11-4. 計略と取引④
―――― 1度目の人生において来年、母こと聖女リーリエがかかる原因不明の病気には、アッディーラの魔族が関わっている…… と、ルイーゼは推測している。
推測どおりだとしても、前の人生では探りようがなかった。
しかし、今回の人生では、うまくいけばエルヴィラの協力が得られる。
―――― いくら、祖国からないがしろにされていても、皇女は皇女である。
おそらく今後、アッディーラからの入国者 ―― 特に、魔力を持たない魔族の商人たち ―― の多くは、王太子の婚約者としてカシュティールに留まっているエルヴィラを訪れることになるだろう。
重要な取引先として、あるいは、同族のよしみでカシュティールでの便宜を図ってもらうために。
彼らの情報があれば、聖女リーリエの病気の原因を探り出せる可能性は、ぐっと高くなる ―― そう、ルイーゼは踏んでいた。
ようは、エルヴィラを二重スパイにする計画である。
その連絡係を、ルイーゼはザクスベルトに押しつけたのだ。
―――― 悪霊は長距離を、馬を早駆けさせる速度の数倍の速さで移動できると言われている。連絡係にピッタリではないか。
しかも賃金不要だし、途中で危ない目に遭うことも、ほとんどない。だってもう死んでるし。
雷や地揺れを引き寄せる体質ということを差し引いても、悪霊は超便利なのだ。
国を滅ぼすのでなければ、ずっとこのままいてほしい ――――
と、それはさておき。
エルヴィラは、不思議そうに首をかしげた。
「…… それって、そこの悪霊に、ずっとあたしを監視させた方が早いじゃない?
どうして、あたしが自分でイチイチ報告しなきゃならないわけ?
そんな暇があるなら、リュクス様にお手紙書くわよ、あたしは!」
「それは、お互いに信頼関係を築くためでございます、エルヴィラ様。いずれ、できましたら、お互いを友と呼べるようになりますように」
ルイーゼは晴れやかに笑ってみせ、エルヴィラに右手を差し出した。
細く滑らかな淑女の手を、気持ち悪そうに眺めて後退る、エルヴィラ。
「…… そんな日は一生、こないと思うけど」
「エルヴィラ様。わたくしがあなたをお世話して差し上げたのは、恩を売るためだけではございませんのよ?
…… エルヴィラ様が、誰にも顧みられることなく城の地下で育たれたと知って、わたくしと同じ、と思いましたの」
「あなたみたいに、何もかも持ってる人に同情されたくないわよ」
ルイーゼは、小さくタメイキをついた。
(どうしても、親近感を抱いているのは、わたくしだけなのでしょうか……
それ以上を望むのは、わたくしのようなつまらない人間には、贅沢というものなのでしょうか……)
いや、違う。
―――― まだ、伝えることはあるはずだ。
「…… わたくし、幼い頃から何もかも、諦めてきましたの。あの邸で 『存在しない子』 にならないために。
何も望まず、与えられた物だけをおとなしく受け取って、とにかく従順に…… 」
母はその頃には、すでに神殿で暮らしていて家にはいなかった。
『存在しない子』 になると、父から許しがあるまで、使用人は一切、ルイーゼの世話ができなくなる。食事も抜きだ。
幼い子どもには、それが何よりの恐怖だった。
物心ついて以来、公爵令嬢が最初に覚えたのは、生きるために他の一切を諦めること…… 愛も、自分の心も。
「ただ人形になるしか生きる術はない、と思っておりました。そして、わたくしは感情をも失くし、自ら人形になって参りました…… けど、エルヴィラ様。あなたは違った」
何よりも力が重視される魔族の国で、何の力も持たずに生まれて、誰よりも蔑まれ、無視されて育ちながら、このアッディーラの皇女は何ひとつ、諦めなかった。
蜘蛛糸による繰糸術を努力して身につけ、リュクス王太子からの愛を得るために、なりふりかまわず行動し、敵視している公爵令嬢すら利用して地獄の特訓に耐えたのだ。
「わたくしには、あなたが輝いて見えます、エルヴィラ様。
リュクス様はなかなかお気づきになりませんでしたが、あなたは最初からお美しくていらっしゃいました。礼儀作法やダンスを覚え、新しいドレスを身にまとう前から、ずっと」
「う……」
黒曜石のような瞳にじっと見つめられ、それとなくモジモジするエルヴィラ。
魔力を持たず生まれたため、母国では、ほめられたことなどなかった ―― おかげで他人からほめられるのは、未だに居心地悪い。
そこに、さらに畳み掛けるルイーゼ。
「エルヴィラ様は、わたくしの憧れです」
隙ができたら、すかさず攻撃。交渉術の基本である。
「わたくし、エルヴィラ様には、幸せになっていただきとうございます。本当よ?」
「うう…… わたしは、あなたのことなんか」
「すぐに、とは申しませんわ。これから、仲良くなりましょう?」
再び差し出されたルイーゼの右手を、エルヴィラはそっぽを向きながら、そっと握った。
―――― 翌日。
アインシュタット公爵令嬢、アンナ・マリア・ルイーゼの棺がひっそりと、王宮から中央神殿へと運ばれた。