11-3. 計略と取引③
王太子とエルヴィラの婚約宣言の後、ルイーゼが仮死状態になっていたのは、本当だ。
人間は、総じて弱い。中には神力を使える者もいるし、ごく稀に魔力を使える者も現れるが、どちらにしろ、一般の魔族の比ではないのだ。
しかし、弱い者には弱い者なりの知恵がある。
―――― たとえばルイーゼが身につけていた、火の神殿の護符。
実はこれには、身につけた者が致命的な攻撃を受けた際、その攻撃を神力により無効化するだけでなく、攻撃を受けた本人を、敵の目を欺くため、わざと仮死状態にする働きがあった。
そのために、蜘蛛糸で喉を絞められたときに 『死んだふり』 ができたのだ。
―――― だが、ルイーゼが、このからくりをエルヴィラに明かすことは、ない。
それは隠し持っている間だけ、強いカードだからである。
殺したはずの女が平然と生きている ―― それは、得体の知れない恐怖のはず。
その恐怖があるからこそ、エルヴィラはルイーゼの言に素直に耳を傾けざるを得ないのだ。
さらにルイーゼは、エルヴィラを 『王太子の婚約者として宮廷で生き抜くための心得』 や 『エルヴィラが使う凶器』 といった、事実ではあるが晒しても身の痛まない話題で、幻惑した。
全て、取引を有利に進めるためである。
「リュクス様とつつがなく結婚までなさるおつもりでしたら、人間のルールは覚えていただかなければ、エルヴィラ様。蜘蛛糸は、最終手段とお心得あそばして?」
「…… じゃあ、どうすればいいの?」
かかった、と内心でほくそえむルイーゼ。気分は完全に悪役だ。
「まずは、わたくしに 『借り』 をお返しくださいませ。わたくし、エルヴィラ様がリュクス様のお目に留まるよう、ずいぶん協力いたしましたでしょう?」
「あれはあなたが、悪霊以外は眼中にないって言ったからじゃないの!」
どこからか 【げほげほげほっ……!】 と件の悪霊が咳き込む声が聞こえたが、ルイーゼはかまわず、続けた。
「食事マナー、立ち居振舞い、ダンスもお教えしましたし、高価な香油にお似合いのアクセサリーにドレスまで…… それに、エルヴィラ様のために、リュクス様からのダンスのお誘いは全て、お断りまでさせていただきました。
それに、わたくしを殺した蜘蛛糸のことも、黙っていて差し上げておりますし……
普通の人間であれば、これだけの恩義を受ければ、借りを返そうとするものですのよ?」
普通の人間。
今のエルヴィラにとって、これはかなりのパワーワードであった。
―――― 魔族からも人間からも蔑まれる 『魔物姫』 ではなく、 『普通の人間』 としてリュクスと幸せになりたい ――――
その心理をも、ルイーゼは読んでいたのである。何日も公爵邸にエルヴィラを泊めたのは、レッスンのためだけではない。
観察し、攻略の糸口を探る ―― その意味では、エルヴィラは穴だらけだったのだ。
「…… あたしに、何をしろというの?」
「大したことではございません。ひとまずは、わたくしに、毎日ご報告くだされば良いのです。
―――― どこで誰と会い、何を話したのかを。
特に、アッディーラからやって来る商人や使者に関しては、詳細にお願いいたします」
「なによ、それ」
赤い瞳が敵意を込めて、ルイーゼをにらむ。
一見、敵対しているように見えるが、しかし。
返事が 「お断りよ」 でも 「見返りは?」 でもないあたり……
つまりは、エルヴィラの返事は 『了解』 と見なして差し支えない。
(なんという、素直で良い方なんでしょう……)
ルイーゼは感銘を受けつつ、サクサクと要件を進めた。
「連絡は、そちらの悪霊にお伝えくだされば、けっこうでございますから」
【そういうことで、よろしく。アッディーラの姫様】
ふたりの間に立つように、急に姿を現したのはザクスベルト。流れるような仕草で、エルヴィラに挨拶した。
―――― 本来なら彼は、ルイーゼの婚約回避が成立した時点で永遠の国へ逝っても良かったはずだ…… だが。
逝き方がそう簡単にはわからない上に、ルイーゼの身にも聖女の身にも心配事が山積み。
「ザクス兄様があの世に逝かれるなど…… まだ、なにか方法はあるはずです。
せめて、わたくしが聖女としての力を得るまで、お待ちくださいませ、ね?」
というルイーゼのおねだりもあり、ついズルズルとこの世に留まることになったのである。
―――― つまりは、このもと王太子、従妹からの頼みにはとにかく弱かったのだ。
2021/08/02 誤字訂正しました!報告下さった方、どうもありがとうございます!