7
宿での2日目の朝。
鳥の鳴き声が耳に響く。
寝不足の目をこすりながら起きると隣では昨日と同じくリシャールがのほほんとした顔で眠っている。
眠った顔は笑顔と同じくなんだか可愛いのだ。
でも、騙されてはいけない。
こいつは鬼畜、いや、悪魔だ。
まさに悪魔の所業を笑顔でやってのける。
それは昨日の夕暮れ時。
「ジャン! いいもの手に入れたぞ!!」
腹の調子がよくなり少し機嫌を直し、スープ位なら腹にはいいだろうと食事をしていると、少し出てくると言って友人と出て行っていたリシャールが独りご機嫌で帰ってきた。
スープとパンと共にテーブルの上にドカリっと乗せられたものは、筒状の物。
「これで洗浄するといいってよ。」
思わず口に入っていたスープを吐き出しそうになるのを、何とかこらえると、急いで口を開く。
「洗浄って! 今! ここに乗せる?? 食事中なんだよ??」
「ああ。お前ももう食えるって事は収まったろ? ちょうど腹もきれいでいいじゃねーか。」
その言葉に血の気が引く。
「ま、まさか、今日もヤルって言うんじゃないだろうね!! もうコリゴリだよ!!」
「またまたー。楽しんでたくせに。」
「冗談だろ!! 全っ然、楽しんでない!!」
「面倒見てやるっていったろ? ちゃんと。」
えへへーと、なぜか照れたように頭を掻きながら笑うリシャールをにらみつける。
「ちょっと、聞いてんの? 面倒って、こういう面倒なの? これ、面倒かけられてるよね? っていうか、ちゃんとここの金返してくれるんだろうな?」
話を聞いていたのか、奥からエールを持って店のおかみさんがテーブルの上にドカリとコップを置く。
「ウチはツケ払いはお断りだからね。」
「ああ。分かってるよ。おかみ。そんなことより、やっぱりここのエールはこの街一番うまいよ。オレが保証するんだから間違いないね。」
そんな常套句の様なリシャールの言葉だが意外にもおかみさんはコロリと機嫌をよくしてニコニコとする。
「ええ? そうかい? まぁ、これが売りみたいな所もあるがねぇ? あんたも坊やに無茶さすんじゃないよ? なんか食べるかい?」
そう言って上機嫌で厨房に戻ってゆく。
「よし。腹ごしらえ腹ごしらえ。」
「ー!! ヤラないからね!!」
というのが夕暮れの話。
流された自分も自分なのだが、ハジメテとその次ってこんな剣の修行の100本打ち込み、みたいな体力勝負なものでない気がするんだ。
もっとこう・・・。
・・・いや。
いい。
もういい。
考えるのは止そう。
まぁ、今回はマシっていうか、例の洗浄のおかげで今日は腹は下ってない。
昨夜の事を思い出し顔がほてるが、同時に無性に腹が立ち、地獄の底から来たのであろう、素っ裸で眠る男の頬にぐりぐりと拳を押し付ける。
結局2日間一緒に過ごしただけなのだが、もうずっと一緒に居るかの様な錯覚に陥る不思議な人だ。
人を簡単に丸裸にしてしまう。
・・・物理的にも心理的にも。
こんなに短時間で他人に対して警戒を解いた事は初めての事だ。
まだ、ちゃんとお金返してくれる保障ないけど、そんな事どうでもいいような気すらしてくるから不思議だ。
サラリと、まだ寝息を立てているリシャールの前髪を触るが起きる様子はない。
昨日よりは幾分楽だが、ずっしりとした疲労感を感じながらベットから抜け出し顔を洗いに行く。
ここでの散財が痛い。
どこかで雇ってもらう場所を探さなくてはならない。
リシャールはどこかから逃げてきた様な事を言っていた。
ならば教会からだろう。
なんせ教会の塀から降りてきたではないか。
隠す必要あるのか?
神職者の癖に煩悩が多すぎて破門されたとか。
いや。破門なら門から出されるか。
もうアレは脱走の体だから、犯罪でも犯して教会で捕らえられていたのかな。
どちらにしてもろくな人物ではない気がする。
そんな彼の言う面倒を見るという言葉をうのみにするわけにもいかない。
今日は雇先を探さなければだな。
兵士とか、騎士としてどこかで雇ってもらえるらしいと聞いたが、貴族とか、そういうところに知り合いとかあるか店主に聞いてみるか。
外にある水貯めで軽く体を拭き、部屋に戻るとまだリシャールは眠っている。
何だかほっとしてしまった自分に驚く。
別にリシャールは待っていた訳でもなく、ただ寝息を立てているだけだ。
誰かの寝ている家に帰る事など沢山あった。
でも、何か違う。
神父と一緒に居た時とも、まったく違う感情に胸が少しざわざわする。
分からない感情に恐怖を感じ、リシャールの肩をゆすり、とりあえず起こす事にした。
「リシャール。起きて。今日はもう此処から出るから。」
「あー。」
「ねぇねぇ。ほら。お腹減ってない? おかみさんになんか作ってもらう?」
「あー。」
「・・・ねぇ! リシャール! 起きてってば! 」
穏やかな寝顔から眉間に深いしわが入ったかと思うと、鋭い光を放ちながら剣呑な目が開き、地を這うような低い声が響く。
「・・・うるせぇ。」
こ、こわー。
何、この人怖い。
起こしただけなのに命取られそうだわ。
ドン引きしながら眠るリシャールを眺めていると、背後の扉がノック音と共に開き男が入ってくる。
彼は昨日の朝からリシャールの傍にずっとついている男で、名前はポールといった。
「よう。起きねぇだろ。こいつ。」
そう言うとポールはおもむろにリシャールの上に馬乗りになり、ぺちぺちと頬を叩く。
「おい。リシャール。起きろ。」
そう言いながら次第に力が強くなる。
平手殴りが拳になってもまだ起きない。
こんな恐ろしい状況を見させられて恐怖しない人間がいるなら、お目にかかりたい。
どんな状況なの。これ。
こんなまでされてなぜ寝ていられる?
もしや、死んだのでは??
そして、ポールもポールでなぜそこまでして起こす??
もはやあきらめていいのでは?
そろそろ止めた方がいいなと思い始めた時、
「起きろって!!」
とポールが半ばキレ気味の顔をしながら腹に蹴りを入れた。
流石にコレは効いたらしく、
「ぐふぅ」
っとリシャールのうめき声が聞こえたと思ったその瞬間。
ベットの上でリシャールの体に足をかけていたポールの体が私の横の壁に吹っ飛んできた。
ドン!!
っと鈍い音のあとにズルルとポールが壁をずり落ちる。
恐る恐る視線を壁からベットに戻すと、ゆっくりと目の座った地獄の悪魔が起き上がる。
「おぅ。・・・良い目覚めじゃねぇか。ポールこの野郎。」
「・・・おぅ。良い朝だ、寝ぼけ野郎。」
美しく筋肉質な一糸まとわぬ裸体を晒しながらゆらりと立ち上がる長身の悪魔は、のっしとベットから降りるとポールの胸ぐらを掴んで起こすとそのまま抱きしめた。
「わりぃ。寝てたわ。」
「あぁ。オレもやり過ぎた。」
「おぅ。そうだな。やべーぐらい痛てぇや。これ。」
「・・・あぁ。腹、蹴りすぎたな。マジですまねぇ。ちょっと腫れてんな。肋骨折れてっかもな。」
「はっは!! マジで?? って、はっ。いてぇー。笑うとやべぇ。あはっは! いってぇ。」
ポールに支えられながらツボに入ったように痛がりながら笑うリシャール。
こいつら異常だ。
そんな二人を見ていると、視線に気が付いたリシャールが思い切り笑顔で報告してきた。
「おぃジャン、見ろよ。骨折れてんのに、ち〇こ勃ってんだけど。」
「おう。ジャン、鎮めてやれよ。」
ぎゃっはっはっと怪我人の肩を支えながら泣き笑いしているポールと、痛みをこらえるのか何をこらえるのか分からなくなって笑いながら苦しむリシャール。
「付き合いきれないよ! お前ら一緒に地獄に帰れ! バカ! もう、下て待ってるからな! 」
とんでもない人間と知り合ってしまったようだ。
よくわからないが赤らむ顔を冷ましながら、階段を下りていると、おかみさんが階段の下から顔を出した。
「随分大きな音がしたけど。大丈夫かい?」
「おかみさーーん!」
「あぁ。坊は大丈夫そうだね。それならいい。」
そう言うと笑顔で「スープ食べるかい?」と言ってくれる。
おかみさんが天使、いや。女神に見える。
全身全霊で甘える事にした。
甘える相手が出来ましたね。よかった。