第2話「狐のカミ」
6月2日投稿分の,2話目です。
お狐様との遭遇が描かれます。
「それにしても……ここは一体,どういう場所だったんだ? こんなに大きな神社なのに,手入れすらされずに放置されてるなんて……」
目の前の魔法鉱石は淡く恐ろしげな紫の光を放っている。 先ほど獣道の入り口でみたものと同様のものだろうが,このような両手で抱えないといけないほどの大きさのものは大学でも見たことがない。
「この辺りが,中心地だったんだろうか。 ……もしかしたら,この神社が廃れたのはこいつが原因なのか?」
境内の入り口にある狛犬狐も,完全な姿というわけではない。魔獣のような何かに引っかかれたかのような,ひどい傷跡が付けられているのだ。
それだけではない。
この手水舎だって,自然に崩落したという理由では説明できない破壊の跡があるのだ。
「次元の裂け目の発生によって,信仰されていた神社が破壊された……そして,生き残った集落の住民のみでは,修繕することが出来なかったのだろうか?」
この集落に来た時,集落の長老から事件の詳細は聞いている。 その長老も実際に経験したわけではないのだというが……
事が起きたのはちょうど100年前。 山の頂上に突如現れた次元の裂け目から,大量の魔獣族が出現して村の住民を襲いだした。 この集落は今も昔も都会から隔絶された場所にあるため,救援が著しく遅れてしまったのだという。
最終的に都市部から派遣されてきた魔法師によって裂け目が閉じられたのは発生から二晩明けた頃。 その頃には,集落の人口も半分以下になってしまったとのことで,現在の限界集落状態でさえ復興できた方なのだとか。
「……一体,何の天罰なんだろうな」
あくまで素人目ではあるが,神社が廃れた時期とこの痕跡が形成された時期にはそれほど開きがあるようには見られない。
次元の裂け目が現われたから,この神社が廃れたのか……神社が廃れたから,次元の裂け目が現われたのか。 仮に後者だとしても,二晩も人々を恐怖のどん底に落とし,人口を半減させるほど蹂躙するとは,なんとも理不尽な仕打ちではないだろうか。
「……もしかしたら,神様にとっても寝耳に水で,必死に住民を守る側だったりしてな」
何にせよ,これ以上考えるのは俺一人では無意味だ,判断材料がなさすぎる。
大人しく探索に戻りますか……と思ったところで,俺は境内の裏側に到着した。
「……んん? あれは……なんだ?」
周囲を見渡していると,建物から少し離れた茂みの中に何かあるのを見つける。 遠目からではよくわからないが……何か,液体のようなものだろうか。
縁側から降り,茂みの奥へ向かってみる。 すると近づくほどに,なんだか生ごみが腐ったような異臭が漂ってくるのを感じた。
「なんっ……だ,これ……ヘドロ?」
目の前に広がっていたのは,青紫色の吐瀉物のような塊だった。
強烈な腐臭は見ているだけでも涙が出てくるほどで,間近で直接嗅いでしまえば失神は免れないだろうと確信できる。
「ぅげえ……げほ,げほ。 最悪……んだよこれぇ……」
思わず咳き込んでしまい,涙目になりながら吐瀉物のようなヘドロのようなものから距離を取る。 なんとか意識をソレから周囲に向けられるようになった,その刹那。
ブシュルルルルルルルルルルゥゥゥ……
「!!?? やっべ……!!」
気味の悪い唸り声に一気に身体に危機感が走り,俺はその場から思いっきり飛びのく。
直後,俺が元居た場所に巨大な塊がドズン!! と叩きつけられるのを背中で感じた。
「なんなんだ!?」
強烈な腐臭に思わず咳き込み,涙と土煙で視界が塞がれる。 せっかく直した社殿が目の前の正体不明の存在に危害を加えられてはたまらないので,吐瀉物ヘドロのあった場所を迂回しながら距離を取りつつ,意識をこっちに向けさせるためにがんっと傍の樹木を蹴った
ブシュルルルルルルルルルルゥゥゥ……
土煙が収束し,巨大な影の正体が見えてくる。
「こいつは……!?」
そこにいたのは,巨大なミミズのような,芋虫やウジ虫のような,ナメクジにも似た魔獣族。 赤ピンクの体表はぬめぬめとして不気味に光り,その先端はまるごと巨大な牙に覆われた口になっていた。
「デスワーム!!」
それはムシ型魔獣の一種であり,一般に,巨大なミミズの魔獣と表現される存在。 ある地方では,オルゴイコルコイとも呼ばれているらしい。
先ほど見た吐瀉物ヘドロは恐らくコイツの吐いた体液。得物を狩る際に吐くといわれる強力な酸性の毒物だろう。
グシュァァァァアアアアアアアア!!
デスワームは咆哮を上げながら体を震わせる。 恐らく毒を吐き出す合図だ。
「くっそ!!」
魔力を込め,目の前に巨大な木材の板を出現させる。
直後,強烈な衝撃と共にジュウウゥゥゥゥゥウウウっという溶解音が聞こえてくる。 木の板で出来た盾ではその場しのぎにしかならず,毒液によって一瞬で穴を開けられてしまう。
「やばいやばい,やばいってぇ!!」
慌てて駆け出し,茂みに隠れる。なんとかやり過ごせるかと思ったが,デスワームは何処に耳がついているのか,ぐるんとこっちに顔を向けてきた。
ブシャァァアアアアアアアア!!
ズズズズズっと身体を揺らし,巨体が動く。 そこまで俊敏とはいえないものの,人間5人分はくだらないそのサイズに押しつぶされればひとたまりもない上,毒液も喰らってしまえば一発アウトだ。
「大体何でこんなところに魔獣がいるんだよ! 次元の裂け目の生き残りっていったって,発生したのは100年も前なんだろ!?」
再び毒液を吐くデスワーム。 木の板で防ぐも,先ほど同様一瞬にして溶かされてしまう。
「くっそが……とりあえず小突いてみるが,どうだ……そらいけ,木槌!!」
手のひらから魔力を収束させ,俺の身の丈1.5倍ほどの巨大な木槌を形成すると,そのままピンク色の表皮に向けて叩きつける。
ごにゅんと鈍い衝撃が走り,気色の悪い悲鳴が上がる。 樹木をなぎ倒しながら倒れ込むデスワームに一瞬手ごたえを感じるが……
ギシャアアアアアアア!!
「全然効いてねえ!!?」
思いっきり身体を起こし,木槌を払いのける巨大ミミズ。 攻撃したことで余計に激昂させてしまったのか,より激しい動きでこちらに迫ってくる。 こんなことになるんなら,大人しく境内を修繕したところで次元の裂け目の痕跡を持って綺羅先生たちのもとへ戻るべきだったと後悔するも,もう遅い。
こんな気色の悪いミミズ野郎に俺の人生詰まされるのか……? そんな絶望が頭をよぎった,その瞬間。
ふわり,と……暖かな風が頬を撫でた。
ドガァァァアアアアン!!
巨大な爆発音とともに,目の前が青色の爆炎に包まれる。
デスワームの悲鳴が響き,炎が晴れると目の前にはぶすぶすと煙を噴き上げる巨大ミミズの姿があった。
なんだ……同期の中に炎を使った攻撃が出来る学生は存在しない。 綺羅先生の使役するあの狼も,使うのは真っ赤な爆炎だ。
困惑している俺の頬を,再び暖かな風が撫ぜる。 ぽっ,ぽっ,ぽっ,と,鮮やかな青色の炎が俺の周囲の虚空に現れた。
「……ご無事ですか。 心優しき,修繕者のお方」
凛とした,それでいてあどけなさの残るような,優しい声が耳に響く。
顔を上げると,青色の焔を纏わせながら,視たこともない人物がそこに浮いていた。
深紅の袴と,純白の衣……巫女装束,というのだろうか。 その背中には,天女の羽衣を思わせる薄く細長い布を,半円を描くように纏っている。
ぱっと見た感じは,人間の女性のように見えるその人物には,しかし明らかに人間とは違った特徴があった。
黄金色の,耳と尻尾。それはまさしく,先ほど境内の入り口で見た狐の持つそれだった。
「あ……あなた,は……」
薄く笑みを湛えた彼女は,人差し指を自身の口元に当てる。 話はあと,ということなのだろう。 直後,ずごごごごごっと音を立ててデスワームが起き上がった。
「まだ倒せてなかったのか……!?」
「ええ。 全盛期の力であれば,あのような下級魔獣など歯牙にもかけるようなものではないのですが……申し訳ございません,もう少々お時間をいただきます」
彼女はデスワームに向き直ると,すっと指を伸ばす。
青い炎がその先端に灯ると,ぼぉぉおうっと大きく燃え上がる。
グシュァァァァアアアアアアアア!!
デスワームがその巨躯を起こし,咆哮を上げて毒液を吐く準備をする。
その口元に狙いを定め,彼女は炎を放った。
毒液に引火したそれはデスワームの咥内で大爆発を引き起こし,まるでミミズが上空に向けて火柱を吐き上げたようになる。 無防備になったその胴体に狙いを定めた彼女は,その身体に沿って小さな炎を連続して撃ち込んだ。
シュッと指を動かし,手印を結ぶ。 ぎらりと光った炎はデスワームの体表を灼熱の蒼炎で覆いつくした。
美しい……心の底からそう思えるほど,綺麗な炎だった。
彼女の戦う姿もそうだ。 息を乱すこともなく,何も喋ることもなく,舞い踊るように手印を結び,青い炎を生み出し,対象を燃やす。 その華麗さは,呼吸をすることすら忘れてしまうほどだった。
そうして見惚れているうちに,彼女の舞は最高潮を迎える。 ごうごうと燃え盛っていた炎が一気に収束し,一瞬の静寂の後……大爆発と共にデスワームの姿は跡形もなく消し飛んだ。
「……すげぇ」
自然に口をついて出た,感嘆の溜息。 それを聞いた彼女はふっと微笑むと,こちらに振り返り,優雅に一礼をした。
「お怪我はございませんか」
「あ,はい……おかげさまで」
差し伸べられた手を握ると,先ほど頬に感じたものと同じ温もりを感じる。 彼女と過ごす一瞬一瞬を本能が噛みしめるように味わっているのがわかった。
「あの……あなたは?」
様々な感情が渦巻く中,やっと出たその言葉に,彼女は優しく笑みを返す。
「今は,お話しする時間がございません。 しかし……いずれ,知ることになるでしょう」
そう告げた後,彼女の身体は青色の炎に包まれる。 彼女の声は……その姿が消え去った後も,心の奥底に残っていた。
「また,いつか……御礼に参ります故」
次の話は同日15時に投稿される予定です。
今回のお話が気に入っていただけましたら,ぜひ次のお話もお読みいただきたく思います。