18-3. 魔族の将軍③
たやすく使い手の意のままにできる魔力とは異なり、蜘蛛糸を操るには技術が必要だ。
狙いどおりの部位に巻き付かせるためには繊細な指の動きが、きっちり締めあげるためには筋力が ――――
1本操るだけでも大変なそれを、エルヴィラは指の数だけ、操れる。
同時に投げ掛けられ、複雑にまといつく10本の糸から逃れる術などあろうはずがない…… もし敵が、普通の魔族ならば。
「ああっ……」
エルヴィラの口から、悲鳴が漏れた。
10本の糸全てが、ロペスにたどりつく前に、消失。
これで、3回目だ ――――
―――― 狙った獲物は、指先ひとつ動かさずに、あくびなどしている。
「…………」
ならば、と予備動作を最小限にして、もう1度。不意打ちで、糸を投げ掛けようとした…… が、またしても、消失。
「うん、決めた。やっぱりエルヴィラには、交代してもらおう」
余裕綽々でアゴを掻きながら、ロペスはにこやかに解説した。
「これだけ反抗的じゃ、さすがにちょっと使いづらいからね?」
「なに、言ってるのよ!」
「あれ? わからない? まさかねー?」
今度は、エルヴィラが放った蜘蛛糸でボールを作って、お手玉を始めたロペス。
エルヴィラが次々と投げる糸を器用に絡めて、ボールはどんどんと大きくなっていく。
―――― ナメられているのだ。
全力を出しても、ロペスにとっては、闘いのうちにカウントされていない、ただの遊び ――――
エルヴィラは、ぎゅっ、っと唇を噛みしめ、次の蜘蛛糸を用意した。
―――― 繰糸術がダメならば、今度は。
通常の攻撃をするように見せ掛けて、隙を狙って懐に飛び込み、針のように鋭くした糸を心臓に直接、刺す ――――
正直、成功するより失敗する確率のほうが高そうだが……
何もせずに相手の言いなりになるより、1000倍はいい。
「そこの王太子殿下の嫁になるのは、何もお前じゃなくてもいい、ってことさ、出来損ないのお姫様。
愛だの恋だの、関係ないことくらいは、わかるかな?
そこのお方は、アッディーラの差し出した女が誰であろうと、断れるような立場じゃ、ないんだよねぇ」
それは、エルヴィラがもっとも言われたくなかったことだった。
違う、とエルヴィラはかぶりを振った。
(違う。前の人生ではそうだったかもしれないけど、少なくとも、今回は違う…… リュクス様はあたし自身を、愛してくれているんだ!)
「誰でもいい。なんなら取り揃えて、好みの女を選ばせてやろうか? なぁ、王太子殿下よ」
「…… 違ぁぁぁうっっっ!」
叫びながら突進してきたエルヴィラに、ロペスは 「やれやれ」 と微笑みかけて、手を一閃させた。
その瞬間。
「エルヴィラ……っ!」
彼女の小柄な身体が、横に突き飛ばされた ―― リュクスだ。
ロペスの手から放たれた魔力の塊は、音もなく、王太子の腹を貫いた。
「あ。しまった」
明らかに慌てる、ロペス。
―――― ものすごい、誤算である。
(まさかこのヘタレな王子が、女をとっさにかばった、だと!? あり得ないだろ! 弱い人間の中でも弱いコイツが!)
もしここに誰か悟った人でもいれば 『人間は変わるのだ…… 弱いからこそ、な』 と、名言ぽい何かで、この魔族の将軍をハッとさせてくれそうだが……
残念なことにこの場には、それほどの余裕がある者は誰もいなかった。
(クソッ…… こうなれば、計画変更だ)
この状況では、エルヴィラを殺しても意味がない、とロペスは瞬時に判断した。
―――― リュクスは明らかに、致命傷を負った。間もなく、事切れてしまうだろう。
―――― 彼が亡くなった後に、カシュティール王宮内に置いておける魔族の駒は、今のところ、エルヴィラしかいない。
反抗的で扱いづらくても、こうなれば、いないよりマシである。
―――― もっとも、リュクスを犠牲にひとり生き残ったとわかれば、その立場はかなり微妙になりそうだが……
(ま、被害者に仕立てあげとけば、なんとかなるだろう)
ひとつうなずくと、魔族の公爵は、リュクスに駆け寄ったエルヴィラの背をごくわずかな魔力で切り裂いた。
そして、エルヴィラの口から、小さく悲鳴が上がったのをキレイにスルーし……
その場から、姿を消した。
(おっと、紹介状、紹介状)
―――― 逃げる直前、忘れずに紹介状を持っていくところが、ちゃっかりしている。