第5話「愛の自覚」
6月2日投稿分の,5話目です。
お狐様の不思議さとヒロイン矢芽ちゃんの淡い恋心が描かれます。
「ぇえ? あ~……どんな方,かぁ」
矢芽さんからの不意の疑問にはっとなる。
お狐様……印象自体は強烈に残っている。
神々しさと,美しさ。 声も確か,とても綺麗だったという覚えはある。
だが,はて……実際にはどんな声だっただろうか。
鈴を転がすような声だった,というイメージは覚えているのだが……声の高さは? 話し方はどんなだっただろうか? 具体的なことを思いだそうとすると,途端に霞がかったかのように朧気になってしまうことに気付く。
それでは見た目は?
巫女服のような……なんだ? どんな服装だった? 近いものは浮かんでくるが,それらはどれも別のどこかで見たイメージばかりで,お狐様そのものが着ていた服装がどうにも思い起こせない。
「……いや,どうだろう。 わからないな……なんだかこう,イメージは出来るんだけど,どうも具体的には思い出せないな……なんなんだこれ?」
「……記憶,曖昧になってるんですか?」
「あ,あぁ……そうだな。 何なんだろ……」
「……やっぱり今の先輩,ちょっとおかしい気がします」
「え?」
矢芽さんを見ると,先ほどよりももっと不満げな目を向け,頬杖を突きながら食べ終わった食器をコツコツ叩いている。
「帰ってからずっとそうですよ。 フィールドワークの期間は何日もあったのに,その中で経験したことを話すとき,先輩はいつもお狐様と会った一瞬の出来事ばかりを繰り返して話すんですもん。 デスワームから助けてもらった時の話とか,もう3回は聞いてますし」
「そ,そんなに話してたか!? いやまぁ確かに話した記憶がないわけじゃあないけど」
「そのくせ,今聞いた通り先輩はお狐様の具体的なイメージを全然覚えていない。 普通それだけ強烈な思い出を持っているのなら,それも話せるはずなのに……お狐様の正体に関する情報だけが欠如している」
「……な,何が言いたいんだよ……」
「……そのお狐様。 本当に無害な英霊なんですか」
「なんてことを言うんだ!」
俺は思わず立ち上がり,声を荒らげてしまう。 しかし直後,そのような感情を抱く自分に気付いてはっとする。
矢芽さんはただ,疑問視しただけだ。 確証があってお狐様を悪く言ったわけでも,彼女を貶そうと何か飛躍した推論を述べたわけでもない。
じゃあ俺は何故激昂したんだ? 彼女の善性を信じているから……というだけでは,恐らくないのかもしれない。
勿論だからお狐様が有害な英霊だ,ということではないのだが……何か,お狐様しか知らない秘密が,隠されているのだろうか?
「……すまない,取り乱した」
「いえ,こちらこそ,変なこと言ってすみません」
しばらくの間,気まずい空気が流れる。 今の雰囲気を考えると,矢芽さんはお狐様について,俺とはまた違った視点を持っているかもしれない。
それを確かめたい気持ちもあるが……この空気では聞けそうにない。 どうしようかと思っていると,突然俺の端末に着信が入る。
「うわぁ!? ……って,これ……綺羅先生から?」
「え,先生? あぁ,確かにちょうど今は講義の間の休憩時間みたいですね」
「ほんとだ……とりあえず出てみるか」
受信ボタンをタップすると,虚空のディスプレイに綺羅先生の顔が大きく映る。 周囲の音からして先生のいる講義堂にはもうほどんど学生は残っていない様子で,恐らく対応が落ち着いたからかけてきてくれたのだろう。
「もしもし,儂じゃ……っと,矢芽もおるのか,ちょうどよいのう」
「「はい先生,お疲れ様です」」
先生は俺の隣にいる矢芽さんをみて眉を吊り上げる。 そういえば,彼女はもうレポートを提出したって言っていたが,もう確認しているのだろうか。
「先ほどのメールは確認したぞい。 お主の担当しておるようなサイズの痕跡であのような値が出たというのは儂も聞いたことが無くてのぅ。 どうにも重要な示唆が得られる可能性を感じておるのじゃ」
「重要な示唆,ですか?」
「うむ,お主らが揃いも揃って意味不明なデータ算出をしておらんければな。 昨日提出してもらった矢芽のデータ……実はあれにもお主と同じようなφ値が見られてな。 それを見た時にはチェックマークを付けて再提出を命じるつもりじゃったが,サイズの大きく違う2つの痕跡で同じような結果が出た……となれば,話は違ってくる」
「それについては僕も先ほど彼女から聞きました。 今,いくつか二人で仮説を立てているところです」
「うむ。 そこで本題なのじゃが,実は次の講義は儂ではなく笠原先生の担当回での。 最悪儂がおらんでもよぅなっとるんじゃ」
「あ,そうなんですか?」
「うんむ。 じゃから先生には理由をつけて欠席させてもらう。 職員会議がある分そう長く話すことは出来んじゃろうが,仮説を深める時間はあるじゃろう。 お主ら二人とも,データセットを持って儂の研究室に来い」
「「はい先生」」
2人で返事をすると,先生は満足したのか通話を切る。
夕方まで手持ち無沙汰だと思っていたが,暇つぶしを考える必要もなく俺達は今から研究室に召集のようだ。
「まぁそういうことみたいだし……行こうか,矢芽さん」
「そうですね,先輩」
先ほどまでのぎすぎすした感じは通話を経てちょっとだけやわらぎ,俺達は研究室に向かうために食べ終わった食事のトレイをもって席を立つのであった。
「……先輩。 さっきは,すみませんでした」
食堂から出ると,矢芽さんはこちらの様子を見ながら言ってくる。
「え? さっきって……あぁ,お狐様の話?
いいよいいよ,矢芽さんなりに俺のことを心配してくれてたんだろ?」
「そうですけど……意味もなく“無害な英霊なんですか”なんて疑っちゃったのは,私もわるかったなって」
歩いている二人の間にある空気は,先ほどよりは穏やかになっている。 今なら矢芽さんがお狐様に抱いている視点を聞くことが出来るかもしれないが,どうしようか……考えていると,矢芽さんが自然と口を開く。
「……さっきは変な聞き方しちゃいましたけど……やっぱり先輩って,帰ってからお狐様の話ばかりしているのは確かですからね」
「そうなのかなぁ……君に言われるまで,あんまり意識したことがなかったんだよね」
「そうですよ~,っふふふ。 自分で気づかないレベルだなんて,相当ですね」
「う,うるさいなぁ……そのくらい印象深い出来事だったってことだよ。 お狐様の使う炎,滅茶苦茶綺麗な青色で凄かったんだからな?」
「その話4回目です」
「ぁあ!? くっそ……な,何か話してない話題あったっけなぁ……」
「あっははは! 先輩とお狐様が遇ったの,なんだかんだ一瞬だったんでしょ? だとしたら,そもそもそんな語れる内容がないんじゃないですか?」
恥ずかしさで耳まで熱くなる俺を軽く手をたたきながら笑う矢芽さん。 それを見ていると,彼女にはなんだかんだ笑顔が良く似合うという気持ちが出てくる。
お狐様も,彼女のようなぱっと弾ける笑顔をすることがあるのだろうか。 もしそうなんだとしたら,見てみたいな……きっとよく似合うことだろう。
「それにしても……そんなに話しても話したりないって思うなんて。
……先輩,本当にお狐様が好きなんですね」
「す,好き? ……あぁ,まぁ……確かにそうかもしれないな」
好きと言われてついどきりとしてしまうが,その言葉は何も恋愛対象的な意味に留まるものではない。 傍から見れば,今の俺が抱いているような感情も好きの部類に入るのだろう。
「おや,否定しないんですね」
「まぁ,あんまり言われて違和感とかもないからな。 ……本当に美しかったんだ,息をのむくらい」
「先輩……」
「……心の底から,また会いたいなって思うよ。 今度は,助けられる側としてじゃなく……面と向かった対等な関係で」
「確か……お狐様の方から,言われたんですよね? いつかお礼に参りますって」
「あぁ,それはそうだね。 その時に,彼女の正体も知ることになる……とは言っていたよ」
「正体って……自分が英霊だよってことなんでしょうか? それとも,何かより深い……彼女の秘密が明かされる,とか?」
「っはははは,どうだろうなぁ。 もしかしたら,その時に告白とかされちゃうかも。 ほら,よくあるだろ? あの時助けていただいた何々です,お礼にあなたのお嫁になりに来ました……みたいな!」
「気持ち悪いこと言わないでください,そんなんだから研究室で磯樫君に彼女いない歴イコール年齢なんてからかわれるんですよ」
「んな!? そ,それは関係ないだろ!?」
矢芽さんの言った磯樫君とは,彼女の同期で俺の後輩の磯樫火郎という男子学生のことだ。 今のM1―大学院修士課程1年目のことを指し,俺の1つ下の後輩たちを指す―の中ではムードメーカー的存在で,先輩の俺すらからかってくるような無礼者である。
そんな話をしながら研究室に着くと,先生の在室状況を示すタグは【在室】となっており,既に先生は中にいらっしゃるようだった。
「失礼します」
「む,ようやっと来たか,伏見に矢芽。 こっちじゃ」
先生は部屋の中心部にある机に置かれた椅子に座っており,空中に投影したディスプレイに矢芽さんのレポートデータを映しているようだ。
「先生,本日はお時間を取ってくださりありがとうございます。 早速本題に入ってもよろしいでしょうか」
「うむ,早速データを見せよ」
頷くと俺はコンピュータデバイスと携帯端末を接続し,データセットをモニターに映す。 そこには異常値の見られたφ値を含め,手水舎で手に入れた次元の裂け目の痕跡から読み取ったデータが並んでいる。
「ふむ……」
「異常値が出たのはここですね。 僕たちが見ていた資料には,周囲からどのくらいの魔子を吸収して生成されたか,とあったので,仮にこの値を信じるなら,この裂け目が異様に小さいものだったか……例えば誰かが自身の魔力を用いて生み出したような,周囲の魔子を取り込まないやり方で生成した,などが考えられるかと」
「……なるほどのぅ」
じっと数値を睨む綺羅先生。
その様子は,次第に陰りを見せていく。
しばらくモニターとにらめっこした後……先生はぼそっと呟いた。
「……これは,後者かもしれんな」
次のお話は明日の10時に投稿される予定です。
☆1からでも構いませんので,評価・コメント,よろしくお願いします。