29-1. 裏切り①
玉座といえば多くの者は、高い背もたれがついた装飾過多な椅子を思い浮かべるが、謁見の間にあるのは曲線的なフォルムの木の椅子だった。
国王代理として働くようになったルイーゼが、謁見の間の改修工事のついでに替えさせたものである。
その理由はひとえに、もともとの豪華な玉座の座り心地の悪さにあった。心理的なものでなく、物理的にだ。
長時間座っていると、確実に腰が痛くなる。
―――― 国王が玉座の上で膝を組んでいたのは、偉そうにしたいからではなく、単に腰痛対策だったのだ ―― と、最初の半日で実感したルイーゼであったが、自身が膝を組むのには抵抗があった。
そこで、『王の威厳が』 とかなんとか渋る宰相を説き伏せ、座り心地重視の木の椅子にした、というわけだ。
ヘタにクッションを入れ、染めた革を張ったりしたものよりは、熟練の職人が人体に合うように丁寧に削った丸みのほうが断然、ラクである。
本当は立ち上がって身体を動かしつつ陳情を聞くのが効率的ではないかと思っていたが、それは泣いて止められた。残念。
―――― そんなわけで、ルイーゼは見た目はアレだが格段に座りやすくなった椅子の上で、穏やかに大臣からの報告を聞いていた。
「エルヴィラ皇女の非公式訪問の返礼に使節団を送れ、とおっしゃいますの? アッディーラの王は、最近、御体調がお悪いのでしょうか……
(意訳:うわ言が過ぎますね)」
「は、はぁ…… 特にそのようなことは聞いておりませんが」
「その件に関しましては後程、関係者一同から聴聞して利害を熟考しました上で、お返事させていただきます、とお伝えくださいませ。
(意訳:良い返事があると思わないでくださいね)」
「はぁ…… ですよね…… かしこまりました。失礼いたします」
「では、ごきげんよう」
あくまでもにこやかにうなずいた途端に 「次!」 と声がかかり、別の者が進み出て陳情しはじめる。
それをイエスかノーか保留か、条件をつけるべきか……等々、瞬時に判断して返事しなければならない。
朝の謁見は、ひたすらこの繰り返しだ。
(国王様って、普段何も考えておられないように見えましたけど…… それも、当然でございますわね)
いわば、毎日午前中に3~4時間ハードな脳のトレーニングを行い、午後は午後で書類仕事やら社交やらが待っているのだ。
何も考えずに済む時間は、ボンヤリ過ごしたくもなるだろう……
と、最近のルイーゼは密かに国王に同情していた。
「次…… あっ」
戸口に目を向けた宰相が、固まった。
「あら…… いらっしゃったのですね」
ルイーゼは素早く玉座から降りてひざまずいた。
人波を割って堂々と入ってきたのは、病に倒れていた国王。
背後に控えているのは、王の異母兄、グンヴァルトだ。普段は厳格に引き締まった口元が、今は多少緩んでいる。
喜びを隠しきれない、といったところか。
「余が倒れていた間の代理、ご苦労であった――――」
当然のように玉座に身をおさめ、国王はルイーゼのほうをちらりとも見ないままに、命令を下した。
「余に毒の茶を渡した悪女、マルガリータ・シュラフト子爵夫人を牢に入れよ」
「お、おそれながら、陛下…… マルガリータ様は、陛下の大切なお方でいらっしゃいます」
慌てたのは、アインシュタット公爵グンヴァルトである。
―――― ルイーゼが王太子である限り、自分が今後、日の目を見ることはない……
そう判断したこの男は、国王の愛妾マルガリータと共謀して魔族にカシュティール国を売り、その手柄をもって引き立ててもらおうと考えていた。
具体的には、魔王扮する国王アンゼルの力でルイーゼを廃太子に追い込み、代わりに己を王太子に指命してもらおう…… と、そういうことである。
もし、相手が人間であったならば、それも可能だったかもしれない。
しかし、グンヴァルトは魔族を知らなさすぎた。
魔族にとって、魔力があり忠実な者は良い手駒、そうでない者は敵、そして魔力のない者は単なる捨て駒である。
マルガリータ、グンヴァルト両名の魔王にとっての価値は、魔族が首尾よくカシュティール国を乗っ取るまで。
その後は切り捨てたほうが、魔族がすでにカシュティールの王城を掌握している事実を隠しやすい。
それに、愛妾を粛清すれば、 「裏切り者は誰であろうと処罰する」 姿勢をアピールできて今後の統治に有効だ。
なにしろ魔族の悲願はカシュティール、そして最終的にはペルディータ大陸全ての 『平和的』 な支配である。
そのための捨て石になることくらい、真に魔族を崇めているのなら喜んで受け入れるだろう、というのが魔族の論理だ。
もちろん、グンヴァルトはその論理を知るはずもない。