26-1. 異変①
年が明けて、ひと月が過ぎた頃。
ルイーゼは、神殿の奥に与えられた自室にいた。
珍しくも嵐を伴い2晩かけて降り積もった大雪のおかげで坪庭に面した窓は明るく、そこで、遠くアッディーラの友からの手紙を読んでいたのである ――――
カシュティール国はようやっと、リュクス王太子を失う前の日常を取り戻そうとしていた。
それにつれ、何かと慌ただしかったルイーゼの生活も、次第に落ち着いてきている。
―――― 聖女の後継としての訓練と王太子としての公務を両立させようと頑張った挙げ句に、過労で倒れたりとか、そのせいでまたアインシュタット公爵が 『ルイーゼの王太子としての資質に問題あり』 として騒ぎたてたりとか、若干のいざこざはあったものの、要はより重要なほう…… 聖女の後継としての訓練を優先させることで、決着したのだ。
おかげで、王城への伺候は基本、朝の謁見の折のみになり、こうして自室でゆっくりする時間も多少はとれるようになった。
―――― エルヴィラからの手紙は、アッディーラとカシュティールを行き来する魔族の商人に託されてやってくる。
アッディーラとカシュティールの間を通るものは、手紙1枚であろうと国境で検閲を受けるのが常であったが、例外があった。
マルガリータの許可証を持った商人の運ぶ手紙である。
信用もさることながら、その内容は単なる季節の挨拶やご機嫌伺い、あるいはアッディーラの商品を注文するようなものばかりであり…… つまりは、重要でない、と見なされていたのだ。
エルヴィラはマルガリータへの手紙のついでに、ルイーゼへの手紙も彼らに託していた。
マルガリータに見られる危険はあるものの、検閲により、万が一にでも他へ計画が漏れることを避けることのほうが重要だったからだ。
―――― エルヴィラがマルガリータと 『仲良く』 することに決めたのは、そうしたことに使えそうだ、という予想もあってのことだったのである。
ゆえに、手紙の内容は、マルガリータに見られても良いように、表向きは当たり障りのない近況報告である。
「あの子、無事に魔王の侍女になれたのだそうです……」
隠しておくべき内容は、あらかじめ決めておいた、締めくくりの挨拶の言葉でわかる ―― 計画が順調なら 『大好きよ』 で、何か問題があれば 『元気でね』 だ。
なお問題がある場合は、同じ手紙にミョウバン水を用いてそれを書くことになっている。
水に浸せば文字が浮き上がる古典的な手法だが、もしほかの者に見られても、気づかれることはおそらくないだろう。
ちなみに最初、エルヴィラは 『大好きよ』 と書くことを非常に嫌がったが、ルイーゼが 『お友達ですから、照れなくても』 と譲らなかった、という経緯があったりする ――――
ともかくも、今回の手紙の〆の文言は 『大好きよ』 だ。
「例の計画も順調ということですのよ、ザクス兄様」
やや癖を出して書かれた文字を拾うと 『読んだら燃して』 になる ―― 毎回、律儀に強調されるその文言に従い、手紙を暖炉の火にくべながら、ルイーゼはふと、口を閉ざした。
ひとりごとになっていることに気づいたからだ。
―――― リュクスの葬儀の日より早くも、2ヵ月以上が経っているが、ザクスベルトはまだ、帰ってこない。
(ザクス兄様……。信じてはおりますけれど……)
きっと、いつか戻ってくる。消えたままではいないはず……
そう信じてはいても、寂しい。
それに、けっこうな頻度で不安にも、なる。
それでも、以前にザクスベルトを脅したように 『時の神殿の秘儀で、時を戻って運命を変える』 ことをしないのは ―― 単に、できないからだ。
一応、調べはした。だが。
―――― かの時戻りの秘儀について、わかったのは、この秘儀は神々から直接の意向を受けた者しか行えない、ということと、秘儀を行う者は自らの命を捧げねばならない、ということのみだった。
そして、それだけでじゅうぶんだった。
今のルイーゼに、秘儀を行うことはできない ――――




