28-1. 悪夢①
―――― 部屋の四隅に置かれた灯聖石の柔らかな明かりの中に浮かび上がるのは、血に汚れた銀の髪に、うつろな藤色の瞳。
生きている頃の、太陽のような明るさを全く感じさせないその整った顔は、恨みに歪んで、じっと、こちらをのぞきこんでくる……
「ザクスベルト……」
病床の国王、アンゼルは、手を伸ばして今は亡き息子に懇願していた。
「許せ、許してくれ……」
―――― 即位以来ずっと、魔族との休戦協定が維持されてきたこともあり、アンゼルの治世は穏やかなものだった。
それにさざなみを立てたものの1つが、先日のリュクス王子襲撃事件。
そしてもう1つが…… ザクスベルト王子の反逆事件である。
当時、ヴォルツ領のエルツ辺境伯が、ザクスベルトの印章が押された手紙を持参し、密かに国王に訴え出たことで漏れた謀反の計画 ――
ザクスベルトが企んだと断言するには不明瞭な点も多く、ゆえに事が重大にならないように内密に、というエルツ辺境伯の気遣いを台無しにしたのは、国王自身だった。
普段の穏やかさを忘れたかのように怒り狂い、声高にザクスベルトの拘束と調査を命じながら、アンゼルは心のどこかで思っていた。
これで、マルガリータの子リュクスを、堂々と立太子できる、と。
―――― ザクスベルトを憎んでいたわけではない。
ただ、愛する女の息子と比べれば、愛していなかっただけだ。
―――― 血筋も申し分なく、全てにおいて優れた完璧な王太子を、積極的に廃嫡しようと考えたことなど、一度もない。
ただ、彼が事件の中に放り込まれたとき、何がなんでも助けよう、とするほどの思いが無かっただけだ。
それは、ほかの誰にも知られることのない、無視して忘れ去っても、全く問題にならない小さな罪のはずだった ――――
「ザクスベルト、すまなかった、すまなかった…… もう、許してくれ、責めないでくれ……」
もう遅い、と、処刑されたもと王太子の影が呟いた。
※※※※
「もう遅いですよ」
かつて意識せず己から王冠を奪って生まれた弟の、うつろに宙を眺める目から流れ落ちる涙を、アインシュタット公爵グンヴァルトはそっとぬぐってやった。
非常に愉快だ。
国王アンゼルが倒れて、すでに15日が過ぎていた。
その間ずっと、「流行り病かもしれない」 と理由をつけて王妃とルイーゼを国王に近づけず、グンヴァルトだけが付きっきりで看病している。
その目的はもちろん、別にあるわけだが、幻妄に苦しみ謝罪を繰り返す異母弟を見物するのも、それはそれで胸のすく思いだ。
「失礼します」
扉の外から、メイドらしき者の声がかかった。
「お夜食を、お持ちしました」
「ああ、そこに置いておきなさい。お前も寄らないほうがいい。流行り病だと、いけないからね」
「かしこまりました」
気配が去ったのを確認してグンヴァルトは扉を開け、ワインと軽食の載った盆を取った。
(ほう、メアベルクのキャビアか)
王妃の心遣いで、グンヴァルトの夜食には常に山海の珍味が用意されていた。
今夜のメニューはスモークサーモンとチーズの上にキャビアが載った、薄い堅焼きパンだ。
(看病の真の目的が何か、王妃が知ったら…… 毎夜、食事など用意したことを後悔しような)
ざまをみろ、と頭の中の王妃と王太子に向かい嘲笑を浮かべ、グンヴァルトはパンをつまんだ。
(残念だが、ワインはやめておこう……)
グンヴァルトは酒に弱いほうではなかったが、ここではワインが入ると眠くなってしまう。疲れがたまっているせいだろう。
腹に一物あろうがなかろうが、泊まり込みの看病の労力は同じなのだ。
(そろそろ、目的が達成される今…… 寝てなど、いられない)
カシュティール国王が倒れた知らせは、すでにアッディーラの魔王に届けている。
そして、国境で止められていたアッディーラの商人団が動き出したのが5、6日前 ――――
(とすれば、あのお方は、そろそろ、宿に到着する…… そしておそらく、ことは、今宵か、明晩には成るはず……)
グンヴァルトがにやりとほくそ笑んだとき、不意に、寝台の後ろが暗く光り出し、空間がゆらりと歪んだ。
(きた……!)
グンヴァルトはひざまずき、頭を垂れた。
―――― この国に、新たな王を、迎えるために ――――