ルッケルの森
翌朝、一行は宿を出てルッケルの森へ来ていた。記念すべき野営訓練の1日目が始まった。
「いいかドーマル。この先の向こうに露営地がある! がんばれよ!」
「はっはい……!」
ドーマルはポドフ達と森の中を歩いていた。
この森は過去にルッケル・バジャンという軍人がここで野営訓練をした地としてその名が付いた。
通称ルッケルの森。
(これがルッケルの森……!)
ドーマルはその壮大さに圧倒された。旧友の墓参りに訪れるのとは訳が違った。
アール街にある森は、過去の冒険者達によって手入れされた故に普段外に出ないドーマルでも迷うことなく墓参りに行く事が出来る。
眼前を広大な自然が待ち受けていた。
今彼らの視界に映るものは緑、緑、そして緑……。
人の手が加わってない為、鬱蒼と生い茂った木々は侵入者の行手を阻む。
広大な自然故に想定外の事態に見舞われるケースを考慮し、サバイバル知識をフル活用する事が前提である事から兵役を課せられた者達がここをサバイバル訓練の場としても利用することで有名な森である。
「ドーマル、ここで迷うと死ぬぞ。絶対に俺たちから離れるなよ」
「は、はい!」
「よし! 行くぞ!」
◇
ドーマル達が森に入ってから暫く経った。当初、鳥の囀りが聞こえて来たが進み続けているとその声は聞こえなくなった。
いつしか彼らを除く周囲の音が全ていなくなったのかと錯覚に陥るほどだった。
「しかし、いつ来てもこの森は凄いな」
「ふっ、喋る余裕がまだあったかラーバ」
「そりゃお互い様だポドフ。ダビス、今日はお前静かだな」
「背の高い奴らには関係ないと思うがよ、生えてる雑草が進む度に鬱陶しくてしょうがねぇよ」
軽口を叩く2人にダビスは文句を言う。彼はポドフ達に比べると小柄だ。
たが、あくまで2人と比較した時の話であり、彼自身は決して小柄というわけではない。
しかしそんなダビスの視界を遮る程、ここには生命力に溢れた植物が自生していた。
それほど土地が豊かである事の証左だった。
そしてその豊かさがかえって支障をきたしているのはドーマルも同じだった。
「ドーマル、もうばてたのか?」
「俺もダビスさんと同じ意見です……」
「だよなドーマル! 転ばないよう足元には気をつけろよ!」
「もう少しでここの雑草エリアを抜ける。踏ん張れよ!」
ドーマルのペースが乱れているのを察した3人は彼に励ましの言葉を送る。
(みんな俺を気遣ってくれてる……ありがとう)
彼らの優しさに対してドーマルは言葉に出す気力がなかった。
今はただ目の前の雑草と根比べする事で手一杯だった。
今は何時か。朝だというのに周りは暗い。
雑草の周囲には樹齢何百年と推測される程の大木が立ち並んでおり、ドーマル達がいる場所には日光が差し込まない。
もはや朝と夜の区別が付かなくなるほどの植生にさしもの3人も口数が少なくなる。
(くそ、俺は……! ここまで来て引き返せるか!)
「ドーマ……! おいド……!」
(俺は、絶対に……)
「……い! ドー……!」
(なんだ? この感じ……前にどこかで……)
「……おいドーマル!」
「……え?」
「大丈夫か!?」
「え、えぇ……。大丈夫、ですよ……」
「……ラーバ、ダビス。お前達は先に露営地に行って火を起こしてくれ」
「……どうしたんですかポドフさん?」
「これから2人1組に分かれて別行動を取る」
ポドフの言葉にドーマルはたじろいだ。
「そ、そんな俺は皆さんの……」
「これは演習だ。そんなに落ち込まなくていい」
「いきなりここに来たにしちゃぁ頑張った方だ」
(みなさん、息一つきれてない。流石だ……)
ポドフ達の言葉にドーマルは自分が皆の足手纏いになっている様な気になってしまった。
「じゃあポドフ、ドーマル。先に行くぜぇ」
「ドーマル、今の自分を責めるなよ。ここに来ると決心しただけでも勇気ある行動だからな」
「炊爨は頼んだぞ」
ドーマルに労いの言葉を掛けた2人は、緑の中へと進んで行った。
(あっという間にいなくなった……)
「さて、ドーマル。俺たちはここで少し休憩するか」
「え……いいんですか?」
「ここからなら十分間に合う距離だ。それにさっきの疲労状態で森を進めばかえって方向性を見失うぞ」
そういってポドフは背負い込んでいた荷物を下ろすと、地面に座り胡座をかいた。
「しかし……」
「あれを見ろ」
「……!」
ポドフが指さした方向には白骨死体があった。
「疲労で足元への注意が疎かになる。おそらくトラップに引っかかったんだろう」
白骨死体の足はトラバサミに挟まれていた。
「ここにはああいったものがまだ?」
「昔はな」
「昔?」
「ま、今はゆっくりしよう」
◇
2人は広大な自然に囲まれていた。
日の当たらない地面はひんやりと冷たく、胡座をかいた太ももにもそれが伝わり、先ほどまで熱が籠っていた体は束の間の休息によって落ち着きを取り戻していた。
「そういえばドーマル。お前、スザクが冒険者を辞めた理由聞かなかったな」
「俺は人の過去に深入りしたくないんです」
「なら俺から話そう。お前ならスザクも大丈夫だろう」
ポドフはドーマルの回答にそう返事をした。
「今から4年ほど前、あいつはテイマーとして冒険者パーティに所属していた」
テイマーとは、召喚獣と呼ばれるモンスターを相棒とする冒険者のことを呼ぶ。
召喚するモンスターは比較的、力仕事を得意とするものが多く、建築用資材を運んだり、貴族や行商人が隣町まで移動するのを護衛するといった長期間にわたる依頼を主に請け負うことが多い。
「ポドフさん達と同じパーティだったんですか?」
「いや、別の冒険者達とだ。あいつはモンスターを持っていてな。バルドンって名前のやつで、そいつの怪力の前にはそこらのモンスターじゃ、まるで歯が立たない最強の召喚獣だったよ」
「じゃあどうして……」
「あいつのいたパーティはな、バルドンの力を当てにしすぎたんだ。スザクとしちゃ頼りにされるのは凄く嬉しい事だったんだけどな。だが結果としてそれがバルドンに無理強いさせちまったんだ」
「その冒険者達は何をしていたんです?」
「逆だ。何もしなかったんだ」
「え……?」
「“自分達が何もしなくてもバルドンが何とかしてくれる”、“スザクがバルドンを召喚すれば全て済む”。酒場で彼らはそう呟いていたよ」
「それじゃスザクとバルドンの負担は……」
「大きかっただろう。それなのに報酬は同じだ。スザクとバルドンに丸投げしてたにも関わらずだ。あいつらは体良くスザク達をパシリにしていたんだ」
「……」
「スザクはそれに嫌気がさしてそいつらのパーティを辞めた。それから1ヶ月後だ。彼らが依頼中に死んだのは」
「死んだ……!?」
「スザク達に任せっきりで腕が鈍ったんだろう。にも関わらず高難易度の依頼を受けたんだ」
「それでスザクはどうしたんです?」
「あいつらの自業自得だ。スザクに非は全く無い。だがあいつは『自分が辞めていなかったら防ぐことができたんじゃないか』って、そう思い込んでしまったんだ」
「そんなことが……」
「まぁ今にしちゃ過ぎたことだ。スザクも仲間を見つけて新たな人生を歩んでいる」
そう話すポドフの顔はどこか悲しそうだった。
「バルドンはどうなったんです?」
「今は牧場で余生を過ごしている。たまに会いに行っているから今度どうだ?」
「是非……! ……しかしなぜ、ポドフさんは俺にそんな話を?」
理由を聞かれたポドフが眉間に皺を寄せた。
「……俺じゃあいつを支える事ができなかった。だがドーマル、お前はあいつと歳も近い。それに訳ありだろ? きっとスザクもお前みたいなやつの方が話しやすいだろう」
「考え過ぎじゃないですか?」
「何となくだよ。ま、いつかわかる。それじゃ休憩もこの辺にして2人のとこへ向かうぞ」
「は、はい!」
ポドフの言葉に従い、ドーマルはすぐに立ち上がり、両手で脚についた土を払い落とした。
◇
「おお! 来たか、ドーマル! 大丈夫だったか!」
「はい! ポドフさんがいたので!」
ドーマルとポドフが露営地に到着すると、
ダビスとラーバは火を起こしていた。
木々が燃える匂いが、疲労の溜まった彼らの体を癒した。
ドーマル達が露営地に到着したのは正午を過ぎた頃だった。
◇
パチッ……パチパチッ……
音を立てながら燃え盛る炎が木枝を飲み込みユラユラと猛々しく揺れた。
その炎の上に吊るされたキャンプケトルはカタカタと蓋を鳴らし、溢れ出た蒸気が暗闇へ消えていく。
炊事を行う彼ら以外を闇夜は覆いつくし、全てを燃やし尽くさんとする強欲的な熱気とは裏腹に森の中を歩いてきた男達を優しく暖めた。
「まずはお疲れさん。ゆっくり休めドーマル」
「大したもんだぜぇドーマル!」
「皆さんが鼓舞してくれたおかげです。ありがとうございます」
ポドフがお湯を注いだコップをドーマルに渡す。
「無理しない範囲で、出来る事を増やしていけばいいさ」
露営地まで到達できた事を労う彼らの言葉にドーマルは久方ぶりの達成感を味わった。
(これだ……! 俺がずっと求めいてたものは……)
彼自身の高揚感に示し合わせたかの様に、コップから立ち込める湯気が上空へと立ち昇っていく。
「ところでドーマル、お前は冒険者だがどのジョブにしてるんだ?」
「そういや今まで聴いてなかったな!」
「そうでした。ポドフさん達は全員、剣士ですよね」
「まぁな」
「俺たちは剣士だから体力がものをいうぜ」
一口に冒険者と言っても、それは多岐にわたるジョブの総称である。
剣士、魔法使い、テイマー、タンク……。
それぞれ一芸に秀でた特技を持つ者同士でお互いの欠点を補完し合うのがパーティの基本である。その為、ギルドから承認を得るためにはパーティを組む冒険者の数は最低でも2人以上というのが条件となる。
「僕はテイマーとしてギルドに申請しました」
「おお! じゃあスザクと同じってことか」
「なんだ、剣士だったら鍛えてやろうと思ったんだがな」
「だがドーマルよぉ、召喚獣がいないぞ?」
「それなら大丈夫です」
「どういう事だ?」
「では、見ててください。俺の召喚獣」
ドーマルはおもむろに右手を森の方へ突き出した。
(来いっ!! スライム!)
キィィィッ……
「!」
「おい!」
「っ!」
3人は何かを感じ取ったのか即座に手元にあったそれぞれの得物を手に取り臨戦体制に入った。
「大丈夫です」
ガサガサガサ……!
物音共に姿を現したのは……
「な、なんだ?」
「リッ、リスか?」
「リスだ、小さくてすばしっこいあの……」
「これが召喚獣か?」
「はい、これが俺の召喚獣、スライムです」
「何、スライム? どう見てもリスじゃないか」
彼らがリスと呼ぶのは「ゲッシー」という名のモンスターである。
森に生息し薄明薄暮性のモンスターである為、遭遇する機会は滅多にないが護衛輸送や素材調達などで自然との距離が近い冒険者にとってよく目にするモンスターであり、彼らからは「リス」の愛称で親しまれている。
四肢は木々を縦横無尽に駆け回る為に発達しており、その身のこなしの速さでドーマルの右肩に登る事など造作もなかった。
「スライムってどの辺がだよ?」
「ものは試し、ではお見せしましょう」
そう言うとドーマルの右肩に乗ったリスに左手を添えた。するとリスはドーマルの肩の上でうずくまると、体色が少しずつ変化した。
「!」
「お、おいおい……」
「て、手品かぁ!?」
ドーマルの肩には、先ほどまでリスがうつ伏せになっていとは思えないほど流動性に富んだ緑色の楕円がいた。
「これが僕の召喚獣です」
「し、信じられねぇ。スライムが変身能力を持っていたとは……」
「召喚士としての素質は充分あるようだな。明日それも踏まえた立ち回りを考えるとしよう。火の番は交代制だがドーマル、今日はもう寝ろ」
「え? しかし……」
「あれだけ歩いたんだ。腹が膨れて眠ったら朝まで起きねぇぜ」
「しかし皆さんも歩いた距離は俺と変わらないはずです」
「鍛え方が違う。それに明日も早い。火の番は俺たちに任せて寝ろ」
「わかりました。ですが俺からも渡すものがあります」
「なんだ?」
ドーマルが、スライムに指示を出した。
「スライム」
その一言を発した後、スライムの体が不規則に揺れたのをポドフ達は見逃さなかった。
(何だ? 今スライムの……)
(スライムの動きに変化が出た!)
(驚きの連続だぜぇ!)
ギュルルルッ
ドーマルの肩から飛び降りたスライムは、
そのまま彼らの足元に着地するとそのままクネクネと体を捻らせた。
すると、
ドサササササササッ!
「「「!?」」」
スライムの口と思わしき孔から大量の木の実が雪崩のように出てきた。
あっという間にそれらは山のように積み上げられた。
「お、おい……」
「わたすものってのはこれか……?」
彼らが驚くのも無理はない。
何故ならその量をこの小さな球体が出したからだ。
「これで当分の食料は賄えます」
「お、お前いつの間にこんな……」
「この森に入ってすぐです。この地域は軍が野営訓練する時以外、人の出入りがほぼないのでこのスライムを使って集めさせたんです」
3人はドーマルとスライムの行動に驚きを隠せなかった。
「お腹が空いたら召し上がってください。お先に失礼します」
「あぁ、ありがたくいただくよ」
「助かるぜぇドーマル! ゆっくり休めよ」
ドーマルはそう言うとスライムと共に設置したテントに帰ったのを見て3人は山のようにつまれた木の実に関心を示した。
「見事に食べられる種類の物ばかりだな」
ラーバがおもむろに取った木の実を見てそう呟くとダビスも後から続いた。
「火で軽く炙れば食あたりなんかも防げる。大したもんだぜぇ」
「……今まであんなスライム見たことあったか?」
「そもそもスライムの召喚獣を見たことがないな」
ポドフの問いにラーバが答えた。
「ありゃぁ、すげぇぞ! 俺たちも負けられねぇな!」
「おい、食い過ぎだぞダビス!」
既にに木の実数個を頬張るダビスをラーバが咎めた。
(隊長が言っていた“新しい時代”とはこういうことなのか……?)
ポドフは1人、胸の内で呟いた。
そして夜が明けた……。




