オレンジと死神の話
彼の死を知ったのは夕方のことだった。
オレンジに染まるリビングで、母から告げられたその事実は僕から現実味という色を奪い去ってしまったかのようだった。
自殺。
電車が通る。僕の家は線路の側にあって、1時間に2、3本、3両くらいの短い列車が、たまに長い貨物列車が通り過ぎていく。
別に強烈にショックを受けたとか落ち込んだとか、そんな話ではない。なぜなら別に彼と僕はそこまで親しい間柄ではないからだ。ただ、中学の時1年間だけ同じクラスだったことがあるだけだ。
麦茶をもって自室に戻る。扇風機をつけて机に向かう。開けた窓から流れ込んでくる蝉の声が撹拌されて溶ける。
大学のレポートを仕上げなければならない。
彼は何故自死を選んだのだろうか。
オレンジの世界はまだ、続いている。
ところで——
「君は誰?」
ベッドの上に黒い影が座っている。気付いたのは机に向かってからだ。存在がひどく希薄で朧に感じる。
「死神さ。」
普段ならきっと驚くのだろうが……いや、何を馬鹿なことを、と笑うのかもしれないが、この世界の中では自然で、僕は違和感なくそれを受け入れる。
「僕は死ぬのかい?」
「ん、いや、別にお前の魂を狩りに来たわけじゃない。お前、今、こいつのことを考えただろう?」
自称死神は気だるげな声を出す。そして、腕を動かす。
「?」
「あぁ、すまん、ちっ、まだ、死期が遠いから見えもしないのか。今俺が連れて行く魂だよ。」
そう言われて名前も思い出せない彼のことだとピンとくる。
「迷惑なんだよな、突然引っ張られるとよ。」
「引っ張られる?」
「魂ってのはな、この世との縁を断ち切って連れて行かなきゃならないんだよ。んーとだな、地縛霊とかって聞いたことないか。あれは、クソみたいに仕事のできねークソがちゃんと切るもの切らなかったから連れて行った魂の一部が残っちまったやつだ。つまり、てめーとの縁をしっかり切らねぇとコイツがちゃんとあの世へいけねぇってことだ。おおよそ切り終わったところで連れて行くかと思ったら……お前、コイツのこと考えただろ?それで魂がこっちに来ちまったんだよ。」
考えた、といえば考えたが……。
コップの中で氷が溶け崩れ、音を立てる。
彼は、ソフトテニス部だったはずだ。よく笑う明るい性格で、気さくな男だった。
彼との思い出を探してみるが特にこれといったものが思いつかない。それもそうだ、同じクラスだったといってもそれだけだ。授業のグループででも一緒になりでもしない限り話すらしなかった。
オレンジ色に深い青が混ざり始める。
水滴が音もなく滑り落ちる。
『あ、それ』
マイナーなバンドの特集雑誌を見ている時だった。当時、歌詞も演奏もイマイチなバンドだったが、勢いが心地よくて気になっていた。
『好きなの?このバンド。俺も最近聞いててさ』
『※※※、置いてくよー』
『あ、まってー。ごめん、友達に呼ばれちった。へへ、でも、このバンド好きなら俺らもう友達だね?今度語り合おうぜ。またねー』
僕の返事を待つこともなく彼は友人の元へ走って行った。
以降僕たちは別々のクラスになり、会うことも無くなった。
苦しいか、この世界は
悲しいか、この世界は
引きちぎって走れ、引きちぎって足掻け
バンドの解散を知ったのは大学に入ってすぐだ。
何に苦しみ、何を悲しみ、何に囚われ、どうやって死んだのか。
友達の僕には何もできなかったのか。
蝉の声が次第に途切れ、世界が終わる。
「解散したよ、バンド……知ってたか。」
僕は声を絞り出す。
死神の手の中で光が瞬いた気がした。
「そか……また、ね。」
「ふん、もういいか?ったく、面倒なことだ。……一つだけ教えておくことがある、魂ってのは両方で引っ張り合わないと引かれないんだ。」
「……ありがとう、いいやつなんだ、君」
「何言ってんだ?次万が一会うとしたらテメーの死ぬ時だろうよ、じゃあな。」
そう言って黒い男の気配が闇に溶ける。
水滴でふやけたレポート用紙を丸めてゴミ箱に投げ入れる。
扇風機の音がやけに大きく聞こえる。
窓の外にはいつの間にか静かに星が瞬いている。