32-3. 別離③
「ザクスベルト様は、ご自身の全てを、お嬢様を救うことに使われました…… そんな、ザクスベルト様のお気持ちを無視されるおつもりですか?」
「そのようなつもりは…… ですけれど……」
「ザクスベルト様が全ての力をお嬢様に渡されたからこそ、お嬢様は生きておられます。
それなのに 『永遠の国』 へ逝きたいなどと、おっしゃるのですか? ルイーゼ様、私、見損なってしまいますよ?」
「…… ごめんなさい、パトラ。わかっては、おります……」
ルイーゼは目を閉じて、涙を押さえた。
―――― もともと、悪霊はこの世にとどまっていてはならない存在だった。
ルイーゼのためにも、この国のためにも、ザクスベルトは最善の選択をしたのだ。第一王子の名に、相応しく。
―――― それは、わかっている。わかってはいるが。
「けれど、どうしても、割り切れません……」
「それはね、お嬢様。そういうものなんですよ。どうしたって、割り切れるものではございません。
その人ともう会えない、ということですもの」
すごすごと引っ込んで、見た目ではわからないがその実しょんぼり反省しているファドマールに代わり、パトラは優しくルイーゼの背を撫でた。
「私だって、両親が亡くなって、ええと…… もう10年になりますか、まだ夢で会うと泣いちゃいますよ。仕方なかったとかね、思えないものです」
パトラは、両親を事故で一度に失くし、天涯孤独の身になってルイーゼの元に来たのだ。
「パトラも…… つらいのですね……」
ひとりではない、とルイーゼは考えようとした。
ずっと忠実に仕えてくれた侍女の、明るさや優しさの陰にあるだろう悲しみを、思いやれないのは、恥ずかしいことだ。
―――― けれど、感情が、うまくついていかなかった。
ルイーゼの心はこう叫びたがっていた。
―――― この世で一番悲しいのは、一番苦しいのは、自分だ ――――
「ごめんなさい、パトラ…… わたくし、恥ずかしいです……」
うつむいて両手で顔を覆う主人の背を、パトラはそっと撫で続けた。小さい子に、するように。
「まだ、割りきれなくていいんですよ、ルイーゼ様。それだけ、その人が大切だったんですから……」
パトラの脳裏に浮かぶのは、去年の初め、ザクスベルトが処刑されたことを知ったときのルイーゼだ。
―――― いくら感情に乏しい少女であっても、可愛がってくれていた従兄の死は衝撃だろう…… と気遣っていたにも関わらず、ルイーゼは普段と全く変わらなかった。
その後、しばしばザクスベルトの墓に行くようになったことだけが、それらしい行動といえたが ――――
ルイーゼは墓の前でもぼんやりと過ごすだけで、特に嘆きも怒りもしなかった。
寂しいのだろうか、やはり内心は深く悲しんでいるのだろうか…… などと推測もできないほどに、大きな虚無がルイーゼを覆っていたのだ。
虚無は、やがてルイーゼ自身をも呑み込んでしまいそうな気がして、パトラはこわかった。
どうすればいいのか、わからなかった。
―――― あの頃に比べれば、今、落ち込んで泣いているのは千倍はマシ。それ、普通だし。
そう思わずにはいられない、パトラである。
「ルイーゼ様。割り切れないお気持ちも、悲しいお気持ちも、大切なんですよ。
ザクスベルト様がルイーゼ様に、生きていてほしいと願われた気持ちと同じくらいに。 …… だから、大切にしてくださいね」
「………… はい。けれど、そちらは、後にしなければ……」
「お嬢様……?」
「わたくし、今、国王代理ですもの。
…… ありがとう、パトラ」
ルイーゼは立ち上がると、矢継ぎ早に指示をし始めた。
「手の空いている方々を集めて、ここを片付けさせてください。それから、怪我人の人数と状態を把握。聖騎士団は、警備と、魔族たちの国外退去を ――――」
夢からさめたように、人々がいっせいに動き出す。
パトラもまた、謁見の間を後にした。
ルイーゼの寝所を整えるため、そして、亡き人を葬送る、ささやかな宴の準備をするためだ。
―――― 忙しい1日が終わった後、主が思いきり、泣けるように。