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驚いた顔のルーだったが、すぐに無表情にもどると、親父に研いでいもらっていた剣を要求する。
手にした剣を品定めし、ルーは納得するような仕草をすると、金銭を払うとおれに振り返り、少し首をかしげる様にすると低い声で話しかけてきた。
「オレ、ちょっと旅に出る予定なんだけど。・・・お前、一緒にくるか? 」
「・・・うん。行く。」
ルーは、今日の事を知っているのだろうか。
ともあれ今はとてもあの二人を見る気持ちになれなかった。
なんでもいいから、逃げ出したかった。
「ジャン。あんたこのまま出ていくつもりかい? 着の身着のままじゃないかい。うちの旦那の外套持ってくるから、ちょっと待ってな。」
そう言うとおかみさんが急いで出ていく。
親父が奥から剣を持って来て手渡してきた。
「ぉう。ジャン。これ、持っていけよ。お前にちょうど良さそうな剣が手に入ったから、手入れしてたんだ。今使ってるやつよりは扱いやすいはずだ。金はあとで払ってくれりゃいい。ちゃんと帰ってこいよ。」
「うん。ありがとう。」
「オレもお前の鎧持ってきた。」
そう言うとルーがおれの鎧を手渡してくる。
「え? なんで? 」
「お前がまた丸腰で出ていくのが見えたから。持ってきた。」
「・・・そっか。ありがとう・・・」
皆の優しさに触れ、少し笑える気がした。
笑えているかどうかはわからないが。
二人から剣と鎧を受け取っていると、いつもつけていた指輪がなくなっていることに気がついた。
ダクスでリシャールに買ってもらった指輪だ。
慌てて身の回りを探すが、見当たらない。
「ん? どうした? 何か忘れ物があるか? 」
焦りで動悸が激しくなり、親父の声が遠くに聞こえる。
ここにないということは、城の屋上で叫んでた時落としたのか?
今度は遠くでおかみさんの声が聞こえる。
「どうしたんだい? 大丈夫かい? 外套持ってきたけど、何か探しものかい? 」
忘れ物でも、探しものでもない。
丁度いいではないか。
もう、忘れてしまおう。
そう思うと少し気持ちが落ち着いてきた。
「・・・大丈夫。勘違いだったよ。 皆ありがとう。」
そう答えると、優しく微笑むおかみさんが、外套を着せてくれる。
「あら。ジャン、少し背が伸びたんじゃないかい? うちの旦那の外套じゃ少し丈が短かったね。あっはっは。」
そういえばおかみさんが少し小さく感じる。
前はもっと大きく、強くなりたいと思っていたけれど。
今は少し微妙だ。
「あと、これ少しだけど干し肉とエールを入れておいたから。持っていきな。お兄ちゃんのもね。」
「ありがとう。」
「ジャン。」
おかみさんが外套のホコリを払う素振りをしながら小さな声で囁く。
「あんただけの問題じゃないんだ。ちゃんと気持ち整理したら、帰ってから話し合いすんだよ? 」
「・・・うん。」
自分だけの問題だと思うのだけど、と思いながらとりあえずうなずいておく。
小さくなるまで見送ってくれている二人に度々手を振りながら街道を歩く。
「旅って、どこに行くの?」
もう昼も過ぎ、このまま街を出るとすぐに日が暮れてしまいそうだが、大丈夫なのだろうか。
そう思い聞いてみると、以外な答えが帰ってきた。
「あぁ。ピルテジュネ家に行く。」
「え?」
「ピルテジュネ家だ。年明けのウィリアム殿との一騎打ちの件が王妃のお耳にまで届き、謁見に来いと連絡があった。」
「えぇぇぇ。すごいじゃん!ルー!」
「・・・いいのか? 行き先はリシャールの母の所だぞ。」
「・・・うん。・・・ルーは今日の事、知ってるの?」
「・・・ああ。」
「・・・そっか。・・・もう少し、整理してから、聞いてもいい? 」
「わかった。」
ルーとポールは旧知の仲のようで、話をよく聞いているらしく、無口な彼だが、洞察力と観察眼が良いせいもあって、情勢をよく心得ている節がある。
しばらく歩くと港が見えてきた。
ボルドーの港は月の港との異名を持ち、三日月形に湾曲したガロンヌ川の南岸に発達した港は歴史ある貿易港として有名だ。
そこから一路ピルテジュネ家に向かう船に乗る。
ボルドーからワインなどを運ぶ船が頻繁に行き交うため、乗船するのにも手間はかからなかった。
ましてや、謁見というとこもあり、扱いは良かった。
おれはルーの追従騎士という名目だ。
乗り込んだ船は簡素な作りで船室などはない。
甲板の下は荷物が並び、雨風凌ぐには荷物同様そこに潜り込む。
それ以外は甲板で過ごすらしく、船首と船尾にある物見台の下が主に居場所となる。
船は頻繁に港に寄るのでまだマシだが、海上で優雅なひと時など、とても望めない船旅だった。
リシャールは船旅の楽しさを熱弁していたが、ソレは同じ船なのだろうか。
花嫁を運ぶ専用の船とか?
と思い、出航から2日ほどたって乗組員に聞いてみた。
答えは否。
もしかしたら甲板の下か上に箱のような部屋を作ったのかもしれないが、基本的にはそんな手間はかけないらしい。
そんなこんなで今のところ良さはわからないし、またリシャールのことを考えてしまった事に若干へこみつつぼんやりと海を見る。
船は風を頼りに進むので凪の今は穏やかに海上にたゆたっていた。
「ルー。」
隣で眠っているルーに話しかける。
「リシャールの事。聞いていいかな。」
ルーはそのまま動かないでいるので寝ているのかなと思い顔を覗き込むと「ああ。」と短い返事の後に、ゆっくりと起き上がり、船の側面に背中を寄せて座リながら話を始めた。
「あれはリシャールの妹のショーン姫の婚姻でブルテンからアンリ王子に連れられて姫がボルドーにいらしたときだ。」
「妹さんをシチリアに送った話は聞いたよ。リシャール、船旅が楽しいんだって言ってたよ。おれは何が楽しいのか判んないけど。」
「ああ。オレも同意は然ねるな。アイツ変態だからな。まぁいい。その旅の前の出来事。」
「うん・・・。」
「ボルドーで久々に兄妹三人揃って事で、宴が催されたんだが、調子に乗ったリシャールがアンリ殿の共のウィリアム殿と飲み比べを始めたんだ。ウィリアム殿は剣技も強いが酒も強い。早々にリシャールは潰された。」
「相変わらずウィリアム殿を崇拝してるね。」
「あたりまえだ。今度はトーナメントじゃなくて個人的に手合わせしてもらいたいと思っている。・・・ジャン。お前、聞きたいのか、聞きたくないのか。どっちだ。」
「ごめん・・・。ちょっと落ち着かなくって・・・。聞きたいです・・・。」
「・・・分かった。それで、オレが潰れたリシャールをヤツの部屋に転がしに行った。その後も宴は続いていたんだが、同行していたアンリ殿の妻のマグリット様がお下がりになった。」
「・・・マグリット様・・・」
華奢な躰に可愛らしい容貌の姿を思い出すと胸が張り裂けそうなほど苦しくなる。
ルーはおれのつぶやきに気づいてはいる様だが、そのまま話を続ける。
「マグリット様はどうやら自分が割り当てられた部屋ではなく、リシャールの寝所に行ったようだ。お付きの侍女の静止も振り切って、部屋に入っていったらしい。そこの話は、聞きたければ本人から聞いてくれ。まぁ想像はつくだろうが。」
想像はつく。
でも、想像と違い、事実を確認するという作業はとても忍耐が伴う。
そして、その出来事と、そこにいた人たちがどういった心情だったのか、そこまでも理解しないと、真実は見えてこないのだ。
そして、その真実が示すこととは。
そして、自分は何が知りたいのだろう。
風がにわかに吹き始め、船内では水夫たちが慌ただしく動き始めていた。
貿易船に乗り込みました。
調べたらnefというみたいです。
はるか昔からの交易らしく、イタリーの足のスネあたりから船で運び南仏のナルポンヌに渡り、そっから陸路でボルドーを経て、また船で大西洋岸、ブリテン諸島などに向かったそうです(現実?小説?逃避中)