12. 出立
時の神殿が午後2時を告げる鐘を鳴らし、それに呼応するように、中央神殿の鐘が鳴る ――――
自らを弔う鐘の音を、ルイーゼは神殿の聖女に与えられた部屋でお茶を飲みながら、聞いた。
ここ数日の忙しさが、嘘のようだ。
そしてこれからまた、忙しくなる ――――
公爵令嬢をやめた後の身の振り方は、母やその実家のツヴェック家と相談して、決めた。
この1ヵ月でルイーゼはなんとか神力が使えるようになっていたが、聖女を継ぐにはまだまだ力不足…… いったん、ツヴェック家の本拠地、辺境ユィター領に身を寄せ、修行を積むことになっている。
しかし、ツヴェック家がほかの辺境伯2家をおもんばかり、立て続けに聖女を出すのを遠慮したため、ルイーゼの立場は、辺境メアベルクを治めるシェーン家の養女、という形に収まる予定だ。
ややこしいことになったものだが、ルイーゼは、まずツヴェック家の庶子として戸籍を取得する。
これはすでに準備が終わっており、この後はまず、養子縁組と挨拶のために辺境メアベルク、次いでヴォルツ領を訪れる予定になっている。
最終、辺境ユィター領に落ち着くまで、約1ヵ月の旅である。
―――― もっとも、そうまでしてルイーゼが聖女を目指すことになった一番の原因…… 当の悪霊は、未だに少々、引き気味ではあるが。
現に今も、 【やめとこうよ、ルイーゼ】 と、向かいに座って顔をのぞきこんできている。藤色の瞳が、途方もなく真剣だ。
【何も無理に聖女になんてならなくてもいいぞ。俺があの世に逝けば済む話なんだからな? そもそも、国防の要を女性ひとりに負わせるシステムには問題がありまくりだし】
「あら。では、ザクス兄様がそれを最高神官様や国王陛下に訴えて、改善してくださいますの?」
【いや……】
いくら問題があるシステムでも、今までそれでなんとかなっていたものを急に変えるのは、国王でも難しい。
ましてや、普通の人には見えない悪霊王子であれば、なおさらだ。
「それにほら……」
ルイーゼは手のひらに神力を宿してみせた。ほのかな温かい光は、癒しと守り、そして浄化の力だ。
「母にも意外と筋が良いと驚かれましたのよ? いずれはもっと強くなって、ザクス兄様が国を滅ぼすレベルの大悪霊になっても抑え込めるようにしますから、ね?
あの世に逝くだなんて、簡単におっしゃらないでくださいませ、兄様。もし、そのようなことになりましたら……」
【なんだ?】
「時の神殿の秘儀とやらを、何がなんでも暴いてもう一度、時戻りして、ザクス兄様が処刑されないようにしますから」
実際、なぜ、ルイーゼの時を戻した謎の人物は、そうしてくれなかったのだろうか。
【…… かなわないな】
ザクスベルトが苦笑してルイーゼの髪をそっと撫でた時、ノックの音がした。
「どうぞ?」
「失礼します」
入ってきたのは美貌の聖騎士、ファドマール。
彼は静かに、出立の用意ができたことを告げた。
※※※※
神殿の表は、公爵令嬢の葬儀に参加する人でいっぱいだが、裏口はかえって閑散としていた。
旅立つ者はルイーゼ、侍女のパトラ、そして悪霊のザクスベルト。
見送る者は、ファドマールただひとり ――――
「お気をつけて。途中まででも同行できると良かったのですが」
「ありがとう存じます。心配なさらないで」
ファドマールは最後まで、休暇が取れないことを残念がっていた。
―――― 聖騎士団は今、国王のパレードが毎日あるかのごとき忙しさである。
アッディーラの皇女の訪問で警備体制が強化されたあおりを、喰ったのだ。
その上、エルヴィラは王太子の婚約者としてカシュティールに留まり続け、妃教育を受けることとなった。
―――― エルヴィラの身に何かあれば、アッディーラに口実を与えるも同然。
また、エルヴィラ自身が魔族としてカシュティールに害なす可能性も消えてはいない。
警備の強化は、明らかに必要なのだ。
必要ではあるが、正直もう勘弁してほしい、ほんと。昼夜問わずの15連勤とかあり得ない。
「パトラも一緒ですし、何より、ザクス兄様がついていてくださいますもの。ね? 大丈夫でしょう、ファドマール様」
「それが一番、心配ですよ」
真面目にルイーゼの旅路を案じるファドマールの気持ちを代弁するかのように、ルイーゼたちが神殿を出て馬車に乗り込んだとたん、空は黒雲で覆われた。
四方にツヴェック家独自の守護の紋様を刻み込んだ、封印の効果がある馬車でさえ、災いを呼び寄せる力を完全には封じきれていない……
ルイーゼがザクスベルトと出会ってからはまだ、2ヵ月弱 ―― しかしその間にも、悪霊の力は強くなってきてしまっているようだ。
―――― 長い旅路、何事も起こらずに済むものだろうか。
ファドマールの不安をよそに、馬車はゆっくりと動き出した。