35
リシャールの機嫌がすこぶる悪いらしい。
そんな話が街を巡っている。
仕事はこなしているが、普段の10倍は近づき難いオーラを醸し出し、恐ろしさで彼の取り巻き数人しか接触出来ないでいるので、詳細は分からない。
収穫の時期で忙しく、城で働く者たちが少なかったせいもあり何があったのか分からないのだが、街では色々な噂が飛び交った。
一番多い噂が、「愛人と名剣エクスカイバーを同時に家臣に掠め取られたらしい」という噂だった。
それを偶然耳にしてしまったリシャールだったが、「あぁぁ? 」っと恐ろしい顔で言っただけで、否定も何もなかったので、にわかに本当ではないかと、更に噂がひろまった。
「あんたさぁ。いい加減機嫌直してくださいよ。こっちは溜まったもんじゃない。オレたちの仕事倍になってんだからね? あんたが誰も近づけない様なひでぇ顔してっから。」
「あぁぁ? 俺はいつも通りだろ。機嫌悪くねぇ。黙ってろよ。てめぇ。・・・それよりポール。腹減った。飯。」
「はぁぁぁぁ。ペラン。飯だとよ。持ってこさせてくれ。」
ジャンの姿が見えなくなってからは、リシャールは執務室か、格技場にしか出入りしていなかった。
食堂にも行かず、寝食も執務室で行っている。
おかげで業務ははかどり、予定より速くランスに出立できると、ポールは喜んではいるが、城内では他の者も、速くボルドーから出てくれと願っている様子だった。
その理由は、執務が終わると、格技場にゆき、稽古と称した憂さ晴らしに付き合わされるからだった。
その稽古は熾烈を期すので、城に残っていた側近達以外の者たちは日に日に怪我で減ってゆき、残った者たちは死の宣告でも受けるかの気分で順番が回ってくるのを待たなければいけなかったからだ。
噂の名剣エクスカイバーを手に持ち、鬼の形相で打ち込みを繰り返す。
「リ、リシャール様、そんなに打ち込んでは、その、エ、エクスカイバーが傷んでしまうのでは? 」
「本物なわけねぇだろ。こんなもん。」
「えぇぇぇぇぇ? じゃぁ、本当に盗まれた? 」
「めんどくせぇな。盗まれてねぇし、こいつは名剣だが、エクスカイバーじゃねぇ。おら。いくぞ。構えろよ。ってか、いっそ構えてなくてもいくぞ? 」
「ひぃぃぃぃ。」
「受けてみろ。コレがエクスカイバーの威力だ! 」
「えぇぇぇ。どっちなんですかぁぁぁ。」
「あっはっはっはっはー!」
こうして犠牲者が増えていたが、リシャールがようやくランスへと旅立つ日には城内では隠すことなく歓声が上がっていた。
そして、それと同時にジャンを求める声も大きかった。
「迅速にジャンを探しだして、リシャールがルーアンに辿り着くまで連れて来る。」
その目標を立て、捜索班を二手にして探すことになる。
行きの航路をたどる班と、リシャールの日程に合わせてジャンを探すペラン達である。
数週間の行程で早めにランスにたどり着いたリシャールはしばらくカペー家に滞在を余儀なくされるのであった。
両家は親交の深い間柄にある。
リシャールの母親であるエレノアは2度めの結婚でピュルテジュネ家に嫁いで来たのだが、1度目の結婚がこのカペー家の現在の王ルイ7世なのであった。
ルイとエレノアの間には女児しか恵まれず、信仰心熱く真面目なルイと社交的で明るく奔放な性格のエレノアとですれ違いが年々と大きくなり、協議の結果近親婚であったことが発覚した、という事になり離婚が成立し、エレノアは10歳年下の現在の夫のピュルテジュネ王へと嫁いでゆくのである。
その間、カペー家の娘たちは母親であるエレノアとの親交は続き、また、ルイと2度目の妻との間に出来た子女たちにはピュルテジュネ家と婚姻の約束が結ばれ、エレノアが彼女達を預かるという形をとり、2つの家は更に繋がりを強めていた。
ピュルテジュネ家としては、男子の居ないカペー家の領地を婚姻によってあわよくば手に入れようという虎視眈々とした思惑を隠す事もなく、カペー家はなし崩しに、強い勢力を持つピュルテジュネ家の言われるがままに子どもたちを手中に収められていった。
ルイの2度目の妻との間に出来た第3子女マグリットと第4子女アデル。
ピュルテジュネ王とエレノアの息子、アンリとリシャール。
こうして、二組の歪な関係がはじまったのである。
ルイの元には男子が恵まれていなかったが、2度目の妻がアデルを産むと同時に他界したため、3度目の妻を迎い入れたその時にやっと男子に恵まれた。
しかし、その時はすでにルイは高齢となっており、この度やっと出来た嗣子、フィリップが12歳になったこの年に共同王位という形となった。
そしてそのフィリップの戴冠式に出席することがランスへ行く理由である。
ランスでは祝賀会が催され、戴冠式は一大イベントとして盛大に執り行われた。
もちろん、沢山の招待客の中には、フィリップの姉であり、リシャールの婚約者であるアデルの姿もあったのである。
贅を凝らした派手なドレスを美しく身にまとい、戴冠式の主役の「姉」であるアデルはにこやかに参加者たちと対話しているが、その環から離れると、彼女は噂の的であった。
リシャールは、もともと機嫌の悪い上に1番会いたくない人物であるアデルに、エスコートするどころか一瞥するのみで、彼女を近づける事もしなかった。
リシャールは本能的に、分かっていたのだ。
マグリットの後ろに彼女の存在がある事を。
そんな事は誰も知らない事ではあるのだが、この彼の態度に、その場の者たちは同情的だった。
それは彼女の醜聞のせいである。
リシャールの父であるピュルテジュネ王との良からぬ関係であるらしいという事が、彼女の生まれ故郷であるこの地にも囁かれていたのだ。
「面白くねぇなぁ。」
「おい。でかい声で言うなよ。」
「アイツらの顔見ると飯が不味くなんだよなぁ。」
「やめろ。」
ポールに殴られながら部屋の済の椅子に座り込んで酒を呑んでいるリシャールは、挨拶をして回る小さな少年の1団に目が止まる。
「フィリップ!!」
その呼びかけに手を上げた人物は大人びた笑顔でにこやかに微笑むと、話している人物に丁寧にお辞儀をしている。
戴冠式を控えた前夜祭である今宵の宴の主役フィリップだ。
こちら顔を向けると、少し癖のある黒い髪に灰簾石のような瞳を細くさせ、あどけない少年の顔を見せた。
忙しく動き回っているであろう彼は疲れも見せずに颯爽と歩み寄ってくる。
「やぁ。リシャール。こんな所でとぐろを巻いているのかい。」
「兄さん! 自分の家じゃ無いんだからね! 自重しろよ! 」
フィリップの横でみかん色の明るい髪を揺らしながら元気に注意してくるのは、リシャールの弟ジェフロア。
彼は今、カペー家でフィリップの学友として一緒に過ごしている。
ランスに到着後すぐに彼らには正式な挨拶は済ませているので堅苦しい態度はしなくても良いだろうと考えるリシャールに「他の客も居るのだ、きちっとしろよ。」と真面目に注意をしてくる。
「っち。ジェフ。なんかお前ポールに似てきたね。」
「おや。それは褒め言葉ですな。良かったですね、ジェフロア様。」
「リシャールに似てるって言われるとショックだけど、ポールだと俺も嬉しい! ってか、ほんとに俺たち似てるよね! ほら、髪の色とか、リシャールよりポールのほうが近いよね! 」
「いえいえ。ジェフロア様の髪はオレの硬い髪より柔らかくて、柔軟性があって貴方の性格を物語って美しいですよ。」
「ふぉーー。すっげぇ。聞いた今の! 騎士じゃん! かっけー。オレも騎士のトーク使える様になりたい! ポール教えてよ! 」
「ポール殿。僕にも教えて下さい。」
ジェフロアは子犬の様な様子でポールにじゃれ付き、フィリップもその環に参加し始め、リシャールは疎外感に口を尖らせた。
「あぁ・・・。どいつもこいつも。気に入らねぇなぁ・・・。」
酒を呷りながら少年達の1団を見ていると、1人目を引く少年に気がついた。
フィリップと仲間たち登場しました。
ジェフリー→ジェフロアに変更(2023.05.30.)
本文修正(2024.06.25.)




