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おれ達は大広間へと移動した。
謁見の部屋と同じ部屋だが、先程とはうってかわって、宴会の用意が施されている。
真ん中に大きなテーブルが置かれ、花や木やタペストリーなどが華やかに飾られ、王妃の趣味の良さが現れている。
自分たちの他にも沢山の人が呼ばれていたが、おれ達と先生は主賓客ということで王妃の近くの席、メインテーブルでもてなされた。
食事が終わると、陽気なダンスや音楽が奏でられ始める。
若い騎士達も大勢参加していて、皆ルーに興味津々な様子で、ひっきりなしに誰かしらが話しかけにくる。
こういう場にまだイマイチ慣れてないおれは、そっとルーから離れると窓の近くへと移動した。
ウィンザー城は要塞の体では有るが大きな窓の有るこの大広間は月明かりも入る様な明るめの設えになっている。
少し肌寒い空気を感じながら外を眺めていると、誰かに話しかけられた。
少し背の低い、円熟な雰囲気のあるリュートを持った人物だ。
「リシャール王子付の騎士、ジャン殿ですかな?」
着ているものもさり気なくおしゃれで、物腰も柔らかいのだが、どうにもオーラがありすぎる。
どう考えても、エレノア王妃お抱えで有名なトルバドール、ベルナルト様に違いない。
そう分かると、声が上ずってしまった。
「は、はい。は、はじめまして! ジャンです! 」
「私はエレノア様付のトルバドール、ベルナルト・ヴェンダドルンと申します。良い声で詩を歌われると、お噂はこちらにも届いておりますよ。ジャン殿。ダニエルの詩をよく歌っているとか。まだ、ご自分の詩はお作りでは無いのかな?」
「は、はい。まだ未熟者ですので、勉強中です! おれの名を高名なベルナルト様に知っていただけるなんて、嬉しいです!」
彼の名前は、この世界にたどり着いた最初の街、リベラックの神父様からリュートを教わったときに最初に聞いた名前、トルバドールといえば彼の名が上がるほど、誰もが知っている有名人だ。
「どれ、一曲歌ってみてくださらないでしょうか。リシャール殿も中々なトルバドールだが、そのリシャール殿が認めたという声、一度聞いてみたいと思っていたのですよ。どうだろうか? リュートは無いのかい? ならば私のを貸そう。」
うわー。やばい。コレはまずい。超緊張する。
ドッドッドッド
心臓が口から飛び出しそうなほどの勢いで動いている。
いつの間にか周りには人だかりが出来ていて、その後ろの方でルーの心配そうな顔が見えた。
ルーを見た途端に、その顔がリシャールを思い起こさせた。
ベルナルト様がリシャールが認めた声と言ってくれていた。
こちらには、そんな風に伝わっていたのだ。
おれは、リシャールに認められたのだ。
ここで、臆していたらリシャールの顔を潰すことになる。
大きく息を吸うと、すぅっとゆっくりと吐き出す。
ダニエル殿の詩は歌えない。
ここは、人の詩を歌う場面じゃない。
リシャールに相談しながら作った、あの曲を。
ここで披露せずにどうする。
まだ、心臓はうるさく鳴り響いている。
だからどうした。コレはドラムだ。おれのリズム隊だ。
リュートを少し鳴らす。
さすっが。ベルナルトのリュート音は最高。
心の底から笑いがこみ上げてくる。
おれは今、リシャールの側にいる。
離れていても、こんなに満たされる。
リュートをかき鳴らして、歌い始めた。
し・・・ん
っとした中、ほうっと、ため息をついた。
恋の詩だ。
リシャールにその表現は少し違う、そうではないこうだ、などと言われながら、作り上げた詩。
今考えると、この詩はリシャールに向けられている。
全然気が付かなかった。
そう思って、ちょっと笑えた。
パンパンパンパンパン
大きな音が聞こえ、そちらを見ると、ベルナルトがキラキラした目で拍手をしている。
「素晴らしい! ジャン殿!」
その声を皮切に、一斉に拍手がなり始める。
その拍手の間から、エレノア王妃が姿みえた。
人々の拍手を割りながら王妃が近づいてくるので、おれは騎士の礼をする為に跪く。
「ここにまた新たなるトルバドールが誕生しました。彼の名はジャン。皆様、どうぞその名を覚えて帰ってちょうだい。今のは貴方の詩でしょう? 素晴らしいわ。」
彼女の声でより一層大きな拍手が生まれる。
その様子に満足したように頷くと、王妃は手を上げて、拍手を静止するとにこやかに微笑み、上げた手をそのまま前に差し出した。
「ベルナルト、貴方の詩も聞かせてちょうだい。」
バルナルトは、王妃の手を取り軽くキスをすると、おれに近づいてくる。
そういえば、今手に抱え持ったリュートはべルナルトのものだ。
おれはいつも以上に声を出してお礼を言いながら、リュートを差し出すと、笑顔でベルナルトが答える。
「そのリュートは若い君の手が気に入った様だ。年老いた私が鳴らすより心地良いらしい。ジャン殿。それは君に差し上げよう。」
すると再びその場から拍手と歓声が生まれる。
そうか。
これはパフォーマンスだ。
こうして王達は、人の心を掴んでいくのだ。
おれは今、どんな顔をしているのだろう。
高揚する気持ちと妙に冷静な気持ちとが混濁している。
ここに本当にリシャールがいれば・・・。
ベルナルト・ヴェンタドルン
偉大なる王妃、エレノア付きのトルバドールの彼が、歌い上げる。
彼がリュートを奏でれば、周りの空気は一変した。
誰もが期待した顔をしている。
円熟した美しい声がその期待を裏切らず、空気を振動させて耳に優しく伝わっていく。
*1
なんの不思議があろう 歌にかけてはこのわたしが
どんな歌うたいにもまさることに
愛する人に いやさらに心ひかれ
いよいよその意に従順になりゆくからには。
身も魂も 知も情も
力も能も かの人に捧げつくして
わたしは手綱で 愛する人のほうへ
引かれて行き
他の方へ行きつくことは決してない。
(中略)
かの人をうち見るときは
風にさからう木の葉のように
怖れのためにうちふるえれば
わたしの恋は 目に顔に色にあらわれ
わたしは愛にとらえられて
子供のように分別をなくす。
かくまでに征服されてしまった男に
恋人よ、大いなる慈悲をかけてくだだい。
美しい恋人よ わたしの望みは
ただただあなたのそもべとなり
美しい主君のあなたに侍することです
よし 報酬がいくばくのものであろうとも
ご覧ください あなたの御意のままに従うわたしを
邪心なく慎ましく嬉々として礼をつくすこのわたしを!
あなたは熊でも獅子でもない
だから たとえわたしを征服しても殺しはしない。
シャラリ、とリュートがかき鳴らされると、大広間に喝采が起きる。
頬にはいつの間にか涙が伝い、皆に声を合わせながらも目の前の奏者ではなく、海を隔てたかの人へと叫ぶ。
おれの心を征服してしまった王に。獅子の様にたくましく、気高いおれの主君に。
その後は誰彼構わず音がなりはじめ、皆、歌や踊りに興じ始めた。
そんな喧騒の中、いつの間にかおれの周りには人の輪ができもてはやされた。
視線を流すと、少し離れた場所では相変わらずルーも囲まれている。
パチリと合った目でお互い苦笑する。
しばらくこの会場からは抜け出せそうもないな。
*1 「ベルナルト・ヴェンタドルン」 wikipedia 参照