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入った店は男の行きつけの店らしく、店の店主が気前よく声をかけてきた。
「ああ。来たな。いらっしゃい。聞いてるぜ、今回は思ったより長かったな。随分絞られたか!」
「まったく、堪ったもんじゃないぜ。絞られすぎてもうしょんべんも出ねーよ。適当に飯を頼む。肉多めでな。」
そう言うと男は奥の人気の少ない席を選びやっと腕を離した。
どかり と椅子に座るとフードを脱ぐ。
中から少し赤めの金髪が顔に流れ落ち、鋭い瞳がこちらを捉える。
「悪いな。お前。金持ってる?」
「ええ?あ。す、少しくらいなら。」
迫力に縮み上がる。カツアゲだ。
「ああ。よかった。荷物置いてきちまったから、今手持ちがないんだよ。お前の抱えてる剣だけで精一杯だよ。金はあとで返すから。一泊出来るくらい持ってんの?」
「は、はい。まぁ。」
「そっ。まぁ座れよ。」
そう言うと店主が持ってきた食事を奪うように掴むと食べ始めた。
随分と飢えていたようで、しばらくもくもくと食事をしている。
その食いっぷりに唖然としながら店主に勧められるままにワインを飲んでいると、腹がひと落ち着きしたのだろうか、男がリュートが入った皮の袋を指さした。
「お前、これはリュートだろ? 演奏するのか? ジョングルールでは、ないようだな。佩刀しているな。では、トルパドールか?」
ジョングルール。神父に聞いたことがある。演奏や歌を生業とする旅芸人の事だ。
「はい。村を出たばかりですが。トルパドールになりたいと思っています。」
「かせ。」
男は鋭い目でそう言うと顎で催促する。
もうやだ。マジで怖いこの人。
人のお金で飲み食いしてるのに、なんでこんなに威圧的なんだろう。
リュートの値踏みでもするのかな。
取られて売られたらどうしよう。
いや。それは断じてさせられない。
神父様の大事な楽器だ。
隙を見て、逃げるのがいいかもしれない。
今は取り合えず言う事を聞いて、機嫌を取りつつ酔いつぶして逃げる。
泣きたい気持ちでおずおずと袋を掴み、中からリュートを取り出す。
「ッチ。早くかせ。」
舌打ちと共に大きな手で肩を思い切り掴まれる。驚いて見上げると男の顔が甘い香りと共に近づいていた。
薄暗い店の中ではあまり見えなかったが、改めて近くで見ると切れ長の目にきれいな鼻筋に妙に色っぽい口。
それら一つ一つのパーツが美しく配置され、思わず見とれてしまう。
その間にリュートをひっつかんで奪われてしまった。
「あ。あの、それは私の大事な・・・」
それがいかに大事かを説明して取り戻そうと思っていたのだが、男はこちらの話など聞く耳を持たぬ様で、リュートをつま弾いた。
シャラリ
美しい音色が広がる。
そしてその音に合わせて歌いだす。
こうして陽気で *¹
素敵な旋律に
そぎ落とし磨きをかけた言葉を乗せる
あとは仕上げに
やすり
すると言葉は確かな真実に
それは愛の仕業またたく間に滑らかにきらびやかにする
私の歌を
歌の源はあの方
その人は神の導きによって導かれ生き続ける
その場の喧騒はいつの間にか静まり、みな歌声に耳を傾けていたようで、彼が歌うのを辞めると一斉に歓声が起きた。
それに照れながら手を挙げる彼の笑顔は眩しく、美しい。
興奮して立ち上がったり、思わず彼の上げた手を握りしめていた。
「すっごくいい曲ですね!! あなたが作ったのですか? 」
「だろ!? いい曲だろ!? オレも凄く気に入ってるんだよ。これな? 友達のダニエルの曲なんだよ。アイツはまだ途中だと言っていたんだけど、あまりに美しいから歌わせてもらってい
るんだよ。すっごくいいよなぁ?」
「韻の踏み方とか、最高ですね!」
「だろ??」
ひょんな所で意気投合した男は、リシャールと名乗った。
話してみると気のいい男で、目つきは悪いが笑顔が人懐っこく、周りにはいつの間にか人が集まる、そんな人物の様だ。
音楽の話で意外と盛り上がり、それと共に進められるがままにお酒も進みいつの間にかしたたかに酔い、ふら付く体を支えられ、宿として使われている2階に上がりベットの上に転がされた。
「今回は酔いちゅぶれ(つぶれ)なかったぞー。」
「あー。すごいすごい。お前が酒が弱いのはよく分ったよ。まったく、飲めないなら最初から言えよ。めんどくせぇな。」
「弱くありましぇん。」
「へーへー。オレはもう少し飲んでくるな。」
「ふぁーい。いってらっひゃーい。」
扉が閉まるのを確認して、薄明りの灯る部屋でおもむろに着替えを始める。
「あしぇ(汗)だらけらよー。くせぇー。」
トマの服は丈は短いが幅が大きい。
こちらの服は紐で結ぶタイプでゴムやボタンなどではないので、サイズが少々違っても着れるのだが、かなりダボついた状態で、布の面積が多く暑い。
土埃や汗まみれの服を着て寝るのはまだ慣れない。
裸で寝る者も居ると聞いたことはあるが、そんな事したら全裸の呪いのせいできっと事件が起こる。
「そんなのヤバイな。ヤラレちゃうよ。」
そうつぶやきながら、ダボついたシャツ一枚になったところで、荷物が食堂にある事を思い出した。
ため息を付きながらベットに腰掛ける。
「お金、腰につけてたから・・・ある。でも、着替えが下かぁ。」
ふわふわした頭で思い出すのは先ほどの歌。
リシャールの優しく包み込むような甘い声で歌われる愛の歌が切なく胸を締め付けた。
「あんなに怖いのに、声が優しいなんて。ギャップ・・・ずるいだろ。」
そう口にすると、顔が近づいた時の記憶が香りと共に思い出され、思わず顔が熱くなる。
「・・・お酒飲むと簡単にそういう気分になるな。個体差、あるのかな。」
この感覚はまだ慣れない。
顔と共に熱くなりムクリとうずく下半身。
個体差。ともう一度呟いたところで、リシャールの顔が浮かび、ムラムラと余計に熱くなる。
「はぁ。落ち着くの待つかぁ。窓あるな。開けてみよー。」
誤魔化す様に大声で独り言ちながらベットから立ち上がった。
「おい。荷物。」
突然扉が開く。
入ってきたリシャールに驚いてベットの脚につまずく。
するとお決まりのパターンで首元の紐が解けてスルリとシャツが肩から足元に落ちる。
そう。全裸だ。
しかも、絶対に見られたくなかった熱を帯びた下半身を無様に晒している。
「恥ずかしくて死ねる。」
羞恥に思わず顔を手で覆っていると、パタリと扉が閉まる音がした。
その音にリシャールが出て行ったのかと思い、顔を上げると、リシャールは部屋にいる。
「ち、ちがう。これは、あの。リ、リシャール殿のせいじゃなくって、その。」
訳の分からぬ言い訳をしていると
「まぁ。オレ、どっちでもイケるし。お前も、いい、んじゃないか。」
そういいながら近づく彼の眼は鋭く強い。
捕食性の肉食動物に狙われた獲物の様に固まったままの体にあたたかな手が触れ、声を発す前に彼の口で塞がれた。
鳥の声で目が覚めた。
見慣れない部屋の木戸から光が漏れている。
そして、横には肌の男が寝ている。
朝チュン!
・・・記憶はある。
残念な事に鮮明に。
なんという事だろう。
せっかく男に生まれ変わったのに童貞を捨てる前に処女を捨ててしまう羽目になるとは。
ケツが痛い。
こんなことなら、村で誘われるままに童貞を捨てていればよかった。
理想を求めすぎるのって駄目なんだろうな。
男って難しい。
ん?
でも、童貞はまだ捨ててないのか。
まだ男としてヤレるチャンスがあるって事ではないか?
ブツブツと天井を見ながら考えていると、頭をそっと撫でられた。
横を見るとびっくりするくらいのいい男がこちらを向いて微笑んでいる。
笑っていると怖くない、むしろかわいいな。
そんなことを思いながら顔を赤らめた。
「お前、初めてだったんだな。悪かったな。まぁ、お詫びじゃないけど、オレが面倒見てやるよ。」
頭の中で祝福の鐘が鳴っている。
・・・もう、一生童貞でいいかもしれない。
なんて思ったのもつかの間だった。
その日は酷い下痢に襲われ、ケツはジクジクと痛み結局その宿に2泊する羽目になった。
トイレが近い部屋だった事だけ良かった。
トイレを往復する私。
かたや、何故か客がひっきり無しにこの部屋に訪れ、酒を呑み交わし大声で騒ぐ男ども。
「クソイケメン。クソ。」
と言いながら脂汗垂らしながら往復する私にさらに笑いながら声を浴びせる。
「洗浄すんだぜ、普通。」
それに答えるクソイケメン。
「そうなのか? 前やったときはそんなことしてねぇけどな?」
「相手が経験者だったんじゃねえの? アイツ、どう見てもハジメテだろ。」
「・・・あー。そうか・・・。」
普通にバレてる!
そして普通に答えるな!
そう思いながら、前やったとき、という言葉がなんとなく気になり、立ち止まって聞いていた私に向かってクソイケメンが爽やかに笑う。
「すまねーな、ジャン! そういう事らしいぜ。」
「っく、クソイケメンめ!くたばれ!」
そう言い残し部屋から出ると大きな笑い声が聞こえる。
「クソイケメンって何?呪文か?」
「さぁ。わかんねーけど、悪口言われてる気はするな。」
当たりで外れだ馬鹿野郎。
扉の先から聞こえる言葉に毒を吐きながら、自分でも何を言っているか分からずがっくりと肩を落とす。
・・・ハジメテ 奪われました・・・。
*¹フランシス ギース『中世ヨーロッパの騎士』より
サラッと奪われました。
一部削除(2024.07.07.)