机上の決意
時刻は昼前となり、街は人混みに溢れていた。広場はもうたくさんの人々が往来し、店は人込みに飲み込まれここからは見えなかった。普段、家にいる時間帯が多い俺はその光景を見て軽い人酔いしてしまった。
先ほどのバーコフの話もそれに拍車をかけた。
「大丈夫かドーマル?」
「ああ、しかしお前のさっきの話には大分面食らったよ」
「俺も最初は動揺したさ」
「これからまた新しい価値観が生まれればそれも変わるかもしれないな」
「……そうかもしれん」
「もうすぐ馬車がくる時間か」
「そうだな。この辺で切り上げよう」
「ああ」
「それじゃまた」
「おう、また」
別れの挨拶をして、それぞれの進路方向へと背を向けた。
「ドーマル!」
数メートル歩いた後に後ろからバーコフに呼びかけられ俺は振り返った。
「新しい時代、価値観にお前は乗るべきだ!」
「どういう事だ?」
「お前ならそれを活かすことが出来る!」
俺の問いかけにバーコフはそう答えて人混みの中へと消えていった。心なしかその後ろ姿は、どこか哀愁が漂っていた様に感じ取れた。
◇
「新しい時代か……」
帰宅した俺は広場での話を思い返していた。
冒険者という職種の衰退……。俺の価値観と大きく乖離していた現実は俺に将来への不安をより一層強めた。
世間との関わりを避けていた俺にとってこれほどの揺さぶりを受けたのは冒険者の夢を挫折した時以来だった。
ベッドの上で寝転がる。
軋む音がした後、すぐに静まり返った部屋で内心からとめどなく漏れ出てくる不安が俺を押し潰そうとしていた。
「どうすればいいんだ……!」
ほどなくして、後悔と焦りが俺を襲った。背中がじわりと汗で滲む。
憧れだった冒険者の現状が衰退の一途を辿っているとは露知らず、俺は……。
「今の現状を忘れてぇな……」
すっかり現実に打ちひしがれた俺は早朝の墓掃除から帰ってきたという事もあり次第に瞼を閉じていた。一時凌ぎの辛さ逃れなど気休めにもならないというのに意識はベッドに沈んでいった。
◇
「……い! お……!」
(なん……だ?)
暫くすると誰かが呼びかける声が聞こえてきた。
「しっか……! ……い! しっかりし……!」
(誰だ……?)
「おい! しっかりしろ! おい!」
(人の声……?)
まだ朧げな意識の中で、俺は声の主を探した。
(声が出ない……!)
「よかった! まだ意識がある! しっかりしろ!」
「敵の数が多い! ここで留まっていても治療に専念できない!」
(俺はどうしてしまったんだ……?)
「××! 早く乗れ!」
「テイマーが来た! 助かるぞ! 皆乗れ!」
その掛け声に、一斉に動き始める。
「早くしろ! 怪我人を優先して乗せるんだ!」
(怪我人だと……! 一体誰が……!)
「今から運ぶぞ! ちょっと揺れるが我慢してくれ!」
「こっちは大丈夫だ! せーの!」
俺の頭上から聞こえる声がした。
その瞬間、体が浮かぶような感覚を覚えた。
またもや頭上から声が聞こえてきた。
「よし、担架の紐づけは完了した! もう大丈夫だぞ!」
「この傷なら大丈夫だ! ○○達との合流地点まであっという間に着くぞ! 安心しろ!」
(そうか、怪我人って俺の事か……!)
2人の男が俺に掛ける言葉でようやく俺自身の状況を把握した。
「よーし、いつでもいいぞ!」
「よし来た! しっかりつかまってろ! 俺の相棒が最速で送ってやる!」
「グオオオオオ!」
(ドラゴンだと!?)
彼らが乗っているのはドラゴンだった。
岩の様に硬い鱗で覆われた体表、規格外の図体、そして人の声に答える力強い咆哮。
まさか、あり得ない……!
ドラゴンとはまさに孤高の存在。その存在に人々は畏怖し崇拝する、まさに伝説のモンスター……!
人にここまで心を許すドラゴンがいるなんてにわかには信じ難い光景に俺は……!
◇
「夢か……」
俺は目を覚ました。例によってまただ。
そう、これまで何度も見てきたあの夢だ。何なら昨夜も見た。
数人の男女が、陣形を組んで巨大な何かと戦っている光景……。
だが、今回見た夢には登場してこなかった者もいた。
テイマーだ。
テイマーとは所謂、モンスターを操る者のことを指す。
人や物資の輸送、敵組織の残党狩り、さらには行方不明者の捜索など、モンスターの性質によってその役割は多岐に渡る。昔から存在した職業ではあったが扱える者はごく少数に限られていた。
今では”召喚士”という呼び名が一般的となっている。
以前、精霊獣やゴーレムといったモンスターを召喚する者の話をバーコフから聞いたことがある。
しかし、夢に出てきた彼らが操るモンスターは、ドラゴンだった。
ドラゴンを操るテイマー……召喚士は見たことも聞いたこともない。そもそも人間よりも力も強い知能の高いドラゴンが人に協力するなんて……一体彼らは何者なんだろう。
(いつもながら不思議な夢だが、今回は一際奇妙な内容だったな……)
夢を見るのは今に始まったことではない。
原因は2年も前になる。あれは川の畔を散歩している時だった……。
◇
『なんだ、これ……?』
足元にひときわ綺麗な石があった。
鉱物にしてはあまりに光沢のあるそれは凡百の宝石に勝る神秘さを有しており、いつしか俺は右手でその石を拾い上げていた。
『こんな綺麗な石、いったいどこから流れ着いたんだろう……』
手にもってみても全く重さは感じない。
空にかざすと石全体が神々しく映り、ますますその魅力に俺は惹かれた。
手の平の上に乗せると、ひんやりとした冷たさが直に伝わってきた。
『こんな綺麗な石に出会えるとは、たまには散策してみるもんだな』
そう思った時だ。
『ん……?』
先ほどまで乗せていた石が小さくなってる事に気づいた。
『こ、これはどうしたんだ?』
石の大きさは拾った時の1/2になっていた。
だがその残りの半分が俺の手の中に入り込んでいると気付くのに時間はかからなかった。
『うわっ!』
反射的に右手を振り払った。
『何だっ! 離れろ!』
だが石はまるで磁石の様にくっ付いて離れなかった。やけになった俺は何度も右手を振り下ろした。
だが結果は同じことだった。
『何だよこれ……!』
俺は目を疑った。
石は沼地に沈む様に俺の手の中に吸い込まれていったのだ。
『石が……俺の中に消えた……? 俺に……取り込まれたのか?』
石はその後、2度と俺の体から出てくる事はなかった……。
◇
俺が奇妙な夢を見る様になったのはそれからだ。
初めは戸惑っていたが、最近はその夢の詳細を思い返す余裕すら生まれた。
人間慣れればこんなもんだ。
場所は山の中だろうか……。
皆、冒険者なのだろうか。
俺が見る夢の光景が、“新しい時代の流れ”に結びつく重要な手掛かりに成り得るのだろうか。
「そんなこと考えてもな……」
そう言うと俺はベッドから身を起こし、テーブルに目を向けた。
図書館から借りた参考資料が放置されていた。
「そういや返却日って……! うわ今日かよ!」
慌てて片付ける。返却日を過ぎると延滞料金が発生するからだ。
「まだ図書館の営業時間だな。よし間に合うな……ん? なんだこれ」
机の端に何か書かれているのに気付いた。
どうしてこんなところに?
おそらく何となく書いた文字を消し忘れたのだろうか。
『スライム』と書かれていた。
冒険者の認定試験でこの机で問題集を解いていたのを思い出した。
『新しい時代、価値観にお前は乗るべきだ!』
「……」
バーコフが広場で別れ際に放った言葉を思い出す。なぜこのスライムという文字を見て、それがよぎったのか分からなかった。だが、それが俺の中で引っかかった。
◇
「あった。スライムは……」
気づけば俺は参考資料を開き、スライムに関する情報を調べていた。
「『最も非力で食物連鎖の最底辺に属するモンスター。比較的日の当たらない場所を住処としており夜中になると活動する』か……」
基礎的な内容が書かれていた項目を声に出して読んだ。
この頁に書いてある通り、この世界で最も弱いモンスターを聞かれたら10人中10人がスライムを挙げるだろう。
このスライムというモンスターへの認識というのはそういうものなのだ。
幼少期にバーコフやカイラルと、誰がスライムを1番先に見つける事が出来るか競い合ったものだった。
「待てよ……?」
俺はふと頭に考えが浮かんだ。
“スライムを扱う冒険者”というのはこれまで存在しなかったのではないかと。
「しかしなぁ……前例がないしそれに釣り合う需要があるとは思えん」
『新しい時代、価値観にお前は乗るべきだ!』
「……」
またしてもバーコフの言葉がよぎる。
スライムを使う職種というのはこれまでになかった新しい時代の考え方だ。
「務まるのか?俺に」
再度、机を睨む。答えは出ない。
「やってみなければなんとやらだ……」
俺の中でメラメラと何かが燃えていた。
それが何を意味するのか、自分の事ながらはっきりとは分からない。
これは俺自身が今後、意思表示する上で必ず培っていかなければならない。
この燃えたぎる心情を抽象的な物言いとして、答えるなら「決意」と言い表すのだろうか。