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浜茄子浜  作者: しーしい
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第四話 逃避行

化物と母から逃げた和子は、伯母とともに東京に至る。時間稼ぎの末に、和子と化物が導き出した答えとは。

 私が辿り着いた小さな(やしろ)は、河から離れた丘の上にあり、こんもりとした林に囲まれている。いわゆる鎮守(ちんじゅ)の森だ。

 私は砕けそうになる足を引きずり、社殿(しゃでん)の階段に腰を下ろした。

 なんで、こんな所に走ってきたのだろう。そうだ、美和子叔母さんが逃げろと言ったからだ。

 本当は死ぬつもりだったのに。

 でも神社の境内で自殺するのは罰当たりだし、しばらくここにいよう。自死の方法を考えるのは、ゆっくりでいい。

 息が落ち着いてくると、社殿(しゃでん)や木々に何処となく見覚えを感じた。

 ひぐらしが、これほど密集して鳴く場所を、他に知らない。

 あの(なら)の木は、カブトムシがよく取れそうだ。

 昔、来た事があるのだろうか?

 (なら)の木に触れたい、ふとした思いに立ち上がると、朽ちかけた鳥居の前に白い軽自動車が駐まった。

 降りてきたのは、叔母さんだ。

「駄目です、叔母さん。危険です」

 必死に制止する私の声は、無茶な運動と脱水で(しわが)れている。

「やっぱ、ここだったか。危険でもいいよ、親ってそういうものだから」

 叔母さんは、鳥居から社殿に繋がる階段をゆっくりと登る。その歩みには、何の兆候も現れない。

「何故、ここだと分かったんです」

「祐二さん家が引っ越しする前、和子ちゃんは怒られると、いつもここに逃げ込んでいたんだ」

 既視感の理由を思い出した。私は理不尽な叱責から逃れると、手水舎(ちょうずや)の後ろに隠れて泣いていた。自然とここに足が向いたのには、必然があった。

「思い出しました」

 私は社殿前の階段に座り直し、目の前に立った叔母さんを見上げる。

「それより、和子ちゃん怪我してる」

 壊れかけの柄杓(ひしゃく)手水(ちょうず)を汲んでくると、叔母さんは私の擦り傷を洗った。

「すいません」

「さあ、話さなくてもいいけど、気がすむなら私に話して」

 叔母さんにだけは嘘をつきたくない。

「……お母さんを邪悪な化物に引き渡したのは私です。海に誘って」

 軽蔑されてもいい、恐れられてもいい、私の闇をすべて吐き出そう。

 私は、賽銭箱にもたれると、今までの経緯全てを叔母さんに打ち明けた。大粒の涙が止まらず、檜の階段に点々と染みができる。

「和子ちゃん、気づかなくて、ごめんね」

 叔母さんはハンドバッグからハンカチを取り出すと、私の目蓋を拭った。

「信じてくれるんですか?」

「そりゃね、和子ちゃんがこれだけ必死になってるんだもん」

「ありがとう」

 緊張感が一気に解け、何も考えられなくなる。

 叔母さんは、泣きはらす私を抱きしめた。

「叔母さん、私はどうすればいい?」

「取りあえず、多美子への謝罪は、またにしよう」

「分かった」

 叔母さんの胸の中で、昔感じた安心感を思い出した。

 そう言えば幼稚園の頃、こうして叔母さんに抱かれていたっけ。

「さあ、一緒に逃げよう」

「だ、駄目です。私一人で逃げます」

 叔母さんの提案に慌てた。近くにいれば、叔母さんに危険を及ぼすだけだ。

「和子ちゃん、自分のために生きて。わがまま言ってもいいんだよ」

「でも、危険だから」

「遠くに逃げよう。帰らなければいいんでしょ。さあ、車に乗って」

 そのまま、私は叔母さんの車に連れ込まれた。

 山側の国道に入ると、軽自動車は秋田駅に向かってひた走る。そう言えば、生まれ故郷の街を出たことがなかった。

 高速道路に乗って、ぼーと車窓を眺めていると、叔母さんが私にiPhoneを手渡す。

「二十時には着くから、えきねっとで新幹線を予約しておいて」

「はい。でも何処に行くんです」

「東京かな。どうせ、仕事の都合もあるしね。それに和子ちゃんを、大学に入れないと」

「叔母さん。これでは甘え過ぎです」

「どうして? ねえ、前に私の子供にならない? って、言ったでしょ」

「うん」

「本当に、そうしよ。甘やかすよ」

 

 私は、秋葉原から万世橋を通って神保町に向かっている。LED電球が壊れたので、ヨドバシカメラに買いにいったのだ。

 湯島聖堂だろうか、ひぐらしが合唱する。

 あれから二年、私は叔母さんの家から大学の文学部に通っている。

 いつもは神保町にある叔母さんの事務所で授業の復習をしているけど、今日は久しぶりに遠出をした。大した距離ではないけど、痛みの残る私の足では容易くない。

 お母さんは、片足に回復出来ないほどの怪我を負っていたので、人工関節を入れた。杖がないと歩けないので、アイドルの追っかけは止めた。代わりに生協から配達してもらった食材で、料理に熱中している。つまる所、凝り性なのだ。

 私は、まだお母さんに謝っていない。遅くてもいいとは思わないけど、冷却期間を取っても構わないだろう。

 お父さんは、仙台から秋田に戻った。お母さんが障害を負ったとなれば、会社も出張命令を取り下げる。結局、お父さんあってのお母さんなのだ。

 万世橋を渡ろうとした所で、時間が止まった。


「遅かったじゃない。泡沫(うたかた)。秋田には帰っていないけど、どうやって追ったきたの?」

 私は後ろを見ずに、尋ねる。泡沫(うたかか)が東京に来るには時間がかかると予想していた。

『酷い女だ。水際を歩いておまえを追った。東京の河を探し回るだけで一年かかった』

「結局、私の手助けがないと足を奪えないんでしょう。だから東京まで追って来た」

『そうだ。奇跡を受けたものが、贄を選ぶ』

 泡沫(うたかた)は、話を歪めたけれども、一回も嘘をついていない。その結論に達するのに、半年悩んだ。

「ねえ、泡から波打ち際まで上がるのに、どれほどの犠牲を払ったの。最初から脚を得られなかったのは、奇跡が足りなかったからでしょう」

 はじめて会った時から、泡沫(うたかた)は海の泡とは異質の存在だった。

『邪悪な女だ。陸を望んで得たのは、水際に寄せて引くだけの奇跡と、奇跡の欠片(かけら)、失ったのは波間に揺蕩(たゆた)う安息』

泡沫(うたかた)、二年経って今は何を望んでいるの?」

『奇跡を返してくれ。それだけでいい』

「人間になるんじゃなかったの」

『呪いからは逃れられない。完全な脚を得ても、人間には戻れない(・・・・)

 その声は二年前のそれではなかった。深い失望と、諦念(ていねん)が重なっている。まるで、昔の私のように。

「何があったの?」

 私は化物と長話をする。

(いにしえ)の記憶を思い出した。与えられた奇跡は、そう使ってはならなかった』

「同情していい?」

 泡沫(うたかた)が選ぶ結末は、おそらく人魚姫のそれと同じなのだろう。

「見捨てないでくれ」

「奇跡は返すよ。不完全な脚をあんたに与えてしまったのは私だから、責任は取るよ」

『不十分だが、十分だ』

 時間が進み始めるとともに、私はその場に崩れ落ちた。LED電球が歩道を転がる。

 起き上がろうとしても、足に力が入らない。

 これが、罪の代償、過ちへの罰。

 これくらい構わない。叔母さんを信じているから。

 万世橋を歩く会社員が驚いて、私を助け起こしてくれた。

 背後で、何かが落ちた水音が聞こえ、私は振り向く。神田川の水面に異常な量の泡が噴き出して、そして茶色い水に溶けていった。

 

 慶長年間、私が生まれた街が村だった頃、村人達は尾去沢(おさりざわ)から掘り出された金を横領した。それだけに留まらず、貨幣の偽造にまで手を染めた。銀に金メッキしただけの一分金もその一例だ。

 領主は詰問(きつもん)のため、僧侶三隅(さんぐう)を使わしたが、村人は結託して彼を沖に沈めた。

 三隅(さんぐう)は溺れる寸前に、村民に諭した。

 この因果は呪いとなって、陸と海を隔てるだろうと。

 崩し字で書かれた江戸時代の古文書はここで終わっている。文章は私が逃げ込んだ(やしろ)に、収められていた。

 後は、私の予想だ。

 陸に上がれなくなった彼らは水没した洞窟に逃れたものの、呪いに囚われたまま、長い年月の末に泡となった。

 奇跡を封じた偽造一分金の事は分からない。三隅(さんぐう)による赦しだったのかも知れない。それも泡沫(うたかた)によって、呪いに変わった。


 私はレポートを保存すると、パソコンの画面を閉じた。

 あれから、何度も万世橋を渡っているが、泡沫(うたかた)は姿を見せない。多分溺れて泡に戻った。

 魔物が最後に望んだのは、溺れるだけの奇跡だったのだろう。

「和子、そろそろ出発しましょう」

 直前まで液晶タブレットで作業していた叔母さんは、スマートウォッチを見ながら立ち上がる。

「こっちも終わったよ」

 私は電動車椅子の電源を入れると、エレベータードアの前で下りボタンを押した。

 叔母さんが、事務所とエレベーターホールを隔てるシャッターを下ろすと、丁度エレベーターが来た。

「飲み物はある? おやつは持った?」

 叔母さんは、車椅子の籠を漁りながら、過保護気味に尋ねる。

「子供じゃないんだから。開けたトッポならあるよ」

 私は、前に抱えたバッグからチョコレート菓子を取り出す。

「食べる」

 叔母さんは銀色の袋から、トッポ二本を摘まむと、口に咥えた。

 これから、秋田新幹線に乗って故郷に帰る。ずっとできなかったけれど、今度こそお母さんに謝る。

 事務所を出ると神保町から御茶ノ水駅に至る明大通りを登る。この坂を叔母さんに押してもらう訳にも行かず、電動車椅子を導入した。明治大学を越えるとギターを並べた楽器店が建ち並ぶ。もうすぐで駅だ。

 正面に見える、二つの大学病院では桜が満開になっている。

 風に吹かれ神田川を渡った一つの花びらが私の膝に落ちた。それを拾い上げると、叔母さんに見せる。これは祝福だ。

 そう、私達二人の帰り道はきっと祝福されている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 人情ものとホラーを上手く両立させて、あれほど酷い母親に対して謝るという選択をするところが、歯がゆくも美しいと感じました。 どんなに嫌っていても、懲らしめるために妖怪の力を借りてはいけない、…
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