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浜茄子浜  作者: しーしい
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第二話 裏切り

失望と諦念。その末に和子が縋り付くのは、甘美な奇跡か、美麗な自死か。

 翌日の日曜日、昨日の疲れもあり気怠さを感じながらも勉強していた。

 お母さんと違って、私は成績がいい。美和子叔母さんも成績優秀だったので、お母さんは努力の方向を間違っていたのだと思う。お父さんは、お母さんの何に惹かれたのだろうか。その縁がなければ、私は生まれてこなかったのに。

 勉強用の個室がないので、私は食卓に参考書を置いている。家族が三人しか居ないので、その一角だ。

 狭い我が家とはいえ、一つは個室があるのだが、お母さんがグッズ類を積み重ねて、倉庫部屋にしてしまった。訂正、もう雪崩れている。

 ワンピースのポケットから、あれを取り出すと、食卓に置いた。この金色の代物は、おそらく江戸時代初期の通貨、慶長一分金というものだ。古銭商の解説ページで調べた特徴に合致している。小判の四分の一の価値がある。

 これに超常能力があるとは思えない。

 波打ち際で取引を持ちかけてきた泡沫(うたかた)なるものは、ただの白昼夢だったのだ。

 そう片付けると、何故一分金を握っていたのか、説明出来ないけれども。

「やっぱ、捨てよう」

 持って帰ってきてしまった事が、間違いだったのだ。本当に力があるにせよ、これは私にとって不要なものだ。

 一分金を右のポケットに入れると、椅子からゆっくりと立ち上がった。

 刺すような痛みに、もう一方のポケットからロキソニンを取り出し、口で噛み砕く。

 叔母さんに、頼む訳にはいかない。その場で話さなかった事が、裏切りのように感じたからだ。

 一人で浜茄子浜に行くのは大変だ。浜の脇道まではバスが通っている。そこから駐車場を越えて、浜まで歩くしかない。波打ち際までは、どうしよう。這って進もうか、もしくは小道から海に放り投げようか。


 帽子をかぶりつつも、出かけるのを迷っていると、個室で何かしているお母さんから声がかかった。

「和子、今月家計が厳しいから、和子の口座から借りていい?」

「はあ?」

 思わず、呆れ声が出る。

 私が持っている口座は、一時金や、クズからの賠償金を受け取るためのものだ。

 お父さんが仙台に単身赴任する前の家族会議で、治療や私の自立のために全額を積み立てる事に決めた。

 ルーズなお母さんが手を出さないよう、通帳と印鑑は隠したはずだが、意味がなかったようだ。

「お願い。絶対返すから」

 安っぽい嘆願が襖越しに伝わる。

 貧しいけど一家三人、給料で十分暮らしていけると、お父さんは言った。

 お父さんがお母さんを警戒したのは、家計を趣味に繰り入れた前科があるからだ。

 お母さんは、パートの給料を家に入れていない。全てがコンサートのチケット代とグッズ購入費になる。本来それだけが、お母さんが自由にしていいお金だ。

「お母さん、約束を破らないで。家計じゃなくて、盛岡のチケット代でしょ」

 私は襖に向かって、ザクザクと棘を突き立てる。お母さんの部屋で、グッズがさらに雪崩を起こした。

「ちが、そんな事ないから」

「お母さん、もう流用したんでしょ? 通帳見せて」

「まだ記帳してないから。すぐ返すから」

 あくどい割りには、嘘は薄っぺらい。

 私は溜息をついた。

「十五日までに返して」

 無理だと分かっていながら、妥協した。

 どっと疲れた私は浜茄子浜に行くのを諦め、寝室のベッドに身を預けた。布団だと起き上がれないので、簡易ベッドを畳の上に置いている。

 ここまで来ると、お母さんに哀れみさえ感じる。ずっと、それが当たり前だったっから、罪悪感なんてないんだ。

 叔母さんの子供になりたい。あの時は冗談で済まされたけれど、望む気持ちがあるからこそ、そんな事を言ったのだ。

「そんなんじゃ、駄目だ!」

 私はベッドの上で背を反らすと、上階まで響くほどの大声で叫んだ。襖を二個隔てた場所で、お母さんが怯えて、再度グッズが雪崩れる。

 叔母さんの厚意に甘え過ぎだ。子供を為さなかったのには理由が有る。今さら迷惑をかけられない。

 お母さんから、逃げなきゃ。ここではない何処かに、逃げた先、行き着く先で、誰にも知られないまま暮らすのだ。そこまでしなきゃ、お母さんは私の憎しみに気付かないだろう。

 逃げるには、足が必要だ。一分金の事を思い出す。悪夢の主は奇跡を語った。

 疑っていたはずの力に一縷(いちる)の望みをかけて、私は一分金を取り出す。

 どうすればいいのだろう。取りあえず、掲げた掌の中で握った。金だと思っていた一分金は、銀の断面を晒して割れた。偽造品だ。

 何も変わらなかった。安静時でさえ頭に響く鈍痛は、そのままだ。

 私は安堵した。こんなものに期待するなんて、どうかしている。

 一分金の切片(かけら)をポケットに入れると、ベッドから降りる。相変わらず痛いが、衰えた筋肉が骨に張り付く不快感を……感じなかった。

 まさか、本当に超常の力があったのだろうか。

 私は泡沫(うたかた)が一方的に告げた、約束を思い出した。

――――先に与えよう。後で返してもらう

 あの契約は、あまりにも私が有利だ。

 泡沫(うたかた)が望む代償が、より大きなものでない限り。

「お母さん、出かけてくる」

「えっ、何処に」

「海に」

 使ってしまった後だけど、これは返そう。よく考えればお母さんへの復讐に、奇跡まではいらない。


 浜茄子浜の砂はもう障害では無く、問題なく波打ち際まで歩んだ。

 水没洞窟では海が泡立つ。そこから視線の様なものを感じた。

 あれが泡沫(うたかた)だろうか? 泡の沫(あわのあわ)って名前だし。でも、何の反応も示さない。

 洞窟に近づこうとして海に入ったが、急に深くなったので戻る。その時、泡沫(うたかた)は現れた。

 以前そうであった様に時が止まると、背後から声が聞こえてきた。その化物らしくない声色に、私は寒気を感じる。

『おまえは足を望んで、それを得た。今度は私が、脚を得る番だ』

「何故、背後から言葉をかけるの? 泡沫(うたかた)

 私は、疑問を後ろに投げつける。

『私の本質は泡。引き波に引きずられて、前に歩む事が出来ない』

「良く分からない。脚なんか欲しがって、何がしたいの」

『自由に歩きたい。今は波が寄せて引いた(きわ)が限界だ』

「泡が陸を歩くってどういう事? あんたは洞窟の泡?」

 洞窟の天井に打たれた海水は、かき混ぜられて海面に浮く白い泡となっている。

『それは我が同胞(はらから)。陸を望まなかった、無為の輩』

 泡沫(うたかた)は、ただの泡とは別だと言う。

 海から出られない存在が、脚を望むだなんて人形姫みたいだ。

 人形姫は純愛の末に身を投げたけれども、泡沫(うたかた)の本質は、きっと邪悪だ。 

「この一分金は返す。確かに不思議な力だけど、私には不相応だから」

『奇跡だけを返す事は出来ない』

「どういう事?」

『全てを失う。二つの足を二つとも。それが奇跡にすがった者の定めだ』

 それでは、逃亡さえ自由に出来ない。お母さんに搾取され続けるだなんて、ぞっとしない。

「聞いてない」

『聞かなかった』

「わかった。どうすればいい?」

 私は泡沫(うたかた)に屈服する。

『誰でもいい、近しいものを海に誘い込め。その者が片足を失うとともに、私は脚を得る』

 その要求は、思った以上に邪悪なものだった。

「そんな事、できない」

『おまえはそうする。誰もが愚かで利己的だ』

 泡沫(うたかた)の脅しに、私は震え上がる。

 お母さんから逃げたかっただけなのに、結局一分金の誘惑に抗えなかった。この化物は、私の感情を操っている。

『大切なものを守りたいのだろう』

 化物は付け加えた。

 正気を失って、叔母さんに累を及ぼしたくない。誰かを生け贄にして全て済むのなら、一度の機会に私の狂気全てを叩き込もう。私は既に恐怖に屈していた。

 時間は再び進み始め、さかりの太陽は無防備な肌を焼く。


 それからしばらく経った、金曜日の放課後。

 叔母さんに軽自動車で送ってもらっている途中、銀行から電話があった。

「はい、もしもし。小笠原 和子です」

「もしもし、秋田(さきがけ)銀行の田中です」

「銀行?」

 その銀行にある私名義の口座は、二十歳になるまでは受け取り専用にすると決めた口座だ。お母さんが、盛岡のチケット代に流用したと思わしき口座でもある。

「暗証番号の誤りが続いたので、ATMがカードを回収しました。写真付きの身分証明書をご持参の上、支店までお越しください。十五時までに来て頂ければ案内します」

 カードは通帳と一緒に隠してあった。持ち出したとすれば、お母さんだろう。さすがに暗証番号は知らないはずだ。

「身分証は学生証でいいの?」

「はい、写真付きで学校発行のものなら。免許証やマイナンバーカードでも構いません」

 通話を終えると、叔母さんと顔を見合わせた。

「多美子のせいね。取りあえず銀行まで送る」

 間違いなく、お母さんの仕業だ。

 軽自動車はホームセンターの駐車場に一旦入ると、切り返して反対車線に入った。

「困った妹だな。和子ちゃんも辛いでしょう」

「うん、辛い」

 正直に認めるしかない。

 変えられない血の繋がりが、私を追い詰めている。

「ねぇ、また海に行かない?」

 叔母さんの厚意に、私は慌てる。今海に行けば、叔母さんの足を泡沫(うたかた)に献上する事になる。

「もう八月だから、止めておこうよ。ほらクラゲだって居るし」

「そう? 和子ちゃん楽しみにしてたじゃん。足も良くなったし」

「また、来年いこう」

 叔母さんに隠し事をしているのが、とても心苦しかった。

「うん、分かった。来年にしよう」

 私は、罪悪感の中で安堵する。

「ほら、銀行だよ。私も立ち会うよ」

 叔母さんは赤いシンボルの看板を指差した。

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