歪むほどの極光。出力密度共に桁違いの聖なる光は聖剣を主軸に一本の光に束ねられ、中空に浮かぶカーラの網膜を焼きながら叩き込まれる。
まさに至高の一撃。
カーラは聖剣に対抗して具現化させた魔剣で極光を防ぎ、押し返そうとするが……力及ばず、その勢いに負けて押されてしまう。
「む」
そこでカーラは気付く。斬撃の直進上、己の後ろに最終兵器たる立体魔法陣があることに。
つまり、このまま押し切られてしまえば───…
「───誘導されたか。やはり、興が乗りすぎるのも褒められたモノではないな……良かろう。全身全霊をもって邪魔してやる」
「別にいーよ! 纏めてぶった斬るから!!」
リエラの極光は怨敵たるカーラを終焉の魔法陣ごと断ち切らんと直進。更にリエラは聖剣と繋がったまま放出している極光に魔力を上乗せして、このまま力で押し切ろうとする。
無尽蔵の魔力をもって、カーラに打ち勝つ。
魔法陣発動まで残り数十秒───それだけの時間があれば勝てると、リエラは確信を持って言える。
「これが勇者か───面白い。
だが我が百年計画、そう易々と断てると思うなよ───この世界が滅びるのは決定事項だ。定められた運命は決して覆せない絶対理であることを、その身をもって知るがいい」
───<根源断ち>
───<闇纏・死染めの鏖噛>
───<龍生群>
魂を穿つ紫紺の暗光、膂力をより強靭にすると共に万物一切を蹂躙する闇のベール、生命創造の禁忌にて闇から溢れ出る龍の群れ。
同時並行で発動した三つは、聖剣の極光を打ち消し聖剣ごと破壊する用途で放ったモノ。
極光を通してリエラの魂にダメージを与え、異常に跳ね上げた膂力をもって押し返し、龍の群れが極光を泳いでリエラを食い潰さんと強襲する。
すべて無意味だと万人に理解させる闇の奔流。
聖剣最大出力の極光など取るに足らないと嘲笑う、魔王カーラの殺意の塊。
更に。
───【狂華祟月】
更にダメ押しで、己の起源たる“月の裏”に溜まった世界の瑕疵、不浄の証───漆黒の玉虫色に光る毒、悪性物質を具現化した月の呪いを、魔王のもう一つの代名詞をリエラにぶつける。
黒穹の魔王、魔界の女主人、月の王、始まりの闇。
あらゆる生命体を心身共に侵して破壊する、全てを狂わせる月の呪いが、リエラの心身をまた侵す。
距離など関係の無い、対象をただ殺すだけの毒。
「うぐっ……まだまだあああああああ───!!!」
だが、そんなことでリエラが諦めるわけもなく。
───その瞳に炎が灯る。或いは今、確固たるモノとなっていた覚悟が、執念が、使命感が、世界を背負う自覚が、あまねく全ての人々から向けられた希望が、リエラの心を、魂を、想いを、その全てをより高める支えとなったかのように。
熱量をもって、彼女の背を後押しする。
「ッ───!」
それまでリエラ・スカイハートが見てきた悲劇が、目覚めが、運命の終着点が、想いの濁流が、強敵との戦闘が、希望が、駆け抜けるように脳裏を掠めて───彼女に力を与え、覚醒を促す。
今まで培った全てが実を結ぶ。今までの旅程が真に正しきものであったことを肯定するように。
これまでの旅でリエラに向けられた人々の願いを、喜びを、夢を、祈りを、憧れを、託された想いの力をその手に乗せる。
「今まで歩んだ私の軌跡。その全てを、今ここに!」
聖剣が輝きを増す。持ち主の意志に応えて光輝く。
───是は善きモノの為に振るわれる輝きであり。
───是は閉ざされた世界に光を届ける、最後にして最大の戦いであり。
───是は人が生きる意志の証であり。
───是は絶望を掻き消す極光、偉大にして強大なる災禍を下す希望であり。
───是は明日を祝福する戦いであり。
───是は邪悪を討つ戦いであり。
───是は未来を掴む戦いであり。
なにより───本気で世界を救ってみせると決めた勇者リエラの戦いである。
「ッ───これは」
魔王カーラの誤算は三つ。
一つは勇者リエラの意志の強さを舐めていたこと。
一つは勇者リエラが全てを呑み込む闇に耐えうる、そして乗り越える力を持っていたこと。
最後に───勇者リエラが、世界が滅びる寸前でも焦燥することなく、勝利を諦めることなく、最後まで抗える精神力を持っていること。
聖剣“アイリス・エーテライト”は、担い手の想いを叶えんと全力で応える。
魔力の奔流は極光となって、全力で世界を照らす。
「<聖剣解放>───<明空を照らす私の光>!!」
聖剣より解き放たれた希望の力が、押し止められた極光を後押しする。
視界を埋め尽くす魔王の闇は浄化されて霧散する。
カーラの魔法は全て打ち消され、白く白くすべてが染まっていく。
「そうか、これが───くふふ、やるじゃないか」
───100年前。楽園戦争が始まってから造り上げた終わりの術式。己と同格たる四天王、世界を滅ぼせる女魔族たちの力を元にした、それが終末機構。
聖女神に選ばれた人間如きには覆せない───筈であったのに。
視界が極光に染まるその時も、染まったその後も。
カーラの思考は、何処か歓喜に満ちた───予想を打ち砕かれた喜悦に塗れて、極光に呑み込まれた。
残り4秒───勇者の極光が、魔王の胴体を貫通し背後に浮かぶ魔法陣と衝突。
残り3秒───光に包まれた魔法陣が極光を吸収。
残り2秒───宣言通り属性転換機構が限界を超えオーバーロード。
残り1秒───魔法陣が耐えきれずヒビ割れる。
残り0.12秒───対エーテル終末機構“Vi-Alum・Toltorm”が、遂に。
粉砕される。
「ッ───!!」
魔王城ごと貫く極光は、魔王軍の頼みの綱であった立体魔法陣を破壊した。発動寸前まで充填されていた暴発間近のエネルギーが崩壊と共に弾け飛ぶ。
戦争が始まって100年、その間常に充填されていたエネルギーが行き場所を失って暴れ狂い、その余波で主戦場にいた二人は光に飲まれる。
臨界点を超えたエネルギーは魔王城どころか、このエーテル世界を構築する空間そのものに死にも等しい甚大なダメージを与えてしまう、が。
それでも世界が滅ぶ程ではない程度まで弱体化。
魔法陣を壊さねば指向性をもって星に放たれていた破壊の奔流は、悉く世界に拡散されて───滅びには直結しないまでに減衰した。
エーテル世界は壊されず、形を保ったまま。魔王の策略は一つ失敗に終わる。
故に───見事滅びを食い止めた、“明空の勇者”の勝ちである。




