AIの創作物に関する新たな道徳・倫理・法律の必要性への問題提起
子供の頃、僕はこんな素朴な疑問を抱いていました。
「有名な画家が描いた有名な絵画には億単位の超高額の値段が付く場合すらもあるのに、どうしてその絵画の写真だとかはタダ同然の値段だったりするのだろう?」
仮に絵画自体に価値があるのなら、その写真だって価値はあまり変わらないはずなのです。大きさだとか質感に多少は差があるかもしれませんが、基本的には同じなのですから。同じ構図で、同じ色合いで、同じ陰影。何故、ここまで値段に差がつくのでしょう?
もちろん、多くの人を感動させる作品を創作した画家はそれ相応に報われるべきでしょう。ですが、それが“絵画の値段”という形である必要はありません。
子供の頃の僕にはそれがどうしても納得できなかったのですが、結局答えは見つからないままでした。
ところがです。
最近になって、『人が自分をだます理由 ケヴィン・シムラー、ロビン・ハンソン 原書房』という本で、これを巧く説明している進化心理学的な発想を知ったのです(236ページ辺りから)。
一般的には芸術活動をするのは人間だけだと思われているかもしれませんが、実は動物にも、少なくともその原型と見做せる行動は観られます。
ニワシドリのオスはメスにアピールする為に青色の装飾物で彩られた実用性のない巣のようなものを作りますし、他にも鳴き声などで異性を誘う動物は珍しくありません。
これらはそれらを産み出した能力にこそ価値があるのであって、巣や鳴き声自体に価値はないと考えられています。
つまり、“そんなに素晴らしい巣を作れたり、鳴き声を出せるのであれば、その個体は高い能力を持っているに違いない”と判断し、異性はその個体をつがいに選ぶという事です(その動物が本当にそのように考えているという訳ではないのでしょうが)。そして、人間の芸術活動も実はこれは同じではないかと考えることもできるのです。「芸術作品それ自体に価値があるのではなく、それら芸術作品を産み出せた技能、努力、独創性にこそ価値がある」というのですね。
実際、この発想を当て嵌めてみると、本物、レプリカ、写真、それぞれの芸術作品の値段の理由を巧く説明できてしまえます。
オリジナルの絵画を作り出すのには、当然、技能も必要だし、労力も必要だし、その作家独自の創造性も必要です。だからこそとても値段が高いのですね。
が、これが精巧なレプリカになると話が違ってきます。技能も必要だし、労力だって必要ですが、独創性は必要ありません。だから値段がつく場合もありますが、オリジナル作品には遠く及ばないケースがほとんどです。
そして、写真となると、それら全てが必要ではなくなります。技能も、労力も、独創性も必要ありません。その為にタダ同然になってしまうのではないでしょうか?
小説家の場合にも生原稿に高額の値段が付いたりするケースはありますが、それでも画家や彫刻家などとはちょっとばかり事情が異なるでしょう。小説家が創作しているのは、“文章”という抽象的なデータであって、物体そのものではありませんから。
がしかし、この考えは十分に当て嵌められます。読者は小説家のその作品を産み出せた技能に感嘆し、創作に要する労力に感心し、独創的な世界を尊重するからです。
他の多々ある創作物と同様に、小説においても、何かヒット作が出ると、それを真似した類似作品が出るケースがとても多いですが、それら後追い作品や作者は初めの作品や作者に比べて、それほど高く評価されないのが普通です。その作品自体の完成度が高く、その系統の作品を初めて読む分には充分に楽しめる作品であったとしても評価は下がるのです。
これは作品自体の純粋な価値ではなく、作者の独創性にこそその価値があると皆が(ほぼ無自覚のうちに)考えているからではないでしょうか?
まだ証拠はあります。
なろう系などのネット小説に寄せられているコメントには、「毎日、更新していて凄い」といったような作者の労力を称賛するものがあります。
つまり、作品それ自体の価値ではなく、作者の労力を評価しているのですね。
――さて。
これまで人間社会において、創作物を創作できるのは、基本的に人間だけでした。
ゴーストライターや盗作でない限り、だから創作物の、この暗黙の裡にある“作者の技能、努力、独創性”という評価基準が問題になる事はなかったのです。
がしかし、近年に入り、これが揺らいでしまっています。何故なら、人間ではなく、AIにも創作が可能になってしまったからです。
人間がAIに指示を出すと、その通りにAIが創作を行ってくれます(指示を出せない場合もありますが)。創作に関する法律と言えば著作権法ですが、これは“人間が創作する”前提で作られた法律である為、AIの創作には適応できていません。その所為で、著作権自体はAIにではなく、AIの操作を行った人間に発生します。
ただ、この場合、果たして“作者の技能、努力、独創性”という評価基準は当て嵌まるのでしょうか?
もちろん、AIを操作するのにも技能が必要で、もしかしたら、高度にコントロールしたいと思ったのならそれなりの努力を要求されるのかもしれませんが、それでも人間が全てを創作する場合と同一ではないでしょう。
小説自動執筆AIを利用できる一つに、「AIのべりすと」というサイトがあるのですが、このキーワードを“小説家になろう”で検索をかけてみると、最も高いポイントで616でした(2022年11月13日現在)。他の作品には遠く及ばない数字です。
これは或いは、AIを使っていると公言している作品に対しては、ユーザーがあまり高い評価を付けたがらないからなのかもしれません。ですから、仮にAIで創作した作品を高く評価した人がいたとして、その人が作者自身の力で創作したと考えているからこそその作品を高く評価したのだとすれば、“AIで創作した作品”という事実は、その評価者にとって作者の裏切りや詐欺行為に思えてしまうのではないでしょうか?
また、AIは学習元データなしでは創作活動は行えません。近年になり、イラストや記事や小説など、AIの創作物が増えていますが、それらには全て人間が創作した学習元データがあります。
つまり、AIを使って創作した作品とは、“AIを介して他の人の作品を真似している作品”とも捉えられるのです。
もし仮にAIが創作した作品が、他の作者の作品と極めて似通っていた場合、果たして著作権法違反にはならないのでしょうか? いえ、この問いかけは少しニュアンスが違いますね。まだ“AIを前提とした法律”はないのですから、こう問いかけ直すべきです。
「AIが創作した作品が、他者の作品と似通っていた場合、果たして著作権法違反と“するべき”なのでしょうか?」
社会科学的思考の基本は、機能面に着目する事です。つまり、AIの創作物を著作権法違反とする事で世の中が良くなるのなら、著作権法違反とするべきだし、そうでないのなら“AIによる自由な創作を制限なしに認めるべき”となります。
著作権者の権利の一つに複製権があるのですが、“情報解析を目的とする場合”は許可されてしまっているそうです。そして、AIによる学習元データの利用は、これに該当すると判断されているのだとか(参考文献:AIの法律と論点 西村あさひ法律事務所 商事法務 77ページ辺りから)。
だからこそ、AIによる創作が今のところは大きな法律上の問題にはなっていないのですが、これは前述したように、ただ単に今の法律が“AIによる創作物”を想定していないというだけの話です。
仮にAIによって創作した作品が利益を上げてしまい、そして学習元データの創作者には何の見返りもなかったのなら、いくら何でも創作者の権利を蔑ろにし過ぎだと思うのです。ですから、今後、「学習元データの創作者の権利を守るべき」という議論は必ず起こるでしょう。
いえ…… イラストの業界では既に起こっているのですがね。
また、もし仮にAIを利用していることを理由に著作権侵害が認められなかったとしたら、盗作をしているにも拘らず、“AIを利用している”と主張する事で著作権侵害の罪を回避するような事もできてしまえます。
これは明らかに問題でしょう。
落とし所としては、「AIによる創作物が、学習元データの作品とある程度似通っていた場合に限り、それで得た利益の何割かを学習元データの作品の製作者に支払わなればならない」という法律を作るというのが、最も妥当ではないかと思われます。
もちろん、その為にはAIを用いた創作かどうかが分からなくてはいけません。ですから、仮に上記のような法律が制定された場合、著作権が発生する創作物の発表時には、AIを用いているかどうかを明示する義務が発生する可能性が高いでしょう。
また、仮に法律で義務付けられなかったとしても、暗黙の裡に作品の評価基準の一つになっているだろう“作者の技能、努力、独創性”を鑑みるのであれば、創作にAIを用いていることを明示するのは、これからの道徳や倫理になっていくと予想できます。
実際に、イラスト中心のSNSである「pixiv」では、投稿時にAI生成作品であるかないかを示す入力必須項目が設けられました。“はい”か“いいえ”かを選択しないと、作品を投稿する事ができません。
小説投稿サイト“小説家になろう”では、このような項目はありませんが、早急に追加するべきだと僕は考えます(「pixiv」の小説投稿時の項目にはありましたが、他の小説投稿サイトについては知りません)。
ここで一つ疑問にするべき点があります。
イラスト中心の「pixiv」で、AI生成作品であるかないかを示す入力必須項目が設けられたのは、先にも述べたように、イラスト業界ではAIの創作が問題になっているからだと考えてほぼ間違いありません。著作権侵害として問題提起されていますが、その本質は人間がほぼ生得的に“作者の技能、努力、独創性”を作品の評価基準として認識しているからでしょう。
では、どうして小説投稿サイトでは、そのような問題意識が希薄なのでしょうか? イラス業界でばかり話題になっていますが、先に挙げた「AIのべりすと」など、小説自動執筆AIは既に幾つも存在し、実際に小説投稿サイトで活用している人もいます。
冒頭で紹介した書籍、『人が自分をだます理由 ケヴィン・シムラー、ロビン・ハンソン 原書房』では特に言及されていなかったのですが、或いは“作者の技能、努力、独創性”を評価基準にする意識が希薄な人間というのも、実はこの社会には一定数存在しているのではないでしょうか?
小説投稿サイトでは、著作権の侵害すらも疑われる人気作の類似作品が多く投稿されていて、しかもそういった作品が高い評価を得てランキング上位に多く入っているのです。独創性を尊重する人が、その現状に失望し小説投稿サイトから離れてしまいがちになるのは想像に難しくありません。
その結果として、小説投稿サイトには、“作者の技能、努力、独創性”をあまり重視しない人間達が多く残ってしまっているのかもしれません(少なくともランキング上位層では、そのような傾向が強いようです)。
一般的に、浮気をする男性や女性は批判されていますが、実はアルギニンバソプレシンという脳内物質の受容体の少なさが浮気の原因になっているという説があります。もし仮にそれが正しいのであれば、少なくとも性道徳の観点から浮気を論じるのは間違っている事になります。浮気は“性道徳の欠如”という社会的な要因ではなく、生物的な特性が原因になるからです。
過去、小説投稿サイトでは、誤字脱字まで同じという、もし訴訟を起こされたらほぼ確実に著作権侵害が認められるだろう作品が出版までされてしまっているのですが、それに対して憤慨している人も少なくありません(正直に告白するのなら、僕自身も憤りを覚えました)。それも原因の一つだと思うのですが、小説投稿サイトに特徴的ないわゆる“なろう系”と呼ばれる(小説投稿サイト“小説家になろう”に投稿されている作品以外も含めてこう呼ばれています)作品やその作者を嫌悪している人も少なくありません。
ですが、或いは、これも浮気と同じ様に、道徳や倫理という観点から論じるのは間違っているのかもしれません。それは生存方略の一種であって、道徳や倫理という観点で捉えるべきものではない可能性があるのです。実際、進化心理学の観点から、そのような“独創性を尊重しない事”のメリットの説明も可能です。
他者が示した優秀な“使えるアイデア”を自分のものにしてしまえば、それによって生存競争に有利になる場合もあるでしょう。「他者のものだから」と優秀な“使えるアイデア”使わなかったら、生き残る可能性が減ってしまいます。
つまり、進化を考える上で、“真似ること”は有利になるのですね(そもそも全て完全にオリジナルというのは不可能なのですが)。
先に述べた通り、なろう系作品に対して嫌悪感を抱いている人は少なくないのですが、なろう系ランキング上位に多い、“独創性を尊重しない”タイプの作者達は、生存方略が異なっている為にその価値観がそもそも分からず、何故自分達が悪く言われているのかすら理解できていない可能性もあります。
ならば、それら作品や作者に対して、怒りをぶつけるというアプローチは効果的とは言い難いはずです。
もちろん、だからといって、“独創性を尊重しない”点に問題がない訳ではありません。小説投稿サイトの多くでは、凄まじい数の作品が投稿されているにも拘らず、斬新な作品が上位に入る事は稀です(斬新な作品自体は絶対に存在しているはずですが)。
それは“独創性を尊重しない”価値観が、多くの小説投稿サイトで支配的になってしまっている為でしょう。
当り前ですが、他者の真似ばかりしていて、新しい何かを産み出そうというモチベーションが低ければ、“新しい作品”を創造する事などできません。
“独創性を尊重する精神”を持つ事が、仮に人間の生物としての特性の一つなのだとすれば、人間がそれを身に付けたのには、それが“新しい何か”を創造する事に役立ち、生存方略にも有利だったからでしょう。
早い話が、バランスが重要なのです。
他者の真似をする事も、独創性を尊重する事もバランス良く取り入れるべきです。
残念ながら、小説投稿サイトの多くではこのバランスが崩れてしまっているのですね。独創性を目指すモチベーションが低く、他作品の真似に偏ってしまっている(もちろん、例外もありますが)。では、これを改善する為には、一体、どうすれば良いのでしょうか?
AIによる創作が当たり前になり、著作権侵害が問題になれば、「AIによる創作物が、学習元データの作品とある程度似通っていた場合に限り、それで得た利益の何割かを学習元データの作品の製作者に支払わなればならない」という法律が必要になって来るだろう…… と、僕は予想した訳ですが、その為には類似性や一致率を数値として具体的に表せた方が都合が良いです。
日本はまだまだ政治家や官僚の情報技術産業に対するリテラシーが低いですが、他の国では積極的に向き合っている政治家や官僚は珍しくありません。それら国々でなら“AIを前提とした新たな著作権の概念”が創られる事は大いにあり得るでしょう。そして、もしそうなったのなら、その基準となる数値の算出方法が確立される事になるかもしれません(AIを利用すれば、そのような数値を算出する事ができるようになる可能性はあると僕は考えています)。すると、ほぼ間違いなく、日本社会もその影響を受けるでしょう。
或いは、そのAIの普及によって起こった“AIを前提とした新たな著作権の概念”からの影響を受ける形で、人間の小説投稿サイトも“独創性を尊重する精神”を取り戻せるようになるかもしれません。
……まぁ、これは、僕の願望に過ぎないのですがね。
前述しましたが、取り敢えず、「pixiv」と同じ様に、AIを用いた作品であるかないかを示す項目を入力必須で追加する事からまずは始めてみるべきではないかと思います。