「賽の目」
坊っちゃん文学賞に投稿した作品です。選考には全く引っかからなかったのですが、お蔵入りも悲しいので公開します。自分の作風を、お試し程度に見ていただけたら嬉しいです。
部活を終えてから自宅に戻ると、珍しく母が私より早く帰っていた。
「ただいま。今日早いね」
母はおかえりなさいと言う代わりに、溜め息を吐いてから私に質問した。
「ねぇ、美羽。一段目の引き出しに――」
「あっ……。ごめん」
私は母の言わんとしていることを悟って謝り、玄関から自分の狭い部屋に駆け込んだ。一週間、自分なりにうまくやっていたと思っていたが、この狭いアパートの一室で、母親に何かを隠しておく事自体、無理な話だったのかもしれない。引き出しの中で、彼は相変わらず小さな声で鳴いていた。
ちょうど七日前、雨の日。アパートの階段の手前で、手のひらほどの大きさの、見たことのない質感で、明らかに周りの景色に溶け込んでいない、奇妙な物体が落ちていたのを見つけたの
で、私は気になって拾い上げてみると、柔らかくて生暖かかった。どうやら生き物らしいそれを手に載せ、しゃがみ込んでしばらく観察していると、塊は急にうずくまるのをやめて、私の掌の上をのそのそと動き始めたが、その姿を見た瞬間に私は驚いて後ろ向きに倒れ、傘を落としてしまった。
「嘘、ツチノコ?」
ずんぐりと太い胴体を持ち、頭が大きい、こけしのような体型をした爬虫類。ネットで特徴を打ち込んで調べても、同じようなものは出てこない。私は、軒先で幻の生物を拾ってしまった。
どうしたらいいか分からず、雨の中放っておくのも気の毒だと思った私は、家にツチノコを持ち帰った。
「意外と可愛い」
しばらく観察をして、彼に愛着が湧いてしまった私は、その時点いていたテレビで雨について話していた気象予報士の名前から、“ヨシノリ”と名前を付けて、机の引き出しに匿うことに決めた。人生で初めての、母への隠し事。
引き出しの中で私を見上げるヨシノリを、母はじっと見つめている。
「すぐに逃してくるから――」
今度は、母が私の言葉を遮った。
「待って……どうして、黙ってたの?」
「お母さん、爬虫類とか、嫌いだと思ったから」
私は訳のわからない気まずさに背を熱らせながら、言葉を絞り出した。母はすれ違う散歩中の犬さえも怖がるほどに、生き物が苦手なので、無論爬虫類など以ての外であるはずなのだ。母に嫌な思いをしてほしく無かったし、何より母に隠し事をした自分を恥じたし、罰してほしかった。模範的な娘として、母を裏切らず、隠し事もせずに生きるのが、かつての父に私の分まで罵倒され、殴られた母へのせめてもの報いだと思っていたから。母は何故か寂しそうに笑った。
「そっか。気を遣ってたのね。でも、この子を見捨てられなくて机の中で……美羽らしいね」母を失望させただろうか。怖くて話せない。
「こんなところじゃ狭くて可哀想。明日この子の部屋を買いに行こう。ツチノコ……? だよね、本当にいるんだ」
「えっ……だって、いいの……?」
母は予想外に楽しそうで、ヨシノリを家族として迎え入れる話までし始めた。
「早く教えてくれればよかったのに。生き物は苦手だけど、美羽の友達のことは知りたいわ。名前は、何ていうの?」
「……ヨシノリ」
母は嫌な顔ひとつせずにヨシノリをそっと撫でながら、笑った。
「ヨシノリ、他の人に見つかったら、うちから連れていかれちゃうかもしれないね」
「それは嫌!」
ヨシノリが捕まって、どこかで怖い目に遭わされたり、テレビで見世物のようにされてしまう様を想像してしまって、思わず今まで母に聞かせたことのない大声で、咄嗟に叫んでしまった。
「だから、秘密にしておこうね。美羽とお母さんと、ヨシノリとの秘密」
「うん……」
「ヨシノリって、何を食べるの?」
「色々あげてみたんだけど、結局一番好きだったのは魚肉ソーセージだったよ」
「ああ、だから最近冷蔵庫にいっぱい入れてたんだ」
「ははは、バレてた。変だったよね」
母に出来るだけ不自然に思われないように、スーパーで買い込んだ魚肉ソーセージを隠すようにしまっていたここ一週間を思い出して、私は変な気持ちになった。
その日、母の作ってくれた冷やし中華を食べた後で、私は父親からの着信を無視していたことに気付いた。
「ごめん。さっきは出られなかった」
それだけ父に送った後、もう寝てしまったヨシノリを少し見てから、ベッドに仰向けに倒れた。ヨシノリのことがばれても、これだけは、母に知られるわけにはいかない。父からすぐに返事が来た。
「週末、いつもの場所」
「はい」
いつかこの男の寝首をかいてやる。殺してやろうと思う。でも私は無力で、今はこうするしかお母さんが安心していられる方法が無い。今日も眠れる気がしないので、薬を飲むしかないようだ。ツチノコよりも、優しくて強い父親を拾いたかった。