11-1. 計略と取引①
急死した公爵令嬢の客人であったエルヴィラは、舞踏会の後、リュクス王太子に勧められるままに王宮の貴賓室に泊まっていた。
それを知っているのは、王家と公爵家の者だけ…… その中にはもちろん、亡くなったルイーゼはいないはずである。
だが、エルヴィラが開いた扉からするりと優美な仕草で入ってきたのは、黒い髪に黒い瞳、滑らかな肌に彫られたえくぼまで、まさに、ルイーゼ以外の何者でもなかった。
「あなた何!? 霊になって、恨み言でも言いに来たの?」
「いいえ? よくご覧になって、エルヴィラ様。わたくし、生きておりましてよ」
踊るように軽やかに、くるり、と回ってみせるルイーゼ。
そのにこやかな微笑みを、エルヴィラは油断なくにらみつけた。この女、何を企んでいるのか。
「それに、恨み言など申す気はございません…… 単刀直入に申し上げますね。エルヴィラ様、わたくし、借りを返していただきに参りましたの」
「なによ、それ」
「人間界には 『貸し借り』 という考え方がございますのよ。他人から恩を受けた時には、いずれ返さねばならぬ、という暗黙のルールにございます」
「聞いたこともない……」
「ええ。わたくしも、まさか、ここからお教えせねばならぬとは思っておりませんでしたが…… 書物には、魔族の皆様はそのような考えをお持ちでない、とありましたので」
エルヴィラは憮然としていた。
―――― 魔族の考えの基本は、弱肉強食。強い者は弱い者を支配し利用する権利があるのだ。
『借りを返せ』 などと、何を今さら、ワケのわからないことを言っているのか。
「ルイーゼは、あたしより弱くて愚かだったから、利用されたのよ。それが嫌なら、強く賢くなれば良いだけ」
「エルヴィラ様。魔族の言う、強さや賢さと、人間のそれは、必ずしも一致しませんのよ。
魔族ご出身とはいえ、エルヴィラ様もこれからは、人間の王太子の婚約者。ゆくゆくは、王妃になられる方です。
人間のルールも覚えていただかなくては…… いずれ困られるのは、リュクス様でしてよ?」
「リュクス様が、困るの……?」
なんという純粋な子だろう、とルイーゼは改めて感動した。
ルイーゼにとっては、リュクスなど心配する価値の一切ない自己中バカ王太子だが、エルヴィラはそんな彼を一途に想い、その名を出すだけで動揺するのだ。
「ええ。他人から恩義を受けても返すことを知らず、邪魔となればあっさり排除するような妃は、良い非難の的でしょうね。お可哀想なリュクス様」
そんな妃でも、もしそれがルイーゼならば、公には非難されないだろう。権力や後ろ楯とは、そういうものだ。
だが、もともと敵対するアッディーラの、しかも祖国からも半ば見放されているような皇女ならば……
人は必ず、鵜の目鷹の目で失態を探し、槍玉にあげる。
前の人生とは違い、まだカシュティール国がアッディーラに、はっきりと負けたわけではない現在ならば、なおさらだ。
「傍若無人に振る舞う魔族の姫をかばいきれずに、斬り捨ててしまう未来が、目に見えるよう……」
ルイーゼの歌うような台詞に、エルヴィラがびくり、と震えた。
『斬り捨てられる』
これ、ルイーゼは単なる比喩として使ったのだが、エルヴィラにとっては生々しい記憶である。
なにしろ前の人生では、リュクスの短剣で刺されているのだから。
「もし、わたくしが、エルヴィラ様の蜘蛛糸で殺されたことが明らかになれば…… リュクス様はどうされるのでしょうね?」
エルヴィラの小柄な身体が、ますます震えた。
―――― なぜ、ルイーゼは蜘蛛糸のことを知っているのか?
それをすぐに、周囲に知らせなかったのはなぜなのか?
それになぜ、ルイーゼは生きているのか……?
「あなた、生きてるじゃないの」
「いいえ」
くすり、とルイーゼが笑った。
「アインシュタット公爵令嬢、アンナ・マリア・ルイーゼは…… 確かに亡くなりましたわ」