19-1. 葬送①
鬱回です。
苦手な方は飛ばしてください。
「リュクス様!」
「エルヴィラ……」
リュクスは、エルヴィラにゆっくりと手を伸ばした。
「良かった…… 無事、だね……」
先ほど、ロペスによってエルヴィラも、背中に傷を負ったばかりだが、リュクスには見えていない。
エルヴィラ自身、それどころではなかった。
「リュクス様! なんって、バカなことをすんの!」
「これで、良かったんだ…… 貴女を、失うよりは」
「バカ!」
リュクスのお腹には、黒い穴があいている。焼けただれた肉のにおい。
そんなことない、違う、と思いたくても、もう思えない…… リュクスは、助からない。
その事実を受け入れたくなくて、エルヴィラは、声をあげて泣いた。
「バカ! 一国の王太子でしょ、あなたは! なんで、あたしなんか……」
エルヴィラの泣き声を聞きながら、リュクスはかすむ目を、窓の外の夜空に向けた。
―――― 地上が血と数多の欲望で汚れる夜も、空には無数の星が、決して手の届くことのない遠い場所で、美しく瞬いている。
兄はきっと今、全てを忘れて、この星の間に遊んでいるのだろう、とぼんやり思う。
―――― そういう人だったのだ。
いつも真っ直ぐで、強くて、近くにいてもあの星々のように、遠かった。
(幼かった頃、何度も、王妃派の廷臣たちや貴婦人たちから、それとなく庇ってくれていたっけ……)
けれどいつの頃からか、そうした正しさも優しさも、全て、妬ましく、憎らしくなっていた。
(そういえば…… 僕が木の上から降りてこれなくなって、助けてくれようとした兄上も、一緒に降りてこれなくなったこと、あったな……)
あの時は、風に飛ばされたルイーゼの帽子を、取ってあげようとしたのだった ―――― 兄だけに向けられていた屈託のない笑顔を、自分にも見せてほしくて。
結果は、騎士たちが気づいて助けてくれるまで、ルイーゼはずっと木の上を見上げて泣き続けて、助けられた後も、ごめんなさいと泣き続けていたのだが。
あの頃のことは、ルイーゼはもう、覚えてなどいないだろう。
(そうだ…… あの頃から、ずっと……)
エルヴィラの腕の中で、リュクスの血にまみれた唇が、わずかに動いた。
「…… ルイーゼ、ごめん……」
僕は貴女に、悲しい顔をさせるしか、できなかった ――――
※※※※
夜ふけにふと夢からさめると、藤色の瞳と目が合った。
「ザクス兄様…… 泣いて、らっしゃるのですか?」
【どうして、そう思う?】
ルイーゼは黙った。
―――― 悪霊は、涙を流さない。だってもう、死んでるから。
泣くのは生命ある者の特権なのだ。
「これまで、拝見したことのないようなお顔を、なさっています、兄様」
【リュクスが、亡くなった。魔族にしてやられたと、エルヴィラ姫が……】
「…… まさか ……」
【俺が…… もっと早くに、気がついていれば……】
うそ、という言葉を、ルイーゼはすんでのところで飲み込んだ。
ザクスベルトは、嘘や冗談でこんなことを言う人ではない。
だからそれは、真実なのだ。
「あ…… まさか…… わたくしが…… 」
身体が、震える。
思考が、うまくまとまらない。
―――― 彼のことは決して、好きではなかった。
1度目の人生のラストからずっと、ルイーゼは心のどこかで、リュクスに怒り続けていたから。
どれほど甘いことを言われようと、真摯な態度を見せられようと、怒りは解けなかった。
だから、決して気を許さず、バカにし続け 『誰からしてもそのほうが幸せ』 と言い訳しながら、エルヴィラにリュクスを押し付けた。
(けれど、亡くなるだなんて――――!)
許していれば、良かったのか。
忘れようとしても許そうとしても、解けることのない強烈な怒りを、身の裡に飼っていたから、いけなかったのか。
―――― その怒りが、リュクスを死なせてしまったのでは、ないだろうか……
【ルイーゼ、大丈夫だ。君のせいじゃない】
「ですけれど…… もし、わたくしが……」
―――― 時を遡ったり、しなければ。
―――― おとなしくリュクスと、婚約していれば。
―――― 『婚約した先に破滅しかない』 など、ただの詭弁だったかもしれない。
―――― もっと真摯に考えていれば、誰も傷つけず、誰も死なずにすむ道が、あったのかもしれない。
【ルイーゼ、落ち着きなさい】
抱きしめられたとたんに、目から涙が溢れてきた。
(わたくしったら、何をしていたのでしょう……!)
後悔がある。
目には見えない、運命とでも呼ぶしかないような巨大な力への恐れがある。
―――― 純粋に、従兄を悼む涙ではなかった。
弟を失った兄に対する、思いやりの涙でもなかった。
それが、ルイーゼには悲しかった。
もうこれ以上、何ひとつ諦めまいと頑張って頑張って、それでもまだ、ちっぽけな子どもでしかなかった少女は、悪霊の冷たい腕の中で、声をあげて泣いた。
こんなに泣いたのは、記憶にある限り、初めてのことだった。
※※※※
時の神殿と中央神殿の呼びあうような鐘の音が、亡き人の瞳を思わせる、澄んだ青空に響く ――――
リュクス王太子の葬儀の始まりの合図を、ルイーゼとエルヴィラは、街を見下ろす丘の上で聴いた。




